2018.05.28

いやぁ〜んと恐怖・・・の巻

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  ニンゲンが布団なりベッドなりで寝るのは、ひょっとするとネコと共通する本能かのかもしれん……と思ってみた初夏のあるィ夜。

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  で、ただいま国外逃亡中であります。
  それはいいとして、こんなちょびの寝顔を見てると出かけるのが余計に億劫になっちゃうんですよね(じつは、出がけは常に億劫なのであった。玄関から門を出てしまえばどうってことはないのだけど)。
  たとえば、メシ──このごろ「黒缶クラシック」がお気に入り。でも、いつもまとめ買いする某ドラッグストアや楽天市場では扱いがなくて、近所のセフンイレブンに細々と置いてあるのみなのが困りもの──をあげて、そのまま2階に上がってしまうとどうなるか?  食べ終わるや、階下から「にゃ、にゃ」「にゃーにゃー」と呼ぶ声が聞こえてくるんですよ。ネコに慣れたひとはわかると思うけれど、はぐれた母ネコを呼ぶ声色と同じなんです。こりゃぁ、ただでさえ億劫だっていうのに、なんだって留守にせにゃならんのかという気になっちゃいますよねぇ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  閑話休題。
  音楽は貴重な道楽。ゆえにときおり極私的感想やらウンチクなどを傾けたくなってしまう。で、今回のテーマは「いやぁ〜ん♪」。
  以前に、クラシック音楽をネタにそのカッチョよさにシビレるといった話をしたけれど、「カッチョイイ」と並ぶ重要な要素がこの「いやぁ〜ん♪」なのであった。

  たとえばこの矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」。学生のころから親しんできた曲だが、久々に引っぱりだしたところ、あらためてシビレてしまった(カップリングされている「チェロ協奏曲」もイカしているし、尾高尚忠の「フルート協奏曲」は素晴らしき名曲だ。↓上記アルバムとは関係ありませんが……)。



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  こちらは同じ曲のほか同じ作曲者による「2本のフルートとピアノのためのソナタ」と「ピアノソナタ」を収録。いずれもカッチョイイ作品だ。

  学生のときはじめてこの「ピアノ協奏曲」を聞いたとき、まさにこりゃぁカッチョイイ是とシビレたものだったが、それから四半世紀以上が過ぎてみれば、「いやぁ〜ん♪」と身をクネらせてしまうのである。

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  しかし、なにがどうなると「いやぁ〜ん♪」なのかと訊かれると、じつは明確な回答ができるワケでもない。あくまで主観というか感性、さらに相性の問題だからだ。だが、あえてひとつだけ要素を挙げてみるとすれば、構成の妙や音の緻密さを無視することはできないように思う。とはいえやはりそれをもって「いやぁ〜ん♪」を語ることはできない。やはり学生のころに発表されるや聞いておったまげた佐藤眞(あの「大地讃頌」の作曲者)の「ピアノ協奏曲」はいまでもときおりCDを取り出すが(なぜかスコアまで持っている)、「いやぁ〜ん♪」と思ったことはただの一度もない。カッチョイイとは思うのだが不思議なことである。

  本来ならば、譜例などを示しつつたいして意味もないウンチクでも傾けたいところだが、コレを書いていつつ取材旅行の準備やら進行中の受け仕事やら帰国後の仕事の仕込みやらでてんやわんやで、そんなのを言い訳にしてあっさりと済ませてしまうことにした(わかるひとにはある程度は伝わると勝手に信じているし……)。

  それにしても、三つ子の魂なんとやらというけれど、この調子でくたばるまでゆくのであろう。音楽のある暮らしというのはいいものである。

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  そんな矢代秋雄の話をしていたところ、吹奏楽の世界では定番の作曲家だということを友人のラッパ吹きMが教えてくれた。オレ自身は吹奏楽の経験はないが、この歳になってもそういう話は新鮮だ。Mがかつて──東ドイツ時代に──留学していたベルリンあたりの居酒屋を根城に、そんな話題で盛り上がりたいものだと夢見る中年男であった……。

  ところで、「いやぁ〜ん♪」とシビレつつある種敬愛の念を抱いている矢代秋雄だが、学生のころ縁あった音楽家がその弟子であり、オレにとっては矢代がココロの師のようですらあった。とはいえ矢代が亡くなったのは1976年。面識などあるワケもない。が〜。上に挙げたCD(グレーの盤)に作曲者による短い解説音声と作曲家・三善晃との対談音声が収録されていて、その話に接することができる。いうまでもなくはじめて耳にした話し声ではあるのだが……、なんと、オレがこの世でもっとも軽蔑する男のそれにどことなく似ているのにショックを受けた(矢代に対して甚だ失礼なことだとは思うが)。声色もだが、ブレスというかアゴーギグというか息遣いがまたちょっと……。いうまでもなく喋っている内容はそのレベルからしてまったく異なるのだが(本質的な意味で)。でもなァ……。

  ところで、忌み嫌うことの常套句に「蛇蝎のごとく」というのがありますね。でも、オレ個人は別にヘビを嫌ってはいないし、サソリには出くわしたいとは思っていないだけで嫌悪感などは抱いていない。いわんや侮蔑なんぞこれっぽちもしていない。言い換えるとこの「蛇蝎のごとく」というのはヘビやサソリに対し失礼ではないかと思うのだ。そこで言い換えることにした。「アベアソーのごとく」というのはいかがだろう。ぁあ、蛇蝎とくらべるとあまりにも矮小ですな、その存在が。

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  コレは「いやぁ〜ん♪」なDVD。なにしろ、題からして「THE WAR SYMPHNIES SHOSTAKOVICH AGAINST STALIN」だからねぇ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ショスタコービチについては、このブログでもなんどか取り上げてきた。ことに「交響曲第8番」は極めつけのお気に入りで、掛け値なしにカッチョイイと聞くたびに感じ入る(もっとも曲の背景を察すると「カッチョイイ」などと片づけるべき曲ではないのだが、つまりはこの盤で主役的な位置づけとなっている)。だが、その一方で「いやぁ〜ん♪」とはちょっと異なるように思うのだ。では、ショスタコービチの「いやぁ〜ん♪」とは?



  その1例として筆頭に挙げたいのがこの「交響曲第4番」である。

  上のリンクをお聞きいただければと思うが、出だしはかなり明解な印象を伴うカッチョイイ系だ(ピアノソロで弾くとコレまたカッチョイイ)。だが、この明解な出だしのテーマはハッキリとした形で再現されることはなく、曲はその印象とは異なる世界へと邁進してゆく。



  やや謎めいた世界を提示しつつ、終楽章のコーダにあたる部分は壮大なトゥッティーで幕を開ける。だが、曲は“大団円”を拒むかのように不安な予言の世界へと収斂されてゆくのである。そのコーダを切り抜いた上のリンクはぜひお聞きいただきたい。こんな「いやぁ〜ん♪」な顛末はあるだろうか?

  この曲には、初演を目前としてショスタコービチがその演奏を取り止めたというエピソードが残されている。スターリン政権下である。芸術までもが政治的に利用されていたなか、この曲そのものが我が身に危険を及ぼす可能性を慮ってのことだったともいわれているようだが、「いやぁ〜ん♪」の本質に極限まで迫った顕著な作品でありエピソードだともいえる。

  ところでこの曲、ジャーナリスト萩原遼が『朝鮮戦争金日成とマッカーサーの陰謀』(文春文庫)などで引用している詩(黎明図=여명도)の印象と重なるような気がしてならない。

    陽が昇る空に/동이 트른 하늘에
    カラスが舞い/까미귀 날아
    夜と暁がきわだつころには/빛과 새벽이 갈럴 무렵이면
    (中略)
    昇る大陽とともに/떠오는 태양  함께
    血を吐いて/피 토하고
    死にゆく男の微笑が/죽어가는 사나이의 미소가
    美しい/고웁다

  (前掲書21・22ページの著者訳引用に別途韓国語原文を併記)

  詩は日本統治からの解放後、元山(北朝鮮)で暮らしていた詩人・具常(구상)によって綴られたものである。この詩によって書き手は金日成政権下で死の淵に立たされ(凝香事件=응향사건)、のちに38度線を越えて韓国への亡命を果たした。

  詩の引用に続く著者の感想……。

  詩人のおそろしいほどの直感力と洞察力。同族どうしで殺しあった朝鮮戦争すらすでに予感しているではないか。読み終えて私は戦慄した。(23ページ)

  日本統治からの解放を韓国「光復」と呼ぶが、北朝鮮でもそれは同様だ。しかし具常は萩原にこう語っている。

>「しかし、北韓の暗い現実を救う道は、なにかもうひとつの新しい力がでてこなければならない。大光復がなければならない」(25ページ。太字は引用者による)

  これは、革命によって帝政ロシアを倒したロシアのひとびとにとっても同様だったのではあるまいか。ひょっとするとわが国にとっても……?



  話を戻して。しかし、そんななかで「いやぁ〜ん♪」が際立つのは、上にリンクした第1楽章半ばで展開するプレストのフガートだ。仕事のBGMにしているときも、ココに差しかかるとつい手が止まってしまうが、こうしてココだけを切り抜いてアップしているひとがいるところからすると、同じような思いを抱いているひとは存外少なくないのかもしれない。



  いまひとつ曲例を挙げるとすれば、同じ作曲者による「チェロ協奏曲第1番」もその典型。

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  ところで、先だって敬愛する小説家のひとりである内田康夫が他界された。近ごろはやや作品から遠ざかっていたものの、ひところは熱心に読みふけったものである。逝去の報道に接し、久々に手に取ってみたのがこの『靖国への帰還』(講談社文庫)であった。

  物語は、大平洋戦争末期の日本国空軍、その航空隊員である主人公の日常からはじまる。内田特有ともいえる女性像も描きだされつつ、主人公が(少なくとも内田の愛読者にとっては)「あっと驚く」運命へと翻弄されてゆく。推理小説をメインとしたなか、貴重なファンタジー作品として世に残された1冊である。

  だいぶ前の話になるが、出版関係者を中心とするとある集まりで小さな講演会に出席したさい、壇上に立ったジャーナリスト・辺見庸がわが国における戦時中に生きたとある書き手について触れた。
  あらゆる表現や思想が国家によって制限されていた時代である。そんななかでたとえば“反戦”を表現する。その書き手は言葉をどこまでも柔らかく噛み砕き、さらにオブラートに包んだ。しかしそこには抵抗があった。そうして短い一文が朗読された……。

  古い話ゆえ、詳細なところまでは覚束ないが、そうまでして意志と表現とを貫いた書き手とそうせざるをえなかった世の中。これは恐ろしいことなのかもしれない(この講演会の時代は「自己責任」云々と殺伐としていたコイズミ政権下にあった)。
  そこで、一見すると正反対に解釈されたかもしれないがといった話があったかどうかは思い出せないが、直感して連想したのは、ショスタコービチの「交響曲第5番」であった。スターリン政権から批判を受けたのちに発表したこの曲で、体制下の“名誉”は回復されたともいう。なかにはあの壮大な終結をさして「革命の栄光とともに曲を閉じる」などといった解説すら目にしたことがあるが、真相はまったく逆であり、ショスタコービチは決して政権におもねってなどいなかったというのである。辺見によって紹介された一文から、ふとそんな連想を抱いたのであった。

