2024.03.10

新刊のお知らせ・・・の巻

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 3月19日、拙著『アジアの鉄道旅行入門(旅鉄HOW TO)』(天夢人・山と渓谷社)が発売となります。
 タイトルどおり、海外の鉄道旅初心者やこれからチャレンジしてみようという方向けにごく基本のことがらなどを汽車旅目線でまとめてみました。また、各国とも1編ずつ紀行文を収録。うちラオスでは2021年に開業した中国ラオス鉄道の旅模様を取り上げています。
 旅のおともや参考書として、あるいはちょっとした息抜き読書に、お手に取っていただければ幸いです。

●内容●

序章:旅をはじめる前に
海外鉄道旅行の楽しみ/計画を立てる/パスポートとビザ~出入国の流れ/持ち物はどうする?/言葉はどうする?ほか
第1章:台湾の鉄道    台湾を知ろう/準備編/現地編
   紀行──台湾近郊の秘境路線で過ごした日
第2章:韓国の鉄道    韓国を知ろう/準備編/現地編
   紀行──新路線を活かし韓国北東部を周遊
第3章:タイの鉄道    タイを知ろう/準備編/現地編
   紀行──夏の記憶を歩く~メークロン線の小旅行
(コラム)ミャンマーの鉄道/カンボジアの鉄道
第4章:マレーシアの鉄道    マレーシアを知ろう/準備編/現地編
   紀行──熱帯の暮らしを運ぶジャングルトレイン~サバ州立鉄道
(コラム)シンガポールの鉄道/インドネシアの鉄道/イースタンオリエントエクスプレス
第5章:ラオスの鉄道    ラオスを知ろう/準備編/現地編
   紀行──ラオス中国鉄道がラオスを駆ける
(コラム)中国の鉄道/ベトナムの鉄道

 

 

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2023.12.25

東日本旅客鉄道株式会社の大いなる勘違い・・・の巻


 JR東日本京葉線の快速運転廃止が物議を呼んでいる。
 すでに、ネットやテレビニュースなどで重ねで報道されているし、個人的にはJR東日本がどうなろうと前向きな関心を持っていないので、ここで取り上げるつもりはなかった。
 そんなさなか、いまさっきふとつけたテレビニュース(NHK首都圏ネットワーク)を見て、あの会社の勘違いぶりがあらためて理解できたので、少しだけ触れてみることにした。

 この問題は、JR東日本が来年3月実施予定のダイヤ改定において、京葉線(外房線と内房線との直通を含む)の「通勤快速」と「快速」を廃止するというもので、千葉市などと都心との所要時間が目に見えて延びることなどから、利用者はもちろん、千葉県や千葉市など行政からも抗議の声が挙がっているというものだ。

 詳細は割愛するが、オレが目の当たりにした同社の頓珍漢ぶりについて触れておこう。
 この問題を受け、同社千葉支社の土沢壇支社長がこうのたまったのだ(要旨)。

 すなわち、
「利用者や自治体は、わが社の〝ダイヤ改正〟の意をくんで理解せよ」
「そのうえで、〝ご愛顧〟いただきたい」

 である。

「理解しろ」というのも毎度のことながら傲慢きわまりないが、オレが注目したのは同社が言うところの「ご愛顧」である。
 アホか?
 日常的利用者のすべてが〝ご愛顧〟のうえ同社(だけではないが)の鉄道を利用していると本当に思っているのだろうか?

 もちろん、なかにはそういうムキもあろうし、旅行などであえて同社を愛用している人(オレもかつてはそうだった)もいるかもしれない。しかし、通勤・通学利用者の多くは好き好んで同社──もちろん京葉線を含む──を利用しているのではないだろう。むしろ、ほかに適当な公共交通機関がないなどの事情から同社を利用せざるをえないというのが大方の実情ではないのか?

 オレ個人のことをいえば、日ごろの打ち合わせなどで都心に赴くさいは、同社の利用距離(カネ)を極力少なくす算段で望んでいる。すなわち、利用できる区間は、たとえ所要時間に(若干の)延びがあったとしても東京メトロや民鉄路線を利用しているのである。しかし、それでもほかに選択肢がないため同社を利用せざるをえない区間があるが、場合によってはあえて自動車を運転することだって少なくはないのだ(ガソリン代高騰の折に我ながらバカですなぁと自嘲するのだが・笑)。ぁあ、仙台や長野程度だと致し方ないが、秋田や青森以遠になると、第一選択肢は航空である。

