2023.01.08

内憂2023・・・の巻

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 昨年末、インスタグラムにアップした内容と重複しますが、年頭にあたって「内憂」という言葉が我が祖国にまとわりついているように思われてなりません。

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 画像は、ショスタコービチの交響曲第8番のスコア。

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 この演奏時間およそ1時間に及ぶ大曲は、俗に「戦争交響曲」とも呼ばれています。冒頭からすでに不安感に満ちた楽想が繰り広げられてゆきますが、ソナタ形式をベースにした第1楽章の展開部は、いままさに迫りくる戦争の実像と恐怖とが音楽によって描き出されているように感じられます。

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 この上の楽譜はその展開部導入後ほどなく現れる箇所を大譜表にしたものです。不協和な響きと低弦で刻まれるリズムが、やがて大きなうねりとなって世界を席捲してゆく。ショスタコービチの諸作品のなかでも、とりわけ傑作に部類できるのではないかと考えています。
●ショスタコービチ交響曲第8番第1楽章展開部から



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 ひとつ前に作曲された交響曲第7番は「レニングラード」の副題を持ち、ナチスドイツに包囲され、生活物資も絶たれるなかに完成し、ナチスによる総攻撃が予告されるなか催された演奏会は、市民や前線の兵士をも勇気づけたと伝えられています。
 

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 しかし、同時にショスタコービチが音楽に託したのは内憂に対する抵抗だったことは、注目すべき事実ではないでしょうか。それは7番につづくこの8番にも込められているに違いありません。
 ときはスターリン時代。ショスタコービチは、ほかならぬ祖国にもまた本当の敵が顕在していることを確実に見抜いていたのです。
 そしていままた、その内憂という言葉が、無視できない存在となっているように感じてなりません。ほかならぬ我が祖国において……。
 

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 この交響曲第8番のラストは、ハ長調の主和音、すなわち「CEG(ドミソ)」の透き通った和声に収斂され、遠く消えゆくように閉じられてゆきます。そこでそこはかとなく第3音(E=ミ)が、やさしさとともにその後に続く世界を予言しているかのような効果をもたらしています。そこに託された作曲者の本当の思いを感じ取れるような気がしてなりません。


 

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2022.05.07

酷評「酷評辞典」・・・の巻

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 本を買ったはいいが、ときおり「失敗した是!」と“散財”を悔いることもあるのが世の常。
 本書『クラシック名曲「酷評」辞典』(ニコラス・スロニムスキー編・藤村奈緒美訳/YAMAHA)も、残念ながらそんな1冊であった。

 この本、だいぶ前に買ったものの、すっかり忘れていたのだが、なんで忘れていたかというと、ほんの少しばかり目を通しただけで「もういいや」と本棚に突っ込んだままになっていたからであった。

 イヤな予感は最初からあった。
 ネット書店で遭遇し、「面白いかもしれん」と上下巻を注文しようとしたのだが、第六感が働いたといおうか、とりあえず上巻のみを購入。届いた本をさっそく開いてみれば「ぁあ、やっぱり……」と2090円ナリの出費に憮然とさせられたのでありMASITA。

 内容は、このオビに記されているとおり。当時の音楽新聞などに掲載された楽曲や演奏の論評のなかから、酷評ないしそれに近いものを集めて編集したものである。それそのものは面白い発想で、個人的にこの上巻(頭文字B~P)であればショパン(C)やバルトーク(B)などに興味がわくし、下巻(Q以降)だとショスタコービチ(S)などが気にかかる。

 だが、じつはそうした個人的にお気に入りの作曲家については、すでに知っている「酷評」も多く、すべてではないにせよとくに目新しい「事実」が編纂されているワケでもないのであった。また、とりたてて関心もなければ、その楽曲すらほとんどないしまったく聞いた覚えのない作曲家だったりすると、せっかく書かれてあることの話半分も理解しがたい(これはまぁ読者であるこちらの責任なのだが…)ということになってしまう。言い換えると、通読するような本でもないかもしれないのだ。

 くわえて、上下巻を揃えると4000円を超すことになるのだが、これはひとえに巻末──といっても全238ページ(奥付と著訳者紹介の2ページを除く)中55ページにもわたるのだが──にある索引(そのおよそ半分のスペースは「罵倒語索引」)によって嵩を増したためと見て取れるのだ。下巻の索引ボリュームは確かめていないが、こんなものでページを割くヒマがあるのなら、本文に譜例を挿入するなり、当時の音楽新聞を「図版」として掲載するなりすれば、よほど資料的価値が高まるというものだ。こんなザマなので、わざわざ上下巻にして利益を上げるために「索引」で割増したのではないかと疑いたくもなってくる。

