2026.05.31

〝MAGA真理教〟と想像世界図・・・の巻


 今月のシメ(といってもほとんどアップしてませんが)はちょっとおちゃらけましょう。

 っと、その前に。

 SNSはインスタグラムをなんとなくやっている程度だが、姉妹ブランドのスレッズの投稿が「おすすめ」として出てくる。

「#高市辞めろ」系が目立つのは、そうした投稿に「イイネ」をしてるからであって、そうでなければ真逆の投稿が並ぶのであろう。


 それはともかく、その「#高市辞めろ」系に、わっざわざニュースサイトなどから引用した蛇女の気持ちが悪い写真が載ってくるのはどうかと思うぞ。たとえアンチ投稿だとしても、あの顔を見て気持ちが悪いと思わないのだろうか? そんなものを食前でも食後でもいいし寝る前でも起きてまず開いてみたときでもいいが、見せられるほうの気持ちは、ほぼ間違いなくとうの投稿者だって自らのこととしてよ~くわかっているハズ。

 まぁ、人様の容姿をあれこれ罵倒するのもどうかとは思うが、それでも気持ちが悪いことは否定でませんなぁ。いったいぜんたい人生をどうやって過ごしてきたらあんなにイヤラシイつらになれるのか? 研究材料としても面白いかもしれない。


「トランプ氏、辞退相次ぎ建国コンサート中止要求 「MAGA集会にすべき」」AFP=時事2026年5月31日


>当初発表されたアーティスト9組のうち5組が辞退を表明したことを受け、トランプ氏はSNSに「アーティストたちが出演に対して『怖気づいている(イップスにかかっている)』のは理解している」と書き、「だから、世界中どこでもナンバーワンの注目を集める男、エルビスの全盛期よりもはるかに大きな観客を集める男…そして、ある人々からすれば史上最高の大統領(THE GOAT=史上最高!)と言われる男、ドナルド・J・トランプを、これら高額報酬の三流『アーティスト』の代わりに登場させることを考えている」と述べた。


──というのだが、

①日本の尊師 世界の尊師 地球の尊師

②過去の仏陀 現在の仏陀 未来の仏陀

③過去生の如来 現世の如来 死後の如来

④心の尊師 供養の尊師 光の尊師

(あの麻原彰晃の「尊師マーチ」より)

 に比べるとぶいずんとみみっちぃようですなぁ、トランプのおとっつぁん(笑)。

 人殺しの数や規模は麻原よりよほど派手だってのによ。


 まぁ、一皮むけばその程度の人物だってことだろう。もちろん麻原を褒めるつもりなんぞこれっぽっちもないが、くだらなさにおいて麻原を上回っているとことが米国の、そしてその影響を受けざるをえない世界の悲劇というものではないだろうか(逮捕されたさいの麻原が札束を抱いていたという話もあるが、トランプも同じザマを演じてくれそうだ・笑)。


 ところで、ひとりで一杯やりながら以下のような妄想をしてみた。


イ)大韓と北朝鮮統一が果たされ、大韓共和国として成立。

ロ)大韓共和国と中国・ロシアとの国境地域に経済特区がつくられ官民での交流が活発化。

ハ)ほかアジアではミャンマーで民主化を達成。

ニ)東南アジア諸国は、国によっての差は生じているものの、タイ・マレーシア・ベトナムを中心に経済が発展。シンガポールを除く各国ともに食糧自給率も常に100%を超えている。

ホ)中国とロシア、ベトナム、シンガポールの一党独裁が解除され、真の民主国家として再スタート。経済、文化ほかあれこれ順調な進展を見せる。

ヘ)中国・大韓・台湾のITおよび自動車・家電産業、エンタテイメント産業などがさらに発展。いまやアニメ部門においても世界的ブームの牽引力となった。

ト)一方。完全に米国の支配下となった旧日本はアメリカ合州国の準州(Japoo準州)とされたものの連邦法の適用外となり、一部支配層による独裁化が進む。

チ)韓国との統一を果たした北朝鮮はもちろん、ロシアやトルクメニスタン、ベラルーシ、エリトリアなどでも民主化への舵が切られたなか、Japoo準州(旧日本)は世界最後の独裁〝国〟として世界から「アジアのガラパゴス」呼ばわりされている。

リ)すでに米国の世界覇権への野望は崩壊し、アジアでは辛うじて旧日本とフィリピンにのみ支配力を持つ。国内でも混乱が続き、州同士間の隔絶が生じるようになった。

──2050年の世界図(の一部)。


 まぁ……、残念ながらイ、ロあたりは楽観的に過ぎるかもしれないけど、ケンチャナヨということで。

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2023.01.20

マイブームの話・・・の巻


 昨年あたりから遅ればせながらのマイブームなのが高野本である。高野本というのは、数々の辺境探訪ノンフィクションを発表している高野秀行の著作の個人的総称(著名人については「敬称なし」こそが敬称と考えているので、あえて敬称なしで記す)。なにを手にとってもあまりに面白いので、いつの間にかそう呼ぶようになっていた。

 しかしこれはオレだけの話ではなかったらしく、今週読んだ『アジア未知動物紀行 ベトナム・奄美・アフガニスタン』(講談社文庫)に寄せられた北尾トロによる一文にはつぎのように記されてあるのだ。

>高野秀行は“タカノ本”という辺境ジャンル唯一の書き手なのだ。

 この一文を目にしたとき、

「おおっ、やはり高野本であったか!」

 とうれしくなったものだが、なにはともあれそう呼ぶのがふさわしい著作群なのだと改めて思った。

 この解説の書き出しにはこうある。

>高野秀行さんの本はカロリーが高い。ジャンクフード的味わいもあり、中毒性も持っている。たくさんの人に愛されているが、まだその数は充分ではないと思う。

 まさに同感。やはりそう感じている人が(きっと大勢)いるのだと、これまたうれしくなったのである。

 遅ればせながらのマイブームとしたが、高野秀行の名前だけは以前から知っていた。デビュー作である『幻獣ムベンベを追え』の著者としてその名を目にしていたからだ。この作品は著者が早稲田大学探検部時代に、あのネッシーと双肩するナゾの恐竜を追ってコンゴの奥地まで繰り出したリポートである。ところが、オレ個人はネッシーだのそのテのウワサ話にはたいした興味もないうえ、ほかに興味のある本があれこれあったこともあって読む機会をつくってこないまま忘れてしまっていたのである。

 ところが、昨年だか一昨年だったか、たまたま見かけた『アヘン王国潜入記』を一読して大感激。ミャンマーとタイ、ラオスにかかる麻薬生産地帯、ゴールデントライアングルのまっただ中に密入国のうえ潜入、およそ7カ月にわたり村人に混ざって生活してきたという仰天もののノンフィクションである。

 これがなにしろ面白かった。紀行モノのようであり、文化人類学的でもあり、探検モノでもあり、もっとアナーキーな“私ノンフィクション”でもある。最後は自らもアヘン中毒になってしまったあたりも痛快だが、この作品を端緒として件の『幻獣ムベンベを追え』はもちろん、学生時代から十年以上にわたり暮らしていた古木造アパート三畳間を舞台にした『ワセダ三畳青春記』・・・と、読むごとに高野本にハマってゆくハメになったのであった。