 それにしても、これでよーくわかった。同社には利用者の都合や要求、気持ちがまったく見えていないのだ。同じく問題となっているみどりの窓口の大削減や駅前駐輪場の撤去などもその流れのなかにある。オレはそう〝理解〟した。
 利用者のすべてが〝ご愛顧〟しているワケではない。また、〝ご愛顧〟しているがゆえに同社を利用しているワケでもない。
 同社には、そこのところを〝理解〟してもらいたいものだ。
そのうえで、本当に愛顧される公共交通機関──公共インフラの一員──となるべく自戒していただきたいものだと思う。

 

※補足:株式会社は株主の利益のためにある法人ではあるが、公共交通や郵便、電力、ガスなの必要不可欠な公共インフラに携わる者は、はたしてその〝原則〟が適用されるだろうか? 極論すれば、「(同社に限らずJRグループは)鉄道を金儲けの道具にするな」である(利益を出すなという意味ではないので念のため。ついでに言えば、金儲けするのは何者かということになる)。オレが言うところの〝資本主義小児病者〟あるいは〝新自由主義小児病者〟には、そのあたりについて反芻してもらいたいものだ。

 ついでのついでに言えば、利用者や自治体が大きく反応してくれていることに、JR東日本は感謝すべきであろう。それだけ自社が生活の足として重要に位置づけられている証拠だからだ。しかし、そんな〝理解〟をあの会社に期待するのはヤボというものだろうか……。


 

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2023.06.13

新刊のお知らせ・・・の巻

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  新刊『寝台特急「北斗星」「トワイライトエクスプレス」の記憶』(発行:天夢人/発売:山と渓谷社)が、6月19日より発売となります。
  本州と北海道とを結んだ〝スター列車〟の乗車記を綴りながら、その足跡を辿ってみました。お手に取っていただければ幸いです。

●おもな内容●
・第1章:寝台特急「北斗星」との出会い 1989~1992
・第2章:特別な寝台車を堪能した時代 1993~1998
・第3章:もはや人生の一部と化した「北斗星」 1999~2008
・第4章:「北斗星」との別れ 2009~2015
・第5章:はじめての寝台特急「トワイライトエクスプレス」 1989~2001
・第6章:雑誌取材と寝台特急「トワイライトエクスプレス」 2002~2015

♨本書に登場するおもな乗車列車
  上野→札幌:北斗星1号「ツインDX」
  上野→札幌:北斗星5号「ロイヤル」
  苫小牧→新宿:北斗星トマムスキー「スーペリアツイン」
  上野⇔札幌:北斗星ニセコスキー「ソロ」
  上野→札幌:カシオペア「カシオペアツイン」
  札幌→大阪:トワイライトエクスプレス「ツイン」
  大阪→札幌:トワイライトエクスプレス「ロイヤル」
  ほか
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  おまけ♨
  東北本線名物車窓「腸にミヤリサン」を「北斗星」のB寝台個室「ソロ」からシュート。いとをかし(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?

 

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2023.02.01

渡航再開とボヤキ・・・の巻


 新型コロナウィルス感染症流行のあおりで、御多分に漏れず海外渡航を中止してきたが、3月から徐々に再開することにした。

 こういう情勢下ということもあり、しばらくは「取材は無駄の積み重ね」となる可能性が大きい。かといって引きこもりクセがついてしまうのも困りもので、取材のカンが狂いかねないのも恐ろしい。また、今回は現地の友人との再会も目的のひとつなので、ウォーミングアップのつもりで繰り出そうかと考えている。

 それはそれとして、航空券の高騰ぶりには恐れ入りMASITAねぇ。東京~クアラルンプール往復でおよそ13万8000円ナリ。これは燃料サーチャージが5万2600円もかかっていることが大きい。束の間、たまっているマイレージを使ってビジネスクラスで楽をしようかとも思ったが、それでも別途に6万円近く払うハメになるのが気に食わんということで、某社の正規割引エコノミークラスを購入した次第。ただし、払い戻しができないそうである(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

 コロナ騒動以前であれば、これだけのカネを払えば航空会社とタイミング次第でビジネスクラスで往復できましたなァ・・・とついボヤキが……。

 ついでに、一連の準備の一環として久々に日本外務省の海外安全ホームページをチェック。幸いにして渡航予定のマレーシア(マレー半島側)にはとくに危険情報はないようだ。

 そんなさなか、NHKBSで放映されていた「“銃社会”アメリカの分断」を見た。ほとんと日常茶飯事のごとく銃乱射事件をはじめとする銃犯罪が報じられるアメリカ合州国だが、ややもすれば取り返しのつきがたい“獣社会”と酷評してもいいのではないかとすら思ったものだ。