 もちろん、集められた「罵詈雑言」批評にはユニークなものも多い。

 バルトーク ベーラの欄には、

>(前略)作曲家がブーツを履いて鍵盤の上を歩き回っている様子を表わしているのかと思うような、無意味な音の集まりで構成されていることがわかるだろう。(中略)鑑賞に耳が必要なものはない。(中略)バルトークの作品は、単なる排泄物にすぎない。(69ページ)

 などと、ケーセッキ安倍にでも言ってやりたい罵倒が連ねられていて苦笑してしまう(もっとも、オレは引用した意見には賛成しませんがね)。

 また、米国の前衛作曲家・ヘンリー カウエルに対しては、

>カウエルは、音群を発明したといわれている。ピアノを拳と前腕を用いて鳴らすのだという! 何を遠慮しているのだろう? 尻を使えばもっとたくさんの音が出せるではないか! (122ページ)

 という次第。

 ここで「音群」としてあるのは、一般に「トーンクラスター」と呼ばれているもので、ようはこの「酷評」で触れられているような演奏をいちおうは指す。

 ついでの話。そんな役に立つのか立たないのかわからないような豆知識があったおかげで、昨今のコロナ騒動で用いられている「クラスター」の意味は即座に理解できたものだが(笑)、これだって単に「集団感染」と呼べばいいだけの話ですな。このように、ごく最近では「トリガー条項」だのなんだのと、ワケのわからん新種のカタカナ語を用いる「報道」を見るにつけ、「こいつら、なにか誤魔化したいことでもあるのか」と疑いたくなってくる。ちなみに、大学浪人時代からの友人のラッパ吹きも、このトーンクラスターを思い浮かべたというから、豆知識だってバカには出来ませんね(笑)。

 話を戻すと、編纂されている罵詈雑言は確かに興味深く面白いものも多いのだが、にも関わらず本書に対しこうして罵詈雑言ばかりが浮かんでくるのはなぜか。編者あるいは原著のせいだろうか。それとも日本語版(本書)の編集のせいだろうか。一読者の感想にすぎないが、こうした罵詈雑言批評の背景──たとえば、当時の音楽スタイルや流行、そんななかでの作曲家の位置づけ、批評者自身についての人物像や評価など──とともに紹介されていれば、学術的にも面白い編纂物になったのではないかとも思うのである。

 まぁ、なんにしても個人的には大失敗の巻であった。御無礼!


 

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2022.03.02

ウルトラセブンがシューマン騒動を起こした(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)・・・の巻


 3週間ほど前だったか、友人の作曲家でらTから久々──たぶん1年ぶりぐらい──に電話アリラン。

でらT:もしもし?

オレ:久しぶり。ところでさ、ありゃぁなんだって“フォルテ”なんだ? “フォルティシモ”じゃなくて。

T:へっ……(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?

オレ:シューマンのピアノ協奏曲の冒頭なんだがね(笑)。

T:アレはオレが書いたとしても“フォルテ”にするな。

オレ:でもなぁ、あの最初のE音のトゥッティもそうだし、直後のピアノソロの和声とリズムの毅然としたところからするとねぇ……。

T:そもそも“フォルテ”なんて主観的な問題じゃん。それと、ピアノソロだけを見れば弱起なわけだし。──以下略。


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 某局で放映中の「ウルトラセブン」がいよいよ佳境。その最終回の見せ場といえば、「よっちゃん、あたし魔法使いなの」もとい、ダンがアンヌに自らの正体を告げる場面でありましょう(3月6・7日放映予定)。

 その場面で使われているシューマンのピアノ協奏曲がなんとも効果的というのもファンには有名な話。いつぞや紹介した『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』(青山通/文春文庫)で件の演奏がディヌ リパッティ(ピアノ)とヘルベルト フォン カラヤン(指揮)、フィルハーモニア交響楽団による録音だと知ったのだが、「それでは……」とネットショップを検索したところ、そのリパッティ&カラヤンの演奏がなんとウルトラセブンのジャケットで世間に流布されていることが判明。さらにこんなCDが出ていたことを知り、「まずは」ということでさっそく購入したのであった。

 すると、このブツが届いたまさにその日のィ夜、でらTから電話がかかってきたワケで、こちらとしては格好の餌食。久々に電話をかけたってのに、前置きもなくいきなりわけのらからん話題を振らるハメとなるワケだ。