 ときに「んな、くだらんことを」などと揶揄されかねないテーマに全力でぶつかってゆく痛快さ。大胆でありながら周到な準備を怠らず万全な取材を貫く姿勢(たとえば、各探訪地の現地生活語をマスターしてゆくのは驚愕ものだが、大いに見習わなければならないと襟を正したりもする)。テーマ探しから作品のピリオドまでそこはかとなく充満してやまないユーモア精神。いやはや、これは高野本としかいいようのない唯一無二の世界なのではないか? こんなことを勝手に思いながらページを手繰っては楽しんでいるのである(もちろん、再読を含む)。

 という次第で、このブログでも折に触れて各著作おっと各高野本の紹介と感想などを記してゆきたいと考えている。とくにスケジュールも立てずに五月雨式気まぐれアップになるとは思うが……。

 ところで、これは感想でもなんでもないが、今週読んだ『アジア未知動物紀行』にちょっとばかり「ハッ!」とさせられる記述があった。

 舞台はアフガニスタン。現地の人々との対話シーンのなかにその記述が現れる。

>「この地域を重点的に援助してほしい。そうすれば、日本の名誉になる」
「日本に帰ったら、ちゃんとこのことを政府に報告するんだぞ」
 今度はすっかり地元の陳情を受ける政府の視察団みたいになってしまった。
「私は政府とは直接関係ないのでそれはできませんが、あなたがたがそう言っていたことは本に書きます」と約束せざるを得なかった。
「戦争をするのはアメリカ、援助は日本」という構図ができあがっているらしい。まぁ、逆よりはいいのだが、それにしてもである。(296~297ページ)

 ──戦争をするのはアメリカ、援助は日本──。

 しかしこの構図、近い将来にどう改変されてゆくのだろう。さすがに逆にはならないと思うが、「戦争をするのはアメリカと日本、援助は●●」という事態は、決して絵空事ではないのではあるまいか? もはやジャパンには“援助”役をやらせるだけの経済力も活力もない──そう判断した米国が我が国になにをやらせるのか? すでにその兆候は顕われているのだ……。

 本書で活写されたアフガニスタンの生き生きとした人々の姿を想像しつつ、身近に迫る暗雲をも感じないではいられなかったのである。


 

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2022.12.27

G7中最悪の汚染政権・・・の巻


 本年最後のアップとは、時間が過ぎるのはなんとも早いものです。

 ここ10年以上にわたり海外おける鉄道散歩を中心に続けてきたブログですが、今年はすっかり罵詈雑言の嵐となってしまいMASITA。来年は3ないし4月から海外取材を再スタートしたいと考えていますが、どうなりますか……。

 といいつつ、本年最後も罵詈雑言を一席。

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 特殊漫画家根本敬の名著『電氣菩薩 豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ』(径書房)。

 本書の“主役格”のひとり佐川一政さんの訃報を目にした方も多いハズ。近ごろ凝っている高野秀行が、中国で人間の胎盤を用いた水餃子などを食しつつ、
>念願の胎盤を食べたら、なんとしても正真正銘の人肉を食べてみたくなった。どこか食べられるところがあったら、是非、教えてほしい。(『怪しいシンドバッド』集英社文庫)
 とそのくだりを締めくくっていて、
「さすが、裏切らない是っ!」
 などとうれしくなったものだが、密かに佐川さんとの対談などを期待していた・・・のはオレのほか500人はいるのではアルマイトの弁当箱?

 いや、本当に面白いんですよ、高野本。

「あの椎名誠すらしのぐかもしれん」

 なとど思っていたら、とうのシーナさんが大絶賛しているのだから世の中捨てたものではない。

 さしあたりオススメを挙げてみると、

『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)、『ビルマ・アヘン王国潜入記』(同)、『ワセダ三畳青春記』(同)、『恋するソマリア』(同)、『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(同)『怪しいシンドバッド』(同)、『イスラム飲酒紀行』(講談社文庫)、『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』(文春文庫)、『極楽タイ暮らし「微笑みの国」のとんでもないヒミツ』(ワニ文庫)・・・ほかあれこれ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)。

 話を──罵詈雑言に──戻すと、『電氣菩薩』のいまひとりの主役格が亀一郎でしょうねぇ。

 このヒト、根本敬読者を中心に有名なハズだが、本書でその出会いからはじまり数々の大活躍ぶりが紹介されている。ネオン街──銀座や六本木など高いところじゃくてね──で“女遊び”をするのが趣味といか生きがいというかで、そのあたりを語りだすとそのまま改行なしでダラダラと止まらないという楽しいお方である。

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 その“自己紹介”のひとつにこんなのがある。

「ハゲ、中卒、醜男、バカ。四重苦背負ってますから」  ・・・ってのをふと思い出したというのが今回のテーマなんですねぇ(今回アップの冒頭から続くダラダラ感が亀とクリソツですなぁといま気づきMASITA)。

 ようするに、我らが自民党というワケで、たとえば、

「デタラメ、汚職、無法、恥知らず、馬鹿。五重苦背負ってますから」

 とかなんとかなるワケです。まっ、自覚しているだけ亀さんのほうが至極真っ当でしょうねぇ(「寸借詐欺から殺人まで“犯罪”のデパート」というキャッチフレーズもええなぁ……)。

 ところで、いわゆる「G7」(センター柴田のことじゃないYO)のなかで、我が国がもっとも新型コロナウィルス感染症の新規感染者がワーストなどとたびたびのように報じられていますよねぇ。

 しかし、「G7」(というよりもう少し広義の「先進国」)にあって、政権の汚染度や無能・出鱈目ぶりなども堂々の「ワースト」なのではあるまいか? ついでに経済の停滞・後退度もノミネートされそうだ(近ごろになって、延々と賃金の上がらない実態が“お題目”になってきたが)。ぁあ、さまざまな分野を加味したうえでの「将来性のなさ」もワースト級と評されるかもしれん。

 なにもこんなもろもろすべてを政権や政治のせいにしようなとどは思ってもいないが、このぬかるみきった足元をもっと真剣に見つめてもいいのではあるまいか? そこから進歩に向けて努力するのが真の「エリート」(という表現が適当かどうかはともかく)だと思うのだが、どうだろうか。そして、その第一歩が自民カルト政権に引導を渡すことなのである。


 

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2021.11.26

天才詩人のご帰還・・・の巻

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 朝鮮王朝末期、金笠(김삿갓=キムサッカ/1807~63年)という放浪詩人がいた。北東端に近い慶源(スンアおっとセッピョルと呼ばれていた時期も)や慶興(ともに現・北朝鮮咸鏡北道)、北西端は義州(現・北朝鮮平安北道)、南は海南(現・韓国全羅南道)から釜山、さらに済州島に至るまで、文字通りに朝鮮各地を渡り歩き、行く先々で詩を書き残している。

 俗に「朝鮮の山頭火」とも称されるが、この名を知ったのはいつだったか寧越を訪れたときであった(とはいえ、それ以前にシンジュンヒョンがキムサッカの詩を用いたアルバムがあり、あの『定本ディープコリア』でも紹介されているのを読んでいたのだが)。キムサッカは、本格的な放浪に出る以前、この地で家族とともに過ごしたのだという。

 大韓時代劇ファンにとっては、安東金氏の一族と紹介すれば身近に感じられるかもしれない。安東金氏とは、朝鮮王朝末期に政治を私物化した一族で、ドラマ「イサン」の悪役おっかさん(欲望の炎おっと、英祖の後妻)もそのひとり。ところが、叔父が謀反の罪を被り、そのあおりで両班の身分を収奪されてしまい、放浪詩人となったのはそうした生い立ちが影響していると見られている。