 しかし不思議なのが──ずっと以前から思っていることではあるが──件の海外安全ホームページを開いてもかの国の地図が常に空白状態だということである(件の番組では、アメリカ合州国では銃犯罪犯人が必ずしも摘発されていないという実態も紹介されていた。本当に先進法治国家なのか?)。

 たとえば、タイのバンコクは「危険レベル1」とされ地図には黄色く示されている。解説によれば、「首都中心部においても小規模な反政府集会が散発的に行われているため」らしい。もちろん知っておくべき重要な情報ではあるが、ではさて、アメリカ合州国で“テロ”を含む銃犯罪に巻き込まれるリスクと比較してどうなのだろうという気もする。

 あの国で万が一そんなものに巻き込まれれば、死亡を逃れたとしても莫大な医療費を背負うことになりかねないのもあの国ではないか(単に個人的な話ではあるが、訪れる機会の多い東南アジアや韓国、台湾などを訪れるさいは所持しているクレジットカードの付帯保険任せにしているけれど、アメリカ合州国に渡航することあれば、たぶんフルオプションに近いレベルの旅行保険を購入するに違いない。これはまぁ行く機会もないだろうが、アフガニスタンだのと同じ扱いである。後者向け保険が販売されているかどうかは確かめていないが)。

 なんというか、ごくごく素朴な感想として不思議でならないのである。せめて全土を黄色く塗って「十分注意してください」ぐらいの措置があってしかるべきなのではあるまいか? アジア系が標的にされたとの報道もあったハズだが。それとも日本人渡航者はあの国で危険な目に遭う確率が、バンコクの「反政府集会」におけるそれよりもよほど低いとするだけの根拠があるのだろうか。

 ・・・などとついつまらないことを考えてしまった冬の午後でありMASITA。


 

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2022.07.18

涅槃もどき・・・の巻

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  だいぶ古い本になるが、最近になって読んだ『秘境ブータン』(中尾佐助/岩波現代文庫・初出1959年)に時空を超えたナイスな皮肉が書かれてあったので以下に引用してみることにした。
(以下、前掲書42~43ページから引用)

> アッサムを結ぶ国有鉄道のマル・バザールの駅に着いたのはまだ七時前の雨の中だった。私達はうす暗い駅長室でランプをふけて朝食をとって列車を待ったが、定刻八時になっても列車の音さえしなかった。インドの汽車旅行はいつもこれだ。ただもう待つ以外の方法はない。どこで列車がどうなり、何時間おくれるのか、一切通信はない。たくさんのインドジンは何事もないように悠然として待っていて、怒っているものは一人もいない。彼らは時間や年月を超越しているのだろうか。インド人の考え方を哲学的に考察して、このような結論を出したのを私は読んだことがある。しかし私がインド人のインテリと、汽車を黙って待っていることについて話しあってみると、彼らは時間を超越しているので平然としているのではなく、どうすることもできないのであきらめているだけだ。「インドの鉄道はホープレスだ」 改善の希望のないところで、改善のための努力がないのは当然だ。(中略)日本のもう一つの国有企業であった電話をとってみると、その新設が普通の日本人にとって「ホープレス」になったまま、いつ自由に家庭に電話がつけられるか見当もつかないままだ。電話の新設申し込みが、十年以上待っても、つかないことは普通だ。それで日本人は電話の不自由のため郵政大臣の辞職をせまることなく、平然としているのだから、これも外国人から見たら、インド人が平然といつ着くともわかない列車の到着を待っているのと同じことだろう。
(引用ここまで。太字は引用者による)

「インド人のインテリ」(単体? 複数人?)というサンプリングが適当かつ十全かという問題や、オレ自身にとっても日本の電話云々が「本当にそんなザマだったのか?」と当時のことが理解しがたいという点はあるにせよ、この比較が面白い見方であることに変わりはないと思う。

 ところで本書。
 以前にブータンをかじってみたいとネットで書籍を調べてみたことがあるが、出てきたのは「幸せの国」がどうのというステロタイプの内容ばかりでガッカリしたことがあった。その後、本書など数冊の良著と出会えたのだが、ぜひ一読をおすすめしたい一冊である。


 

