騒動の1年が締めくくられ……・・・の巻

西暦2020年……。新型コロナウィルス騒動にはじまり、そのひと段落すらさっぱり見えないままに年を閉じつつあるところでありますが、それにくわえて個人的大事件だったのは、なんといってもヒメの子だくさんでありましょう……。
知る限りにおいて、ヒメがはじめてわが家に顔を見せたのが一昨年の12月上旬。ウチの子ちゃんが他界して間もなくのことであった。それからおよそ1年をかけてわが家の一員となったのはいいとして、2020年3月、7月、11月と矢継ぎ早に子ネコを産み落としてきたのだからイカしている。4+5+6。都合15匹。うち1匹(7月生まれ)は育たず、同じ月の2匹が里親に引き取られていった。つまり、いまわが家でにゃーにゃー言ってるのは総勢13匹。いくらネコが好きだからといって、まさかこんなザマになろうとは夢にも思わず、その騒ぎはいまも続いているのでありMASITA(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
さしあたり、年明け8日にヒメの拉致が成功すれば「(ヒメの身体の状態が許せば)一発勝負で不妊手術を試みてみましょう」という話に獣医との間でなっており、翌週15日には7月生まれのメス・クルミに不妊手術を施すことになっている。クルミはともかく、はたしてヒメの手術作戦が成功するか……。なんともおそろしいことになったものであります(笑)。
年の瀬を迎え音楽の話をひとつ。
ショパンといえばピアノ曲だが、2曲のピアノ協奏曲に代表されるオーケストラつきの楽曲のほか、わずかながら室内楽が残されている。そのひとつがチェロソナタ(作品65)で、個人的に気に入っているショパンの楽曲である。
この曲が上梓されたのは1946年(着手は前年)。翌年に出版されているが、この曲がショパンの生前に出版された最後の作品となってしまった。すでに結核に冒され、咳きの発作がほとんど慢性的にまでなっていたなかでの作曲である。この曲のあと作曲されたのは、歌曲が1曲(「メロディ」作品74-9)と2曲のマズルカ(作品67-2と68-2)。そのほか1848年10月12日の日付のあるワルツ(ロ長調)の楽譜が残されているという。
心身ともに追い込まれているなか、最後の大曲としてチェロとピアノとの合奏曲が選ばれたのにまず興味がわくし、曲のディティールを検証してみると、従来の「ショパンらしさ」とともに斬新ともいえる手法や表現がそこここに見えかくれしていて、「もしショパンが少なくともあと10年生きていたら、どんな曲が残されることになったのだろう?」との思いも去来する。
上の画像はかれこれ35年以上前に入手した「チェロソナタ」の楽譜、その第1楽章の展開部の一部だが、この展開部の巧みな筆致はどうか。つかの間、ピアノの走狗が挿入されると「ぁあ、ショパンらしいクセが出ているな」と思わせるのだが、その後の展開はピアノ協奏曲のころのそれとは明らかに異なる奥深さがある(同様の例はピアノソナタ第3番にもあると思う)。再現部で第1主題が省略されるのはショパンお得意の手法だ。
この曲については、以前に終楽章について少しだけ触れたことがあるが、あらためて惜しい人を惜しいときに亡くしたものだとの感慨に耽ってしまう。
ところで、藤原新也のエッセイ集『なにも願わない手を合わせる』(文春文庫)の1編には、とある彫刻家との間で起きたエピソードが綴られている。あるとき、面識のなかった彫刻家が出すことになった作品集の解説を知人を通じて頼まれたことからはじまる短い物語。しかしその彫刻家はすでに末期癌に冒されていたのであった。
そして病室で面会したさい、藤原はつぎの問いかけを彫刻家にしたのである。
「今あなたはどのような新作を作りたいと思っていますか?」(160ページ)
オレは思った。同じ問いかけを、チェロソナタを脱稿したショパンに投げかけたとしたら……?
気難しいと伝えられるショパンである。あからさまな反応こそ見せなかったかもしれないが、目の輝きとともになにかを伝えてくれたのではあるまいか。ふとそんなことを思い、そういう生き方をしてみたいと思った。
■Frédéric Chopin - Cello Sonata in G minor
























































































































































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