 とまぁ、本書『放浪の天才詩人 金笠』(崔碵義・集英社新書)は、そのキムサッカの生涯を辿るとともに数々の詩作を紹介している良著で、目下熟読中なのである。

 で、事件は本書を読んでいるときに起きた。

 さきほど・・・夕食後に寛ぎつつ本書を開いていたら、なに食わぬ顔をしてちょびがネコ食卓にいるではないか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)? じつは、11月上旬に姿を消し、今日まで3週間ほど行方不明となっていたのである。

 お腹はだいぶ減らしているようだったが、とりたてて痩せてはおらず、ケガもなければ毛並みも乱れてはいない。それが、ひとがよりによって放浪詩人の本を読んでいるさなかにフラリと帰宅するとはシャレているではないかо(^ヮ^)о そこで、「笠(サッカ)」の号を授与してやったのはいうまでもない。

 放浪詩人ちょび笠の誕生というひと幕でありMASITA。


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 放浪詩人のご帰宅。


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 それにしても、いったいぜんたいどこをどのようにして放浪していたのか……。なんにしても無事でよかった。


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 目下、にゃぁにゃぁ甘えております。

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2021.10.21

母なる地球・・・の巻



 普段、テレビはほとんど見ないが、それでもいい番組と出会うこともあって、見入ってしまうこともある。
 つい先日、なんとなしにテレビをつけてたさいに遭遇した「シリーズ〝2030・未来への分岐点〟暴走する温暖化」(NHK-BS1)もそのひとつ。地球温暖化をテーマとしたドキュメンタリーで、なにかと考えさせられることも多かった。ここではその詳細を省くが、関連して思い出したのが『沈思彷徨』(藤原新也/ちくま文庫)である。


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 本書は、以前にもこのブログで紹介した。藤原新也の対談やコメントをまとめたもので、1996年10月にちくま書房から単行本で刊行されている。筑紫哲也やビムベンダース、沢木耕太郎ら多彩な対談が収録されているが、つぎに引用する小説家・日野啓三と対談「地球が姿を見せてくれる時」は、いままさに──対談からすでに四半世紀以上が経ってしまったが──広く読んでほしい内容が含まれていると思った。少し長くなるが引用する。

われわれの自然観というのは、非常に面倒見のいいおふくろさんだと思ってきたんです。たとえば、ちょっとやそっとものを投げたって、汚したって、ちゃんと尻ぬぐいをしてくれる。実際、いままでは尻ぬぐいをしてくれたわけです。ところがついに尻ぬぐいできないほどわれわれが大きくなったでしょう。そうすると、自然というものはおふくろさんではなくて、むしろこっちが養わなきゃならないものだ。

(中略)あの『自然に』はまさに何もしなくたってやってくれるという語感があったけれども、これからは『自然に』という言葉をそのまま使ってはいけないなと思った。

 これは二十世紀という百年間の歴史のなかでとても大きいことでしょう。自然に戻れというけれども、戻れないんだな。人間が強力になりすぎちゃっているから。むしろ自然のほうをいたわってあげなきゃいけなくなってきた。
(日野:251ページ)

 ハっとさせられたとはこのことではないかと思った。残念ながら、すでにこのとおりになっているからこそ自然・地球を慈しまなければならない。目下、少しずつであろうと一部で進められつつある「温暖化対策」のすべてが的をえているかどうかはわからないが、母であり故郷であり、唯一暮らすことができる地球の環境を大切にすることについて異論を唱えることはできないハズだ。それもすでに大切にするという段階を越え、ニンゲンの側に相当の覚悟と労力とを要求されているのである。

その『自然に』という感覚は日本人の中で美化されて来たが、ある臨界に達したとき自然に対して『無責任に』という行動に反転する。日本の漁民というのはビニールであろうとバケツであろうとどんどん海に捨てますからね(※引用者注:事実である。もちろん例外はあるし時代を経て変わってきた面もあるのかもしれないが、同様の所業が『日本海のイカ』(足立倫行/情報センター出版局)などでも記されている。オレ自身もショックを受けるとともに呆れ返ったことがある)。何でもおふくろが全部浄化してくれると思っている。(藤原:251~252ページ)

超高層ビルをバカバカ建てるでしょう。新しい超高層ビル、またできたなと思うと、ふっと、あの五十階のところでみんながおしっこをしている情景が浮かぶのね。どこへ行くのだろうと(笑)。すばらしいきれいなものができたというんじゃないんだな。五十階分のおしっこをどうするんだろうと思うようになっちゃった。(日野:252ページ)

 ──言うまでもなく、原子力発電所もまたここでいう「おしっこ」を増産し続けている──。

 じゃぁどうすりゃいいんだよという声も聞こえてきそうだが、いままさにその道筋を決める岐路に人類は立たされている。件のドキュメンタリーではEUの取り組みなどが紹介されていたが、日常生活の細かなところからヒトやモノの移動、経済格差問題──ごく単純化するならばカネの使い方だ──など多方面からこの問題にアプローチせざるをえないのではないか。

 もはや母なる大地・地球は我々を守ってはくれない。むしろ我々こそが守ってやらなければならない。
 これはまさにこの世の摂理だと思うのだ。

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2021.03.19

嗚呼、発掘・・・の巻

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  お気に入りの韓国人歌手・YOZOHさんの日本語版エッセイ『とにかく、トッポッキ』(澤田今日子訳・CUON刊)が発売されたので、さっそく入手。
 彼女のことはなにかの調べものをしている最中に偶然知ることとなったもので、その瞬間に「ピピッ!」と感じるものがあった。その直後に訪れたソウルで入手したのが左の『기타등등(ギターあれこれ)』(中央ブックス)ほかCDをあれこれというワケで──とはいえ、行き着けの光化門の教保文庫で狙っていたブツのすべてを揃えることができず、店に置いてあるパソコンで在庫をチェックし、永登浦店とのハシゴをするハメになったのだが──、現在にいたるまでときおりプレイヤーに載せてはその自然な音色を楽しんでいる。曲と合わせてオススメでごぢいますо(^ヮ^)о


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  話かわりますけど。
 やはりネットで調べもの(中国語)をしている最中に発見したのがこの「地鶏」おっと「自撮りネコ」でござった。そのときは「中国人もなかなかやりますな」と感心したものだったが、ふと思い日本語で検索してみると、同じ画像が山ほどお出ましになった。そこで……(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

English

  当然のこととして英語でもお出ましに。

Hangul

  いうまでもなく大韓語でも調べるワケで、意外でもなんでもなく同じのがヒットしMASITA(笑)。

Thai

  するとタイ語だとどうなんだろうというのがごく自然の流れではごぢいますよね。

Bengal

  タイ文字はいまだに解読できないが、ついでといってはなんだけど、同じく読めない文字の代表選手としてベンガル語なんかでも調べてみたくなるのが人情というもの。

Rossiya

  タイ文字と違って、ロシア語のアルファベットはどうにか読取ることができる(学生のころ少しだけ独学したのだ)。

Yandex

  ロシアといえばヤンデックス。こうなるとグローバルの体現でごぢいますわね。

Urdu

  ウルドゥ語も4649!