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2022.05.25

鉄道という存在・・・の巻


 2011年7月から不通が続いていた只見線が、今年10月1日に全線での運行を再開するという。同線は豪雨の影響で会津川口~只見間において複数の橋梁が流失するなど甚大な災害に見舞われ、現在も運休が続いている。報道によれば、JR東日本ではこの7月下旬から訓練運転を開始したい意向とのことで、ローカル線をめぐる久々に明るい話題ともいえるだろう。

 只見線は会津若松と小出間を結ぶ135.2kmの非電化路線で、断るまでもなく第一級の赤字ローカル線である。ややもすれば国鉄再建法下で廃止される可能性があったものの、沿線が屈指の豪雪地帯であり、かつエリアにおける道路整備が不十分であったことなどから廃止を逃れた経緯を持つ。さらに民営化後も度重なる自然災害を蒙り不通が続発するなど、ひときわ厳しい経営状況にあることは想像に難くない。

 10月の運行再開にしても、会津川口~只見間で運行を予定していのるのは、1日わずか3往復という有様である。個人的に、日ごろJRグループに対し厳しい見方をしているが、今般の只見線の復旧についてはJR東日本の“英断”なくしてはなかったと思う。加えて沿線自治体や住民らの努力も大きな力になっているせよ、JR東日本の努力を賞賛したい気持ちだ。

 しかし、一方でJR西日本やJR北海道が各地で赤字路線の廃止を臭わすなど、ローカル線をめぐるキナ臭い話題には事欠かない状況にある。

 そして、そうした報道があると決まって「赤字だから仕方がない」だの「鉄道会社も営利法人」だのといった論が巷を賑わす。それは一面では誤りではないかもしれないが、はたしてそのとおりだと断言できるだろうか。

 JRグループはその一部が株式上場を果たすなど、いまやれっきとした民間企業として鉄道を中心とした経営にあたっている(大赤字で先行き不透明のJR北海道みたいな企業もあるが)。

 JR以外でも大小の民間企業が鉄道事業を運営している。それら民間企業の目的は「株主の利益」であり、あえて意地の悪い単純化をするのであれば、けっして地域住民や自治体、企業などのために鉄道を経営しているのではないだろう。

 しかし、国鉄を母体とするJRグループと、純粋な民間鉄道企業との間には大きな違いがある。

 国鉄は国策として交通インフラを拡大し整え、国民の足や物流の一端を担ってきた。その一方で、民間鉄道企業は交通事業を担うと同時に、自らが「まちづくり」の主役を率先してきたという一面がある(すべての企業がそうだとは言わない)。その「まちづくり」にしても利益を出すという目的はあるにせよ、鉄道などの交通網を整え、沿線郊外などに大規模な宅地を開発し、商業施設や文化施設なども整備するなど暮らしの環境を整えてきた。対する国鉄は、わが国の鉄道網の核として全国津々浦々に路線(鉄道・バス・船舶)を築いたものの、「まちづくり」の任は国策として背負わされず、したがって住宅地開発や独自の商業施設などで利益を確保することが叶わなかったという違いがある。いわば民間鉄道会社が総合企業だったのに対し、国鉄は交通専門企業体だったのだ。

 なにが言いたいか?

 JRグループ(第3セクター鉄道を含めてもいいかもしれない)とそのほかの民間鉄道はそもそもの役割が異なっていたハズなのである。純粋に「株主の利益」が最大の目的であった民間企業と、国策として国民・国土の交通部門を担うことを目的としてきた国鉄。それが国策によって民営化されたからといって「株主の利益」を目的としていいというハズがない(これは郵政や通信、電力などさまざまな分野に共通する)。また、いかに大赤字を抱えての“起業”だったとしても、その原資は国民の財産だったのである。

 この解釈は、JRグループが赤字を理由に自社路線を廃止していいのかという疑問につながる(もうひとついえば、国鉄から経営を引き継いだ段階である一定以上の赤字路線の多くが切り捨てられたか切り捨てを前提としていたではないか)。やや単純化にすぎるかもしれないが、昨今のJR西日本による一方的な「赤字宣言」は自らの存在意義と役割を本質的に理解していないがゆえの暴挙であり、「民営化」とともに勘違いが生じたのか、極度の「カネモウケ小児病」を患っているとしか思えない(ついでにいえば、その「カネモウケ小児病」の顛末のひとつが、あの福知山線脱線事故であった。鉄道ではないけれど、知床における観光船事故もそのひとつかもしれない)。

 最近ネットで見た「論」のひとつに、ローカル線を残すことを目的としていうのはどうかというものがあった。それに直接的に関連しているワケではないが、反論の代わりとしてつぎの一文を引用しておきたい。

