2017.07.26

大韓に行かないで大韓を味わう法・・・の巻


  発売後のお知らせになってしまいましたが、ただいま発売中の雑誌「旅と鉄道・17年9月号」(山と渓谷社)に「世界の鉄道 途中下車の旅14 タイからラオスへの国境越えと寝台列車の旅」ほかを寄稿しております。書店等でお見かけしましたら、お手に取っていただければ幸いですm(__)m

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  という次第で、東南アジアに浮気しているような昨今ではあるが、そうこうしていると久々に大韓散歩へと繰り出したくもなってくる。ワケあって(?)、今年の11月以降に2度ほど訪れる計画を立ててはいるものの、それまではまだだいぶ間が空いている。そこで、書物だのネットだのを通じて大韓風味を楽しんでいたりするのだが、そうしていればこんなイカした本に巡り会うこともできる。

『大韓ロック探訪記  대한 록 탐방기』(長谷川陽平著・大石始編著/DU BOOKS)
  大韓を舞台に第一線で活躍しているミュージシャン・長谷川陽平については、いちおうは知ってはいたが、こんな楽しい一冊が出ていたとは、迂闊にも気がつかなかった。
  あるィ夜。ネット通販の検索窓に、ほとんど無意識のままに打ち込まれた「大韓ロック」の文字。別段なにを探していたのでもないのだが、経緯はともかくそうしてブチ当たってしまえば仕方がない。

  対談中心で構成された濃密な大韓話の数々。必然的に音楽シーンの話題が多くはなっているが、そこに流れる通奏低音は大韓そのものである。仮に大韓ロックそのものに興味がなくったっていい。大韓という響きにピピっときているとしたら、こんなに楽しく読める本もそうはないのではなかろうか。あの“『ディープコリア』シリーズ”と合わせ、ぜひ日常的に愛玩したい名著といえる。

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  大韓ドラマにもあれこれ傑作やら良作やら名作やら佳作やら駄作なんてのもあるが、イブシ銀的名作としてこの「王と妃」はぜひ見ておきたい作品だと考えてきた。といいつつ、全編を通してじっくり鑑賞したことはなく、要所要所をつまみ食いしてきた程度だというのを白状しなければならないが、そういうザマになってしまうのは、ひとえにコレが全186話という大河ドラマ中の大河ドラマであるがゆえ(オープニングでいきなり「대하드라마=大河ドラマ」と画面にドーンとお出ましに。自他ともに認める大河ドラマなのであった)。
  ひとくちに186話というけれど、1話あたりがおよそ60分弱、一睡もせずに見続けたとしても軽々1週間以上を要するのだから、並み大抵の覚悟では臨めませんわなぁ(そもそもそんなことをする意味が?)。ちなみに、わりと中味の濃い次回予告があるのだが(1分間程度)、その全195回ぶんだけをコレクションしても、3時間超。DVD1枚に収まり切らないのではないかというおそるべきボリュームなのであった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  で、このたび、唯一流通している“レンタル落ち”全93巻をコンプリート。その長丁場に挑むことになったというワケですо(^ヮ^)о

  話は朝鮮王朝第5代王・文宗の時代からスタート。即位したものの虚弱体質だった文宗は即位からわずか3年ほどで死去してしまうのだが、そのあとを継いだ息子のホンウィ(端宗)が11歳と幼なかったことなどが、一連の騒ぎの発端に。前半の山場は癸酉靖難と呼ばれる叔父・首陽大君による大粛清および王位剥奪事件で(ドラマとしてはショスタコービチの「交響曲8番」第1楽章のような脚本であり演出。癸酉靖難の回をみたあとにこの曲を聞いたら腑に落ちた)、全編にわたり王室や官僚あるいは宦官らによる権力抗争が繰り広げられるのだが、それをさらにドロドロとさせるのが後宮に巣食うおっかさん連中なのである。そのおっかさんたちのコワモテぶりがまたたらまんのですよ。ラストに向けてのハイライトは朝鮮王朝の“暴君”として名高い燕山君(第10代王)の大暴れであり、件の予告にも「いよいよ燕山君が登場!」のごとく扱われているのにもグっとくる。しかしそのころには秋になっちまうなァ……。

  でまぁ、そんな燕山君の大暴れにカタルシスを期待しつつ186話に挑むワケだが、そのマラソンの主役をなす仁粹大妃(というより役を演じていているチェシラ)がかもす迫力こそが、このドラマの根幹を牛耳っているといっても過言ではないだろう。のちに仁粹大妃と化す首陽の長男の嫁・ハン氏として最初から出ているのだが、山盛りとなった傍役のひとりでしかなかったその時代から、すっかりドラマの顔と化す文字どおりの変貌にもグっときてしまうのであった。

  ところで、この時代は数々の大韓時代劇で舞台に選ばれているが、この作品では「朝鮮王朝実録」などの歴史書を比較的忠実に沿っているといわれ(ときおり入る解説で、ときに「実録」の内容に疑問を呈していたりもするが)、時代劇であると同時に「歴史ドラマ」であるといえるだろう。なにがいいたいか?  大NHKが大韓時代劇を指してことごとく「韓国歴史ドラマ」などと銘打っているが、そのなかには100%のフィクションドラマも含まれており、NHK式の呼び方に違和感を覚えざるをえない。もちろん、「王と妃」にしても創作された部分は多々あるだろうし、作品の最後で述べられているとおり、残された“史実”が勝者側の“史実”にすぎない点なども考慮すべきではあろう。だが、NHK式の無防備な呼び方はどうだろうか。あたかも、フィクション(まったくの作り話)もまた「歴史ドラマ」、あるいは史実としかねないような危惧を、わずかながらも感じないではいられないのだが……。



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  さて、そんな「王と妃」は大韓における大ヒット作でもあった。1998年6月から2000年3月(長ぇ〜っ)というから、かれこれ20年弱前という古いドラマであるにも拘わらず、街を眺めればこんなレガシー(遺産)がそこここに散見されるというのも楽しからずやо(^ヮ^)о

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  看板の文字はドラマのまんま(多少は違えてあるかもしれないが)。書道の師範だかなんだか忘れたが、その程度にまで書道に勤しんでいたことのある我が母堂いわく「あの王の字、上下のバランスを崩してあるところがいいわねぇ」とのこと。篆刻家・チョンビョンネ(정병례선생님)の作ということで調べてみたところ、「ほしい!」と感じさせる作品があれこれあった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  コレはちょっと再現がいい加減ですな。

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  もとい、勝手に使って大丈夫なのかと思わないでもないが、きっとケンチャナヨなのであろう。そう思った。

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  飲み屋の一種。こうしてみたところ、飲み屋のほか韓服店、さらにノレバン(大韓式カラオケ屋)に好まれているようだ。

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  まぁ、王と妃ですからねぇ。たしかに韓服にはもってこいの屋号かもしれない。

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  民俗酒場。

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  この店はチェーン店のようだ。どうでもいいが。

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  王と妃は「왕과비」。しかし「왕&비」ってのはあまりにおっかさん(チェシラ)と燕山君をナメちゃいまいか?

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  で、燕山君。なんだって燕山君なのかといえば、看板にあるとおり「연산군연탄구이」(燕山君練炭焼=ヨンサングンヨンタングイ)、つまり「燕=ヨンと練=ヨン(ともに大韓語読み)」ってことなのではないかと推察するのだがぢうか?

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  この店は屋号の看板が捉えられていないが、同じく焼肉店である。生サムギョプサム3900ウォンってのは安くないか?

  それはそれとして、「王と妃」の前半を見るにつけ、「ぁあ、この男の目つきときたら、日本のどっかの政治家と同じですなぁ」と感心させられることしばし。内官(宦官)のオムジャチ(キムビョンギ)やキムヨン(ファンボムシク)、安平大君(チョンソンモ)あたりなんかとくにねぇ。テレビニュース(自称か?)なんかを見てると、どっかの国の与党政治家の見たくもないのに見せられることが多い面々にクリソツなんですな、コレが。このうち、役を演じているキムビョンギとチョンソンモは、ともに「砂時計」で悪役格というか“卑役”(造語)でイイ味わいを出していたが、「王と妃」でも期待どおりの仕上がりである。まぁ、いまのところ(?)燕山君がわが国にお出ましでないのが救いといやぁ言えるか……?