  そして、この内田康夫の小説からも、それらと同じ意志を感じ取った。
  おそろしいことだ。
  だが、あえて「いやぁ〜ん♪」とおどけておこう。優れたエンタテイメント作品への敬愛の念として……。

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  ウチの子ちゃん。

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  いやぁ〜んなキャワユさでしょо(^ヮ^)о

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2018.03.11

春の楽しい地名遊びо(^ヮ^)о(下世話編)・・・の巻

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  大韓ドラマ「まるごとマイラブ(몽땅내 사랑)」を見ていたときのこと、キム執事だかだれだったかがパソコンでエロ動画を見ていたと疑われている場面で、「ヤドン」という単語を聞き取った。
「ぁあ、にゃるほど。きっとそういう単語なのであろう」
  と思い、さっそくネットで「야동(ヤドン)」を検索。手っ取り早く画像検索を試みたところ、日本のポルノビデオやら日本の“女性アイドル”が続々登場して、まぁ人気があるのは結構なんだけれど、
「ぁあ、やはりわが国は名うてのポルノ輸出国であったか……。カジノなんてくだらんモノをつくるぐらいなら、いっそ得意技を活かしポルノテーマパークでもつくって世界中のスケベを殺到させりゃぁいい。首脳会談?  万博?  んなもんよかエロサミットでも開いてみやがれ」
  などと納得するハメになってしまった(そういうタチのよくない冗談はともかく、利権やしがらみを超えたアニメーションやマンガの総合的テーマパークがあってもいいのではないかという気もする)。
  が〜……。

Eromoviebus

  ィ世の中よくしたもので(?)、この「ヤドン騒ぎ」は思わぬ物件へと導いてくれたのでありMASITA。
  まずは冒頭の「야동마을(ヤドンマウル)」。あえて曲訳すれば「エロ動画村」。もちろんエロ動画バス停もある。

Eromovieschool

  しかし、もっとも着目させられたのが「야동초등학교」、すなわち「エロ動画小学校」である。グーグル検索の上位にそのWikipedia記事がお出ましになったので、そのまま自動翻訳してみた。そしたら、
「アダルト動画小学校」
  の見出しがドカン。
  う〜〜〜〜む……。同時に、どうやら「ヤドン」が「冶洞」であるらしいことがわかったのだが、この騒動の副産物が前回アップした「大便小学校」だったという次第。名前が今年3月で変わるという(戒名になるワケではない)大便に対し、こちらはそういう動きはないようだが、やはり一部でこのわざわざな同音異義が歎かれているらしい。

Eromovierestaurant

  しかしそれはそれとしてもこの「야동휴게실(ヤドン休憩室)」。そのテの上映をするにしてはつくりが開放的ですね。

Eromoviepa

  こちらは「야동휴게소(ヤドン休憩所)」。
  大韓では高速道路などに設けられる休憩施設を「휴게소=ヒューケソ=休憩所」と呼んでいるが、わかりやすくていいと思う。日本のPA=パ=キングエリアだのSA=サービスエリアだのと比べての話だが。類似の比較に「給油所」と「GS=ガソリンスタンド」ってのもある。よく灯油を買いに訪れるが。

Onnasyachoukotuzai

  いまを去ることおよそ30年。ひょんなことからちょっとイカしたエロ本の目録を入手したことがある。ちょっとマニアック系の出版社だかシリーズだからしいその面々、タイトルもイカしていればその説明もまたイイ味わいだったのだ。
  そのなかのひとつに「元祖! ぬれぬれ女社長」というのがあって、その本そのものはちっとも面白そうには思えなかったが、ともあれタイトルにグっときた(ほかに「クソ喰らえ!」なんてもありMASITAね)。
  で、なんでかはわからないけれど、ふとそのタイトルを思い出したところで、手が勝手に「여사장(ヨサジャン=女社長)」の文字をDAUM地図の検索窓に打ち込んでいたんですねぇ。それでお出ましになったのが、この「여사장골재(모래 자갈)=ヨサジャンゴルチェ(モレ チャガル)」。「女社長骨材(砂 砂利)」である。ようはガテン系女社長ということのようだ。値段も高そうだが。

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  そのエロ本目録。15年ほど前だったと思うけれど、至極真面目なホームページでその内容(コピー)の巧さを褒められていたのを思い出す。
「やはり、どんなくだらないことでも500人は同志がいるってこった」
  と同時に納得したりもしたが……。

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  この「통통(トントン)」というのもそんな感じで覚えちゃった大韓語単語である。ポッチャリとかムッチリとかそんなニュアンスの言葉のようで、さっそく検索してみたら「男女別視点比較トントン(남자가 생각하는 통통VS여자가 생각하는 통통)」なんてな解説イラストがヒット(興味のある方はコピペにて検索されたし・笑)。ちょっと面白かったのでSとRに送ったところ、「仕事中に吹いた」とR(♀)から「感謝メール」が返信されてきMASITAね。
  しかしここはお約束で「통통슈퍼(トントンしゅぽ)」。

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  トントンサムギョプサル。たしかに食べ過ぎは肥満のモトですね。

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  トントンテジ、ぽっちゃりブタ。わかりやすすぎる……。

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  しゅぽあればくむじあり。ジュエリーくむじ。宝石屋だと思えば別段なんら違和感はないが、シンプルに「금지(くむじ)」とあるところが高感度大。

Cafegemji

  くむじ茶房。さきの「ヤドン」系もそうだが、こうしたイイ物件にかぎって(というワケではないけれど)訪問するに不便な場所にあったりするのがイイところ。攻略欲を刺激するというワケだが、だからといってなんの役に立つ話でもなし……。

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  おっと「怪先生」?  奥には元日犬肉館もアリラン。漢字の看板が目立つということは中国系のひとびとのコミュニティなのだろうか?

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  そもそも、今回のこの役立たずの話は大韓的宇宙がその主役のつもりでスタート。いまだ宇宙の「う」の字もお出ましにならない体たらくだけど、「우주(宇宙)」でDAUM地図を検索すると、ソウルとそのごく周辺だけでもこれだけの宇宙三昧なのである(屋号や地名、施設名など)。日本のそれと比較されたし。大韓には子どものころに憧れた宇宙ロマンが満載なのであった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  その前に、宇宙といえば、連想するのはやはりUFOですよねぇ。United Familly Orgnizationとは一本取られMASITAが。

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  その点、こういうのはわかりやすくてステキо(^ヮ^)о

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  ちょっとばかり稼いで自宅をこんなふうにするのも楽しいだろうねぇ……と思った。

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  しかしなぜ宇宙なのか?  じつは久々に中国に汽車に乗りにゆくのもええなァと思い、この「中国鉄道時刻表」を眺めていたところ「宇宙地」なる駅を発見したことが、この一連のお遊びのきっかけとなったのであった。



  その宇宙地付近(衛星画像でみると、どこか別の惑星のごとしである)。駅はあれど、停まるのは1日1往復のみ。いちおうは17時50分(発)で降りて22時45分発で折り返すことが可能(前掲書による)ではあるのだが、ともに夜行の長距離普通旅客慢車(どん行)で、復路は夜行行軍となざらるを得ない。なかなかに難易度が高く愉快そうなのだが、これはこれでこれほど役立たずな話もありませんなァ……。

  ところで。コレ(原稿)を準備する少し前に、ニフティのニュースヘッドラインに「大砂嵐が引退へ退職金3割減」というのがあって、そのすぐ下に「佐川氏辞任審議混乱で引責」と並んでいた。オレは思った。大砂嵐が3割減なら、妬臣・佐川(出鱈目小坊主・佐川でも可)はせめて30割減にはしないとねぇ(もっとも、政治家だのこうした一時的な公務系役職に退職金だの賞与だのという点からして理解の範疇を超えているが)。くわえて、「審議混乱で引責」って見出しはちょっと違うのではないか(そもそも「混乱」の根本的原因はこの男ではないだろうし)。  どこぞの配信かは記事を読んでないから知らないが。

  つづく(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?

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2018.02.27

しゅぽ、こらじはごぬん。平昌五輪編&くむじや〜特別編・・・の巻

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪

  さて、今回の大韓散歩は平昌五輪開催を前にした1月中旬の訪問だったワケだが、少しだけ五輪に関連する所感についてふれておこうと思う。

  まず、街はいたって平静に感じられた。これは江陵など京江線沿線も同様だったが、開催までまだ若干の日数が残されていたことも関係しているのかもしれない。もっとも、テレビをつけていても平昌関連は驚くほど少なく、そんななかで目立ったのはやはり北朝鮮の五輪参加と南北合同についてであった(ほかの目立つ話題としては全国的な大気汚染があった)。
  一方で、有事視点での北朝鮮関連報道が極めて限定的だったのが印象に残る。これはアメリカ合州国云々(でんでんじゃないYO!)を含めての話で、連日のように「北朝鮮の脅威」だのトランプのおとっつぁんがどうしたのといった話題が氾濫している日本と好対照なように思う。単に軍事関連報道が避けられているという見方もあるのではないかと思うが、じつは少なくともオレが出歩いているような国々で、あれほどに好戦的で、かつ米国大統領のツラがタレ流されているのは日本ぐらいなものなのではないだろうか。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪

  以前、あの大統領選前にEU4カ国を訪れた。時期が時期ということもあってか、日本のテレビでは自国の出来事をさておいてもその動向を喧伝していたが、訪れたドイツ、オーストリア、ポーランド、フランスではいたって静かなものであった。台湾やタイも同様。マレーシアとシンガポールも似たようなものだ(いずれももちろんゼロという話ではない)。これらはあくまで個人的な短期間の見聞の範疇にすぎず、きわめて限定的な見方であるのは承知のうえ。しかし、じつは日本にいるとテレビはほどんと見ないし、にも関わらず「またトランプのおっとっつあんかよ」「また北朝鮮だの中国だのの脅威かよ」という案配なので、印象としてはどうしてもそうならざるをえない。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪

  そんなところから感じられるのは、わが祖国・日本にしみついた従米ぶりであり、いまひとつは日本のマスメディア、とりわけテレビが「戦争報道をやりたくて仕方がない」のではないかということである。後者の根底にあるのは、戦争を知らない世代(オレもそのひとりだが)が錯覚している戦争であり、言い換えれば本当の意味での「平和ボケ」であろう。

  今回の大韓散歩で遭遇した北朝鮮関連の報道を見た限りでは、戦争の恐ろしさは日本よりも韓国のほうがよく理解していると思う。それはおそらくは北朝鮮も同様で、かつて3日以内で終わらせるシナリオで南侵した朝鮮戦争(『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』萩原遼・文春文庫)がどのような道を辿ったのかということを知っていれば、開戦の果てがどうなるのかということを肌で理解せざるをえないのだ。トランプのおとっつぁんやその子分・ケーセッキアベ(개새끼아베)などは威勢のいいことを抜かしているが(この両者の「平和ボケ度」にも大きな隔たりがあるとみる)、とりわけ韓国にとっては北朝鮮問題を「ソフトランディング」的に解決しなければならないというのは当然なのであるまいか?  「脅威」だからこそそうなのである(ひいてはわが国の安寧にもつながるし、ソフトランディングは米中露の過剰な介入を阻止する──彼らに軍事介入の口実を与えない──ひとつの道筋でもある。やや露悪的な言い方をすれば、北朝鮮解放後、わが国のビジネスチャンスに影響するという見方もできるだろう)。北朝鮮当局そのものをなんとかしなければならないのは事実だが、戦争という手段だけは絶対に避けなければならない。これこそが前提中の前提ではないのか?