Baidu

  最初が中国語での調べものの最中だったので、百度でも検索。ごくあたりまえのようにお出ましになりMASITAо(^ヮ^)о

 ・・・と、ここまでやったところで、バカバカしくなって打ち上げ。それにして、も。この画像のインデックスケースというか出何処はいったどこのどなたなのでありましょうか……。

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  またまた話かわりますけど。
 中国は雲南省昆明で“発見”されたという「双頭人」。といっても個人的にはなんら知識を持ち合わせていなかったというか、上の参考画像にさせてもらった名著『人生解毒波止場』(根本敬/洋泉社)のなかで知るのみだったのだが、ある日、ふとその詳細を知りたくなった。

Soutou_5180

  同書によれば、著者が知人を通して無事にその映像を入手できたということで、つまりはネット上に件の動画があってもおかしくはないのである。ところが、簡体字に限らずあれこれ漢字表現を変えてグーグルなどで検索してみてもなかなかお目当てのブツに巡り合えない日が続いた。そこで気づいたのが、中国ならば百度あたりを調べるのがスジというものであろうということで、果たせるかなそのカンは見事に大当たりだったのでありMASITA。

◎下のリンクが件の動画。ただしひとによっては強烈に感じる可能性があるので、そのへんを各自ご判断のうえご閲覧くださいマセ(ホラーの類ではなく純粋な医学・人間ドキュメンタリーですが、ご覧になった方々が抱く感想について当方は責任を持てません)。いまを去ること1979年の出来事である。

(゜゜;)昆明に遊びに来ていたところを発見され……(゜゜;)

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  いまひとつは、大韓はソウルで起きたトラと高校生との大格闘である。
 事件が起きたのは1989年3月1日。現場はソウルの子ども動物公園である。ことの顛末は参考画像『ディープ・コリア』(幻の名盤解放同盟/画像は「豪定本」〜ブルース・インターアクションズ版)にあるとおり。

 で、この事件の詳細についても兼ねてから知りたいもんだと思っていたところ、2年ほど前にそれを伝えるテレビニュース動画がアップされているのを発見。つぎのリンクがその動画でありまッスムニダо(^ヮ^)о

(゜゜;)トラと闘った高校生(゜゜;)

 自らの無聊を慰めるべく(笑)、ついついしょうもない無駄話──しかし、ィ世の中にこの話を待望する499人がいるハズ──をしてしまったという話でごぢいMASITA。

☯☯☯追記☯☯☯
『ディープ・コリア』といえば「ドアール化粧品」が一部マニア(?)の間でナゾのブツと評判になっているようだ。が~。このたびその「ドアール化粧品」もとい「도아루화장품」(ローマ字だとまんま「DOARU」。かつて調べたときにDOIRだの도알だの두아르だのとやっていたようでは引っかかるワケがないのであった)が「日本製化粧品」という触れ込みでネット上で売られていることが判明(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;) どうやらアマゾンや楽天市場などには出品されていないようだが、ご興味のある方はぜひ検索を(笑)。それにして、も。DKの面々が鬱陵島に上陸したころはともかく、いまや日本製よりも大韓製化粧品のほうが世間をにぎわしている時代。はたして売れ行きやいかに(大きなお世話ですね・笑)。

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2020.09.08

17時の攻防・・・の巻

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  知らないひとが見たら親子ってところでしょうねぇ。

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  台所の騒ぎ。ユメ(左)のベロにもご注目だが、なんの騒ぎかというと……。

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  夕食の支度なのでありMASITA。

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  夕食はおおむね17時ごろ。原則として、この1回のみ大好物の「カルカンパウチ」をあげている(ほかの時間帯はカリカリで、タマに黒缶をプラス)。

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  それでこの騒ぎになるワケだが、驚くべきことに、なにもしないでも17時ごろになるとゾロゾロと居間の“食事処”に集合するのであった。よくわかっているのである。

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  準備中の足下。

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  お食事中о(^ヮ^)о

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  ごちそうさまDESITA♪

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  ごちそうさまDESITA♪

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  ごちそうさまDESITA♪

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  昼寝中。

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  ふと見たら位置が変わっていたり……。

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  高いところが好き。

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  話かわりますけど。
  比較的最近になってはじめて読んだ1冊に『ショットガンと女』(藤原新也/集英社インターナショナル)がある。藤原新也の著書はあれこれ入手して読んでは、ときおり再読してみたり枕元に鎮座していたりもするが、かれこれ20年近くも前に出た本をいまごろ読むことだってあるワケである。なんとなくタイトルに軽い反発みたいなものを覚えたということもあるかもしれないが、意識して避けてきたという話でもなく、文字どおりなんとなく後回しになっていただけなのだが……。

  しかし、読んでみると面白かった。著者の旅が等身大に近い感じで伝わってくるのもよかった。個人的な興味でいえば、大韓話が2編選ばれている。
  南西部の港町・木浦で起きた小さな事件を綴った「赤軍の顔写真」と釜山界隈の魚介料理店で繰り広げられたおかしくも物悲しいせめぎあいを描いた「石鯛の攻防」である。

  ともに「ぁあ、イイ話だなァ……」と思いつつ(木浦のほうはやや物騒かもしれないが)、木浦の街角を思い浮かべてみたり、インチキ揃いだという釜山界隈のその飲食街はいったいどこなのかとネット地図上を歩き回ってみたりするのだが、この大韓話に限らず、インドといい香港といいキューバといい、インドネシアといい、旅ってのは面白いもんだとしみじみ思い込んでしまうのであった。……キューバが出たついで話だが、ふと気づくと、某航空会社のマイレージがビジネスクラスで日本~キューバ間を往復できる程度に貯まっていたので、いっちょかの地の汽車にでも乗りにゆくかと思っていたらこのザマ(コロナ騒動)ですからねぇ。

  ところで、『全東洋街道』の上巻にはトルコの売春窟で撮ったと思しき女たちの姿が掲載されている。

「はたして藤原新也は、単に“撮らせてくれ”と女たちにかけあったのか、はたまたその女たちの商売の客となったのか?」

  そんな下世話な想像を膨らませもしたものだが、しかしオレがあの場に分け入ったとしても、はたして“性欲のタンク”は上昇できたのかと思わないでもない。場所が場所だけにこういう言い方になってしまうが、「カネを払っちゃってもやる気が起きそうにない」といったところだ(簡単にいえばそこに写っている女のだれひとりとしてソソられなかったというだけの話)。まっ、そんなのは趣味の問題でありましょうが(笑)。

  とはいえ、オレだって禁欲の聖人君子でもなければごくふつうにキレイなおねえさんは大好きなので、女性の登場は大歓迎である。が~。残念ながらそんな楽しい話はそうそうないワケで、当然のことながら書き物──仕事の原稿はもちろんだが、こういうネット上での落書きを含め──に風雲急を告げるようなエピソードを記す機会に恵まれないのであった。

  そんな女をめぐる話が、本書で少しだけ触れられている。

>以前マルコポーロの『東方見聞録』についてある編集者と話し合っているとき、私はちょっとした冗談を言ったことがある。
「だいたいあのように何年もかけて旅する男というのは女好きに違いない」
  これはジョークではあるが、まったく根も葉もない口から出任せの言葉とも言えない。自分の経験則からするなら自らのことを含めて、長い旅のできる男は色好みである。(86ページ)

  はたせるかな、その直感は当たっていたらしいのだが、本題はそのあとである。

>とりわけ男の長い旅には女がつきものなのであるが、なぜか日本人の書く旅行記にはまるでそれが聖者の旅行のようにあまり女が登場しない。(中略)血気盛んな若者が何年もの間、女との情交なしで平気なのか。ノンフィクションライターの書く旅行記もまた、女と絡むことが作品の質を貶めるとでも思っているのか、そのあたりの事実を避けて通るのが相場のようである。(87ページ)

「ぁあ、オレの場合、せいぜいが1週間から10日程度でさっさと帰ってきちゃうからな」
  というのは筋違いの開き直りだが、だからといって藤原新也がその著作のなかでくんずほずれずの大暴れを描いているという話でもない(読みながらちょっとだけ期待したけれど)。