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  話かわりますけど。かように大韓ネタで寛いでいたら、こんなのを拾った(3冊ほど表紙画像をネットでみかけるが、いずれも同一の画像のみが流布されている模様。そのうちのひとつをココでも使わせていただいた。ぁあ、欲しいなァ……)。いかにもアヤシゲな雰囲気の「劇画」だが、金日成のルビが本名の「김성주(キムソンジュ)」になっているところがミソ(『劇画・金日成の寝室』パクブキル画)。

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  コレも拾いモノ。「道路脇(路肩)での性行為  交通事故誘発」ときた。類似のシロモノに国立公園内だかにあるらしい同じような意味の横断幕(섹스금지)があって大韓人を面白がらせているようだが、そちらは単純なフェイク。するとこちらもそのテかもしれないが、とりあえず面白いのでタウム地図で現場を捜索してみることにした。

  ちょっと見に全羅道の北部か忠清道南部を直感したが、よくよくみれば「全州国道」がどうのとある。ココまでわかればあとは単純。該当しそうな国道をネット上でドライブすればいいのだ。

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  で、あったо(^ヮ^)о  ワクワクしながら捜索を続行し、かれこれ6カ所ばかり特定しつつスクリーンショットを取ったのだが……、書いてある文句が違うではないか。「道路脇での販売行為〜」だって?  ったく、ガッカリしたとはこういうときの心境を指すんだよなぁ(笑)。

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  その現場のひとつ。

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  しかし、さらに調べてみたところ(ヒマ人ですね・笑)、コレはまったくのフェイクではない可能性が出てきた。なんでも最初に現われたのはまさしく「性行為(성행위)」云々(うんぬん)で、コレを見つけた某大韓人がネットにアップするや、世間をそれなりに楽しませたらしい。ところが、その騒ぎにクマった当局が、とりあえず「商行為(상행위)」と書き換えたというんですな。それが現段階では「판매행위(販売行為)」で落ち着いているということらしいのだが(つまり、성행위→상행위→판매행위)、そもそもがこの路肩で商売をするというのはムリがあるというか命がけだし不自然にすぎる。むしろ「性行為」のほうが、たぶん路肩にクルマを止めて云々(うんぬん)ってな話だろうから可能性がないワケでもないだろう(しかし、こんなところでそんなことをする意味が?)。

  それはそれとしても。コレが当初のママだったら、この現場に赴いて写真のひとつでも撮らないことには自分に対する示しってもんがつかないよなァ。ぁあ、でもこんなところまで往くのも面倒だなァ(全州あたりからタクシーをチャーターか?)。……でも、やるんだよっ!  というのをやらないで済んでホっとしたであります。

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  おまけ。だいぶ前に拾った「くむじ少年」。なんらかの事情でいきなりこのページに寄って下さった方にはなんのことやらわからないと思いますが……。「ドキドキラブコメディ」ねぇ……。大韓版「JUMP」に載っているのかいたかしたそうであります。


  おまけ。



  大韓語で歌ってみましょう♪

  으하하하!  으하하하하!
  (ウハハハ!  ウハハハハ!)
  황금박쥐!
  (ファングムバッチ!)
  어디 어디 어디에서 오느냐 황금박쥐!
  (オディ、オディ、オディエソ オヌニャ ファングムバッチ)
  빛나는 해골은 정의의 용사다.
  (ピンナヌン ヘゴルン チョンゥイエ ヨンサダ)
  힘차게 날으는 실버 배터.
  (ヒムチャゲ ナルヌン シルボ ペト)
  우주의 괴물을 점멸시켜라!
  (ウジュエ クェムルル チョムミョルシキョラ!)
  어디 어디 어디에서 오느냐 황금박쥐!
  (オディ、オディ、オデュエソ オヌニャ ファングムバッチ!)
  박쥐 만이 알고 있다.
  (パッチ マニ アルゴ イッタ)
※作詩:제일동화/作曲:타나카 마사시/大韓版の歌:?

  なんだって黄金バット(황금박쥐)なのかといえば、大韓ドラマ「まるごとマイラブ(몽땅 내 사랑)」のファンクムジ(황금지)が双児の弟オギョブにそう呼ばれてたのを思い出したから(単なるくむじつながり。とくにというか、まったく意味なし失敬の巻といったところだが、じつはアニメ「黄金バット」が日韓共同製作だったということをこの騒ぎのおかげで知ることとなった)。ついでのついでさらについでのの話ではあるが、「우주의 괴물을 점멸시켜라!」のところを「자민당의 바보들을 점멸시켜라!」にしたら楽しかろうと思う。

  という次第で、大韓に行かないで大韓を味わう法の巻でありMASITA。

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2017.03.28

ネコ寺に遊ぶ・・・の巻

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  バンコク。早朝の「チャオプラヤーエクスプレス」に乗り込む。なぜかといえば、トンブリー駅を7時30分に発つどん行列車を捉まえるため。トンブリー駅はバンコクのターミナル駅ひとつだが、市街中心部に近いメインターミナル・クルンテープ駅とは異なり、市を二分するチャオプラヤー川の対岸に位置するなど、アクセスにやや難がある。前泊したパヤータイからBTS(高架鉄道)2路線とチャオプラヤーエクスプレスに乗継ぎ、ワンランで下船して徒歩15分程度。BTSは5時50分ごろから走っているので余裕はありそうだが、それでもスリルがあるアクセスだ(パヤータイだが、電車内の放送がオレの耳には「ピヤータイ」に近く聞こえる。同様に、繁華街のひとつサイアムにしても「シィアム」としか聞き取れないのはオレの耳だかアタマだかがおかしいのか?  この話はまたいずれ)。

  ▼コレは「CIAO(チャオ)ちゅ〜る」ぞなもしо(^ヮ^)о



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  チャオプラヤーエクスプレスは、サートン(船着場)がBTSのサパーンタークシン駅と接続。船内アナウンスの類はないが、前回(昨年4月)に同じルートを乗った体験から、左岸の船着場をいくつか経て最初に右岸に達するとそこがワンランということがわかっていたので、迷うことはないだろうと思った。その右岸の船着場。ワンランの文字はないし、こんな寺院があったかなとも訝ったものの、桟橋のたたずまいがよく似ているように思えたのでともあれ船を後にした。が〜……。

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  降りてみて、ココがワンランなどではないことがわかった。後でわかったのだが、ルート(船着場)の一部が以前とは変更されていたのである。困ったことになったけれど、そこではクロボウズ軍団がオレを待ち受けていた。

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  こうしてみると、クロネコってのはみんな同じような顔をしてますなぁ……о(^ヮ^)о

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  白いソックス。ちょっと毛並みが荒れているのが気になった。

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  もちろんいるのはクロネコばかりではないYO。

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  平和そのものの情景。繁華街などでのノラ生活は大変だろうが、ココが仏教寺院(ワットアルン)の一隅であることを考えると、おそらくはいじめるニンゲンもおらず、安心して暮らしているに違いないと思う。

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  白黒3兄弟о(^ヮ^)о

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  取っ組み合いをしております(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  オヤと思しきキントラさん。

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  個人的には、この右端にいるクロボウズがお気に入りなんですよ。

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  なんつうか、ウチのクロボウズとよく似ている(早朝ゆえボケてしまったが)。守ってあげたくなってしまうようななたたずまいがココロを刺激するのであった。

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  で、どうしても気になって仕方がなかったので、地方から戻った足で現場を再訪。最初の印象より肉づきがよかったが、なぜか足がよたよた……。しかも、オヤを探しているんですよ。撫でてあげるとシアワセそうに目を細め、ペットボトルの水を分けてあげたらチョビチョビと飲んでくれた。できることなら、わが家に連れ帰ってちょびに負けないぐらいの巨大ネコに育てたいが、それは叶わぬ願望というものであろう。

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  ちゃんと水入れも用意してある。再訪のときには空になっていたので、こちらにもペットボトルから水を注いだ。しばらくすると、寺院前(土産屋などが集まっている)のボランティアらしきおばさんが、ドボドボと水を足していてホっとしたものだ。

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  この小旅行を前に旅立っていったクロボウズを思い出すが、ひょっとするとこの地に転生するのかもしれないと思った。それゆえ、ココにこうして降り立ったのではあるまいか?  自らの転生をクロボウズが伝えるためにオレをここに導いたのかもしれないではないか。この常夏の地、それも仏に見守られながら暮らしていけるのであれば、ネコにとってはこのうえない幸せのように思える。

  それで、こんなときに携えていた本というのが『なにも願わない手を合わせる』(藤原新也・文春文庫)だった。偶然の演出というのはよくできている。帰国前の再訪のときは、歩き回るのも暑くて億劫なので、チャオプラヤー川の畔でのんびりと読書のひとときともなった。

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  クロボウズ母子。シアワセなひととき。

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  ふと、シンクロ。やっぱ血ですかねぇо(^ヮ^)о

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  次回のタイ散歩のさいにも立ち寄ってみようかと思う。
  つづく。