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪

  それにしても。水安堡温泉のホテルでテレビをつけたらNHKが受信できた。ニュースがはじまった。祖国のできごとを知りたい。しかし冒頭は大相撲の内輪揉めの話題であった……。すぐさまチャンネルを変えた。タメ息をつきながら。

  五輪がはじまってみれば、そのNHK(総合とBS1)はほぼ終日にわたり五輪ばかり。やっとこさニュースがはじまったと思えば、冒頭が五輪の話題ときた(似た例に、大相撲中継直後のニュースのトップが大相撲の話題だというのがある。「バカじゃあるまいか?」といつも思う)。もっとも、NHKをはじめとするテレビニュースなんぞ、じつはこれっぽっちもマトモには見ていないしアテにもしていないのだが、毎日のように見ているひとのほうが圧倒的に多いのであり、そういう意味で空恐ろしくなるのを禁じ得ない。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪

  本当の「脅威」は外国にではなく、祖国、その内部にこそある……。

  ところで、五輪。
  ともあれ「平和の祭典」として、まずはオリンピックが楽しめたのはなによりだと思う。日韓間はもちろんだが、韓国と北朝鮮との間だってそうである。しかしそんななか、日本の一部マスコミが、水を差すようにしてあれこれあら捜しに躍起になっているのが気にかかる。そんなヒマがあるのなら、あるいはここでやっているように“少数意見”をことさらに取り上げるだけの(真っ当な)熱意があるのであれば、それをほかならない自国、祖国、わが国のなかにこそ向けてほしいものだと切に願う。

  競技については、ほんのわずかながらテレビ中継を見ることもあったが、まず、スノーボードがあんなにスリリングで面白いものだとあらためて知ることとなった。さすがにスキーすらマトモにできない中年男が挑戦しようとまでは思わないが、奥深く迫力大!  いまさらながらの発見でありMASITA。さらに、女子フィギアの坂本花織選手の演技がココロの琴線を刺激した。理由はよくわからない。妙なことがあるものだ……。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  閑話休題。
  京江線乗り入れで大幅刷新した江陵駅だが、駅前のしゅぽは元気に健在о(^ヮ^)о

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  水安堡にもしゅぽ多数アリラン。立派なしゅぽである。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  グーグルのストリートビューとやらでマニラ探索などをしていると、金網デスマッチ状態のしゅぽに遭遇して、フントにアブナそうだ……とおののくことが多い(商品の受け渡し口を除き金網や柵に覆われている。いうまでもなく防犯のためだろう)。で、水安堡にもそんな風情のしゅぽが。コレは背景がそれとは異なるのであろうが……。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  コレはしゅぽではなく精米所の看板。ではなんだって撮ったのかというと、左上に添えられたローマ字が「KIKEN GOTYUKUDASAI」(ママ)なんですなァ(何巻だか忘れたけど、「VOW」に載ってた「危険御注意下さい」のコトね)。そりゃたしかに「Onjeongbangatgan」は「온정방앗간(オンジョンパンアッガン=温井精米所)」ではあるんだけどねぇ……。まっ、大きなお世話ではありますね(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  バスに乗っているときだって油断できないのがしゅぽハント道なのである。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  しゅぽ(슈퍼)の文字はないものの、コレだって立派なしゅぽ。しかし、隣の燕春館(中華料理・大衆食事)に主役を取られた感がある。

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  話かわりますけど。
  珍富駅近くでふと路面を窺えば、マンホールのフタに「주차금지(ちゅ〜ちゃくむじ=駐車禁止)」。

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  水安堡の街角でみかけたオブジェ。「もしや?」と思い近づいてみれば予想を裏切らないのも大韓のイイところ。

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  ソウルの街角にて。一見するとどうということのない小奇麗なちゅ〜ちゃくむじだが、よくよく鑑賞すれば作者のこだわりが感じられますね。

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  こんなところに駐車するようなおバカがいるのか?  ──いるんだろうねぇ、こうして主張しているところからすると。

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  人目をはばかりつつ、歩きながらさりげにパチリ。

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  横城駅近くの川は水泳禁止。

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  通りがかりに1枚撮っておくかと思ったら、やってきたクルマが邪魔。が〜。よくみてみればそのクルマには「(株)宇宙ツアー」の文字が。したがって、この写真はこの宇宙ツアーカーが被写体。余計にワケがわからないと思いますが、この話は次回にて(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)




  以前、「駐車禁止(주차금지)」というバンド(?)の「夏風邪(여름감기)」という歌に遭遇したが、こんどはナイス青年会(나이스 청년회)なるバンドの「駐車禁止(주차금지)」を発掘о(^ヮ^)о

  冒頭の「주차금〜지! 주차금〜지!」ってのが「臨時ニュース」(PANTA&HAL)をちょっとだけ思い浮かべたが、そのあとの「안돼안돼안돼안돼(アンデアンデアンデアンデ=ダメダメダメダメ)」にグっときた。

  しかしこりゃぁさすがにまだ日本で紹介した御仁はいないのと違いますかね?  だからぢうしたってワケでもないのだけれど。

  という次第で、大韓散歩2018年冬の巻でごぢいMASITA。

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2017.02.26

タイムマシンは陰暦クリスマスを超えて・・・の巻

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  ネコのこういう後ろ姿がたまらんо(^ヮ^)о

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  ココロが和むその典型о(^ヮ^)о

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  まっ、ウチのちょびのほうがハンサムですがねо(^ヮ^)о

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  でまぁ、本来ならばココでしゅぽ(슈퍼)だのくむじ(금지)だのの巻になるハズなのだが、今回の大韓散歩はこれといって新しい町に出くわしたワケでもなく、ゆえにそのあたりのネタがナシモフ。でも、ちょこっとだけ雑ネタを……。

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  このちょび柄のネコって、身体はやや茶色がかったシマシマなのに、なぜかシッポが完全なモノクロであることが多い。SFの名作『夏への扉』(ロバートAハインライン)の早川文庫版の表紙もこのテの柄で、なにがいいかっていうとうしろ頭のシマシマにグっとくるのである(大韓でドラマ化してくれないかねぇ?)。作中のネコ「ピート」がこの柄かどうかはわからないが、主人公とピートとが“オス同士”のよき相棒であったように、オスネコってのはたしかに相棒感がメスネコよりも強いように思えてならない。長年ネコと暮らしてきてそう実感するのだが、このネコからもそんな印象を受けた。

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  以上、咸悦駅前でのひとときでありMASITA。

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  刑務所セットにもネコアリラン。

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  豚足屋にブタアリラン。

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  おっとコブラ♪

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  大韓でちょっとした(いやかなり?)騒ぎになっているその主役の面々。個人的に面白いと思ったのは某サムスン電子の副会長であった(最前)。ちょうど最初の“逮捕”の日と渡韓とが重なったこともあって、テレビニュースで連行されている同じ映像が繰り返し繰り返し流されていたが、御仁の表情が、なんというか大韓ドラマに出てくる財閥などカネ持ちの御曹子そのものという態なんですよ。かなりうつろな状態にも見えたが、その後に一旦釈放されたことといい(再び拘束されたが)、ドラマの世界そのまんま。ドラマはあくまでフィクションのエンタテイメントではあるけれど、そこには庶民感情的な視点がリアルに生かされているのだなァ……との感想を持った。

  それはそれとして、大韓のテレビには通信社系のニュース専門チャンネルが複数あるが、滞在中にその「主要ニュース」の内容にこれといった変化がなかったのはどういうワケなのだろう。大事なニュースはともかく(ほとんど同じ映像ではとも思うが)、その陰で葬られたできごとがどれだけあったのだろうかとの疑念がわいてならないのだ。もっとも、日本の、それもとりわけ大NHKを筆頭とするテレビ局の自称「ニュース番組」の類もそれと大差がないと思わざるをえないのだが(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
  諸外国におけるいわゆる“反日感情”(含・勘定)。それぞれをひとくくりにすることはできないにせよ、そのなかには国内問題の目くらましとして利用されているのではないかと勘ぐりたくなるケースも少なくはない(ここでの深入りは避けるが)。とすると、たとえば大NHKの自称「ニュース番組」の多くが、そのトップで連日のようにアメリカ合州国大統領の話題だの北朝鮮によるテロ事件だの大韓大統領関連だのをまくしたてているその真意が見えてくるような気がしてならないのだ。もちろんそうしたことを報じることも大切ではあるけれど、もっともっと報じるべき国内諸問題があるハズなのだが……。

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  おっと、成人用品店。いちど中味を拝んでみたいと思いつつも、いまだに扉を開ける度胸がない(笑)。別段、なにがあるってワケでもないのでしょうがね。

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  ときはソルラル(旧正月)前。

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  前日には、ココに「メリークリスマス」!  時間が遅かったのか、しばらく待ってみてもこのままになってしまっていたが。
  一般に「タイムマシン」(前段の『夏への扉』にも登場)っていうのは、数十年やらややもすると数百年あるいは億単位の年数を飛び越えてしまう話が多いが、それがたった1秒だの数日だのひと月だのであっても立派な時間旅行じゃないか。ふとそんなことが思い浮かんだ旧正月直前のクリスマス模様でありMASITA。で、堤川から汽車に乗って清凉里駅に着いてみれば……。

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  タイトル「時間旅行」(だったかな?)なんてオブジェが待っていた。

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  帰国の朝。帰る日にわっざわざ降るもんかねぇ……。

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  空港に向かうわずかなひとときではあったが、雪鑑賞。

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  仁川空港ラウンジ。

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  降り続く雪。そのせいかどうか、3時間遅れでのフライトとなった。ラウンジで寛いでいても遅れのアナウンスがあるでもなし、乗り遅れても困るので、定時の搭乗開始時間あたりから搭乗口前で延々と(乗り込んでからさらに1時間)待たされるハメになった。
  コレには後日談があるので、また次回に。

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2016.02.26

やっとこさ、浦項(前編)...の巻

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  朝の東大邱駅。これから乗るのは、東海線の暫定終着駅・浦項である。昨年4月2日に開業したので、折をみての試乗を予定していた。ところがなんだかんだで延び延びとなってしまい、やっとこさの邂逅を迎えた次第。浦項が暫定終着駅だというのは、今後の延伸が予定されているから。日本海ぞいに蔚珍を経由して三陟まで至る「東海中部線」として2019年をメドに開業を目指しているというが、そうなればまた楽しみがひとつ増えるというワケで、あらためて繰り出すことになる。もっとも、高架直線ばかりでトンネルのオンパレードでは……という気もするのだが。国内外を問わず、鉄道新線の開業は楽しみではあるけれど、乗ったときの楽しさはますます期待薄になってゆくような気がしてならない。

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  ソウルを早朝に出発した浦項ゆきと晋州ゆきKTXはココで切り離される。

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  第2世代の「KTX山川」なので、アコモはそれなりに改善されている。もとより、この列車を選んだのはそういう事情もあったワケだが、KORAILサイトのィ予約ページを検索してみると、便の多い京釜線KTX(ソウル〜釜山)では当然のように「KTX山川」の便から売り切れ傾向。それもかなりあからさま。しかし、第1世代KTXのあの粗末極まるアコモと第2世代以降のそれとの乗り比べをいちどでも体験してしまえば、むしろそうなってあたりまえ。それほど接客レベルに差があるるのだから困ったものだ。

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  車窓はいくらか雪景色о(^ヮ^)о

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  わずか35分で浦項に到着。東大邱〜浦項間は82.8kmなので、表定速度は141.9km/h。運賃は1万900ウォン(週末運賃)である。高速鉄道としてはけっして速いとはいえないが、同じ区間を並行する大邱〜中央〜東海南部線経由の「ムグンファ号」だと1時間50分以上かかり運賃は7200ウォン。3700ウォン差で1時間15分も短縮してしまうのだから、案外良心的なのではないだろうか?