>鉄道というのは、単なる乗りものではなくて、制度なんです。(中略)自動車は、文字通り乗りものです。運搬の手段です。しかし、汽車は制度です。鉄道が敷かれるということは、単に運搬の手段が出来るだけでなく、一つの文明が来る、制度が来る、秩序が来るということを意味します。だから人々は、自分の町に鉄道がくると安心する。そういう意味で、鉄道は常に、定着なり、安定なりをめざすものなのです。

>鉄道はそもそも、町をまとめあげる方向に働きます。駅でしか乗れないのですから、その周辺に否応なしに人が集まるわけですね。一方、自動車は、どこにでも止まれますから、町を分散させる方向に働きます。つまるところ、町とか、タイムテーブルのような制度をつくり上げるのが鉄道ですから、これはまさに、町、制度としての「市」にほかならない。(『椰子が笑う汽車は行く』宮脇俊三/文春文庫の巻末解説から山崎正和さんの発言より引用)

 この発言のすべてが、赤字云々の議論に当てはまるかどうかはともかく、鉄道の立ち位置、その存在意義の一面を鋭く捉えていると考える。

 鉄道や駅がなくなったからといって──そもそも、せっかくあっても乗りもしなければ駅にすら訪れないということは、残念ながら当然のようにある──大きくなにが変わるワケでもないのかもしれない。しかし、引用した発言の語るところについて、何度立ち止まってもいいから、自ら反芻してもいいのでかないだろうか。


 

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2022.03.14

鉄道利用の分岐点・・・の巻


──JR某社の幹部からこんなことを言われたんです。

「ウチの新幹線は、とにかく若い女性のお客が少ないんですよ」

 だから言ってやりました。「そんなの当たり前ですよ」とね。

 これは、某鉄道会社の幹部との“雑談”のさなかに出てきた話である。半ばオフレコに近い話ということもあり各社の具体名は控えさせていただくが、極めて示唆に富む重要な話題であった。

 某幹部は指摘したそうだ。

──そもそも、若い女性客がおたくの列車を好んで使ってもらえるような仕掛けをしているのですか?

 ここでは若い女性客となっているが、もちろんそれだけで済む話ではない。そうした半ばソッポを向いている客層は、子どものころから鉄道など二の次。家族旅行やちょっとした所用の足となるのはもっぱらマイカー。通学や通勤には鉄道を利用せざるをえないかもしれないが、もし選択の自由があるとすればどうか。

 遠距離であれば、いまや航空利用のほうが新幹線など鉄道よりも割安になるケースがごくふつうにある。LCCの拡充も然りだが、フルサービスキャリアにしても割引運賃が充実し、宿泊施設とのパッケージ商品も割安。空港と発着地とのアクセスというビハインドがある区間も多いが、所要時間でもある程度以上の距離を超すと圧倒的に航空のほうが有利だ。

 オレ個人のことで言うならば、かつて各地に寝台列車が活躍していたころは長距離の移動に好んで利用していた。オレ自身が汽車に乗るのが好きということもあるが、上野と札幌とを結んでいた「北斗星」や上野~青森間の「あけぼの」などは、その列車があるからこそ北海道や北東北を好んで旅行先にしていたともいえる。

 しかしそれらの素敵な列車が姿を消し、ではさてその代替品としての新幹線を利用するかといえばしないのである(東京~秋田間などは利用の可能性はあるが、東京~新函館北斗間などにその列車の“取材”目的以外であえて乗ろうという気はまったくない)。高いしかったるい。そうなればもう航空にたよるほかはなく、現に九州はもちろん関西ですら航空が第一選択肢になってしまった。そのほうが安くて快適だからだ。

 夜行を含む都市間バスも十分に市民権を得ている。新幹線と比べ格安なだけでなく、設備のグレードアップも盛ん。夜行便であれば実質的な移動時間と宿泊貧の節約にもなる。

 一方、鉄道はどうか。中長距離で検討するとなればやはり新幹線をはじめとするJR特急ということになろうが、航空と比較して強気の運賃・料金であることは否定できない。一部に割引切符やパッケージ商品もあるにはあるが、航空や都市間バスと比べればとても「やる気」があるとは思えないのである。強気の特急料金だけでなく、国鉄時代からの割引乗車券の代表格であった乗り放題タイプ(かつての「周遊券」など)は気がついてみれば、つぎつぎとその姿を消している。言い換えると高い交通手段と捉えかねないのである。