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2017.03.16

ロ長調の至福・・・の巻


  今回は、久々にクラシック音楽をめぐる無駄話を……。
  もっとも敬愛している音楽家がショパンであることはなんどか記してきた。聞いたり弾いたりするだけでなく、楽曲などをめぐりあれこれウンチクというかナゾ解きに興じてみるのも楽しいものだ。

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  で、今回取り上げてみたのはショパンの楽曲における調性である。たとえば、『ショパン マズルカ 演奏と解釈への助言』(山崎孝/音楽之友社)を開くと、
「変イ長調という調性は、ショパン好みの調性であることは周知の事実である」(179P)
  といった記述があるし、同世代に生きたシューマンが組曲「謝肉祭」のなかの変イ長調の1曲を「ショパン」と名づけていたりもする。オレ自身もまたショパンにとっての変イ長調という調性を特別視してきた。だが、本当にそうだろうかとふと思ったのである。

  たとえば──といっても個人的な好みにすぎないが──ショパンの変イ長調にどれだけの傑作があるだろうか。著名な1曲として「英雄ポロネーズ(作品53)が思い浮かぶが、演奏会向けではあっても傑作とは思えない(トリオにはグっとくるけれど)。ポロネーズでいえば、同じ変イ長調ならば「幻想ポロネーズ(作品61)」にむしろ霊感めいたものを感じるし、嬰ヘ短調(作品44)のほうがよほどの問題作だ。変イ長調で目立つといえば、あとは「ピアノ協奏曲第2番(作品21)」の第2楽章ぐらいか……。

  そこで集計してみたのが上の表というワケだが、曲数でいうと変イ長調(As-dur)が29曲で堂々のトップ。のっけから“仮説”以前の“疑問”の根拠がなし崩しになってしまいMASITA(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  次点が21曲でイ短調(a-moll)だというのをどう解釈するのかはひとそれぞれだろうけれど、両者の差が歴然としているのではいかんともしがたいではないか(笑)。
  ただ、ショパンの故郷・ポーランドの民族音楽に由来する「マズルカ」の6曲はともかく、「ワルツ」で29曲中の8曲を占めるというのが興味を引く。これらのなかに、“重要な曲”がどれだけあるかという視点においてだ(イ短調・作品34-2や嬰ハ短調・作品64-2あたりはо(^ヮ^)о)。

  *表はC(ハ長調)からd(ニ短調)まで、「前奏曲集」(作品28)と同様の循環で並列しました(大文字=長調、小文字=短調)。カテゴリ中の「マズレック」は「マズルカ」と同義ですが、ショパン自身の命名に合わせて別項目に。「ほか」は「ロンド」や「幻想曲」「舟歌」「ピアノ三重奏曲」などが該当。(*1)などの数字はピアノソナタなどにおける各楽章の主調をカウントしたものです。なお、誤りがありましたら御指摘をいただけると幸いです。

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  ところで、独断で傑作中の傑作を列挙してみると……、
・ポロネーズ:作品26-2(変ホ短調)、作品44(嬰ヘ短調)、作品61(変イ長調)
・マズルカ:作品33-2(ニ長調)、作品56-2(ハ長調)、作品59-1・3(イ短調・嬰ヘ短調)
・バラード:作品52(ヘ短調)
・即興曲:作品51(変ト長調)
・前奏曲:作品28(24曲全曲──とくにハ長調・変ホ短調・ヘ短調)
  あたりを挙げたくなるが、なかでも上の譜例に挙げた「マズルカ・作品59-3」(嬰ヘ短調ーfis-moll)は“ショパンらしさ”という点で傑出した1曲ではないかと思う。マズルカ独特のアクセント(明確な箇所として譜例末尾から2小節3拍目など)。3拍子と2拍子の混在。ルバート。ソナタ形式に準ずる形式美。そしてこの嬰ヘ短調(第2主題は嬰ヘ長調)の響き……。じつはショパンの嬰ヘ短調にはショパンならではの冴えをみせている曲が多い。たとえばつぎの「前奏曲・作品28-8」もそんな1曲ではないだろうか。

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  ショパンはピアノ演奏法に大革新をもたらしたといわれており、たしかに彼以前には想像もつかなかったような書法をいくらでも見つけることができる。ショパンの楽曲にある種の即興性を見い出すという話はよく聞くが、あるいはこの曲にもそんな秘密が隠されているのかもしれない。それを裏づけるといおうか、ショパンのあまたのピアノ曲には、「難しい箇所」は数知れずとも「(あえて)弾きづらい箇所」は数えるほどしかないような気もしている(気も……というのは、このでまかせを記しているのはピアニストではないものでしてねぇ)。

  同時代のリストもまた、ピアノ演奏(技巧)を究めた音楽家ではあったが、おそらくはショパンとは対極の発想(?)が彼の創作を支えていたようなイメージを抱いている。では、やはり同時代のシューマンの心境はいかなるものだったろうか。シューマンといえば、ショパン17歳のときの作品「ラチダレムラマノによる変奏曲」(作品2)にショックを受け、「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」と絶賛。その論評を読んだショパンがあまりのとんちんかんぶりに脱毛してまったというのは大ウソだが、その後もなにかにつけ絶賛の論評を発表している。しかし、そのホンネははたして……?  仮にショパンをめぐる小説なり映画なりを創作するとしたら、シューマンこそが主人公に相応しいような気がしてならない。

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  一連の嬰ヘ短調のなかで、もっともカッチョイイのはこの「ポロネーズ」(作品44)でキマリ!  トリオ(中間部)にマズルカ(イ長調=A-dur。単独で書かれた「マズルカ」にはただの1曲もない調性だ!)を挟む規模の大きな楽曲だが、第1主題の激情ぶりがとりわけ際立つ。もっとも、この曲が書かれた1941年ごろのショパンは、比較的健康状態もよく、療養で訪れていたマジョルカ島からパリに戻り、創作活動に没頭していたという。たとえばウィーンに滞在していたころのような葛藤(故郷ポーランドで起きた「ワルシャワ革命」の報を受けた)とは距離があったようだ。

  それにしても、上の表にあるように嬰ヘ短調を主調とする楽曲はわずか6曲(うち「ワルツ」1曲はショパンの作でないとする意見がある)。ここで取り上げなかった「ノクターン」(作品49-2)のメランコリックな“歌”にも惹かれてやまない(冒頭の主題の22小節にも及ぶ長いスラー!)。

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  いまひとつショパンが描くロ長調にもココロに静かな響きをもたらすような佳品が多い。「ノクターン」全21曲中3曲(作品9-3、32-1、62-1)ともっとも多くを数えるのは、あるいはこうしたスタイルの楽曲にこの調性が向いているとショパンは直感していたのだろうか?  逆に、ただ1曲ある変イ長調(作品32-2)からはあまり冴えが感じられない。
  個人的にはこの3曲ともに好むところで、とりわけこの62-3にはある種の“ファンタジー”めいた世界を想像してしまう。ドイツ北部やポーランドにこんな風景があるような気がした。その平原で聞こえてくるかすかな音は梢だったり波音だったりするのかもしれないが、そうしてまっすぐにさまようような印象を、この曲から抱き続けてきた。

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  同じロ長調でも、「ピアノソナタ第3番」(作品58)の第3楽章からはいくぶん体温めいたものを感じる。だが、作品62-3のAndanteにせよ、この曲のLargoにせよ、そこには“歩み”のようなものが暗示されてはいまいか?

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「幻想ポロネーズ」(作品61)では、前半の山場を走句で締めくくったあとに、テンポを落としてコラールふうの楽想がロ長調で演じられる(譜例はその6小節目以降)。このロ長調もまた、ショパンならではのロ長調だと勝手に思い込んでいる。発想標語にはPiú lentoが与えられており、Largoとは異なるさまよい方をしているような気がするのだが、案外、自分自身はこういう情景を探し求めて旅に出歩いているのかもしれない。以前訪れたバルト海に面した砂浜で、その片隅に繁茂する雑草が示す色彩とのシンクロをかすかに覚えたものだったが……。

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「幻想曲」(作品49)のトリオからも、ショパンのロ長調が強烈に伝わってくる。この曲の主調であるヘ短調の対極調が選ばれたのは、はたして意図的だったのだろうか?