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  浦項駅前は想像どおりのツラ構えであった……。

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  ホームは2面4線で、KTX用(東大邱、ソウル、仁川国際空港方面ゆき)とムグンファ用(東大邱、慶州、釜田、順天方面ゆき)にわけられている。ところが、前者は5・6番線、後者は7・8番線であり、どうやらさらに2面4線ぶん(少なく見積もってだが)を増やす算段らしいのだ。ご覧のとおり敷地は豊富にあるけれど、資金と収入(利用者数)には限りはあるのではアルマイトの弁当箱?  三陟延伸にさいしても、このままで十分なような気がするのはオレだけではないだろうねぇ……。

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  駅舎は立派。案外利用者は多く、最近訪れたKTX新駅(公州と五松)などと比べると雲泥の差といっていいほどの賑わいであった。コンビニのほかこぢんまりとしたフードコートもあるが、わりと利用されているようにも思える。外は雨。荷物を持っての散策ってのも業腹なので、コインロッカー(指紋認証式、日本語による利用説明アリラン。「中」サイズで3000ウォンだった)に預けて浦項散歩に繰り出す。

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  感心させられたのは駅アクセスである。駅前がバスとタクシー乗り場になっているのはスタンダードだが、バス乗り場や路線の充実度とわかりやすさがこれまで訪れた大韓“荒野駅”のなかでピカイチだったからだ。乗り場では運転手が「どちらへ」と丁寧に案内役を買っているのにも好感が持てた。

  逆に最悪と思しきは慶全線の晋州駅だろう。浦項駅と同様にKTXとムグンファが乗り入れているが、かつて市街地にあったものを荒野に移したはいいが、市街地とを結ぶバス路線が地元民にとってさえ不明瞭。以前、駅から市街地にある市外バスターミナルに行こうとしたら、途中の「乗り換え停留所」とやらで降ろされて、さらに乗り換えバスまで待たされた挙げ句にやっとこさバスターミナルに着いたが、それだけでもうヘトヘトである。しかも、十分な乗継ぎ時間があったハズなのに、1日3本しかない海印寺ゆきバスをすんでのところで逃すところであった。正直なところ、その逆ルート(バスターミナルから晋州駅)をスムースに乗継ぐ自信はありまっせんでスムニダ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  これに近いのが公州駅だと言い切るのにはなんらためらいはない。

  KTX駅ではないけれど、ほかの荒野駅(造語だが、文字どおりに市街地や集落から離れた荒野にわっざわざ設えられた新駅をさす。大韓人のあいだでは「幽霊駅」とも呼ばれているらしい)でいえば、長項線の群山駅や長項駅、忠北線の清州駅は完全無欠の失格。清州はバスターミナルも市街地からかなり離れていて不便。ほかの街とのアクセスは、KTX駅でもある五松から路線バスに乗るほうが便利そうだ。「春香伝」で有名な全羅線の南原もややあやうい。ほかにもチラホラ。困ったことではあるが、それもまた面白いといえばいえる・・・のだろうなぁ……。

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  で、浦項駅アクセスに話を戻すと、駅構内やバス乗り場、バス車内には駅経由路線の案内が、乗継ぎ列車時刻入り(コレはバス車内のみ)で掲出されている。やや長距離を走る210番の本数は少なめだが、市街地やバスターミナルなどを結ぶ107、500番は16分ないし20分間隔とフリークエンシーが確保されている。これも公州や晋州などとは比較にならない充実度といえる(210番に乗ったが、ともに本数の多い107番と200番とを市街地の竹島市場などで乗り換えても目的地には行けた)。

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  さらに驚いたのが、のちに鉄道路線となる予定の蔚珍などとを結ぶ市外バスの接続がはかられていることであった。本数はご覧のとおりわずかで、使い勝手からいえば浦項や東大邱、あるいはソウルなどのバスターミナルから直行するほうが便利だが、それでも画期的ともいえそうなサービス改善ではないかと思う。いっそのこと、「蔚珍エクスプレス」とでもして、KTXと一体化した乗車券の予約・発売を導入するのもよさそう。

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  で、こうして繰り出した浦項散策がわりと面白かったので、その話は次回と数回後にアップにするけれど、帰路は比較の意味もあって「ムグンファ号」を利用してみた(当初は、浦項駅と浦項散策をまとめるつもりだったが、浦項駅もまたなにかと書きたいことがあったので2回にわけた次第)。

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  奥のKTXはあの第1世代。

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  その第1世代と並び、この気動車ムグンファのアコモもだいぶ難アリ。リクライニングシートやシートピッチ、天井の荷物置き場についていえば、KTX第1世代よりも上だが(断言)、改造車の宿命か、窓と座席とがあまり合っていないのである。目の前に柱じゃちょとねぇというところだが、この条件はKTX第1世代と一緒(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  念のためつけくわえておくと、KTX第1世代の一般車(普通車)の座席は方向転換はできないしマトモなリクライニング機構もなし。天井の荷物置き場はアタッシェケース程度がせいぜいで、たいして大きくもないオレ愛用のバックパック(30リットル)すら収めることができなかった。かといって、足下に置くと著しく窮屈。やだねぇ……。

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  KTXの東海線と分かれ、東海南部線を慶州方面に向かう。
  つづくо(^ヮ^)о

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2015.12.28

本年もお世話になりMASITA・・・の巻


  今年もなんだか無駄話に明け暮れたような気もするけれど、無事に本年最後のアップでごぢます。12月の大韓散歩話をちょっと中断して、まずは最近読んだ大韓関連本の紹介などを……。

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  あるときなにげにネット通販で検索したら、その値段から手を出しあぐねていた『韓國原影  桑原史成写真集』(三一書房)が割安でおでましо(^ヮ^)о  さっそく入手してシビレまくった次第。
  内容は、写真家・桑原史成氏が歩んだ韓国現代史。米軍がらみの影や軍事政権下での学生デモなど、生臭い場面が続々と登場してくる(日本における安保法デモは、どれだけ映像として歴史に残されたのだろうか?)。そこにあるのは庶民であり、生臭さとともに躍動感や温もりが全編を貫く。そうしたコマに見入りながら、「なんだってオレはこの世界に惹かれるのだろう……」と自問を繰り返すのみである。

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『鯨とり  対訳シナリオで学ぶ韓国語』(脚本:崔仁浩/編訳注:林原圭吾・白水社)
  こりゃぁ本当に生きた韓国語の教科書だо(^ヮ^)о  読むのにだいぶ時間がかかっているけれど、文法や表現の解説も懇切丁寧でなにかと参考になる。英語など学校などにおける外国語の学習も、こういうのを題材にしたらもっと言語として体感でくるように思うのだけど……。もちろん、題材となった映画「鯨とり」は傑作中の傑作!

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  こちらは韓国関連書籍・雑誌などでおつきあいいただいている康煕奉氏の新刊『宿命の日韓二千年史』(勉誠出版)である。
  いろいろと取り沙汰されているが、じつは現在ほど韓国が日本で関心を集めている時代はないかもしれない。少し前の“韓流ブーム”にせよその後の“嫌韓”にせよ、そのいずれもが関心へと結びついているからだ。オレ自身が大韓散歩に明け暮れているのは、仕事という意味はあるにせよとりたてて大層な目的があるワケではない。いうなればネコの散歩みたいなもので、前後不覚のままふらふらと隣国に舞い降りているというのがその実態。しかし、その根っ子にはかの国とそこで暮らすひとびとや文化などに対する関心があり、それが源泉となって「気になって仕方がない」から大韓散歩へと繰り出しているとこじつけることも可能なのではないかと思う。

  一方で、民族という観点でみれば、その関心やつきあいはそれこそ古代からつながっているのであり、あらためてその歴史をひも解いてみてもいい。本書は、帯にあるとおり「古代から現代まで、二千年の日韓の歴史をわかりやすく」まとめた1冊。そこには、日本に生まれ育った「在日韓国人2世」である著者だからこそできうる視点が、微妙な陰影を伴って網羅されている。日韓の歴史の足跡を訪ね歩くルポという要素もあり、リアルに読者に語りかけてくるだろう。“現代史”のひとコマとしての「あとがき」も圧巻である。日韓双方で読んでもらいたい……ふとそう思った。

  ココからはやや蛇足。本書中でも、近代史部分において「創氏改名」というわれわれ日本人にとっても(マトモな感性を持っていれば……だが)あまり耳障りのよくないできごとに触れられている。そのくだり──

<創氏改名を行なわない人に対しては、子供の入学不可、役所での事務受付拒否、公的機関への採用禁止という厳しい罰則が設けられた。>(本書201ページ)

  世間で「マイナンバー」と呼ばれている「国民管理番号」(個人的にはほかに「ユアナンバー」と呼んでいるが)を思い浮かべた。義務教育のある現代ニッポンが「子供の入学不可」なんてないだろうと思うかもしれないが、平気の平さで憲法をないがしろにする連中が権力の中枢に巣食っていることを忘れてはならない(憲法ってのは、そういう連中を暴走させないためにあるのだがねぇ。改定は可能だが、同時に不可侵でもあるのではないのか?)。いずれ買い物ひとつにも管理番号がまとわりついてくる可能性は否定てきないのではないだろうか。そうなれば、これは祖国為政者が自国民に科した「創氏改名」という見方だってできるかもしれない……(韓国のネット通販などで、国民登録番号の類を要求され買い物を断念したひとも少なくないのでは?  言論や結社の自由などをめぐって韓国でも大問題となっているが、ああした点を含め、韓国のそれはわが国にとって他山の石でもある)。

  このほか、軍事政権下にあった1961年から翌年にかけての韓国(おもに政治)を解説した『激動する韓国』(松本博一・岩波新書〜せっかく微妙な時期に長期滞在していながらルポがほとんどないのが残念。庶民の暮らしぶりがほとんど描かれておらず、期待したような内容ではなかった。が〜。韓国や北朝鮮の状況に触れながらも、むしろ当時のわが国の動きやセンスが窺える点は興味深い)や“皇国少年”として育った著者が、ふたつの“祖国”で生き抜いてきたその半生を語った『朝鮮と日本に生きる──済州島から猪飼野へ』(金時鐘・岩波新書〜こちらは深い作品)などと出会った。


  話かわりますけど。年末の休息時間はひさびさに「その夏の台風(그 여름의 태풍」でひとときを過ごす。個人的には大韓ドラマの最高傑作ではないかと思っているのだが、あらためてみるとやはりいい作品だ。
  音楽もいい。なかでもこの「Memory」はお気に入りの1曲。「その夏の〜」ではあるけれど、冬の暖のなかで聞くのもまたオツなのだ。