 つい先日、仕事の資料で東海道新幹線の公式データ(JR_MEDIA_GUIDE_2021・ジェイアール東海エージェンシー)を利用させていただいたが、それによれば東海道新幹線の利用目的別では、ビジネスが63.8%、観光はわずか12.4%に留まっているという(山陽新幹線ではビジネスが55.4%、観光が19.0%)。

 このデータは昨今の新型コロナ禍という状況を無視できないだろうし、そもそもビジネス利用が飛びぬけて盛んな都市間を結ぶ鉄道ではある。だが、東海道新幹線を運営するJR東海はビジネス以外の利用者、とりわけ観光利用についてどのような本音を持っているのか気になるところではある。

 話を戻すと、その某幹部は子どものうちから鉄道に親しませることの重要性を指摘し、それがひいてはその人生のなかで鉄道を利用していただくことにつながるなどといった話をしたという。

 もちろん地域性や生活や仕事など個人差も無視できないだろうとは思うが、少なくともいえるのは、鉄道に親しんでもらわなければ、自然と選択肢のなかで影が薄くなるに決まっているということである。

 さて、小田急電鉄が面白いことをはじめた。

 ICカード式乗車券利用が前提ながら、子ども運賃を一律50円にしたというのである。小田急といえば、沿線に箱根などを擁する観光路線でもある。新宿~小田原間だと正規の小児運賃は760円。なんと710円引き93%オフである。

小田急電鉄「小さなお子さまと一緒」

 同社によれば、沿線人口が減少傾向を見せるなかで「子育て世代を応援」し、沿線に同社を使って出かけてもらいたいといその仕掛けだという。同時に「子育て応援車」導入。これは車両内外に専用のステッカーを貼り、子ども連れ乗客が安心して利用できるようにはかったものだ。とくに大幅な改造などをするわけでないが、いわば乗客同士が譲り合えるような演出を鉄道会社として打ち出したということなのであろう。

 まさに然り!

 こうして、これからの世代に鉄道に乗るという生活感を育むことが大切なのだ。将来の鉄道利用者を育てるという意味においても、非常にユニークな取り組みだと思う。
 個人的にも、その展開を見守ってゆきたい。


 

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2022.01.31

旅の綴り方を“読む”・・・の巻

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『ぶらりユーラシア 列車を乗り継ぎ大陸横断、72歳ひとり旅』(大木茂/現代書館)を一読。

 じつはこの本、相棒の写真家・ヨネちゃんこと米山真人さんからのプレゼント。著者はヨネちゃんのお師匠さん。この旅のさなかから友人・知人などごく限られた範囲で旅の模様をメール配信していらしたのを、何度かスマホ画面で見せてもらったことがある。

 そのさい目にしたのがタジキスタンやトルクメニスタンなど、いささか馴染みが薄く、かつ訪れるのが困難な部類に入る国だったりしたのだが、齢70を越えてなお旅と写真に徹するという事実にある種の感銘を受けたものだった。そのときはごくプライベートな旅だとヨネちゃんから聞かされていたものの、いずれ書籍になるのかもしれないという期待を持っていたところに、今回の邂逅となったのである。

 旅は表題のとおり、ユーラシア大陸を鉄道乗り継ぎで横断するというもの。

 鉄道好きであれば、憧れている人も多いのではないかと思うが、なにはともあれ世界を股にかけた汽車旅にはロマンがある。

 オレ自身も20代のころにこれに類する夢を抱き計画をスケッチしたこともあったが、果たさないでいるまま……。一方で、こういう旅を実践する人も案外少なくはないのかもしれない。本書の冒頭でも触れられているが、バックパッカーの御大・下川裕治さんが2010年から翌年にかけてユーラシア横断汽車旅に挑戦、その結実である『世界最悪の鉄道紀行 ユーラシア横断二万キロ』(新潮文庫/写真:阿部稔哉)も楽しく読んで、このブログで紹介したことがある。両著は始終ともにほぼ同一である一方で、若干ルートが異なることや、旅の志向、旅をめぐる視点の違いなどから、両著の読み比べもまた面白いと思う。

 そのほかにも鉄道を含む陸路でのユーラシア横断や世界一周を果たした人や著作類も散見されるが、言うまでもなく、こうした著作物にしていない旅のほうがよほど多いに違いない。言い換えると、ユーラシアを鉄道主体で横断するという表題としての価値や面白さはという点で──なにもラインホルトメスナーのようにまでストイックになろうとは思わないにせよ──、もはやこうした“旅”にパイオニア的な価値はほとんどないのかもしれない。