  いまひとつナゾめいている点として異名同音調を挙げておきたい。♯・♭ともに5つ以上が付加されると発生するものだが、多くの場合は♯・♭が6つの調が該当する。すなわち、嬰ヘ長調=変ト長調(Fis-dur=Ges-dur)と嬰ニ短調=変ホ短調(dis-moll=es-moll)である。
  ショパンの場合、異名同音調のうち嬰ニ短調と変イ短調を主調とする曲が皆無だということは子どものころに気がついていたし、上の表でも省略してある。言い換えると、音としては同じであるにも拘わらず嬰ヘ長調を変ト長調とを明確に分けており(「即興曲」と歌曲では双方が混在している!)変ホ短調は徹底して変ホ短調を貫いているあたりにも好奇心をくすぐられずにはいられない。しかし──こんな抽象的な話がどれだけのひとに通ずるかはわからないけれども──、実際に聞くなり弾くなりしてみると、嬰ヘ長調はたしかに嬰ヘ長調であり、変ト長調もまた然り。5曲ある変ホ短調の曲が嬰ニ短調として聞こえてくることはない。

  これまたごく私的な見方ではあるけれど、平均率24の調性にはそれぞれ色彩があり、ことによるとショパンはそういう直感をもって曲の性格をはかっていたのではないだろうか。実際に試してみるとよくわかるハズだが、たった半音をズラしただけで、同じ曲がまったく異なって聞こえてくる(歌曲が原調と異なる調性で歌われるのはごくふつうのことだが、オレはどうしてもなじめないのだ。カラオケを含めて)。はたしてショパンの真意やいかに?

  なんだか曖昧模糊としたボヤキの羅列になってしまったが、今宵はこのへんまでにしとうごぢいます(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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2017.03.04

春ののりもの見物・・・の巻

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  前回アップで、帰路のフライトが3時間遅れとなった旨を記したが、その“後日談”などを……。
  近ごろ凝ってるのがこの「flightradar24」。航空レーダーなどによるフライトデータのほか世界中のおもな空港や機体データなどをチェックできるサイトだ。どういう層を狙った企画なのかはわからないが、同種のサイトは複数あって、いずれも“航空マニア”の御用達になっているようにお見受けする。

  でまぁ、帰宅して落ち着いたところで乗ってきた便をチェックしてみたワケですよ。
  そしたら……。

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  搭乗前々日のソウル〜マニラ便を発端(?)にして遅れ慢性化していたことが判明。乗ったのは上から4行目の便だが、9時01分のフライト予定に対し、使用機材が9時12分に着陸したのでは遅れてあたりまえ。とはいえ、こういうのは航空にはつきものではあるし、よほどのことでもなければ腹を立てたりというのもヤボというものである。が〜。問題はその数日後……。

  ホーチミン発仁川ゆきのOZ736便が機体故障のため離陸前に立ち往生、およそ9時間の遅れでのフライトとなったというのである。さる1月24日に起きたこの遅延、なんと大韓の帰途にオレが乗ってきたB747-400のそれもHL7418という同じ機体で起きていた。しかも、ちょっとした不具合ではなく、エンジンが起動しなかったというのだからおそろしや……。ちなみに、このHL7418は類似サイトによれば1994年9月に就航というから、御年22歳という大ベテラン。たとえば『墜ちない飛行機』(杉浦一機・光文社文庫)には、
<ジェット旅客機が大幅な整備コストをかけずに飛べる“経済設計寿命”は二十年、離着陸回数で六万回(離着陸のセットで一回と数える)と言われている。だが、運行するエアラインサイドでは、手入れを入念にしていれば三十年は使用できると考えている。>
  とあるが……。専門的にはどういうレベルなのかはわからないが、シロウトにとってはおののくに十分なような気も。(画像はflightradar24からのスクリーンショット。以下7点目まで同)

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  そんなこんなで恰好のヒマつぶしというか、ときには仕事の邪魔さえしてくれるイカしたサイトなワケなんです。で、あるィ夜にチェックしてみたらこんな航跡に遭遇(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
  機体はホーチミンのアレとは異なるB767だが、見るからにおそろしげではないか。左のパーツをスクロールすると飛行高度なんかもチェックできるが、それによれば高度は三千数百フィート。最終的には仁川空港に引き返していたが、大韓語ニュースサイトによれば、片側エンジンの不具合が発生したため燃料を消費したうえで帰着したとの由。そりゃいいとして(実際問題よかないが)、このグルグル飛行をしているさなか、その少し東方でクラークフィールドに向かって仁川を飛び立ったジンエアー機が仁川空港にバックしているのもキャッチ。いずれも大事にならずに乗切ったようでなによりではあるが、じつはこのテの「イレギュラー運行」(ないし重大インシデント)はさほど珍しくないということがわかった。つぎの国土交通省のサイトを開くと、「知らぬが仏」の世界がデータベースとなっていて好奇心を刺激する。

イレギュラー運航の発生状況(国土交通省)

  日本の役所の管轄内だけでこれとは……。しかし、善意に解釈すれば、こうしたなかで重大事故を(ほとんど)起こさずに運航できるだけのノウハウがソフト・ハード面ともに蓄積され生かされているとみることもできるかもしれない。もっとも、それだけに安全運航のイロハを遵守することの大切さを窺わせるのだが。

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  ところで春先といえば春の嵐。オレ自身もなんどかちょっとばかりおののいたこともあるが(あるときは着陸寸前の機内で「キャ〜〜!」という悲鳴がいくつも飛び出していた・笑)、それで思い出すのが2009年3月23日に成田空港で起きたフェデックス80便着陸失敗事故である。
  早朝に起きたこの事故、ちょうどそのころ自室で目がふと醒めたところ、表が春の嵐となっていることをさとった。ふと「こういう日に飛行機で着陸したくないものだ」などと思ったのだが、どういう次第か、ベッドを起き出すや階下に降りていったのである。するとそこではテレビニュースがこの事故を報じていたというワケなのだが、こんな早朝に目が醒めたからって、テレビを見るなんてことはオレにはほとんどないし、事実、少なくとも自宅にいて同様の行動をとったことはそれから今日までただの一度もなかったハズだ。それがよりによってライブで遭遇するとは、ィ世の中ってのはよくできている。

  関係ないが、事故を起こしたMDー11には、だいぶ前に成田〜ロサンゼルス間の往復で乗ったことがある。タイ国際航空便だったが、よりによって搭乗の数日前だったかなんだったかに墜落事故を起こしていたりしたなかでのフライトであった。それからだいぶ経って、このMDー11ってのが操縦しづらい面のある機種だということなどを知ることにもなったが、それはともかく、フォルム的には好みではあるんだよねぇ。進んで乗りたいとは思わないけれど。

  で、春一番とやらが吹き荒れたさる2月17日にも、仕事の手を止めて同サイトをチェック。すると、こんな事態に遭遇したりもしたのであった。

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  前段の中国国際航空便は成田での着陸を断念し、関西──いや中部だったか?──に代替着陸していたというものだが、こちらの全日空便は成田到着断念後に羽田に着陸していた。幸いにしてこういう事態に遭遇したことがないが、では乗客はどうするのだろうという当然の疑問が浮かぶ。調べてみると、国際線の場合はこうしたケースでは本来の着陸空港で降機・入国するのが原則だそうで、「羽田だぁ、むしろラッキー♪」というワケにはいかないらしい(国内線の場合は鉄道などでの振り替え輸送もある)。たしかに、この数時間後に「羽田発成田ゆき」という風情で再離着陸をしたことがサイトデータにも記されてあった。

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  あと、たぶんチェックしている同サイト愛用者が多いのではないかと推測しているのが北朝鮮である。もちろん順安(平壌)空港離着陸データも捉えられるし、北朝鮮上空の様子もチェックできる(残念ながら地方空港はフォローされていない)。で、そんななかに発見したのがこのクバーナ航空であった。キューバの航空会社の便がなぜ平壌に? と思うが、リースなりといった事情があるのかもしれない。しかし面白いのはこの行程である。なにしろ、2月25日にパナマシティからボゴダに飛んで、ィ翌日にはハバナからアメリカ合州国のトロントにフライト。それがなぜか2日後には平壌〜北京間を飛んでいるというのだからわからない。

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  さきほどチェックしたクバーナ機(便名は高麗航空152便)の飛行ルート。なにかの間違えではなく、実際に飛んでいるようだ。

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  こんなナゾの飛行機も。MMDなんて聞いたこともない航空会社だが、ネットで検索しても日本語でヒットするのは「ミクダンス」ばかり。どうにかイギリス語だかトイツ語系だかでチャーター便専門航空会社だということがわかったが、あの「エアライン年鑑」(チャーリィ古庄・イカロス出版)にも掲載されていなかった(もっとも持っているのは2011ー12年版と古いが)。それはともかく、発地のGothenburg(Göteborg)。ヨーテボリ(イェーテボリ)……読めん。
  なんというか、マニアゴコロを刺激するイカしたサイトではありますねо(^ヮ^)о