 しかし対するでらTもさるもの。ほんの数秒後にはなにごともなかったかのように議論になってるんですからねぇо(^ヮ^)о まっ、ヤツとしては「またか……」というところだったのかもしれないが。


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 で、その問題の「フォルテ云々」は冒頭のピアノソロ(上画像=ピアノソロのみ抜粋)。いきなりの増3和音(コードネームでいうとCaug)は臭おっとシューマンの好むところ──パリ音楽院などの和声学でも「シューマンスタイル」として認知されている──。ここでもある種ショッキングな効果を産んでいるのだが、それだけに「フォルテ」というやや控えめな演奏指示──しかも2音目にスフォルツァンドがついているではないか──に違和感を覚えたのであった。

 もっとも、あらためて件のCDに収められているリパッティの演奏を聞いてみれば、無闇な強奏にはもちろんなっていない。

 一方で、この楽曲全体で見てもフォルテ以上の強奏指示は第1楽章では再現部の移行部に1カ所とカデンツァの入り部分に1カ所。たったその2カ所にすぎない。以降は第2楽章では皆無、終楽章では5カ所にフォルティシモが見られるが、全体的に控えめな印象なのである。

 では、シューマン自身がそんな控えめな表現を好んでいたかというとそういうワケではなく、すぐ手元に引き出せた「クライスレリアーナ」や「ファンタジー」などを見ても多彩な強弱記号が用いられている(「クライスレリアーナ」の冒頭では「ピアノ」による左手の分散和音に対し、右手の旋律側に「フォルティシモ」が施されていて興味を引く)。

 もっとも、そんなことが気になりだすと、曲頭のAllegro affettuoso(速い速度+情感豊かに)のほかになにか発想標語が記されてあってもいいような気もする。第1楽章全体のムードとしてAllegro affettuosoはふさわしいと思うが、この冒頭の効果的なパッセージに対するシューマンの本音めいたものが、もっと楽譜に残されていればよかったのにという気もするのだ。


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 その冒頭とあわせ、セブンとパンドンが取っ組み合いを繰り広げている最中の曲相(上画像=提示部第1主題から第2主題への移行部の弦楽器パートを大譜表に書き換え──後日談:と思い込んでいたら、この曲が流れたのはマグマライザーが地底を敵基地に向けて驀進している場面であった。やはり30年近い年月は重かったようだ・笑)が素晴らしくマッチしていて「カッチョエエ!」と思うのだが、いかがだろうか。なお、以降部のこのパッセージは提示部ではフォルテなのだが、再現部ではフォルティシモがつけけられている。

 それにして、も。シューマンもまさか21世紀になって自分の曲がこんなCDにされるなどとは夢にも思わなかったに違いない。しかしそれを言うのであれば、オレ自身がこんなに真面目くさって臭おっとシューマンの楽曲についてあれこれ出任せをするなんてことも、かつては考えにも及ばなかった。

 作曲家でらTは語る。
「そういえばさ、学生のとき、オレがシューマンを弾いたら怒って帰っちゃったことがあったよな(笑)。

 う~ん……。そんな「失礼」なことをした覚えはないが(笑)、そのとき弾いたってのが「ウィーンの謝肉祭の道化」だったそうだから、そういわれればそうこともあったかもしれんと思わないでもなし。

 ついでながら、あの西村京太郎御大が「オレ、シューマンが嫌いなんだよ」と語り、しばし盛り上がったというのはステキな思い出(なんだってそういう話になったのかさっぱり思い出せないのだが……)。

 とはいえ、近年になると、その楽曲よりもシューマンという人物、言い換えると人間シューマンに興味を抱くようになってきた。ベートーベンへの思いや同時代にならしていたショパンやリスト、ブラームス、メンデルスゾーンらに対する視線などなど。シューマンならではの人間味溢れる不器用さもあって、その生涯に興味をそそらないではいられないのである。

 ともあれ、「ウルトラセブン」の最終回を飾ったピアノ協奏曲という出来事を含め、タイムマシンでもあれば本人に感想を訊いてみたいものである。

 などと言っていると、「そんなに気になるならできないわけでもないんだ」などと口走ったあとに「しまった!」という顔をするヤツがいるんですよ。

 もちろん、こっちとしても聞き逃すワケはありませんわな。

「いまなんと言った? あるのか、タイムマシンが?」
「……なんの話だ?」
「しらばっくれても遅いぞ」

 とかなんとか、相手はとぼけきれずにタイムマシンが実在することを白状させられることに。困ったのはその存在を知ってしまったオレのほうでもあるが、どうにかその知人を口説き落とし、その実在するというタイムマシンを発明したという某老教授との面会に成功した。