「その夏の台風」は夭折してしまったチョンダビンとあのハンイェスルとが競演している。そのいぇすらの最高傑作はあのふぁんこ(ファンタスティックカップル=환상의 커플)でキマリだとは思うが、「クリスマスに雪は降るの?(크리스마스에 눈이 올까요?)」で彼女が演じた“ふつうの女の子”も個人的には「主演女優賞」である。いぇすら唯一の“フツーのメロドラマ”だし。
  ただ、このドラマのストーリーや脚本にはちょっと暗すぎて疲労感も……。一方で音楽は素晴らしく、いまでもサントラ盤CDを仕事のBGMにしていたりもする。ところが、ドラマ中にたびたび流れている歌で、なぜか収録されていないのがひとつある。美しいメロディーとハーモニー。しかもかなりの美形だ。しかし曲の正体もわからないのでは音源の探しようもなく、長いことモンモンとしていたのであった。が〜。歌詞にある「사랑이 있을까=愛はあるのだろうか?)」というフレーズにあるとき「ピンッ!」ときてさっそく検索。するとあっさりとその正体がわかったのでありMASITA(動画はドラマとは関係ありません)。



  ↓曲もいいけど、いぇすらがきゃわゆすぎる……(こっちはクリ雪)




  ところで、大韓散歩のさいにはさりげにテレビ番組ネタをチェックするのも楽しみのひとつ(日本ではほとんどテレビを見ないし……)。で、12月の巻に遭遇したのが、米国アニメ「おっはよー! アンクル・グランパ(邦題)」だ。
  なんつうか、あの特殊漫画家・根本敬画伯の世界が大平洋を渡ったというか、でなければ妙なクスリでもかっくらった状態でつくったがごとしのとんでもアニメ(褒め言葉だYO)。なりゆきまかせの動画もナイスだが、もっともウケたのが画面にときおり現われる実写状のトラだ。内容がさっぱり理解できないママ、トラが出てくるたびに腹を抱えて大爆笑させられてしまいMASITA。

  帰国してさっそく正体を確かめると、「Giant realistic flying tiger」なんてなこれまたイカれた名前であることが判明(驚くべきことに、グーグルに「Giant real」まで入力すると、予測なんちゃらで「Giant realistic flying tiger」が筆頭にお出ましになった・笑)。ふと「The original intelligent  sensational Destroyer(ザ・デストロイヤーのことだYO)」を思い浮かべたけれど、これじゃウチのちょびを「シマシマでシッポが長い甘えん坊の巨大ネコ」にでもしなければならないではないか。ちなみに、公式サイト紹介によればこのトラ、「イケメンバンド好き」の「女の子」だそうだ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)




  一方、大韓ドメスティック番組ではコレだろうねぇ……。

  トロット専門局(?)「inet」で遭遇した「イチョルミンのシアワセ歌教室(이철민의행복노래교실)」である。内容は以下の動画そのまんま。画質も音質もこんなものである。正体の覚束ない司会のイチョルミンはもとより、会場は“イイ顔”のカオス状態о(^ヮ^)о  こんなのをみてると「ぁあ、そこいらへんのおっとっつぁんやおっかっさんらのカラオケってのも案外イイものなんだなァと思えてウレシくなってくる。地元・千葉テレビの某カラオケ番組が「たいそう豪華な歌謡番組」に思えたりもするのだが……。




  この「inet」、「15周年記念」だかで日本ゆきのクルージングツアーの参加者を募っていた。コースはふたつ。「山口&北九州コース」(アベとアソーか……ケッ!)と「大阪コース」が組まれ、名も知れぬようなトロット歌手によるコンサートなんかもプログラムに含まれていたりする。前者は39万9000ウォン、後者は29万9000ウォン。ふと「こんなのに便乗して大韓風味を味わいつくすのもええなぁ……」と思ったもんだ。このCMを目撃したのが12月10日のィ夜。ところが、後者の出発は1週間を切った12月15・17日。前者にしても12月19・20日が出発という慌ただしさ。さすがに「絶賛発売中」とは謳っていなかったが、これはもう在庫処分市の心境だったのではアルマイトの弁当箱?  はたして無事に催行されたのか否か……大きなお世話ですね(笑)。

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  話かわりますけど。クロに首輪をつけてみた。口内炎はやや改善、鼻炎も少しずつよくなっているようだが、相変わらず日中はドロンしてしまうため、いつまで経っても獣医に連れていけないのが悩みの種。18時ごろに帰ってきて朝になると外出。寒くなったせいか、8時すぎまでいることが増えたが、ひょっとすると前世は勤勉なサラリーマンかなにかだったのだろうか(笑)。そんな気さえさせられる規則正しい生活ぶりである。

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  冬の楽しみはちょびとのおねんね。布団のなかがホカホカぬくぬくふわふわシアワセネコベッド(행복한고양이침대)。
  という次第で、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げますm(__)m

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2015.05.14

停車列車は1日1本(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)・・・の巻

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  大韓ケンチャナヨ散歩2015年5月の陣。どこから話をはじめようかと思案したが、主菜たる京釜線・覚溪駅探訪からスタート。
  旅は3日目。なりゆきのまま前夜をすごした亀尾から6時12分発の「ムグンファ号」にゆられて五十数分、たったひとり降りたオレと入れ代わりに2人も汽車に乗り込んだのにはちょっとだけ驚かされてしまった。降りるさいにホームの狭さにもギョっとさせられたが。

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  だってこの駅、1日に1本しか(1往復にあらず)列車が停まらないというイカしたロケーションだからねぇ……。上段が上り。大田、ソウル方面ゆき(とはいえ停まるのはオレが乗ってきた栄州ゆきただ1本)。下段は下り。「東大邱、釜山、晋州方面」の文字が空しい。もちろん誤植ではありまっせんでスムニダ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  駅裏。すでに他界した「観光交通時刻表」でも地図上にはきちんとプロットされていたが、いつのころからか本文上からは消滅。コレイルが公式サイトにアップしている表計算仕様の時刻表には駅名こそあるものの、たった1本の停車列車の停車時刻が無視され通過扱いになっているのは単なる誤植ないしケンチャナヨではあろう。試みに1976年9月の「観光交通時刻表」を開いてみると、上下5本ずつ10本もの列車が停車していたことがわかったが、こういう存在を知ってしまえば訪れてみたいと思うのが人情というもの。なんだかんだと先延ばしになりつつ、ほぼ1年越しになってしまったやっとこさの訪問である。
  どうでもいいが、リサイズの作業を不精したら画像が粗すぎ……。まっ、ケンチャナヨ。

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  駅舎(というか待合室)は廃止になってしまった院北駅(慶全線)や日本の大志田駅(山田線)あたりよりも立派なつくり。壁の様子からみて、かつては出札窓口もあったようだ。

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  トイレは懐かし仕様。子どものころ、地元の国鉄駅にもこういうトイレがあったのを思い出す。ただし、個室のほうは封鎖されているので念のため。

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  集落。もちろん(?)しゅぽの1軒すらない……。

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  駅の北側300メートルほどのところに京釜高速線(KTX)の本線と作業基地がある。

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  じっくりとロケハンすればいい撮影ポイントがあるのかもしれないが……。

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  わが同胞の探訪跡か?  ゴミはきちんと持ち帰ってもらいたいものだ。

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  駅前になんとバスが。覚溪からの脱出はもちろん路線バス利用を目論んでいたが、径路は駅の南300メートルほどのところを走っている国道上。このバス停はタウム地図にもないサプライズだが、まだ退散するには早すぎた。

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  じつは、覚溪駅のあとは新たに開業したKTXの東海線(東大邱〜浦項間)を探訪するつもりで計画を立てていた。9時ごろのバスで永洞駅に出て、東大邱で「ムグンファ」から「KTX」に乗り換え、小1時間ほど浦項新駅(コレがまたとんでもなく不便なところにお出まし。浦項市民の不満やいかに?)とその周辺を見学してつぎのポイントへ向かうつもりだったのである。ところが、永洞にゆくバスを待っていると、彼方につぎつぎと汽車が現われては通過してゆくではないか。そんなのを数本。
「もういいっ、浦項は次回だ!」
  という次第で覚溪駅へと取って返す。

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  おっと、横断毛虫о(^ヮ^)о  もとい、ヤツの場合は道路に沿って歩いていたが。

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  時刻表もないので、ボケーっと汽車を待ってはカメラを構えるというのんびりムードではあったが、しかし“キリ”をつけるのがなかなか難しいのが汽車撮影か……などとも思う。“撮りテツ”ではないのだけど、やってみると面白いしо(^ヮ^)о

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  コレは予定していた浦項に向かう前に遭遇した「ITXセマウル」。電車ならではの加速は爽快だが、コレのどこが「セマウル号」なのかさっぱり理解できない失敗作。なんというか、「セマウル号」に対し失礼ってもんですよ。

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  初夏の陽気が心地いい。1年でもっとも好きな季節。

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  それはそれとして。汽車待ちに橋のうえから川面を眺めていたら、どこかで見覚えのある魚がゆらゆら。すでに魚釣りはほとんど止めてしまったオレだが、コレがなんの魚かってことぐらいは瞬時にわかる。しかし「まさかねぇ。いくらおバカさんの類でもこんなとこにまで放流するか?」との疑念も涌いたのだが、ふと足下やら頭上の電線に目をやれば、その“おバカさん”らの置き土産が(どうやればこんなところにひっかけられるのかとも思うが・笑)。そうしていると、あの腐り切ったコンドームのようなニオイが足下から漂ってくるようですこぶる不快。驚くべきことに(?)、1組の親子と若いヤツの計3人が滞在中にサオを出していた。コイの姿をみかけ、ちょっとだけ救われたような気もしたワケだが……。
  つづくо(^ヮ^)о

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2015.03.09

冬のソナタまつり・・・の巻

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「旅と鉄道」(朝日新聞出版)4月号増刊「さらば、北斗星  さらば、ブルートレイン」が発売になりました。
  今回は、記事寄稿のほか裏方にも関わらせていただき、自分なりの「寝台列車追悼」の儀式とすることもできたような気がしています。なにしろ、鉄道でもっとも愛着があるのがほかならぬ寝台列車。今週末以降はわずかな臨時列車と急行「はまなす」(青森~札幌間)、「サンライズエクスプレス」(東京〜出雲市・高松間)のみとなってしまうのだから、正直寂しい(「ななつ星」のような“遊び”は残るが、あれはイベントであって生活や日常の舞台としての鉄道の乗り物ではない。いわば遊園地の汽車ぽっぽの類でありましょう。それはそれでそれなりに楽しいとは思うが……)。

  去るものは追わず……。
  そんなモットーはともかくやりきれない気持ちにもなるけれど、つまりはそういう気持ちで製作に関わらせていただいた次第。書店等でお見かけのさいには、お手にとっていただければ幸いでありますm(__)m