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  話かわりますけど。

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  春だしということで房総を散歩。残念ながら、いすみ鉄道沿線はまだまだ冬枯れの延長線上であった……。

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  とはいえ、国鉄風味の汽車はいいо(^ヮ^)о

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  たとえマニアの類ではなくとも、世代によっては十二分に懐かしさへとつながる情景である。

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「3月末ごろになれば、きっと菜の花もキレイですよ!」
  とは地元の老夫妻。機会をつくってまた訪れてみようと思う。

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  ところで、ィ夜に仕事をしていたら、なにやら表から「ワーワー」。物置を覗くと、なかに見慣れないネコがお休み中。そんなところにちょびが遭遇したらしい。

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  なんというか、ほっといてあげなさいよと思うのだが、そういうワケにもいかないらしい。

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  と考えると、ちょびがクロボウズを受け入れたというか連れてきたというのがやはり不思議でならないのだ。

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  そのクロボウズは台所のカゴがお気に入りо(^ヮ^)о 鼻炎が治らなくてこんなザマではあるが、食欲は旺盛で、ヘタをすると標準サイズのネコ缶ふたつぐらいを1日で平らげてしまう。

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  早くもっと暖かくならないですかねぇ……。

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2017.01.03

謹賀新年2017・・・の巻

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  穏やかな年明けとなりMASITA。本年も、なにとぞよろしくお願い申し上げますm(__)m

  トリ年が人類のトリ年になりまっせ〜とはあのノストラダムスも思いつかなかったであろうギャグではあるが、あながちシャレとばかり笑っていられないかもしれん……(関係ないが、ノストラダムスとやらって、ありゃどのへんの部分が面白かったんですかねぇ。幼少のころからいまのいままで、さっぱり理解できないナゾのひとつである。10年ぐらい前だったか、どこぞの三流新聞が類似したセンスの根拠をモトに、「日本経済は復調する」とかなんとか紙面で御高説をたれていて大笑いしたのをたったいま思い出した・笑)。そりゃそれとして、サムゲタン柄の年賀状を親しい友人たちに送ったところ、Sとネタがかぶった(ヤツは水安堡名物キジ料理を選んでいたが、ともに大韓料理ではありますな)。まっ、つきあいが長いからねぇ……。

  年賀状といえば、すでにハガキの大幅値上げが予告されている。じつをいえば、「今年でおしまいにしよう」と毎年のように思っていのだが、ご無沙汰の友人や知人から届けば素直にうれしいし、義理というものだって無視はできない。ゆえに、あれやこれやでスリム化をはかりつつ続けていくのであろう。まぁ、つぎのヘビ年はコブラ写真でド迫力にしたいというお楽しみはあるし、それまではくたばるワケにもいかないだろうしねぇ……。

  で、トリ。ふと目が醒めたら、家の近所で「アエラ!  アエラ!」とどっかのトリが雑誌の宣伝をしているのが耳に飛び込んできた。その「アエラ!」の前に一瞬だけ「カ-…」と発声しているところから察するとカラスのようではあったが、なんだってあんな鳴声になったのか。チェンマイの名も知れぬ仏教寺院で「お、ぱ〜ぃ、お、ぱ〜ぃ」啼きつづけていた“おっぱい鳥”もいたけれど、正体は未だわからず。ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示のほどを……。

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  ところで、なんだったかをネットで検索していたところ、こんなナイスな絵本にぶち当たったо(^ヮ^)о
『うんこしりとり』とは考えMASITAよね。どういうのかというと、「
いするうん」とか「くだのおな」とかそういうのが並んでいるらしい。新年からこりゃイイものを発掘したなと思いつつ某通販サイトをチェックしてみたところ、この両者が「一緒に購入されている」リストに並んでいるのはむろんのこと、「この商品を買った人は」は『パンダ銭湯㊙』やら『みんなにゴリラ』やら『もうぬげない』やら『うんこ!』やら『タコさんトコトコどこいくの?』やら『はなくそ』やら、なんともぶっとんだセンスの絵本を手にしているんですよねぇ。なんつうか、感性のあちらこちらをくすぐられますよ。ぇえ、ぇえ。絵本から学ぶべきこと多数アリラン!  そう確信した2017年の正月でありMASITA(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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2016.12.28

チェンマイ散歩も楽しからずや・・・の巻

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  チェンマイ駅。駅舎側から眺めるのとはまた違った風情がある。

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  チェンマイ観光の定番といえば仏教寺院めぐりとなる。汽車の乗るのが目的ではあるけれど、街歩きは楽しい。で、ところどろころで“ポイント”として寺院に立ち寄ることになるわけだが、仕事のネタとしてもきちんと見ておくべき……なのであろう(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ちなみのココは観光コースの定番中の定番とされているワットプラシン。境内を歩きながらタイガージェットシンを思い浮かべる日本人は世代がバレバレというものか(笑)。
  関係ないけれど、中学生時代の夏休みにローランボックが来日するというのでワクワクしたことがある。前にも記したように、新日本プロレスは演出が好みでなかったことなどから、当時をしてさほど注目はしていなかったけれど(藤波のファンではあったが)、ボックと猪木とがやりあうというのであれば話は別だ。で、いよいよ試合当日だったかどうかまでは覚えていないが、テレビ中継がはじまって「どんなにすごいモノが見られるのか」と、そりゃあ文字どおりに「固唾を飲んで」テレビ画面を凝視していたワケですよ。そしたら、会場に現れたのはローランボックではなく単なるタイガージェットシン。こっちがあっけに取られている間、いつものようにサーベルを振り回すや、育ちの悪い駄犬同士ようなとっくみあいをやっておしまい。なんでも、来日前に交通事故に遭ったという説明だったのだが、あれには心底ガッカリさせられMASITAね。

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  でまぁ、地図も持たずにチェンマイの街をウロウロ。

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  通りすがりの仏教寺院を散歩したりするワケです。

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  旧市街の入口にあたるターペー門。現在地確認というか、散策上の目印としては知っておきたいポイントだが、現物を拝んでみれば著名観光地物件にありがちな顛末といったところか……?

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  そんな著名なポイントよりも、むしろこんな物件にグっときてしまいますなァ……。

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  北部随一の都市ゆえ、ひともクルマの類も多く賑やかだが、どこかしらのんびりとしたムードが漂っているチェンマイであった。

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  ささやかな晩餐о(^ヮ^)о

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  エアコンの効いたところでマンゴジュースでも……と、ふとみかけた東京やらソウルやらのどこにでもありそうなカフェに入ってみた。軽くひと休みだけのつもりだったが、メニューを見ているうちに「タイ(というかチェンマイ)のこのテの料理ってどうなんだろう?」との好奇心に襲われてしまった。
  こんな簡単なメユーであっても“お国柄”というのはなにかと出るもの。一般に大韓における日本でいうところの“洋食*”のゲキマズぶりが言い伝えられており、オレ自身もなんどか仰天したことがある。もっとも酷かったのがドラマ「ベートーベンウイルス」の撮影地としても知られている「プティフランス」内のその名も「ビストロ」で遭遇したナポリタン。わっざわざ3〜4センチに刻んだ麺がツユダク状態の皿のなかで溺れているんだから、その恐ろしさは推して知るべしでありましょう。韓国料理ってのはホントに旨いのが多いと思うのに……という次第で、同じくおいしい食文化を持つタイではいかにと思ったのであった(もとより、店によっても異なるワケだが)。
  で、コレがふつうに旨かった。わずかな待ち時間で出てきたことなどを考えると、できあいのソースを使っただけなのだろうけれど、タマには旅先でこういうのもいいかなぐらいには思うだけのものがあった。ムリして地元料理ばかりに手を出せばいいってものではないしね(逆に、マクドナルドの類には意地でも手を出さないが)。

  注*:単に洋食じゃ東洋か西洋かはたまた中洋かわからんじゃないかと思うのだが、“畸人”藤原新也がどこかで「西洋食」「西洋料理食堂」とそのテの料理と店を書いているのを読んで、リスペクトすべき相手を間違えてなかったと安心したオレであった(笑)。

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  名も知れぬ仏教寺院でのひととき。笑顔の僧侶は弱冠18歳。英語が堪能なうえに、とっさの記憶力には目をみはるものがあった。

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  市場に紛れ込む。

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  市場のカフェラテでひと休み。目の前で“調合”してくれるのが、また旨そうに思えるのだо(^ヮ^)о

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  一方、こちらはバンコク〜チェンマイ間どん行旅の乗継ぎ地点となったピッサヌローク(直通のどん行はないため、途中での1泊が必須)。信号のない街であった。