「なんだって外部者にもらしだんだ?」

 苦虫をつぶしたような顔(というより、モロにぶつしている最中に見えた)で知人を叱責する老教授。

 オレも恐縮するフリをしながらあれこれ聞きだそうとするのだが、
「まぁいい。そこに座りなさい。これはな、完全な国家秘密なんだ。このことは黙っていてやるから、さっさと忘れてくれないと、君たちが危ない目に遭うことになるぞ」
 と、いささか恐ろしい話になってしまった。

 そんななかわずかながら判明したのは、この「タイムマシン」とやらが可能なのは過去への移動のみで、未来への移動は不可能との結論に現段階でなっていること。さらにこれは当然の話なのだが、いったん時間旅行をしたが最後、現代に戻ってくることがおよそ不可能だということである。それはそうだろう。この「タイムマシン」が存在する程度の過去であっても未来へは行けないという話に加え、そもそもタイムマシンなんどありもしない過去に戻ってしまって、どうやって現代へ帰ってくればいいというのだろう?

「それにな。もし君がシューマンの時代に出かけられたとしても、どうやってその時代の日本からドイツまで行く?」
「…………」
「仮に行けたとして……、君はドイツ語は使えるのかね?」

 う~~ん……。老教授はその口調とは裏腹に、けっしてこちらを馬鹿にしている様子ではなかったが、言われてみればそのとおりとうなずくしなかったのである。

 まっ、オレが元気なうちにもっと十全な「タイムマシン」が完成したら、コッソリと相談してみよう。ともにその時代で生涯を過ごそうなどという相棒でもいてくれたら、それはそれでうれしいのだが。

 シューマンのせいで、とんでもないことになったものである。

※なお、この話は簡略版をインスタグラムにもアップしMASITA。


 

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2016.11.04

嗚呼、ショパン散歩・・・の巻

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  憧れの逸品……。

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  という次第で、ショパンの生家にやってきた。わが憧れの地である。やってきてしまえばなんということはないが、ともあれあの家が目の前にある。

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  左からフレデリックショパンの姉ルドビカ、母ユスチナ、父ニコラス、妹イザベラ。ほかに14歳で早逝した妹エミリアがいた。

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  たぶん全ピアニストにとって羨望の1台なのに違いない。

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  庭園は後世に設えられたのであろうが、こんな小川のほとりで釣り糸でもたれて1日をすごしてみたいような気もする。もっとも当日は10度あるかないかで寒空に震えあがっていたが(笑)。

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  昼食も生家のある公園内で。

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  夏場の週末は、生家前で野外コンサートも開かれているという。この日は土曜日。残念ながら季節外でひっそりとしていたが、この寒さではピアノを弾く手もかじかむだろうと妙なところで納得してしまった。しかし、この季節のおかげで色彩があでやかなのである。

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  バス停にはショパンのイラスト。

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  ワルシャワに戻って、こちらはショパン博物館である。あいにく日曜日の訪問になってしまったが、おかげで無料で観覧できた(日曜日のみ無料解放)。ただ、入ろうとしたら入口のおとっつぁんが「チケットを」と宣告。無料のハズだがと要領を得ないままレセプションを訪れたらカード式の観覧券を無料で手渡してくれた。ようは、これが館内での楽曲や解説ビデオの再生などに用いられているワケである。

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  もちろんこちらにもショパンのピアノが。ご覧のとおり、現代のピアノと比べて音域が狭い。鍵盤幅もやや狭く、9度であれば楽々、10度もどうにか指が届くほどであった。鍵盤のタッチが軽く、ペダルの効果も現代のピアノとはだいぶ異なるらしい。残念ながら手を触れることはできないが、ショパンの自筆や原典版の楽譜をもとに、その音色を直に味わってみたいとも思う。

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  展示内容は充実しており、時間が経つのを忘れてしまうほどであった。

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  自筆譜の展示も多数(コレは、大好きな曲のひとつ「幻想ポロネーズ」)。じつはこれら自筆譜も目的のひとつで、生家にしろ博物館にしろ、自筆譜のファクシミリの販売があるのではないかと密かに期待していたのである。もしあるのであればほしい曲はいくらでもあって、いちいち挙げればキリはないし相場の想像すらつかないままやってきたが、10万、15万円の散財は散財にあらずといった程度の予算を立ててはいたのであった(“爆買い”といえるかどうかはいざ知らず)。が〜……。残念ながら「くったんごおぷそ(そんなものはないわ)」。では、古典的なマズルカやポロネーズなどポーランドの民族音楽のCDでも……と思ってはみたが、こちらも残念な状況であった。