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  話かわりますけど。あるィ夜、なにげにネットショップを散歩していたところ、このバレンボイム演奏のベートーベン・ピアノソナタ全曲DVDを発見。すでに発売されているブルーレイ版の焼き直しとのことだが、わが家には対応プレイヤーがないのでDVDの発売はありがたい。
  で、発売日前のィ予約販売とのことで購入手続きをしたのがたしか昨年10月。ちょうどドイツ散歩のさなかに自宅に届く手はずだったので、帰国したらのんびり聞くべぇと思っていたところ、「発売延期」の明け暮れ。帰国後どころか年を越してなお「発売延期」が繰り返されたのだからなにをかいわんやではないか。「こりゃボツかねぇ?」と半ば呆れ返っていたら、2月7日だかなんだかに「ひょっこり」届いたワケだったのだが……。

  演奏は素晴らしい。ベートーベンに忠実で、かつ歌が美しい。フレーズの呼吸やデュナーミクなど、教わることも多い(恐れ多い言い種だが)。が〜。映像づくりのセンスのなさには絶望させられてしまった。これならわっざわざ映像つきにしないでCDでじっくりと聞けばいいだけ。ひとことでいえば、見る者の気持ちをわざと逆撫でするがごとしの奇怪なコンテであり仕上がりなのである(演奏者の趣味でないと信じたい)。

  ここに、『出版奈落の断末魔  エロ漫画の黄金時代』(塩山芳明著・アストラ刊。当ブログに登場するのは2度目だが)がある。現役のエロ漫画編集長(編集プロダクション社長)が出版界の“奈落”を語るこの本は、紛れもない名著。わが枕元の仲間入りをして久しいのだが、このなかでマンガ原稿づくりの手抜き技の基本(?)が紹介されている。すなわち、コピー(人物や背景)の雨あられや旧原稿の切り貼りなどで、実際にその手合いは珍しくもないらしい。そのなかのひとつに「アップ!!  アップ!!  アップ!!」というのがある。ちょっと引用すると……。

とにかくでかく描く。吹き出しでも、人物でも、顔でも(中略)コマ一杯に描く。そうすれば背景入れる必要はないし(以下略)。>

  そう言われれば思い当たるフシはある。マンガ以外でも、大韓ドラマ、とくにちょっと古めの時代劇(「大祚栄」や「大祖王建」あたり)のコンテがほぼそんな感じではないか。とにかく人物のアップばっかで、せっかく大金をかけてつくった野外撮影セット場の出番もホントに少ないという有り様(日本のテレビ放映がカットだらけということもあるが、大韓滞在中にみたらそう変わりはなかった)。個人的に「映像つきラジオドラマ」と呼んでいたが。

『エロ漫画の黄金時代』によれば、「これの最大の被害者はやはり読者」(ドラマの場合は視聴者だが)。すなわち、
<エロ漫画の基本は、①どんな身分の姉ちゃんが、②どんなスケベ野郎に、③どこで(中略)……を、読者にビジュアルで伝えること>(本書124ページ)
  であり、「アップアップ」だと「すべての点で落第」(同)というワケだ。で、このバレンボイムのDVDの「絵」というのが、まさにそのy点で失格な「アップアップ」のオンパレードなのである。

  そもそも、演奏会場でライブを楽しむのならばともかく、自宅で映像つきで楽しみたいというのであれば、見どころはなんといっても演奏家の華麗なるテクニック、そのビジュアルとしての手さばきにあろう(ロックバンドなどのライブだってギターの早弾きが見せ場のひとつだったりするし、クラシック音楽にしても奏者のテクニックを楽しませるのは伝統だ)。このバレンボイムのDVDはピアノソナタを弾いているのだから、やはりその手元を見たい。全体的な「ヒキ」ももちろんほしいし、演奏者のちょっとした表情や仕種だってほしい。が、鍵盤上を走るその手や指が傍役というのは、まずありえないハズだ。言い換えると、この盤はまずその点においてまったくの失格なのである。
  たとえば、有名な「月光」ソナタ、その第1楽章は一切手元が映されておらず、ヒキ絵のママ終わってしまった。別の曲(最後のピアノソナタとなった第32番1楽章など)では顔のアップばかりというのもあった。手元が移される数少ないカットにしても、アップになりすぎているがために却ってそのディティールが殺されてしまっている。酷い……。

  が〜。演奏そのものは大いに気に入ったので、別の楽しみかたをすることにした。提供された映像は落第だからほとんどないものとし、手持ちの楽譜を引っぱり出して映像の代わりに仕立て上げたのである。おかげで、聞くだけではやり過ごしてしまいそうな細かいニュアンスなどが「ビジュアル」を通してココロにしみ入ってきて、いろいろと発見することもできた次第。しかし、コレならCDがあれば十分ですね(笑)。

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  ベートーベンのピアノソナタ(全32曲)は、それぞれ素晴らしい曲だが、もちろん個人的な好みからすれば立場はさまざま。いまさらながらに「すごいな」と感銘を受けたのは、終楽章のいくつかである。第1楽章はいくつかの例外を除けば「ソナタ形式」で書かれているが、そこで用いられている動機はソナタ形式にふさわしくメカニックなものが目立つ。動機として明解なのだ。それと比べると終楽章のいくつかはどうだろう。むしろ、どうやったらこういう主題が描きだされるのか、ちょっと不思議な思いにかられる曲もけっして少なくないなと思った(詳細は省くけど)。

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  さて、そんななか思い出したのが、「ぁあ、オレは15番(作品28。上画像はその冒頭部分)が大好きだったのだ」という他愛のないことであった。
  この曲には「田園」という表題が添えられているが、ショパンのそうした曲の大半がそうであるように、この表題はベートーベンによるものではないという。しかし、この曲に「田園」を結びつけたそのセンスは素直にわかるような気がするし、四半世紀以上前にはじめて聞いたときに淡い緑色を基調とした風景が思い浮かび、いままたそれと相似形をなす世界のトリコになったことを思えば、それが「田園」的ななにかだったとしてもイメージとの乖離はさほど感じない。

  この曲の第1楽章、第1テーマにつづく移行部の冒頭(40小節目)にたった4声からなる和音が打たれる(この曲は冒頭から4声で書かれ、ピアノ曲というよりは弦楽四重奏かなにかのようでもあるが)。和声学ふうにいえば「短七和音の第1転回形」で、スラーでくくられたつぎの和音も第1転回形になっているため、どこか不安定な響きだ。しかし、これは直前の小節でニ長調の完全終止の余韻が途切れないままに鳴らされる音であり、かつ低音部2声はニ長調のトニック(主和音)のママであるばかりか主音と第5音の完全5度ではないか。したがって、右手が担当する上2声が倚音のように聞き取れ、それがつぎの和音に解決したがっているというふうにも解釈できるかもしれない。それを裏づけるように、「第7音」である左手テノールの「ラ(主調の第5音)」は本来の解決をしないままつぎの和音とタイで結ばれている。
  ちょっとマニアックな話になってしまったが、あらためて聞いて、このふたつの和音がなんと効果的であろうかと長年にわたり思いつづけてきたのを思い出したのであった。じつは、この瞬間こそがこの曲でもっともメリメリするのであり、そういう感性はむかしと変わってないなぁとしみじみしてしまったのである。

  で、冒頭からここにいたる風景。時節柄、ここでは菜の花畑ということにするけれど、静かに波打つ菜の花畑にさんしら(断るのもヤボというか断らないと「?」という方が大半だと思うが、説明するのもアレなので下に動画を貼っておきMASITA。菜の花畑はありませんが)。ようはそういう心象風景なんですよ、コレ……というのを言いたかった(笑)。

▼L.V.Beethoven Op.28(問題の箇所は1分目あたりに)






▲たとえばこんな風景♪(とくに3分目ぐらい〜。ワケあってゴキゲンナナメなさんしらだが、きゃわゆいものはきゃわゆい。사랑이구나〜  しかも「日本版」でカットされた場面もみられまッスムニダ)

  ……っと、当初の心づもりでは、昨年後半に入手したショパンDVDの話につづける手はずだったが、すでに長々とやってしまったのでそれはまたの機会に。

  ぁあ……。関係ないけど、ただいま国外逃亡中にてごぢいます(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  「田園」というか、目論みではいまごろ(なんだ、今日じゃないか)は菜の花まみれになっているハズなのだが、はたして……?

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2014.10.10

こんな旅の本を読んでます(日本編)...の巻


  前回取り上げた本多勝一氏『新・貧困なる精神  携帯電話と立ち小便』(講談社)には「百名山」に関する著者の所感が何カ所かで出てくる。ここでいう「百名山」とは深田久弥氏の『日本百名山』を指すが、本多氏が指摘しているとおり、深田氏という一登山家が好きに選んで上梓したにすぎない山々を、さもブランドあるいは普遍化した価値のごとくありがたがっている傾向があるのはどうしたことだろう。NHK(公共放送休止中)でもそのテのシリーズが放映されており、本多氏が「馬鹿げた」と切り捨てている「早まわり」までが登場しているが(番組宣伝に遭遇した)、こんな他人のマネごとをありがたがる人々の主体性のなさにはヘキエキとさせられる(ラインホルト メスナー氏あたりに感想を訊ねてみたいものだ。*注)。

  これが、たとえば「視聴者が選んだ百名山」というのであれば、なおコピーのニオイこそすれ共感できる部分があるに違いないが、それにしたって「深田?  だれそれ?」という疑問すら浮かばずになんとなく番組をつけているひとが大勢派なのであろう(登山ではないけれど、どっかの坂道が名所になってしまい、「自分の殻を破る」ためにその他大勢の同好者とともに坂を登るだのという話もNHKの宣伝だかで目撃したが、「ウゲッ!」と胸クソ悪くなった。まぁ、他人に対し感動がどうのといった話ではなく、主役が「自分」のようだった点には共感できなくもないが、そんなモノでさえ「みんなが行くから」的に殺到するとはねぇ……)。

  これは世界遺産詣でも同様で、なにかの折に書いたかもしれないが、「世界遺産だから」とか「世界遺産になったから」といった“きっかけ”でしかその現場に訪れないというあたりに主体性の貧困を感じてならないのだ(「しか」の部分に異論があるかもしれないが、煎じ詰めればコレもまた「みんなが行ってるみたいだから」に近いセンスなのであろう)。そんな風潮に嫌気がさしているということもあるが、自分自身は原稿類に「世界遺産」の文字を原則として使わない。「ジューシー」だの「旅の疲れ」などと同様の禁止用語なのである(一度、文中に編集サイドから加えられたことがあり、そのさいも編集担当に「コレ、取ってくれませんか?」と懇願したものだ。どうやら編集部側の事情もあったらしく、こちらもムリにゴリ押しするほど純粋な人間ではないし、“エラ”くなりたいとも思っていないので意向を飲んだワケだが)。
  もちろん、世界遺産に登録された場所や物件にはぜひ訪れてみたいところや一見の価値があるところも多いとは思う(深田氏の「百名山」も同様だ)。だが、世界遺産なんぞという題目は、ユネスコという一機関が進めている施策にすぎず、物件そのものの価値を示すものでありはしない。しかも、そのタテマエは人寄せではなく保護や伝承にこそあるハズだ。それなのに実態はといえば“ブランド”だから、「みんなが行くから」と押し寄せるニンゲンたちと、それをおまんまのタネにしている観光業者という図式……(熱心に保護に取り組んでいる国や地域、物件もあるので念のため)。
  本当は、そんな冠など関係なしに素晴らしいものは素晴らしいのだし、なんにせよそれを感じるのは自分自身にほかならないハズではないか。他人のつけた冠などクソ喰らえだ!