  もちろん、そのテのできごとに触れた旅の本やエッセイなどがないワケではなく、ちょっと思いつくところでは、あの『ディープ・コリア』(幻の名盤解同盟)にちょっと(いや、かなり?)トホホな話があるし、とうの藤原新也も『全東洋街道』の大韓の巻で「清凉里の大ウツボババァ」から肉弾戦を仕掛けられて往生していたものだ。

  意外なところでは、鉄道の御大・宮脇俊三の著作にも旅先での女話が綴られている。もっとも、そのひとつはどういう次第か山陰本線ぞいのひなびたストリップ小屋(『ギャンプルレーサー』ふうか?)に堂々と入ったはいいが、ほかの客がだれもいないままステージにもぎりのばあさんがやってきて、ばあさんの古びた山陰本線を拝むハメになったというイカしたエピソードではあるのだが……(なんの本だったかなぁ、思い出したら後日に注釈を入れます)。

  ぁあ、それで思い出した。オレもあったんですよ、おお、お、お、女の話(この話、だいぶ前に記したような気もするが)。場所は大韓忠清北道の堤川。数年ぶりに、以前泊った安宿を訪れた。宿のおはばんはオレのことを覚えてくれていて「おやまぁ、元気かい?」などと満面の笑顔で迎えてくれた。で、部屋に案内されたところで前金で宿代を払った。たしか2万5000ウォン(2500円ぐらい)だったと思うが、サイフにちょうどいい札がなかったので5万ウォンを渡しておつりをもらおうと思った。そしたらなにを勘違いされたのか、またしてもウレシそうな笑顔で「アガッシ(おねーちぇん)ね。ちょっと待っててね♪」と帳場に踵を返してしまったのである。

「いっ、いや違うんです。女はいりませんよ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)!」

  と思ったが、同時にこうも思案した。

「待てよ。あのおばはんのことだから、ひょっとするととびきり気立てのいい美女を連れてきてくれたりはしまいかо(^ヮ^)о?」

  が~。こう言っては失礼だが、たぶん宮脇俊三が入ったストリップ小屋と同程度のたたずまいの木賃宿である。しかも、藤原新也がソウルの宿のおばはんから「やくざやチンピラがはきだめみたいに街にあふれとりますからね……」とクギを刺された堤川である(『台湾 韓国 香港─逍遥游記』。もちろんいまはそんなことはありません)。そのままなるようになるのも面白かろうとは思ったが、おばはんの後を追って女のおもてなしを断わったのでありMASITA。

 しかし、仮にそのままシケ込まれたとして、はたしてその出来事を仕事の原稿に記せる機会があったかどうかというと、たぶんなかったろうなぁという気もする。ホンネでは書くのも面白かろうぐらいには思っているのだけど、そのまえに読者にとって読む価値のあるような体験ぐらいはしなければなりませんね。

  ん?  なんだかずいぶんと話がそれてしまいMASITA。まっ、いいや。コレをアップしたら、また本書を読み返してみようと思う。

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  おまけ。ちょっと面白いかなと思いオーダーしてみた『日本昭和エロ大全』(辰巳出版)。

「ぁあ、こういうのあったねぇ」

  それ以上でも以下でもない1冊ではあるが、ここまで広範な資料を取り揃えるとはさすが真面目なエロ本出版社だと感心した(皮肉でも悪口でもなく純粋に褒めている)。ただ、広く浅くなるのは致し方のないことで、このネタを深堀りするのはまた別の仕事となるのであろう。

  それにしてもと思うのは、アナログ時代の味わいといったところだろうか。なんの世界にせよ、“進化”と引き換えに失われたものは多い。

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2020.08.15

30年ぶりぐらいの邂逅(その7)ついでに宇宙の話・・・の巻

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  まぁ……、真夏ですからо(^ヮ^)о

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  シアワセ一杯のヒメ親子。

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  さる11日、先月生まれのうち2匹が里親のもとに引き取られていった。選ばれたのは手前のおふた方。「テヤン(おひさま)」「ビョル(星)」と名づけられたそうだ。なぜ大韓語が選ばれたのかは訊ねていないが、きっとかにか感じるものがあったのであろう。シアワセに過ごしてほしい。

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  その片割れ。シッポの先が白いんですよ。前にアップした内湾(台湾の田舎町)の「線香猫」のごとし。

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  里親に出す日。

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  も片割れはユメとソックリ。わが家でそのまま育てるとしたらコユメと命名しようかと思案していた。この2匹はわりと独立心が旺盛で、ともに家族のかたまりからちょっと離れて寝ていたりもしたので、その点では安心できる。残りの2匹は一緒に穴蔵に隠れてしまったりとやや内気。たぶんオヤから離れるのはまだムリだろうなと思っていたので、以心伝心で安心ペアを引き取っていただけたワケですね。

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  深夜に居間で大暴れ。

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  アニキたちと一緒に添い寝。

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  やはり同胞意識があるのでしょうねぇ……。お尻を舐めてやったり、世話もしているんですよ。

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  ももたんとお昼寝。そいや、先月生まれは全員オスだとばかり思ったいたが、うち1匹(わが家で育てる組)がメスであることが判明。

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  わが家に残ったのは、右から1番目と3番目。それぞれ「そら(♂)」と「クルミ(♀)」と名づけた(引き取られたペアと同じく大韓語で「くむじ&オギョブ(金枝玉葉)」というのもシャレで思い浮かんだが、「くむじはともかくオギョブみたいになったら可哀想だから」とすんなり却下(大韓コメディドラマ「まるごとマイラブ」参照)。

  名前は我が母堂につけさせたのだが、「そら? いいね。クルミ? それもいいね」となんとなく決まった直後、仕事机でふと目に止まった椎名歩美おっと椎名誠の本を開いたら、ちょうどその見開きに「クルミ」の文字があって「ぁあ、宇宙だなァ……」と感心したもんだ。

  ところで、たぶんアンテナのどこかが弛んでいるのだろうが、ここ3カ月ほど、わが家ではBS放送が受信できていなかった(北風時に映るケースが多いようだ・笑)。もとよりオレはほとんどテレビなんぞ見ないからいいのだが、ときには母堂がヒマつぶしに愛用している大韓ドラマを見るともなしに見ることもある。それにしても、どれほど地上波放送を見ていないかというと(例外で千葉テレビを少々)、あの夢花火おっと「夢グループ」のおとっつぁんのCMがつい先ごろまでBSだけのシロモノだと思い込んでいたほどなのであった(BS大韓ドラマのときにタマに見かける)。ある日、地上波の某チャンネルにあのおとっつぁんが映ったのを見てちょっとばかり新鮮な驚きがありMASITAよ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)。

  そのBSが、昨日(14日)は久々に映った(北風ではなかったと思うが)。それで、夕食後にさりげにつけてみると、あの「機動戦士ガンダム」(映画版)がおっぱじまったのである。「そいや、3本連続放映するとかどっかに書かれてあったな」と気づきつつ、懐かしさも手伝って鑑賞の巻。たぶん25年ぶりぐらいの邂逅であろう。

  で、ココからが無駄話の本題なのだが、その前夜(14日午前1時ごろ)、風呂に入っていたところふと「ガンダム」が思い浮かんだ。セイラが「キャスバル兄さんっ!」とシャアにすがりつく場面を思い出しつつ、「つまり、アレは“キャスバルおっぱぁ”というワケなんだろうな」と思ったので、風呂から上がるや自室に取って返しそのまま検索をかけてみた。