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  駅前に蒸気機関車。

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  メシでも食うかと思い、ィ夜の街を歩いていたら、夜市に遭遇。

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  こうした庶民的な市場を歩くのは大好きなので、なんともなしにウロウロが止まらない。結局、この市場の一隅でとりわけ客の多かった惣菜店で夕食(持ち帰り)を所望。

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  ついでに果物もゲット。大韓ドラマでいえばおっかさんと小金持ちのむすめ。さらにコメディアン扮するアジュンマ(失敬)……という店であった。

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  前日がしゅぽだる(슈퍼달)だったことに気づく。
「だいぶ陽が長くなりMASITAねぇ」
  としみじみ語っていたのはSの会社の上司・新見新美氏(アップから5カ月近く経ってからのSの指摘により訂正ナリYO)似の通りすがりのおとっつぁんだが、そりゃわずか1週間程度の差(たとえば今日がそうではないか!)とはいえ、冬至よりはその日の陽は長かったのであろう(笑)。とすると、その新見新美氏似のおっとっつぁんからすれば、この月だって「ずいぶん欠けてしまいMASITAなぁ」となるんだろう……ねぇ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  それはそれとして。気がつけば本年最後のアップがコレ。とうとう与太噺に終始してしまいMASITA。一方、世相を俯瞰してみれば、後ろ向きというかヤケクソというか“人間性マヌケ説”(feat.根本敬画白)が具現化しているというか、どうにもこうにもロクな状況にないという気がしないでもありません……。個人的には、日常の仕事をこなしつつ外国の鉄道の旅に関する取材を重視し、いわばタンス預金的な意味合いも兼ねつつ折をみて歩き回ってきました。いずれはまとまった形でひとつひとつのケリをつけていかなければなりませんが、当面はこのスタイルを続けてゆくことになりそうです。

  ともあれ、本年もあれこれとお世話をおかけっぱなしにしてしまったり楽しくおつきあいくださったひとびと多数。みなさまの御多幸を祈念しつつ、来年もなにとぞよろしくお願い申し上げますm(__)m

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2016.10.11

それぞれの寝床...の巻

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  あれこれちょっとした騒動続きだったわが家のお二方である。

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  ちょび(でかいほう)は年をおうごとにノミアレルギーが悪化。昨夏はお腹の毛が抜けて「ブタちゃん」と呼ばれたものだったが、今夏はさらにひどく、お腹(だけではないが)の皮膚が荒れてしまって痛々しい。もちろんフロントライン(ノミ駆除薬)などで防御はしているとはいえ、なんとも辛そうな夏となってしまった……。

  くわえて当惑させられているのが、突然のように猛烈な食欲を示すようになったことなのである。でかいわりには1回ごとの食事量はさほどではなく、たとえば夕方にはネコカンをあげるが、仮にちょびだけであれば1缶を平らげるのに3回ぐらいかかっていた。それも、あげたうちの半分も食べないうちに散歩に出かけて、しばらくして帰ってきてから残りをのんびり食べるというパターンだったのだ。ところが、1缶の半分ぐらいは一気にかっくらうふうに変身。空になったどんぶりの横で、「もっとくれ」とうるさい毎日。クロボウズの大喰らいが感染したのか、はたまた認知症でも患ってしまったのか……。

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  で、そのちょびが連れてきたクロボウズのケツからサナダムシがコンニチハした話は前にもいたしMASITA。このクロボウズ、家にやってきた当初は朝方出かけて夕方にちゃっかり帰宅するという勤勉なサラリーマン的生活をしてきた。面白いことに、年末年始はお決まりの外出をせず、ネコの日と言われている2月22日にも家でのんびり過ごしていた。ところが、気がついてみればさっぱり外出どころか庭にも出なくなり、そのあおりでトイレまで用意してやるハメになってしまった。このときはタマタマ玄関にお出ましになったのだが、これでも表に出たほうなのである。ひょっとして表で恐い目にでも遭ったのだろうか……。

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  それにしても、これまで40年以上にわたりネコと暮らしてきて「ネコは手がかからないのもイイ」と思っていたのをまるまる撤回したくなってきた昨今でごぢいます。

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  とはいえ、ネコののんびりは暮らしにやさしい。

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  ふと、物置部屋に寝床をみつけたちょびであったо(^ヮ^)о

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  一方のクロボウズも負けてはいません。

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  近ごろはこの小さなカゴがすっかりお気に入りなのであった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  ある日、思うところあって天井蛍光灯のカバーを出しっ放しにしておいたら、想像したとおりの展開となった……という場面。

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  やはりネコがいちばんだなァ……と思う今日このごろであった。
  次回アップは、秋の遠出の巻にてごぢいます。

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2016.10.05

秋の娯楽・・・の巻


  なんだか近ごろはDVD鑑賞がささやかかつ貴重な道楽になってしまったので、今日はそんな無駄話を(そもそも、汽車に乗ってあれこれ歩き回るのがいちばんの道楽だったのに、好き好んでその道楽を仕事にしてしまったのが運の尽きだったともいえる。その点、DVD鑑賞は仕事抜きにリラックスできるから「貴重な道楽」という言い種になってしまう。「贅沢を抜かすな!」と言われるかもしれないが……)。しかしそれはそれとして、なんにも考えずに「秋の娯楽の巻」としたはいいが、ふと気がつけばもう10月。時間が過ぎるのが異様に速い……。

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  のっけから古い映画を持ち出してしまった。ともあれひさびさにこの「アマデウス」を鑑賞の巻である。かつて楽しんだ映画なりドラマなりに再会すると、なにかと考えさせられることも多いが、「なんとかの天才とが紙一重ってのはホントなのねぇ」という公開当時の友の言葉をふと思い出したものだ。虚実を巧みに織り込んだ物語の展開は面白く、音楽ドラマとしても十二分に楽しむことができた。ただ、あの当時は思い至らなかったハズだが、「レクイエム」の作曲依頼者についてのくだりについては、疑問を抱くところだ。事実(とされる伝承)よりは映画の創作物語のほうが心に染み入るがゆえにそう思う。

  モーツァルトは大好きな作曲家のひとりではあるけれど、かといって格別以上に心酔しきっているワケでもない。だが、仮に「この世に天才なんてものはいるのか?」と問われたとすれば、まっ先にこの名を挙げることにためらうことはないだうと思う。そうあらためて感じた。
  個人的には、この作品の主人公がサリエリであるように、シューマンそのひとにスポットライトを当ててショパンの物語を描いてみたいという思いを抱いているのだが……

  しかしなんだっていまさら「アマデウス」なのかというと、明日のィ夜をウィーンで過ごす予定だからなのだ(コレがアップされるころはユーラシアの空の上にてごぢいます)。旅の主目的はモーツァルトではないのだが、ウィーンということで思い浮かんだのがコレだったのである。残念ながらモーツァルトの正確な墓所はいまだ詳らかではないというが、せっかくなのでゆかりの地のひとつにでも訪れてみたいと思う。

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  おつぎはフォーレの「レクイエム」。コレも大好きな1曲で、機会があればライブで楽しんでみたいと思いつづけてきた(盤にはほかに「パバーヌ」や「エレジー」などフォーレの有名作品が収められている)。残念ながらなかなか機会が捉えられないので、せめてDVDでのんびり鑑賞を……というワケである。
  音色といいテンポ感といい好みにあういい演奏だが、不思議なことにオルガンが設えられてないホールのようであった。ステージ上にはもちろんオルガンが設置されているとはいえ、いまひとつ力強さに欠けているような感も抱く。それを十二分に補っていたのが合唱団で、とりわけ「アニュスデイ(Agnus Dei)」や「リベラメ(Libera Me)」(これらの曲はまさに美しい!)で絶妙なる魂の響きが生み出されていると思った。これからの季節にふさわしく、いい盤を入手できた。

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  話は大きく転調しますけど。前々から取り上げようと思っていてすっかり忘れていた1枚。大韓映画「殺人の疑惑(原題:共犯)」である。なんでコレを買ったのかというと、主演のキムガプスのファンだからなのだが、期待を裏切らない悪役ぶりが演じられていてウレシくなった。

  物語はパッケージにあるとおりで、ふとしたことから主人公が自分の父親に対し、その過去の重大犯罪への疑念を抱くところから話がはじまる。時効を目前とした児童誘拐殺人遺体遺棄事件。容疑者あぶり出しを狙って公開された脅迫電話で語られたつぎのひとこと──끝날 때까지 끝난게 아니다(クンナル テッカジ クンナンゲ アニダ)──。父親が「好きな野球選手の名セリフなんだ」といっていたこの「終わるまで終わらない(最後まで諦めるな)」という言葉が、まさに父親の声が語る脅迫電話の録音として公開されたのである(米大リーグの往年の名選手・ヨギベラ語録のひとつとして知られる“It ain't over till it's over.”のようだ。ヨギベラは、ちょうど昨年コレを自宅で鑑賞したころに亡くなってしまったそうだが)。