*注:メスナー語録的なものは数多いが、たとえばいま目についたところでは、雑誌「山と渓谷87年7・8月号」(山と渓谷社)に掲載されたインタビュー上で、メスナー氏がつぎのように語っている(訳:宮下啓三/原文数字は漢数字)。それにして、も。ちょうどこのテキストをつくっていたころにBSテレビでメスナーの映画が放映されていたとは(あとでプロフィール代わりにリンクをつくるときになって知った)、驚いてもしょうがないが驚いた。


「8000メートル峰全座に登ったからといって、画期的とは言えません。(中略)たしかにアルピニズムにおける目標のひとつとするに足る思いつきであったとはいえ、8000メートル峰に初めて登頂するとか、8000メートル峰への最初の単独登頂とか、ふたつの8000メートル峰の最初の縦走と比べて、重要性はすでになくなっています」
「1982年に私が全山登頂を思いついた当時、まだだれ一人として、8000メートル峰の全部に登頂しようなどと考えた者はいませんでした。ところが、ここ数年のうち、およそ1ダースほどの人たちが私を追い越すことを目標にかかげました」
「こんなスピード登山者のなかのだれか一人でも、単独でK2への新ルートを拓いたり(中略)であれば、そのために何カ月もかかったとしても、私にとっては価値が高いのです」
「いつだって私は着想によって生きてきたのです」
(いずれも同誌7月号)

  登山という世界の話だけではなく、広く示唆に富む発言だと思うのだが……。

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  さて、ここまで3回にわたり極私的流に“旅の本”を引き合いにして言いたいことを書きなぐってきたワケだが、「日本編」では純粋に旅の本の話をしてみたい。
  筆頭に持ってきたのは『人、旅に暮らす』(足立倫行/現代教養文庫)。12編からなるルポルタージュ集で、月刊誌『旅』(日本交通公社──旅の文芸誌があった時代なのだ)に連載された足立氏のデビュー作である。

  著者は、なによりも人間を描くノンフィクションライター。代表作である『日本海のイカ』(情報センター出版局)や『北里病院24時』(新潮社)、『アダルトな人びと』(講談社)、『イワナ棲む山里』(写真・秋月岩魚/世界文化社)など、いずれも人間の姿がいきいきと描き出されている。そのなかには、たとえば漫画家・水木しげる氏のような著名人に接近した作品がある一方で、市井で暮らす“ふつうの”ひとびとにまなざしを向けている傾向が強いようだ(水木氏の場合でも、対象が著名人だという点はあくまで付加的要素である)。
  本作はどちらかといえば後者にあたるが、題材となった“旅人”たちの素性は多彩である。すなわち、スリ専門の警察官(が“ふつうの”といえるのかという見方もあるかもしれないが、足立氏によって明かされた素顔はなんら特殊ではない)であったり、ラブホテル専門のベッドメーカー社長であったり、国土地理院の測量官であったり……。知っているようないないような彼らの生業。そうして各地へと渡り歩く人間たち。これはつぎに挙げる『人、夢に暮らす』にも共通するが、そこに描き出されているのは、まさに現代ニッポンに生きる“ふつう”のひとびとなのである。それぞれがそれぞれに生業を持ち、真剣に日々をしのいでいるという点において。それが、足立氏の取材とペンとを通じて読者の好奇心を呼び覚ますのである。

  たとえば、筆頭にある「バンクの渡り鳥」では競輪選手にスポットをあてているが、競輪という競技ないしギャンブルという存在は知っていても、関係者の舞台裏やそこでみせる素顔はということになるとにわかにはわかりづらいのではないだろうか。そこに密着し、“ふつうの”人間に迫る著者。選手とその家庭の暮らしの糧となる競輪選手という仕事。そこにあるのは誰彼とも変わらない日常のひとコマである。
  レースを終え、カネを受け取る選手。

  名前を呼ばれた。経理の女性がふっくらとした茶色の封筒を事務的に差し出し、小山はそれを事務的に受け取る。(中略)224回目の旅の成果だった。(28〜29ページ。原典は漢数字)

  地に足をつけた、ふつうのさり気ない日常だ。

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  一方、本書『人、夢に暮らす』(新潮文庫)は前書の姉妹版といえるかもしれない。

  20編の人間探訪であり、同時に旅が綴られている。驚くのはその興味の幅の広さだ。鷹匠、配膳、繍師、若き力士(最軽量力士「育盛」が引退したのを盟友Sが残念がっていたが)、都市鳥愛好家、北方領土とひとびと、元学徒兵、ドブ板通りの少女etc.。
  職業でいえば、鷹匠などその存在は耳にしていても実態となるとベールに包まれていたり、天ぷら職人の修行や日常などにふと興味がそそられたりする。配膳というのも、なにしろそういう場に行く機会もなければ、本書によって知り得た職業ではあった。ほぼ唯一の著名人ということでは、あの畸人ギタリスト(断るのもヤボだがリスペクト言葉)寺内タケシ氏にも突撃しているが、その寺内氏を含め、職業や立場はさまざまではあるけれど、前作と同様に市井で暮らすふつうのひとびとだといえるだろう。
  そして、その幅広い好奇心に支えられた視線。「あとがき」を寄稿した野田知佑氏によれば、「倫行にかかったら尻の穴まで何もかものぞかれるぞ」と氏の知人から「脅された」という。しかしそうだと「脅され」るほどに念入りな取材は、おそらくは取材される側にとっても心地のよさを伴っていたのではないだろうか。それだからこそ、こうした名著をなしえたハズだ。

  ところで、足立氏からは氏の作品をめぐってあれこれお話を聞かせていただいたものだ。なかには、いまひとつ噛み合わなかった取材や題材といった生々しいエピソードも具体的に教えていただいたものだが、『アダルトな人びと』(講談社文庫)をめぐっての和やかなひとときはいま思い出してもケッサクであった。
  同作はアダルトビデオ業界で生きるひとびとの視線をあてたノンフィクション。ありきたりな(?)AV女優列伝みたいな世界ではなく、監督を含めた裏方的なひとびとの仕事や日常が描き出されている。個人的に、作品はともかくそれをつくっているひとびとには興味があって、AV監督だったバクシーシ山下氏のエッセイ集(というのか?)などを面白く読んだりもしている。そんなこんなで本作は個人的にも好きな作品なのだが、なんど読み返してもV&Rプランニング(バクシーシ山下氏が所属したキワモノ系製作会社)のところでもっともペンが走っているように思えるのである。そこで、なにかの折にそんな話になったところ、逆に足立さんからすっとんきょうなことを訊かれて大笑い。

オレ「ライト柳田のところ、ありゃぁ最高ですよね」
足立「あいつ、いまどうしてるの!?」

  い、いや、「どうしてるの」と訊かれても、そりゃこっちのセリフですよ、兄貴……。

  ライト柳田ってのは、件の山下監督作品でレギュラー的存在だった特殊系AV男優。足立さんが本書の取材のおりに、高田馬場の食堂だかで遭遇したそうなのだが、前夜はボーリング場で過ごしたのはいいとして、持ち物を盗まれてそのとき無一文。十代後半から宿なし生活を続け、山下監督に出演の有無を電話確認するのがそのころの唯一の仕事だったというナイスガイなのだ。そのクセやたらに高そうなサイフや靴、輸入タバコを持っていたあたりは、特殊漫画家・根本敬氏いわくの“イイ顔”ないし“ダウナー系”そのまんま(という妙な部分に納得したりしたものだ)。
  で、その消息だが、ちょうどその少し前にタマタマ“近況”めいたものにネットで遭遇していたので、足立さんにそのまま報告。
オレ「だれだかとどっかの飲み屋で飲んでたところ、『タバコを買ってくる』と言い残して表に行ったっきり行方不明だそうです」
足立「あっはははははは(ウレシそうに大爆笑)」

  かように、先輩との対話は楽しいのであったо(^ヮ^)о

Danjo01

  トリは『にんげんドキュメント 乗り物に生きる』(檀上完爾/現代旅行研究所)。雑誌「旅と鉄道」(鉄道ジャーナル社)に連載されたノンフィクションを編纂したもの。新幹線の運転士や食堂車スタッフ、航空自衛隊隊員、観光タクシードライバーなど“乗り物”を自由な感性で捉え、そこに生きるひとびとを追ったルポルタージュである。
  本書の主役たちも足立氏の作品のひとびとと同様に、いわば市井で暮らすふつうのひとびとである。そこにある仕事への情熱。語られてゆくエピソードの数々は、それぞれがドラマであり、興味を誘う。モノを書くにあたって、人物に焦点をあてることの面白さが凝縮されているのだ。

  この本、じつは著者の檀上氏からいただいた記念品。「旅と鉄道」の連載(といっても相当に古い話だが)を読んでいて、じつは密かなファンだったのである。そのころはいまとは異なる業界でサラリーマン生活をしていたが、まさか本の世界に飛び込むなどとは自分自身も想像しておらず、いわんや愛読していた作品の著者にお目にかかれるなどありえない話だったハズ(前項の足立さんも然り)。そんなだから人生は面白いというのは飛躍……か?  しかしそのワリには精進がまったくもって足らない自分にいちおうの(?)反省しつつ、久々にこれらの愛読書たたちを取り出してみて、モノを書くということの基本をあらためてかみしめてみた次第。

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2014.10.04

こんな旅の本を読んでます(韓国編)...の巻

Hinkon01

  引き続き“旅の本”の話を……。
  前回アップの「アメリカ編」つながりということでは、本書に収録されている著者によるディズニーランド探訪記があるので、そちらで触れようかと思ったが、あとで触れる事情により「韓国編」で取り上げることにした。ディズニー〜についていえば、いまひとつキレが感じられなかったのが残念。もっと徹底的な罵詈雑言の嵐だったらよかったのになァと思うのだが……。

  個人的には遊園地は嫌いではないし、徹底したイミテーションの世界(映画やドラマのセット場もしかり。ロサンゼルスのユニバーサルスタジオはすこぶる面白かった)もそれはそれで面白いので、ディズニーランドのような世界も楽しみ方があるように思う。しかし、それとはやや乖離した部分で余計なひとことを添えるならば、ディズニーのアニメーション作品って、そんなに面白いですか?  たとえば「白雪姫」や「ファンタジア」をはじめとするいくつかの作品は何度か見たけれど、動画の美しさには目をみはったものの、物語の内容はこれっぽっちもココロに残ることがなかった(「101匹わんちゃん」はやや例外)。それならばというのもヘンだが、本多氏が語るように手塚治虫氏や宮崎駿氏の諸作品のほうがさまざまな意味で影響大だ(ただし、例外はあるものの、なにかっていうと戦闘場面がつきものになっている日本のアニメ作品の傾向には疑問を覚えることもある。「なんでこうなっちゃうの?」みたいな)。
  加えて、同じアメリカ産アニメでいえば、スヌーピーを見るとほのぼのとした童話の世界が連想される一方で、ディズニーのキャラクターを見てもビジネスの4文字ばかりが先行して浮かんでくる。

  閑話休題。じつはこの本、金大中氏と本多氏との対談が収録されており、何度も読み返すこととなった。金大中氏についていえば、いくつかの暗部を抱えていたことは承知しているけれど、尊敬できる政治家だったのではないかと考えているからだ(わが国でいえば、たとえば白川勝彦氏〈リスペクト!〉を金大中氏と重ね見たりもする。リベラルな自由主義者として)。
  語られている内容は、金大中氏の出自から金氏自身が体験した日本統治時代や対談当時の韓国の実情などが中心だが、いずれもわが国とは切り離せないその関係が指摘されていて、なにかと読みごたえがある。
  日本統治時代をはじめとする日韓(北朝鮮を含む)関係は、いまなお禍根を残しており解決の道筋さえ掴み切れない状況だが、金氏による率直な語りのなかにはそのためのヒントがあるような気がする。あの時代からそれまでなにがあったのかを語る金氏は、けっして過去に拘泥したり怒りを露にしてはいない。むしろ、現在がどうあって、なにをすべきなのかという部分に力点が置かれているのである(加えて、嫌悪や憎悪、怒り、復讐心についても言及されてはいる。しかし、それよりもむしろ「恐怖」「こわい、あぶない」という感性や視点を、日本人がどれだけ理解しているだろうかという金・本多両氏の指摘はきわめて重要だ)。

  朝鮮半島統治において、日本はなにをしたか?