 けれど、旅を巡ってなにをしたか、なにを感じなにを思ったのか。それを表現したいという思いに対しどのようにケリをつけてゆくのか。まだまだ自問がつきまとってゆくのだろうなとも思う。

 さて、本書『ぶらりユーラシア~』を開いて、文章と写真とがほぼ対等な関係にあることに新鮮な思いを抱いた。

 鉄道ものに限らず、紀行文に写真が必要なのかどうかという議論はあるかもしれない。鉄道紀行の御大・宮脇俊三の著作では、一部を除き写真がまったく挿入されていません。沢木耕太郎の名著『深夜特急』も完全に写真を排除しています(本著に関しては“紀行文”かどうか意見の分かれるところかもしれないが)。ただ、写真のおかげでより理解を深められたり、想像が拡がったりすることはあるし、オレ自身が写真を見るのが好きなので、そういう意味でも本書を開く楽しみがまずあった。

 ところが、読みはじめて間もなく、写真と文章との対等な関係に気づかされたのである。文章を読むのと同じぐらい、写真への没入が起きる──要求されていると言ってもいいかもしれない。本書は500ページを越える大著だが、写真が多いことと、旅そのものの面白さと軽妙な文章とがあいまって、その気になれば即日に読了したに違いない。しかし、あえて少しずつ読み重ねてゆくほうが、この“旅”にふさわしいのではないか。そう直感したのである。

 そこで1日ごとに1章を読み進めることにした。それも寝床に入ってからである。おかげで文章と写真とともに、のんびりたっぷりと堪能できた。

 ちなみに著者の自称は「在日アジア人」。このことはヨネちゃんからも聞かされていたが、単純に同意したくなるとともに憧れも抱く。その「在日アジア人」から見た街や人──そこここで出会う庶民もあれば、駅や国境、役場などで遭遇せざるえない官憲なども──、国家、そして歴史などがどのように描き出されているか。

 ときには辛口も飛び出す。とりわけ中華人民共和国でいやおうなしにつき合わざるをえない役人(駅員などを含む)らへの厳しい視線。官憲が庶民を権力で押さえ込むことによってささくれ立つ人情。ネット制限など自由社会からの情報遮断については「中華人民共和国主席・習近平に代わりましてお詫び申し上げます」との皮肉も飛び出す。

 一方で、中国・ハルビンでは「安重根戦士記念館」を訪れるのだが、日本の為政者が「テロリスト」と切り捨てた安重根に対し、安に殺害された伊藤博文もまた日本国内でテロを敢行し権力者への道を歩んだことを指摘している。安を100%擁護しようなどとは思わないが、伊藤だってけっして褒められた権力者ではなかった。事件に至った歴史的背景を十全に検証しようともせず、一方を都合よく「テロリスト」と決め込む。そういう態度は歴史や現在、未来に対し不誠実極まりないと思うのだが、著者の指摘は手厳しく的を得ていると考える。
イランでは人々の温かさや生き生きとした文化、深い歴史などに触れ、同国を「悪の枢軸」と決め込んだ米国の為政者らを真っ向から非難している。史跡見物にさいしガイドと称する監視人がピッタリとついていたりもし、けっして自由な世界ではないのだが、喧伝されてきた内容との違いに思いを馳せている。なにをよりも、そこで暮らす人々と触れ合って、だ。

 本書でも幾多にわたり記述されているように、人やモノなどとの出会いやすれ違い、経験はごく一面にすぎず、それをもって「こうだ」とするのは誤解の元ではある。だがそれでもなお、訪れたからこそ、触れ合ったからこそ実感できることは山ほどあり、それこそが旅の面白さだと思うのだ。

 ついでながら、中央アジアは「美人」の宝庫という俗説がある。オレ自身、中学生のころだったか、とある雑誌で読んだキルギスの紹介記事に添えられていた女性の美貌にショックを受けた覚えがある。残念ながらその雑誌そのものが行方不明なうえに、いま見たらどう感じるかということもあるのだが、本書を寝床で開いていて、そこに並ぶタジキスタンなどの女性に目を留めつつ「やはりそうだったか」と納得しかけた。ところが、昼間の明るいところで再び開いたらさほどでもなかった(笑)。いや、それは期待が大きすぎたからで、皆一様に素敵な女性に思えたのだが。

 長くなってしまうのでこのへんにしておくけれど、年頭にいい本と出会えたなと思う。

※今回の記事はインスタグラムにもダイジェスト版にてアップいたしMASITA。


 