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  一方で驚いたのがコレ。何カ所かで楽譜を見ながら楽曲をヘッドホンなどを使って楽しむことができるのだが、その曲目がイカしていたのだ。この楽譜をひと目見て曲名がわかるひとはちょっとしたショパン通といえるかもしれない。オレ自身、その存在をすっかり忘れていたどころか、耳にしたのはたぶん30年ぶりぐらいである(「3つのセコセーズ」OP.72〈遺作=死後に出版。16歳のときの作品といわれる〉)。あえて“王道”を避けるのがポーランドふうということなのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  イラストレーター・ショパンо(^ヮ^)о

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  デスマスクと毛髪。ショパンにしろモーツァルトにしろ、あまりに短い生涯であった。仮にもしもっともっと長命だったら、どんな曲が生まれた……どころか音楽史すら異なるものになっていたかもしれない。もしショパンが生まれなかったらという仮定でもまた然りではあろうが。

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  ショパンが洗礼を受けたというワルシャワの聖十字架教会。ショパンの心臓が安置されているという。
  この日は日曜日。賛美歌の澄み切ったハーモニーに耳を澄ませつつ、カトリックの礼拝情景を垣間見るのも悪くないと思った。

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  ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像。さすがに観光客が大勢。リスト像もあるのだが、カメラを向けているひとを見かけることはなかった。単に知られてないだけなのかもしれないが……。

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  街角にもショパンの楽曲が。
  つづくо(^ヮ^)о

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2011.07.04

庭模様...の巻


 ただいま大韓散歩中でございますo(^ヮ^)o ちなみに、今回のメインディッシュは楽しいミュージカル観劇(別画面で話題沸騰のミュージカルが!?)。ソウル大学路の「トンスンアートセンター」で7月30日まで上演中という情報を偶然キャッチしてしまい、「じゃぁしょうがない。行くしかないや」。でも切符が入手できるのか否か?
 しかしコレ、つくり手の意図とは別のところで抱腹絶倒してしまいそうな予感もあるんだよねぇ……。
환상의 커플公式サイト
 ついでながら、「ファンタスティックカップル」とはいっても、イェスルが出るワケじゃないので念のため。

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 で、わが家の玄関前にナゾの地割れが?

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 正体はコレ。できれば掘ってる現場に遭遇したかった。
 そんな写真を撮っていると...。

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 ちょび参上(>_<)!

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 一方、庭のジャガイモがちょっとした豊作。

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 掘って2〜3日は陰干しをするのだが、思いきり陽を受けてますにゃぁ。

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 現場。

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 まだイロイロなるのだ。

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 そんな庭だが、目をこらしてみれば小さな生き物たちが大勢いる。

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 このクソ暑いときになにやってんでしょうね(笑)。

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 前回アップのオマケ。うなぎやとはあいやいやいやい。そういや土用のころあいでありMASITA。

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2011.05.17

“原典”の愉しみ(予)...の巻

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 じつは、ただいま大韓におります(笑)。予報によればソウルは快晴つづき。さぞや快適にすごせていれば・・・ええにゃぁ……。

Balletsrusses

 さて、つい先日、音楽家デラTのところに行ったところ、「これみた?」とNHK番組の録画をみせられた。モノはストラビンスキーのバレエ「春の祭典」ほかである。とても好きな作品で、かつてベジャール演出のステージを鑑賞したときにも心底シビレまくったものだったが、ヤツの録画のもすごかった。もちろんそのスジでは有名なのだけれど、パリでの初演(1913年5月)時の復元公演なのである。振付や衣装、舞台美術を再現、もちろんオーケストラもライブだ(とあえて記すのは、なんでか録音公演ってのが幅を利かせてるからねぇ。ベジャールのときもご同類でさ、せっかくホールに脚を運んでも「おけ こらじはごぬん」だから。「そりゃ予算の問題だよ」とデラT)。
 で、そんなのをみせられたらイテモタテモイラレズ、さっそくネットで検索してコイツを入手したのでありMASITA。曲やらバレエやらの解説をすると長くなっちゃうので一切を省略するけど、なんつうか「春の祭典」とはなんぞやとあらためてビリビリしてしまったものだ。マズイよねぇ。でも現地ライブでみたいなぁo(^ヮ^)o