  でまぁ、あまり続けるとネタバレになってしまいかねないのでこのへんにするが、キムガプスが彼のファンなら知っている“お約束”をきちんと果たしていたところにもグっときたо(^ヮ^)о  しかも、その悪役ぶりときたら、あの西村京太郎大御大(その節はたいへんお世話になりました)をして感激してうなってしまうに違いないと確信させるものがあったのだからタマラナイ。

  それにして、も。ソンイェジンというのは不思議なイロっぽさの漂う役者だと思う。ヨンさまと共演した「4月の雪(原題:外出)」のときもしみじみ感じたが、この作品でもしばしばそのイロっぽさにあてられることとなった。ハンイェスルではただのいちども覚えたことのない感覚なんだがねぇ……。ぁあ、韓藝瑟と孫藝珍。ともに「藝(イェ)」ですねぇ。不思議ですねぇ……。

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  またしても大転調しますが。
  あるとき、ふとしたはずみで通販の検索窓にラッシャー木村とインプットしたら、このDVDの中古が割安で出品されているのに出くわした。ラッシャー木村といえばズバリ「金網の鬼」。当時、国際プロレス中継のオープニングに金網で囲まれたリングが映し出されると、それだけでもうワクワクしてしまったものだが、残念ながらこの盤には金網デスマッチはただのひとつも収録されていない●~*  ったく、それでどこが「金網の鬼」のDVDなんだと思わないでもないが、コレにささやかな散財を決め込んだのにはワケがある。

  同じモノのプロパー品が楽天ブックスにも在庫アリで出ていたのだが、そこには「アーティスト」としてつぎの名前が列記されていたのである。つまり、
・ラッシャー木村
・ジャイアント馬場
・ジャンボ鶴田

  である。繰り返すがこの御三家は「アーティスト」でござるよ。楽天ブックスによればだが。

  これからも想像できるように、収録されているのはおもに国際プロレス崩壊後の全日本プロレス中継のフィルム。あの「馬場〜っ!  これからは兄貴って呼ばせてくれよ!」というラッシャー木村の名セリフが飛び出した試合を中継で見たのは間違いないものの、そのあたりをさかいに中継そのものを見なくなったので、そういう意味でも興味を引くものがある。が〜。本題はそこではなく、この「馬場・鶴田・木村」という並び、そこにこそある。

  話は、オレが真面目に勤め人をしていたころに遡る。会社玄関の受付には、「外出簿」が置かれてあり、商用などで外出するさいにはそこに名前と行き先、帰社予定時刻などを記すきまりになっていた。で、あるとき外出しようとして外出簿を開いたところ、そこに「馬場・鶴田・木村」のお3方の名前が力強い字で記されてあったんですねぇ。ようは馬場さんと鶴田さんと木村さんがタマタマ一緒に外出したにすぎないのだが、オレにとっては大爆笑するにあたいするパフォーマンスだったワケですよ。
  このエピソードを存命だったラッシャー(いうまでもなく木村ってんだが、生きてるんなら連絡のひとつでもよこしなさいヨ!)に話したところ、
「馬場と木村はともかく、ココに鶴田があるところがミソだよな」
  とウレシがっていMASITAね。オレもそのとおりだと思ったワケだが。

  で、そんなくだらん昔話をココ(このブログ)でしようととっさに思いついたので、そのためだけに3000円近い大散財をシャレこんだ……という話なんですねぇ。

  ちなみに、晩年のラッシャー木村の「マイクパフォーマンス」を遡ると、新日本プロレス興業@田園コロシアムにラッシャー木村が「殴り込み」をかけた試合に辿り着くようだが、残念ながらオレはその試合を見ていない。なぜかっていうと、新日本プロレスの試合ぶりや演出が単に好みに合わなかっただけの話で、その点はラッシャー(友人のほう)とは逆の嗜好であった。が、それはともかく、その試合中継をたしかメシを食いながら見ていたラッシャー、テレビ画面のなかでラッシャー木村がやおらマイクをとったところで「みなさんこんばんは。ラッシャー木村です」と折目正しく挨拶をしたのを目撃して、その場で凍りついてしまったという。そんな話を大爆笑とともに教えてくれたものだったが、そのときはラッシャー木村の晩年云々を想像することなんぞできるワケはない。

  閑話休題。それにしても、最晩年のラッシャー木村の姿には痛々しいものを感じないではいられなかった。そこにプロ根性のようなものを感じとることもできる一方で、見たくなかったなという気もする。やはり「金網の鬼」は「金網の鬼」であってほしかった。ジプシージョーやアレックススミルノフ、オックスベーカーらとやりあっていたあの雄姿こそが懐かしい。

  無駄話は長くなってしまうが、ラッシャー(友人のほう)との間で決着のついていない論争がある。よく知られたプロレス技のひとつに「逆エビ固め」ってのがある。また、押さえ込んだ相手の片脚を持ち上げてフォールする「片エビ固め」ってのもある。前者はうつぶせにした相手の脚を逆側(背中側)に締め上げてダメージを与えるなりギブアップを奪うないという技であり、後者は仰向けになった相手の片脚を抱え込むことによってフォールをより堅固にするというものだ。つまり、名前は似ているけれど、技としての性格や目的はまったく異なる。ではさて、「逆エビ固め」の態勢で両脚ではなく片脚だけを抱えて締め上げたらどうなるか?  技のベースは明らかに「逆エビ」にあるから、「片逆エビ固め」ではないかと思うのだが、ラッシャーはあくまでも「逆片エビ」を主張して譲らなかったのである。しかしそれでは「片エビ」(つまりフォール態勢)を単に逆さまにしたことになってしまい、現実に目の前にあるギブアップ狙いの技としての説明がつかないではないか(「逆エビ固め」そのものが「エビ固め」の逆バージョンだというのがヤツの主張なのだが)。
  その論争はかれこれ数年にわたって繰り広げられたが、あれから30年以上経ってなお決着が着かないママ。ラッシャーが行方不明のいま(あっちからみればこっちが行方不明なのかもしれないが)、これでは論争そのものが墓場まで持ち越されかねん(笑)。

  ちなみに……。その論争の切っ掛けをたったいま思い出した。かつて発行されていた雑誌「デラックスプロレス」のバックナンバー表紙に、ジャンボ鶴田が黒人選手に対しこの技をかけている写真が載せられていたのである。それをみたラッシャーがふと気づいたように「コレ(その黒人選手)、レイキャンディーと違うか?」とひとこと。で、なにが面白かったのか、いまとなってはさっぱり理解できないのだが、大爆笑が止まらなくなってしまったオレ。で、たぶんそのときに「片逆エビ」と言ったオレに対し、ヤツが「いや、これは逆片だ!」と論争を仕掛けてきたのであろう。ココまでお読みくださった方、ホントにバカバカしい昔話ですみませんでしたねぇ……。

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  またまた転調して本の話を。
  この『藤原新也の動物記』(新潮文庫)を「そいや読んでないな」と気づいたので、入手して読んでみた。大爆笑を誘ったくだりがあった。

  沢木耕太郎の『深夜特急』の終盤。「サグレス」という名のビールとサントイッチだかなんだかを市場で買ってサグレスというユーラシアの果ての岬を訪れた場面がある。しかし、そのビールやらをどうするつもりだったのかと自問する著者。「サグレスの岬でサグレスという名のビールを呑む、という形ばかりのイメージにとらわれていた」というワケだ。しかし、最終バスで到着したサグレスはすでに夕闇のなか。あたりにはホテルどころか開いている商店の類すらない。いわく「その浅薄さのしっぺ返しはすぐに受けることとなった」。が〜。その「浅薄さのしっぺ返し」も、藤原新也自らが呼び込んだ“災難”にくらべればかわいらしいものである。