 ハングルで「캬스발오빠」である。

 そしたら、まんま件の場面の画像(大韓語字幕つき)などがお出ましになったのだが、まさかその場面をその十数時間後──それもおよそ四半世紀ぶりに!──に見ることになろうとは、件の「ガンダム」放映がはじまってしばらくするまでまったく想像だにしなかった(繰り返すが、BSはそのときには受信できないママだったから、もし放映日時を知っていたとしても見るハズもなかったのだ)。

「宇宙」とはつまりこういうものなのである。なんの役にも立たないが。

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  話かわりますけど。盟友Sが「大掃除のときに出てきた」とラーメン屋のチラシをデジカメで撮って送ってきた。「うまかろう安かろう亭」、あのオウム真理教が経営していたラーメンチェーン店である。
「おおっ、こりゃぁ貴重な資料を発掘したねぇ」
  と喝采したものだが、なにを隠そう、Sとオレとでこの店に繰り出したことがある。

  すでに教団の正体が明らかになってきていた時分だと記憶しているが、店はかなりの繁盛ぶりであった。店員が妙に明るいのが「いかにも」といった風情ではあったなぁと思わないでもないが、ラーメンの味そのものは悪くなかった。スープがややぬるいかなという気がしないでもなかったものの十分に旨いと思った。コレは冗談でなしに書いているのだが、あの味をつくっていた人間が教団からしっかりと足を洗ったうえで出直しているとしたら、その店を訪れ、また味わってみたいものだ。もっとも……、メニューにあった「アストラルドリンク」などといった品々には手を出そうという気が起きなかったが。

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  それにしても、こうしてチラシを眺めてみて思ったのは、あのケーセッキ安倍も、いっそのことオウム真理教をまねてラーメン屋経営に転身してはどうかということであった。おしながきに「憲法改正ラーメン」、「アストラルノブスケギョウザ」(阿片は入っていませんが)、サイドメニューに“ジャンクフード”を盛り合わせた「アベトモおつまみセット」なんていかがでしょうか?  ついでにトッピングも考えてみたけれど、面倒になったのでや〜めた(笑)。

  まぁ、「憲法改正ラーメン」ではないけれど、ケーセッキ安倍とその取り巻きにとっては、9条はもとより、11条(基本的人権の享有)だの13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉、14条(法の下の平等、貴族の禁止、栄典)だの51条(臨時会)だの99条(憲法尊重擁護の義務=天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う)……などといった項目は、現憲法下にあって邪魔者でしかないのは明らか。もちろん「憲法改定」という考えそのものは(ひとつの考えとして)尊重してしかるべきだし、議論するのもいいだろう。だが、安倍の「改正」噺は、じつは論議にすらなっていないのではあるまいか?  こう言っては失礼かもしれないが、あのおっさんオツムのなかには、祖国日本の将来や日本国民の幸福のことなんてこれっぽっちもないと思うぞ。

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  閑話休題。そのラーメン屋チラシを眺めていてふと目を上げたところ、視線が本棚の上のほうに鎮座している『黄泉の犬』(藤原新也・文藝春秋)に吸い寄せられていった。

「あの本、たしかオウム真理教がらみの話があったな」

  と思い出し、およそ14年ぶり(奥付の日付は2006年10月30日)に黄泉おっと読みふけることとなった。

  オビに「僕は今までそれを語ろうとしなかった」とある。たとえばインドを舞台とした生々しいエピソードのいくつかが綴られている。そして冒頭の第1章。
  あの麻原彰晃の実兄と寝食をともにした一夜。麻原の故郷・八代で出会った風景と地元民の語り。さらに11年を経て得られたある事実……。これを引用していいものかしばらく考え込んでしまったが、あえてある怒りの念とともに抜き出すことにした。麻原の実兄がこの世に遺した証言である。

「あいつもこまかころは見えとった。いや今でも見えるやろ。ちっとはな」(70ページ)
「智津夫がこまかころ、ちょうど水銀がいちばん海を汚しとった時期や」(72ページ)
「智津夫は兄弟の誰よりも魚介類が好きな食欲旺盛な子での。ワシの釣ってきた魚やシャコをアイツがいつも一番食っとった。……責任を感じとる」
「………」
「そのうちの手の先がちょっとしびれるちゅうことば言い出した。
 それが目に来た」
「………」
(73ページ)
「ワシは智津夫ば水俣病患者として役所に申請ば出しとったじゃ」(中略)
「じゃが却下された」(74〜74ページ)

  こんなことを記すと誤解を受ける可能性があるが、麻原の死刑は執行すべきでなかったと思う(わが国に死刑制度がある以上、法に則って死刑の判決が確定したのは正当だと考えたうえでの話だ)。なぜなら、麻原から聞き出すべき“事実”がまだまだあったハズであり、本書が臭わせているように、この社会には“麻原ないしオウム真理教予備軍”がおそらく顕在しているからだ。その処方箋という言い方はあまりにもことを単純化しているとは思うが、我々がいまを暮らし、この先々も暮らしてゆくことになるこの社会と相対するという意味で、麻原彰晃=松本智津夫という人物と向き合うことを避けてはならなかったのではあるまいか……。

  断るまでもないが、オレは麻原の信者でもなければシンパシーの類を覚えているワケでもない。最初に目撃したのは「週刊プレイボーイ」かなにかの写真記事だったハズで、いかにもいわくありげな格好としたおとっつぁんが座禅を組んだまま空中にジャンプしているというものであった。

「うわっ、インチキくせぇ」

  とまず思ったが、記事に「空中浮揚」とあるのがどうにもげせなかったのを思い出す。だって、どう見たって浮かんでいるのではなく飛び上がっているのだから、「浮揚」ってのにはかなりムリがあったワケだ(麻原が有名人となったころ、学友が「あんなもんオレでも出来る」と座禅を組んだ姿勢で「ぴょぴょん」跳ねてみせたものだ。オレは身体が硬くて当時もいまも座禅を組めないのが残念だが)。

  その後、似たような出で立ちをした別のおとっつぁんが空中高く浮かんでいる(?)写真が載っている本を書店の立ち読みで目撃したこともあるが、オレが感じたことを要約すると「で、この浮かぶんだか飛ぶんだかってのになんの意味が?」と、そういうことになる。これをたえとえば椎名歩美ちゃんおっと椎名誠が『インドでわしも考えた』に記したように、あれこれ考える以前に素直にできごとを面白がるという姿勢もあろうし、もしシラフの目の前で「ふわっ……」と浮かんでそのまま空中に滞留でもしてくれたら「ほぉ、こんなことってあるんだねぇ」と感心ぐらいはするに違いない(もっとも、たとえばピアノを上手に弾いてみたり、帽子からハトが飛び出してみたり、ジャーマンスープレックスホールドがキレイにキマるのだって十分に素晴らしいんですがね)。しかし、麻原にせよ別のおとっつぁんのにせよ、「見世物」といったことを除けば、これといった意味があるようには思えなかった。

  どうしてこんなどうでもいいことを書き記したかというと、いみじくも同じように「それがどうした」と本書に記してあって、当時の所感と結びついたからである。連中がのたまう「空中浮揚」なんぞ、所詮はそんなもんなのである。

私は彼が涙を流さんばかりに浮遊したと言い張るので、最後には折れた。そしてこう言った。
「君は浮いた。そう言い張るならたぶん浮いたんだろうな。で、それがどうした?」
(307〜308ページ・「あとがき」)