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2022.01.01

謹賀新年2022・・・の巻

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 おっと、タイガー!~大韓慶尚南道南海島にて。
 本年もよろしくお願い申し上げます♨

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2021.12.08

野生の王国・・・の巻

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 ある意味で「古典的名作」ともいえるので、遅ればせながらという感じだが、『ゴリラとピグミーの森』(伊谷純一郎・岩波新書)を一読。このアフリカ冒険譚に非常な興奮を覚えつつ、一気に読みきってしまった。

 本書は、1958年から3度にわたり実施された財団法人日本モンキーセンターによるアフリカ類人猿学術調査のうち、1960年の第3次調査の体験をまとめたものである。学術調査を舞台としているものの、著者によって紀行文として仕上げられており、予備知識等がなくても十分に楽しめる内容となっているのも特筆できるだろう。

 当初、調査の中心はコンゴのマウンテンゴリラだったというが、折り悪く「コンゴ動乱」(1960~65年)が起き、ウガンダが調査の中心舞台となった。

 まず、ケニヤのナイロビに到着した著者は、その街を素直な目線で活写。調査の下準備として、自動車の調達や運転手の雇用、欧米から現地に入っている研究者らとのコンタクトなどを描いてゆく。こうしてジャングル深くに分け入ったのちも現地住民たとのふれあいやかれらの暮らしぶりなどを丁寧に描き出される。ジャングルに舞い拡がる蝶の群れ。考えてみれば、そんな情景を目の当たりにしたこともなければ、今後の人生にあって遭遇しうるのだろうかとも気づかされた。そうして描写されてゆく場面のひとつひとつがリアルに浮かび上がってきたものだ。

 表現の巧みさも目を見張るものがあった。一例だけ挙げてみよう。現場はタンザニア西部のタンガニイカ(タンガニーカ)湖である。

不吉な予感が胸をかすめた。わたしはすぐに写真を二枚ばかりとり、時計を見た。十二時四〇分だった。
 わたしは、人々の驚嘆の声にさそわれるようにして、舷側から首を出して、空を見て驚いた。真っ黒な雲の一部から、まるで一本の鍾乳石のような、白い円錐形の雲がたれさがり、それが見るまに次第次第に長くなってゆく、そして、二ー三分間で、水面の盃状のしぶきと完全につながり、空と湖をつなぐ見ごとな柱になって、大量の水が急速に回転しながら、空に上りはじめた。しかも水面での回転はいよいよ急速の度を増し、柱が水面に接しているところの盃状のしぶきは、相当のスピードで船の左舷の方に向かって走りはじめた。雲にくっついた方が固定されていて、水面に接した方が動く。それはあたかも、天空からたれさがった一本のひもに、地球がつながれ、振り回されているかのような錯覚をおこす風景った。
(291~291ページ)

 この場面を含み、要所要所で写真も添えられている。そのひとつひとつもまた興味をかきたててくれる。

 本書が出版されたのは1961年8月。手にしたのは第13刷(1970年9月)だが、ネット古書店から届いた本は、新刊のように折り目ひとつない美しいものであった。読後に、さっそく著者の別著作をネットで検索したのだが、新刊、古書とも流通が乏しいのが残念。時間がかかってもいいから、ぜひとも著作を盲羅したいものだと思う。


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 話かわりますけど。
 相も変わらずネズミを片づける日々なのであった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

 犯人はもちろん我が家のネコどもである。どこで捕ってくるのかはわからないが、生きたままひとの寝室に持ってくるのは辞めてもらいたいなァ……。

 そんなある日。朝っぱらからひとの寝室にやってきたヒメが、あまり聞きなれない声色で「にゃぁにゃぁ」騒いでいるのに起こされた。こういうときはだいたいよからぬことが起こっているもので、「・・・ったく!」と無言で悪態をつきつつベッドを飛び出してあらビックリ。


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 子どもたちに食わせるつもりだったのか、はたまた「いつも世話をかけるわねぇ。ネズミはアレでしょうけど、鳥ならイケるんでしょ?」とばかりにオレのところに持参したのかはわからない。

「あーあ……」

 と嘆きつつ片づけたその十数分後、こんどは階下からヒメが同じ声色で「にゃぁにゃぁ」騒いでいるのが聞こえてきた。イヤ~な予感とともに階段を下りると、同じ種類の鳥が犠牲になっておりMASITA……。

 つがいだったのかどうか。せめて子育て中でなかったことを祈るのみ。ヒメには「偉いね」とほめてやりつつも、鳥たちの冥福を祈りつつ庭に葬ってあげた。やれやれ・・・。

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