Potemkin

 踵を接して買ったのが「戦艦ポチョムキン」の同じく復元版。
 ご存じのとおり、一般にはショスタコービッチ♪のシンフォニーが用いられている同映画だが、こちらは往時のマイゼル作曲による劇伴。フィルムも検閲などで四散した部分を含め復元されたといい、もっとも原型に迫った内容というふれ込みである。
 じつはこのマイゼル版、記憶が間違いなければだが二十数年前に東京の草月ホールで再現されたハズで、そのテレビニュースの数十秒で飛び込んできた音楽に、その瞬間完全に持っていかれてしまったのだった。その後、ふと気がついてビデオの販売などをネットで調べてみたところ、商品そのものは存在していたのだがすでにほとんど流通しておらず、「取り寄せ」条件で購入手続きをしても結局は入手できなかったのである。今回の入手はそれとは異なる盤だが、たぶん同じ版のハズ。が〜。草月ホールのときの(ほんのちょっと聞くことができた)曲は、もっとアバンギャルドというか、たとえばヒンデミットのある種の作品に近い音色(おといろ)を持っていたような気がしないでもない。それはそれで気になるが、久々にみてみれば、映画そのものにもシビレたのでございます。

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 という流れで、今回は「原典版ウンチク」でもやろうかと思い、2〜3年前に買った「マルコムXスピーチ集」なんかをCDプレイヤーに載せてみたりしていた(たしか500円でゲット。購入場所は知るひとぞ知るィ横浜の「スージー・ウォン」である)。
 というのは、かつて原典解読に凝った時期があって、ふとそんなことを思いだしたのである。なかでも凝ったのがクラシック音楽の解読だったが、研究者にしろモノ書きにしろ、音楽にかぎらず可能な範囲で原典にあたるというのは基本中の基本。まっ、あーもっと外国語の勉強を真面目にやっときゃよかったとしみじみしみしじみしみじみするほかはないのだが……。しかも、少し前に取材の下準備のためRに借りた「春のワルツ」のDVDをみていてにわかにショパンのスケルツォを弾きたくなった(弾けませんがね)。ところが「そうだ原典版だ!」とばかりにはりきって書棚を覗いてみてもスケルツォはおろかあるハズの原典版楽譜の類がみあたらず、代わりにジョンケージのなんだかが発掘されたりもしたけど、そうこうしているうちにそんなヒマもなくなってきちゃったしということで、ウンチク話はまたいずれ(笑)。あまりマニアックになっちゃってもアレだしねぇ……?

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 原典版のあれこれは発掘されなかったけど、足立倫行さんにいただいたCDがひょっこりこんにちは。
「いやぁ、ナカナカイイヨ」と手渡されたそのまんまの内容。しばらく脚を運んでないけど、境港も大賑わいのようだ。

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 同じところにあったキーホルダー。コレ、ナミソム(あの「冬のソナタ」のロケ地ですにゃ)を取材したさいに「こりゃぁ……」と思いつつSにでもくれてやるかと買ったのをすっかり忘れていたのであった。が〜。件の地震のとき、最初の揺れで十数時間の停電に遭ったのだが、ふと気づいたら真っ暗なかなでコイツが光ってたんですよ。最初は「なんだ、こりゃ?」と訝ったのだけど、「ぁあ、すっかり忘れてたたヨ。でも明るいねぇ、アンタ」ってなふうで。そんなワケでSにプレゼントするのをやめて部屋に飾ってあるのであった(カメラで撮るのが面倒だからスキャンで手抜き)。
 それにしても。なぜサソリなんだろ???

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 ネコどもはこんな具合。基本的には寝てばっかだからねぇ……。

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 ちなみに、デラTに「きゃわゆいでしょ?」と「ファンタスティックカップル」をつき合わせたら、わが愛しのサンシルを指して「だって、もう見た目からしてキライだもん」だってさ。なんかキライな女に似てるからという主張なんだが、とても似てるとは思えないですがねぇ。まっ、S曰く「ヤツは目が腐ってる」(7〜8年前の感想)からいいんだけど(笑)。そうそう。ヤツは「イサン」のちょっとした名脇役「カン尚宮」の大ファン。ドラマをみながらきっとそうだ、「こんど会ったら真っ先に確かめよう」と思っていたとおりだったのが「長いつきあいだからねぇ……」。