  そのオウム真理教がラジオ放送をしていたというのは有名な話で、盟友Sとともにときおりチェックすることがあった(アサハラソングを面白がっていたということもあったのだが、あるとき、麻原が通常とは異なる声色でなにやら思わせぶりな語りを披露し、Sとふたりで「なにかやるつもりなのでは?」といった無気味な思いにかられたのを思い出す。件の大事件はその直後といっていいタイミングで起こされた)。麻原の「説法」だの、どう聞いてもデタラメのインチキとしか思えない麻原の「帰依マントラ」だのといったいかにもというコーナーはともかく、オレが不思議でならなかったのは、ノストラダムスだのといったオカルト話で連中が盛り上がっていたことであった(タテマエとしては「仏教」系であったハズなのだが?)。

  オレ自身はノストラダムスなんてどこが面白いのか子どものころからいまに至るまでさっぱり理解できないし、オカルトの類にもこれぽっちの興味もない(ただし、夜の不忍池上空でUFOらしきモノを目撃したことがある。その形状がUFO系オカルト組織の「CSETI」のマークに似ていたことがその少し後にわかって「へぇ」と思ったことはあった。どうでもいいが)。とはいえ、特殊漫画家・根本敬が記しているように、オカルトの類を全否定したうえでも、「虚数」のようなモノがあることを認める姿勢は持っていたいとは考えている(そもそも、あのケーセッキ安倍の支持者がいまなおそれ相応に存在するらしい──なんと3割以上!?──ことからして立派な「オカルト」ではあるよな。そのトンデモ事実の前には、空中浮揚だの幽霊だの超能力だのも形なしというものだが、明日あたりお日さまが西から昇るのかもなァ・笑)。

  という個人的な話はともかく、そのあたりについても、本書を通じて理解への手がかりを得ることができたように思う。

  ところで本書。末尾が迫るなか、通りすがりにサドゥから声をかけられた藤原新也がその隣に座り、会話の類があるわけでもなくただしばしの時間をともに過ごして別れた場面が語られている。素晴らしいひとときだったのだろうなぁと想像し、うらやましさすら覚えた。

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2019.03.12

聖地巡礼・・・の巻


  愛読書のひとつに『全東洋街道』(藤原新也/集英社文庫)があり、枕元に常駐しているのでときおり飽かずにページをめくることがある(写真集とした『全東洋写真』〈新潮社〉もまた然り)。
  本書については以前にごく簡単な感想を記したことがあるが、とりわけひき込まれるのは第7章「深山 チベット」と第12章「紅の花・黒い雪 朝鮮半島」だろうか。繰り返し文章を読み、ふと立ち止まっては写真に見入る。考えてみれば、はたしてそこまで1葉の写真にこだわったことがあったろうかと思うのだが、著者が訪れたチベットの寺院とその僧坊からの展望は、いまだに凝視してはなにかと想像力を刺激されてやまない(集英社文庫版・下巻の47・46ページと51・50ページ。それぞれ「寺だ!  寺は不意に、そして忽然と目の前に現われた」「私の泊まっていた僧坊の露台から見た山獄  音のない世界だ」とのキャプションがつく)。

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  静寂にして壮絶な寺である。谷に沿って道なき道を延々と辿った先に姿を現わし、旅人をただ受け入れた寺院。「四百年前のチベット僧侶の生き方がまだそのまま生きていると言われています」(同書19ページ)という生きざまはさておいても、いったいぜんたいだれがどのようにして具体的に寺院を建立したのであろうかとも思う。前者には寺院のさらに高所の尾根に小屋らしき建物が顔を覗かせている。なんのために?  後者の俯瞰した風景もまた然りで、それよりは低く小さな尾根に軍隊の哨所のような方形が望まれ、つぎの山襞の尾根にはパゴダのように積み上げられた石を認めることができるハズだ。それだって、どうやってつくられたのか……それともそんなことに気をかけるほうが妙なのだろうか?

  あるいは食事の情景。まな板皿は板でつくられているように見えるが、となりの器はどうやら陶器のようだ。あるいはまた著者が寺との決別の意識とともに捉えた僧の傍らにはビニールでくるまれた布地がある。

  著者は21日間滞在したのち山を後にしている。どのようにして下界に復帰したのかについては触れられていないが、寺での暮らしのなかで著者が往生されられたという「食事」は皮肉だ。主食、それも“副食”があるなないかのなかでの主食に供された「パパ」と呼ばれるフスマ蒸しは、「メシを食って自殺を考えた」ほどのゲキマズぶり(著者が若いころに思いついたという「食事中に自殺を考える人間はいない」の反歌)だったらしい。が〜。本著上下巻に幾多もイメージ化されているあまたの「食」のなかで、コレがもっとも旨そうに思えたのは、はたして著者のナゾかけにひっかかったのか……。

  そうした場面にあれこれ想像を巡らしていたある日、「では、その寺はどこにあるのだろう?」という当然の疑問に気がついた。
  ヒントはある。インドの最北部・ラダックの主要な町のひとつレーから「東北に約百キロくらい」であり「道のない砂礫平地を北東に向けて走っている」(同書19・23ページ)である。すると現代のいいところでありすこぶる悪いところでもあるのだが、いまや机上でいとも簡単に地球上の多くの場所を探しあてることが可能とあっては、その誘惑に打ち勝つことができないままパソコンの画面を凝視するハメになってしまうのであった。

  あった。レーの北東方向にというのは著者の配慮と思われるが、机上で探し当てたのがうれしくもあり空しくもある。が、それでもしばらく見入ってしまうのを止められない。



  またはRizong_Gompa

  半世紀近いときを経て、ずいぶんと姿が変わっている。手前に建つ小奇麗な建物をつかのま「まさか、ホテル?」と勝手に歎いてみたりしたものだが、これは学校らしい。また、Rizong Gompa/Kevin Standage AN INDIAN TRAVEL PHOTOGRAPHY BLOGには「Founded in 1833(1833年設立)」の記述がある。

  それはそれとして、こんな寺で一生を終える(一生を過ごすではなくてね)のも悪くなさそうだなと思うが……?

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  さて、ここからが本題(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
  一方の朝鮮半島というか大韓の巻において、著者がソウル・清凉里でイカした往生ぶりを演じさせられたという話は以前にもいたしMASITA。路地の暗がりでいきなりおはばん(インディーズの娼婦)に襲い掛かられ、七転八倒の挙げ句どうにか事態を逃れたというあのくだりについてである。

>なかなか強引なのが中には居まして、特にあの婆さんは清凉里の大ウツボババアとこの辺のものには怖れられております」(同書252ページ)

  というのだが、チベットの寺院と同様に、こんどはそのおばはんを探り当てられないものかと興味にかられてしまった。ひょっとすると、大韓でもなんらかの「伝説」としてそのおばはんが語り継がれてはいまいかと思ったのである。

  さすればまずは大韓語でインターネット検索を試みるのが手っ取り早い。ウツボが「곰치(コムチ)」であることは以前から知っていたが、問題は「ババア」である。コレを「할머니(ハルモニ)」としてしまうとそんな乱暴な言い様ではなく単純に「おばあさん」になってしまう。どうするか?  ヒントはあった。大韓ドラマ「いかさま師(타짜)」のなかで、主人公のコニ(チャンヒョク)が「おい、ジジィ!」と粋がっている場面があり、そのセリフが「야〜할아범거야(や〜、ハラボンゴヤ)」なのである。で、ジジイがこうならババアはたぶんこうなるだろうと推測しつつ導き出した単語が「할멈(ハルモン)」。どうやら「ばあさん」的なニュアンスのようだが、とりあえず「곰치할멈(コムチハルモン=ウツボばあさん)  청량리(チョンニャンニ)」で検索。そしたら出てきたんですよ(笑)。ただし、そのものズバリすぎたというのだろうか、とうの『全東洋街道』の大韓版『동양방랑(トンヤンパンナン=東洋放浪)』の書評が目の前に現われたのであった(上の画像はその表紙)。単に振り出しに戻っただけですかな。