「財産も奪われ、国土も荒らされ(中略)、しかしそのどれも被圧迫民族が受けた一般的被害であるといえる。だが、西欧帝国主義がやっていないものに民族言語の問題がある。「日帝」は韓国語の抹殺をはかろうとした。(中略)日本帝国主義は韓国民族から言葉を奪い去ることで、民族そのものを地上から抹殺しようとしたことを意味しています。おそろしいことです。まことに残酷なことです。現在日本で売られている韓国への韓国案内書のうたい文句に、『日本語の通じる国』となっており(後略)」

(金大中氏。同書141〜142ページ)

  これは知っておくべき証言である。本多氏も繰り返し主張しているとおり、「言葉は民族にとって最大で不可欠の中核文化」(142ページ)だからだ。それを、「日本語も覚えよ」というのではなく「日本語だけを使え(母語を使うな)」という強制。なにしろ「たとえば日本語をわからない人と会っても(中略)朝鮮語を使ってはいけない。日本語を使わなかったらなぐられる、処罰される」(金大中氏。同書88ページ)だったというのである。これは、現代の日本人や韓国人らがファッションやビジネス、あるいは媚び、あるいは傀儡的な意味で“アメリカ語”を使うのとはまったく背景が異なる。いまのところは……。

  一方、朝鮮半島は歴史的にみて中国との関係も無視できないが、金氏のつぎの証言はどうだろうか。


「しかしいま『北』でさえ、中国とあれほど近いながらも漢字を使わないでしょう。韓国あるいは朝鮮も、歴史から漢字を抜けば文化が非常に抜けるわけで、それでも使わない。その大きな理由は、中国に対する警戒心からです」
(101ページ)

  正直、「それほどまでに?」と思わないでもなかったが、これもまた示唆に富む証言だとは思う。それほどまでにいまなお恐怖感を抱いているということかもしれないからだ。
  国家以前の民族としての韓国人とその文化を知る。同時にわが国や日本人との関係を理解する。あくまでも未来指向で。金大中氏のコメントには、そのためのヒントが山盛りなのではないかと勝手に考えている。……オマケとして(?)、対談のなかでもっとも恐ろしかった金大中氏によるつぎのコメントを引用しておこう。


「日本はかつての帝国主義に逆戻りをする可能性がある」
(121ページ)

  帝国主義云々は微妙なところかもしれないが(そもそも“宗主国”が黙っていないだろう)、「逆戻り」という点では、対談から41年を経ていよいよ現実味を帯びてきている。

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「この本を出されてから、韓国への入国に問題があったりはしませんでしたか?」
「大丈夫ですよ」
  著者の康煕奉氏に、本書『こんなに凄いのか!  韓国の徴兵制』(スリーエーネットワーク刊)をめぐるやりとりのなかで訊ねた問いと答えである。つい、そんな下世話なことを訊きたくなったほど、本書には生々しい証言や取材内容が刻まれているからだ。

  いうまでもなく、韓国には徴兵制度がある。しかし、その実態はわれわれ日本人にはわかりづらい面が多々あるように思う(もっとも、自衛隊だって外部の者からすればブラックボックスのようではあるが)。それは、とうの韓国人にとっても通ずることであるのが本書には示唆されているが、在日韓国人である著者にとってのその思いは、たしかに「日本人にはゼッタイわからない」ことなのかもしれない。国によって命令される軍隊への入隊。それは、2年以上にも及ぶ拘束生活であり、“シャバ”との隔離でもある。祖国防衛という錦の御旗があるにせよ、そこで課せられるのは破壊と殺しの訓練ではないか。そして、日本で暮らす著者があるとき親戚筋から指摘されたのである。
「おまえは韓国で生まれたことになっているんだよ。だから戦争にも行かなくちゃならないかもな」
  それまで、日本で生まれ育ち、「徴兵制とはまったく無縁だと思っていた」著者にとって、それは恐怖以外のなにものでもなかったようだ。しかもときは朴正煕による軍事独裁政権下である(いうまでもなく、現大統領のご父君)。「(ベトナム戦争で)韓国軍がベトナムで非道のかぎりをつくしている」(72ページ)という軍隊に徴集され、戦場に送られるかもしれない……。事実は徴兵される可能性などなかったというが、これが著者が祖国の軍隊について考えてゆくきっかけになったのである。

  とはいえ、本書のベースはニュートラルである。微妙なテーマを、著者自身の問題として捉える一方で、政治的なプロパガンダの類は一切排除されている。それゆえ、祖国の徴兵制をめぐる社会について冷静な視線を保つ。それは祖国に対して善意のバイアスをかけないということにもつながる。


・空腹と暴力の世界
・徴兵制の仕組み
・兵役の代替制度
・兵役問題が大統領選挙を直撃
・陸軍大将も兵役を不正に操作
・経済危機で入隊希望者が急増!
・民主化活動家への報復
・選挙投票への圧力
・韓国の学歴社会は軍隊よりひどい


  小見出しのいくつかを抽出してみたが、それぞれ赤裸々に事実がえぐり出されている。そのなかからランダムにフレーズを取り上げてみよう。


  権威主義が横行する韓国では、「貧乏人が軍隊へ行くものだ」とふんぞり返っている金持ちや特権階級が多い。そんな連中が政治を仕切っているのだから、政治浄化も掛け声だけで終わりそうだ。(106ページ)
「入隊したとき、最初に驚いたことは密告を奨励させられたことだった。(中略)中味は『大学で自分の友達が何をしたか』『知り合いで学生運動をしている人間がいるか』(中略)本当のことを書かなければただじゃおかないとすごく脅かされました」(112ページ)
「(軍隊では)100%近く全斗煥政権を支持するような票が集まっていました」(114ページ)


  このように、なかなかに刺激的なのだ(もっとも、密告の強制については西日本のどっかのチンピラが狂犬おっと強権を発動しようとしていMASITAなァ。組織票については「必ず自民党を支持するようにされています」、すなわち組織的に自民党への投票を誘導していたとある警察官の家族から話を聞いたことがあり、それは自衛隊も同様であろう。その人物の話によれば、選挙については体制を保守するという名分があったようだが、それだとしても与党をではなく自民党をというところが興味深い。韓国の軍隊は、それまで統治してきた日本軍を手本にするほかなかったという話もあるが、だから似てしまうのだろうか?)。

  そして、語られてゆく兵役経験者たちの体験の数々。彼らなりの兵役体験の総括として、たとえば「人間的な成長」への“イニシエーション”として肯定的に捉える人物と真っ向から否定する人物とが登場している。部外者からみて、ともに納得できる面のある談話だが、しかしそれが己の成長に一役買っていたとしても、軍隊である必要はないのではないか。著者も言う。
「徴兵制がない社会が理想の姿だ」
  そして、そのためになすべきことは……。

  といった硬派な内容なのだが、ディープコリア的なできごともある。新兵訓練所のある論山に繰り出した康氏、タクシーに案内を頼んだのはいとして、それがとてつもない「暴走タクシー」だったという(まぁ、大韓名物かもしれないが)。ムリな追い越しなどお手のもの。ついにはトラックと正面衝突しそうになって悲鳴を挙げたほどだというのだが、ケッサクなのは運転手と別れるときだ。運転手がくれた名刺がハングルのみだったため、漢字を教えてもらおうとしたところ、とうの運転手が平然と答えたという。
「悪いな。目が悪いんで字がうまく書けないんだ」
  ぁあ、イイ話だなァ……。ともあれ、隣国の暮らしや実情を垣間見ることができるおススメの1冊である。

  ついでに……。ご存知の方も多いとは思うが、ソウルには「戦争記念館」という巨大施設がある。古代から現代に至るまでの“祖国防衛”の歴史などが資料やジオラマ、映像などを用いて展示されている施設だ。そういう施設なので、わが国との関係も展示され、日本人にとっては見心地のよくない内容ももちろん含まれているが、2度ほど見学したところでは、そうした部分(仮に誇張があったとしても)については納得できた。中国大陸との関係も然りで、ある民族が祖国と民族とを侵略から守ることになぜ文句がつけられようか。しかし、ベトナム戦争以降、おもにアメリカ合州国の片棒を担ぐようになってからの展示には、いささか「ザラリ」としたものが感じられた。そんなものは祖国防衛とはなんら関係がないハズだと思ったからだ。そのあたりも、いずれは康氏をはじめとする韓国人に率直な話を訊いてみたいと考えている。

  もうひとつついでに……。近年、韓国ドラマなどが注目されたなか、俳優やタレントらが入除隊したなどといった話題が自然と流布されている。じつは、“韓流”という言葉が生み出された当初、こうした話題も盛んに輸入されたことなどから、「ひょっとすると徴兵制に慣らすための布石では?」と勘ぐったことさえある。どうやらそれは妄想に過ぎなかったようだが、しかしせっかくなのだから隣国の素顔に触れ、自国や自分自身のためにフィードバックしてもいいのではないかとも思う(個人的に、韓国旅行や韓国ドラマなどに関する寄稿も多いが、“韓流”という言葉は、次回触れる「世界遺産」と同様に特別な事情がない限りは意識的に使わないようにしている)。

Aikanmajimak

  ところで……。数年にわたり寄稿を続けてきた雑誌「愛してる!! 韓国ドラマ」が、夏の号で廃刊となってしまった。これは、単に韓国ドラマの人気凋落──というワリには相変わらずの放映本数だが──の影響ではなく、おもに販売上の裏事情がからんでの顛末のようだ(そのあたりの経緯は割愛します)。前出の康煕奉氏が企画・編集をとりまとめてきたが、個人的に愛着のある雑誌だったので残念至極。新たな展開を祈念するととともに自らも精進しゆくほかはない。

  それはそれとしても、韓国人役者のたとえばイスンジェやイムヒョンシク、キムガプス、イドックァ、キムヘソン、キムヨンオク……etc.といったベテラン勢が現役で活を飛ばしているのをみると、役者(だけではないが)ってのは現役だからこそ輝くのだなぁといつも思う。あえて名前は挙げないけれど、事情はどうあれ、いかに名優であったとしても若くして過去の人を決め込んでしまってはおしまいである。……その話とは異なるが、いぇすらにもうひと花咲かせてもらいたいというのは個人的な事情(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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