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2009.03.16

ちょこっと音楽の話、...の巻

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 唐突ですが本の紹介。
 裏方の仕事はあまり公開しない主義なんだけれど紹介しておきます。本書『二十歳の原点ノート』(高野悦子著。カンゼン刊)はベストセラーかつロングセラーのリバイバル版。ちょっとねぇ……。あれこれ感じさせられるところのある内容なので、ぜひお手にとってくださいませ。この続編になる『二十歳の原点序章』と『二十歳の原点』も近日発売予定であります。

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 話はかわって。
 だいぶ前に、当ブログ「嗚呼、カルクブレンナーの巻」でカルクブレンナーのピアノコンチェルトについて情報を求めたところ、コメントでありがたい情報をいただいた。紹介していただいたのは「HMSLP」というサイトだが、おかげさまでスコアを入手することができMASITAo(^ヮ^)o あらためましてありがとうございます。
 で、ついでに調べてみたら、近年になって注目度ががぜんアップしてきたらしく、この曲の日本初演(?)もあったとかなかったとか。しかし、ショパンに影響を与えた作曲家としては知られている人物であるし、このコンチェルトもそうした豆知識的に流布されてきたハズ。曲も親しみやすい内容であり、逆にいえば、いままでコンサートのプログラムに載ってこなかったことのほうが不思議に思えてくる。ご興味のある方は、ぜひCDを探して聞いてみてほしい。

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 初演といえば、かつてショスタコービッチのシンフォニー第4番のを聞きに行ったことがある。こちらはちょこっと難解なふうでもあってなかなかオススメはしづらいのだけど、久々にカルクブレンナーのCDを取り出すさいにゴソゴソやっていたら、このシンフォニーのピアノソロ版が出てきた。
 じつは、ひところオーケストラ曲のピアノアレンジに凝ってた時期があって、この曲や同じショスタコービッチの13番や15番などを2手ないし4手用に編曲しては遊びで弾いたりしていたのだった(うち13番の第1楽章はMIDI化してあるので、版権などの問題がなければアップしてもいいのだが……)。
 ちなみに、4番のほかに10番のピアノ版のCDを入手しているが、タマに聞くと同じ曲なのにだいぶ新鮮な感じがして面白い。ついでながら、この4番では第1楽章再現部がメリメリ(feat.横山剣)っときMASU。

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 そういや、15番をピアノとバイオリン、チェロ、チェレスタ、パーカッションにアレンジしたこんなCDも出てきた。大好きな1曲。とくに最後のcis音がイヤ〜ンな響き。

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 こちらは、カルクブレンナーとならんでショパンが影響を受けたとされるジョン フィールドのノクターン集。正直なところさほどの感銘は受けなかったので研究用(?)か……。

Bennygoodman

 あと、今週買った1枚がコレ。なんか突然聞きたくなったんです。「そうだ、ベニー グッドマンがいい!」ってな感じで。名高い「sing,sing,sing」あたりに、ごく幼いころ「メリッ」ときていたような気もするのだが、こういうフラッシュバック的になにかを聞きたくなることはよくありますよね?

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2006.04.06

嗚呼、カルクブレンナー...の巻

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 都心ではすでに桜も終わりのようだが、暖かいとよく誤解されているわが家の近所ではここ2〜3日ぐらいで満開を迎えそうな気配だ。大平洋に近いし確かに都心よりは南なんだけれど、背後(といっても5〜6キロ以上あるが)に台地を控えていて、盆地のような要素があるのかもしれない。この冬、千葉市あたりで最低気温が0度ぐらいだと、家のあたりでは氷点下5度ぐらいまで下がっているときがあったようだ。
 で、桜もいいのだけど、千葉といえばやはり菜の花である。毎年、「今年こそは庭中を菜の花に……」と思うのだが、単に思いつくだけなので今年もまた来年のお楽しみである。


Hanohana_2480

 春になって心地いいのか、「ぼん」と「ちょび」が家の外の物置きで昼寝をしているのをよくみかける。最初に寝床をみつけたのは「ぼん」。そのうち「ちょび」も便乗するようになった。せっかくせいせいしていたと思うのだがねぇ……。