빙점이 되어버린 여행을 녹이기 위해 인간을 찾아 나서다…

  素晴らしい書評だと思った。本書・大韓の巻は空港からソウル市街に向かうタクシーの道のりからスタートするが、車中で流れてきたパンソリを機に運転手との会話が微妙な方向へと収斂してゆく。

>この全羅南道という地域と住民は昔から中央より蔑視され、しいたげられてきて今日に及んでいるという。パンソリはそんな風土の中から刺を持った雑草のように生まれてきた。(中略)
「そう言えば、昨年暴動の起こった光州は全羅南道の中心地でしたね」
「そうです」
「そうしたら、あの額から血を流してた若者たちは、ひょっとしたらこのパンソリの大合唱をやったってことになるのかな」
「……あんた、そんな変なロンポウ、ソウルに入ったらあんまり大きな声で言わないようにした方がよいでしょ」(228〜229ページ)

  書評ではこの場面を引用するとともに、件の「ウツボババア」騒ぎへと結びつけてゆく。

>そのときの光州はどんなところだったか?  相当の悲劇に見舞われながらもその痛みを訴えられなかった都市であり、はなっからそこに関心を持つこと自体が暴力的に禁止された場所だった。それはだれも訪ねてくれず打ち捨てられた肉体に相違なかった。(中略)ウツボばあさんは光州を比喩するのかもしれない。(リンク記事から抜粋のうえ抄訳)

  そうなのかもしれない。書評はさらに「人間の氷点を溶かしてくれるものはニンゲンだ。ニンゲンの体温だ。とにかく付き合ってみたまえ」という著者の言葉を援用しながら本書とその旅をみつめている。

  件の寺の場所や名前がわかったからといってどうする。こちらとの出会いのほうがよほど価値があるではないか。そう思ってうれしくなった。

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  藤原新也といえば、この『書行無常』(集英社)にもグっとくる。例によって長々としてしまったので、細々とした話は避ける。ひとつだけ言わせてもらうと、これまで本という媒体は写真、とりわけ写真集のように写真を根本的な主役にするには適していない媒体なのではないかと思うことが多々あった。たとえば、見開きで1葉の写真を現わすとしたら必然的にノド(左右ページの中央部分)で分断され、それどころかもっとも大切な部分が犠牲になるケースだってママある(したがって、雑誌媒体の撮りおろしなどではあらかじめ誌面を想定して構図を求めることもある)。……あとはスキャンしたこの表紙の版形から想像していただければと思う。
  という次第で、ほかにもネタを用意しておいたのだけど、今宵はこのへんにしとうごぢいます。

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2015.01.08

オレ的には企画室・・・の巻

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  本年リポート第1段は、さる12月に訪れた大韓散歩にてスタートо(^ヮ^)о
  とある郊外の街角にイカした壁画発見!

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  まんまドテンと「肥桶門」……。

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  内部。色彩がステキ(゜゜;)

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  やってきたのは「トイレ博物館」。なにしろあらゆる博物館がお出ましになる大韓である。ひょっとしてこんなのもありはしまいかと思い、ネットで「화장실박물관=ファジャンシルパンムルグァン(トイレ博物館)」と検索をかけてみたところ、これがそのままズバリでヒット。そうなれば訪ねないワケにもいかないのが一連の“大韓ケンチャナヨ散歩”だ。そこで、ソウル駅前から水原方面ゆきバスを捉まえてやってきたのでありMASITA。

※ココ요:해우재 화장실박물관

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  もちろんいたって真面目な施設である。以下、パンフレットからの抜粋。

  トイレ文化展示館である解憂斎は、寺のお手洗いを意味する解憂所という言葉にちなんで、憂いや心配を解く家という意味で名付けられた。故・沈載徳(シム・ジェドク)さんは、世界トイレ協会の設立を記念して世界の人々にトイレの重要性を伝えるため、30年あまり暮らした自宅を便器の形に改築して「解憂斎」と名付けた。
  解憂斎は2007年11月11日に完成し(中略)、展示、体験、教育などの機能を備えたトイレ文化センターおよび世界トイレ体験館を建設し、世界初のトイレテーマパークを完成させる予定だ。(引用ここまで。解憂斎=ヘウジェ)

  という次第で、館内と野外にあれこれ展示物があって楽しい。

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  済州島名産・黒豚。
「済州島の黒豚はなぜ旨いか?」(抄録)
  と記したのは、桑原史成氏だったと思うが……。

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  子の心、親知らず?

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  こういうシャレっ気がイイんだよねо(^ヮ^)о。
  ふと思った。文字どおり黄金のウンコオブジェを道楽でつくってみたいもんだ(実行した御仁は、世界中に500人はいるハズ)。

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  ドサクサに紛れてホンモノを設えてみたいという衝動が起きないでもない(笑)。

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  ソウルの定宿で居合わせたオーストラリア人男性にコレをみせたところ、「おおっ、ロダン、ロダン!」と大爆笑で大喜び。相棒の女性に「今日はココにゆく是!」とハリキっていた。

  ところで、ココ「トイレ博物館」の直訳は「化粧室博物館」。トイレを化粧室と言い換えるのは日本と同様である。ホントにあそこで化粧を施している女性がどれだけいるかはとくに男にとっては深遠なナゾではあるけれど、どうも違うような気がするよなァと思わないでもない。どうでもいい話ではあるが、自宅のトイレには雑誌やら書籍やら地図帳やらが山積みになっている(ひところ「ガラスの仮面」が山積みになっていたのは作曲家・デラTの自宅トイレ)。で、ようはそんなのをテキトーに拾い読みしながらあれこれ戦略を練っているのである。大韓散歩のアイデアであるとか、ただいま目論んでいる某国散歩コースなどなど。まぁ、企画の場なワケですよ。ということは、むしろ「企画室」とするのがトイレにふさわしい呼び名なんじゃないかと思うのだがいかがであろうか。

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  展示館。道路向かいにある建物(文化中心)の屋上からこのトイレ形が俯瞰できるが、工事中につき館内のポスターで雰囲気を。

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  万国トイレピクトグラム。タイ、カナダ、トルコがお気に入りだが、SMチック(?)なブラジルも楽しい。

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  子どもはウンコが大好き(中野まり子の便おっと弁を思い浮かべた)。しかし、「企画室」では大きいのばかりじゃなく小さいのもお出ましになる。ところが、クローズアップされているのはでかいほうばかりで、これではションベンの立場がないではないか(笑)。소변차별금지(小便差別禁止)(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  転用法。

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  ヘウジェファジャンシルパンムルグァンのみなさん。감사합니다m(__)m

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  オリジナルグッズの数々。手提げを持って汽車に乗っていたら、乗り合わせた若い女性グループにチェックされた(笑)。

  行き方。ソウル駅前バス乗り場から7900、7800番などで「동원고교・해우재입구(トンウォンコギョ・ヘウジェイック)=東園高校・解憂斎入口」下車、徒歩5分。地下鉄1号線・成均館大駅からマウルバス3-2も利用可(ヘウジェ下車)。
  つづくо(^ヮ^)о

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