Bons2548

 ところでまったく関係のない話。
 カルクブレンナー(Friedrich Kalkbrenner.1785-1849)という作曲家がいる。一部の愛好家か研究家ぐらいにしか知られていないような作曲家だが、ピアノコンチェルト(Op61,d-moll)はその後のショパンに影響を与えたという説もあり、かねてから興味を抱いていた音楽家のひとりである。CDはアメリカ合州国のあまりみかけない会社から出ているのが確認されていて、だいぶ前にわけあって2セット(ほかにショパンやフンメルのコンチェルトが入っている2枚組)買ってしまい、ひとつは音楽家Sにプレゼントしたことがある。このカルクブレンナーのコンチェルト、なかなかいい曲なんだけれど、なぜか楽譜が手に入らない。日本一の蔵書といわれる某音楽大学の図書館で検索したり、Sが海外に渡航するたびに託してみたりしているが、じつにあしかけ20年以上も入手を渇望しているというシロモノなのだった。その譜面が、このたび入荷したという知らせが某販売店からあり(昨年末、ふと思い立って注文してみたのだが)、店に出向いてみた。パリから取り寄せてくれたというその譜面は1103円(愚税込み)。なんだかずいぶんと安い。開いてみれば、1楽章の提示部のみピアノソロ部分を抽出したような案配で、まだ試弾はしてないけれど、いや〜〜な予感のする雰囲気なのだった。1楽章だけでもいいから最後まで入れてよん。展開部がなかなかイイんだから……。まぁ、文句を言ってもはじまらないし、完全な形ではないにしても譜面(の一部)が手に入ったということでよしとするかねぇ。
 ・・・というわけで、まだまだ捜索が続くのであった。カルクブレンナー。。。情報求む!


Tyobis2546

 それにしても、ネコの寝姿とはまるっきり関係のない話題でしたにゃ。


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2006.03.04

アルジャーノンとナミィ・・・の巻

 
 2日、ミュージカル「アルジャーノンに花束を」の上演と、映画「ナミィと唄えば」の試写会を楽しむ。

「ナミィ〜」は、齢85歳にして現役の歌三線演者「ナミィ」こと新城浪さんの姿を描き出すドキュメンタリーで、『ナミィ! 八重山おばあの歌物語』(姜信子著・岩波書店)を映像化したもの。わずか9歳で座敷に売り飛ばされたナミィの半生と現在とを追う。「安里屋ユンタ」や「桑港のチャイナタウン」など多数の挿入曲とともに語られる物語はあくまでも暖かさに満ち、客席の自分も自然と頬がほころぶ。オススメの1本です!

 一方の「アルジャーノン〜」は、いまや日本一有名なSF小説なのではないかと思われる同名の原作(ダニエル=キイス著)を、はじめてミュージカル化した作品。舞台作品としては三百人劇場での上演があり、十数年前に観劇して涙腺をにじませたことがあるうえに、その後テレビドラマ化されたときも同様、いわんや原作ならなおさらという案配なので、自室でコッソリと鑑賞するのならともかく劇場に繰り出すのは多少のためらいがあった。が、今回は友人の音楽家・斎藤恒芳が音楽を担当しており、どのような作品に昇華させたのかという好奇心が抑えられずに博品館劇場(東京・新橋)に乗り込んだのだった。
 およそ350人収容という同劇場はほぼ満員。ざっとみたところ、観客の9割以上が女性のようだ。
 3時間近くにおよぶ長篇の舞台は(2幕)、原作にちりばめられているエピソードを忠実に再現。しかし一方では原作に対して一定の距離感を保ち、ややもすると甘く解釈されかねない同作品を、背後に漂うある種無機質な一面をもきちんと捉えていたのではないかと思った。
 演出の荻田浩一氏は宝塚歌劇団に所属する演出家で、斎藤ともたびたび組んできている。もともとSFに対する造詣もあるようで、今回の演出(脚本.作詞を含む)からは彼の持つオリジンのようなものを感じ取ることができた。主人公のチャーリー=ゴードンをめぐる科学者たちの理不尽ともいえる葛藤を省略することなく露出させたあたりは、まさに彼がこの原作をどのように捉えているのかの証明であろう。また、時間の動きをたくみによろめかせているのもうまく、とりわけチャーリーが生き別れた肉親たちと再会を果たす場面でのストレッタ的な手法は、ミュージカルという音楽作品ゆえの緊張感を盛り上げるのにきわめて効果的だったのではないだろうか(斎藤によれば、宝塚の舞台で荻田氏がときおり使う手法らしいが)。……しかし、ラストはどうだっただろう? 涙腺ははじめて留まった。それもまた荻田演出の狙いらしいのだが。
 斎藤の音楽は、荻田氏の脚本にピッタリと合致していたように感じられた。マニア的にみると、ところどころ彼自身の“遊び”がちりばめられていたのだが、さておいても楽しめる作品に仕上がっていたのではないかと思う。主演の浦井健治氏をはじめとする役者たちの熱気もよかった。

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