  インドを放浪していた藤原新也、なにを思ってかヘビ使いの男から必須の商売道具を買い取ってしまったのである。ヘビ使い必須の商売道具。いうまでもなくコブラである。それも、とりわけつややかでイキと気の強そうなヤツを、1日200円で過ごすのもどうかという旅人が、1200円も投げ打って買ってしまったのだから愉快である。で、もちろん、買ったはいいけれど思いきり持て余すことになってしまう。あたりまえだ。そのコブラがほしいと思った気持ちはわからないでもないが、それにしたって買ってどうしようと思ったのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  でまぁ、ホテルの自室に持ち込まれたコブラ入りの壺は、時間をおうごとにその存在感を増す一方なのだが、あの藤原をしてこういわせしめてしまうのである。
<厄介なものをかかえ込んだと思った。私は、日に日に、その壺に対して臆病になっていった>
  このあたりの描写は鬼気迫る迫力があるが、あたりまえのこととしていずれはそのコブラにエサを与えなければならないときがやってくる。意を決し、ヘビ使いのアドバイスにしたがって鶏卵をあげることにしたはいいが、ヘビっていうのはあれでなかなか力強いらしく、押さえる藤原の手をスルスルとすり抜けるや、まんまと壺の外、つまりホテル自室で鎌首を持ち上げられるハメになってしまったワケだ。まぁ、笑っちゃいけない場面なんだろうけれど、コブラをそれもインドのヘビ使いを相手に衝動買いしてしまい、挙げ句の果てにはホテルの部屋で1対1でにらみ合うハメになったなんてすんばらしいエピソードではないか。

  それにして、も。「噛まれたら死んでしまうが、コブラから噛まれて死ぬことはよいことなので落胆しないこと」というヘビ使いの口上にはグっとくるものがある。また、「あらゆる動物の中で、蛇ほどシェイプアップされたものを他に知らない。(中略)ほとんどひとすじの線としての洗練された存在」という著者の観察眼には唸らざるをえなかった。

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  そんな話をデラTこと斉藤恒芳にしたところ、上の写真を送ってよこした。撮影者はもちろん斉藤である(ラージャスタン州の国道を走っていて道ばたに蛇使いを認めたデラT、慌ててクルマを止めて撮ったのだそうな)。
  で、オレがなにを思ったかというと、コブラは持て余すに決まっているからいらないけれど、この笛とカゴ壺が無性に欲しくなってしまったのだ。ところが、大手通販サイトを複数チェックしても該当商品は見当たらず、たった1サイトだけ扱っているのに遭遇するに留まってしまった。もっともその店でも在庫なしとの案内で、ようはお手軽に入手しようなんてのが甘い考えであることがわかっただけであった。

  しかしそれ以上に不可解なのが、その「ヘビ使いセット」を買ったといった類の記述が、少なくとも日本語ではいまだネット上で遭遇できていないことなのである。ほしがってるひとがいないとは思えないし、インドに行く日本人だってけっして少なくはないハズ。であれば、そのなかのいくばくかのひとが笛なりカゴ壺なりを入手して、ブログなどを通じて自慢話のひとつをしていてもおかしくはないではないか。……それにしても欲しいなァ。

  ところで。デラTによれば、「死(蛇)に勝つという意味で尊い職業」だというのをどこかで読んだという。で、毒蛇を大韓語にすると「독사(トクサ)」。しかしこの「독사」というのは「毒蛇」であるとともに「毒死」でもある(単に「사(サ)」が「死」でもあるというだけの話だが)。このへんは日本語でも似たような部分もあるけれど、同じアジアにあってなんらかのつながりがあるのだろうかという気もする。ついでながら。

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2016.08.06

とある夏の思索?・・・の巻

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  庭でブルーベリーを収穫。とりあえずおよそ1キロ。たった1本きりの細い樹だが、こうして毎年楽しませてくれるのがありがたい。
  それはそれとして、どうも妙な夏模様である。台風の少なさもそうだが、大平洋高気圧が北に偏り過ぎてはいまいか? シロウト目には、ちょっとした“サジ加減”で冷夏になってもおかしくはないようにも思えるのだが、日々の気象情報をみていると、東京地方の熱帯夜が異常に少ないような気もする。はたして、晩夏以降の気候やいかに?

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  今夏は、わが家のネコどもにとっては災難の季節となった。お二方ともにノミの襲来を受け、とてもじゃないがココに写真を載せる気もおきないありさまなのだ。
  ただ、食欲だけは猛烈で、夏バテなんぞどこ吹く風のごとくムシャムシャとよく食べる。食い終わったころに様子を窺うと「食った、食った」とゴキゲンに寝そべっていたりもするが、こっちの顔を見るや「もっとくれ」とせがむ。で、「カリカリ」をカンに移して保管いているひとも少なくないと思うが、驚いたのはちょびで、夜中などにそのカンをひっくり返してしまうのであった。テーブルの上などに置いてあるのを、手で「ちょいっ」とひっかけて床にまっ逆さま。運がよければその衝撃でフタが開くので案配がいいというワケだ。よく覚えるものだと感心するほかはないが、手足が霊長類と比べて構造的に不器用なだけで、サルあたりよりも知能が高いのではないかと思うことすらある。もっとも、サルなんぞ飼ったりした日には、そんなもんじゃ済まないとは思うが(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  ところで。外出の折には必ず本を携える。世間では、いつの間にやら携帯端末(スマホなど)とにらめっこしているひとが大半のようで、読書で過ごすなんていうのはごく少数派となってしまった。最近訪れた街でざっと観察したところでは、ソウル>東京>広州(中国)>バンコク>台北という順でスマホへの依存度が測れるような気がしないでもない。欧米ではどうなのかという気もするが、ホテル予約サイトの投稿に「WI-FIの速度が遅かった」といった理由で辛い点をつけられていることなどをみると、この依存傾向はほぼ世界中の現象なのかもしれない。

  オレ個人のことでいえば、携帯端末やノートパソコンなどを公共の場(鉄道車内や飛行機内、飲食店内など。インターネットカフェなどそれ用の場所はまた異なる)で用いるのは、たとえはキツイが人前でクソをする程度に恥ずかしい行為だと思っているし、いわんや仕事中の画面をわっざわざ丸見えにするというのにも抵抗がある。それに、スマホの小さな画面をチマチマといじくるのも性に合わないし、場面次第で便利なのは認めるにしても、コスト相応とはとても思えないので、使うつもりはまったくないのである。

  のっけから話が飛んでしまった。閑話休題。
  外出ということで、外国散歩のさいにも日数に合わせて1〜3冊程度を荷物にしのばせておく。空港での待ち時間や機内でのヒマつぶしにもなるからだ。持参するのは新刊に限らず、書庫から引っぱり出してきて再読するものもある。たとえば、この『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』(藤原新也・河出文庫)もそんな1冊で、前日のィ夜のたまたま目に止まったものを「久しぶりだが……」とカメラバッグに詰め込んだ。内容は、著者が出会ったひとびとやできごとを記したもので、日常のさりげない出会いのなかから14編の物語が編纂されている。

  ここからが“本題”に近づいていくが、このときはもう1冊、『深い河』(遠藤周作・講談社文庫)を無意識に選んだ。1993年の発売と同時にハードカバー版を入手、3年後に文庫化されたその初版をほぼ20年ぶりに開くこととなったのである。しかしコレは妙なカップリングとなってしまった。

『深い河』では、のっけから“不治の病”に冒された妻を見送る夫という場面から物語が展開してゆくが、『コスモスの影〜』もまた、導入の1編で病で妻を亡くした男の話が語られている。ただそれだけの一致ではあるものの、旅客機の座席で開きながら、なんらかのシンクロめいた偶然を感じないではいられなかった──あえてこじつければ、『深い河』もオムニバス的な構成を見せているし、遠藤周作がクリスチャンである一方で、藤原新也が仏教徒(『コスモスの影〜』にも「僕は仏教徒で、敬虔なクリスチャンの彼とは〜」というくだりがある)である点にも“共通点”を勝手に見い出したりしたが──のである。長くなりすぎるので詳細は割愛するが……。
  もちろん、この2冊を選んだのは単なる偶然。意味なんかありゃぁしない。だが、無意味なことがらに引きずられがちなのもまた人間である。なんかイヤ〜な予感がそのときはしたものだが、あとになって顧みれば、そこになにがしかの“誕生”のきっかけを予感しなくもないわけで、それはそれで楽しくもなってくるのだ(もちろんともに名著。『コスモスの影〜』はとあるフリーペーパーの連載エッセイを編纂したものだが、その全71編をまとめた「完全版」を読みたいと熱望しているのはオレだけじゃないだろうなぁ……)。

  とかなんとか、あれこれどうでもいいようなことに思いをめぐらせる材料にもなるのだから、読書というのもバカにはならない。もっとも、あるときはやはり久々に『蒼ざめた馬を見よ』(五木寛之・文春文庫)を離陸準備中の機内で読んでいたはいいが、ちょうど「ただいまより離陸します」のアナウンスと同時に飛行機が墜落した場面(まさにその「行」)がシンクロしたのにはまいった(笑)。

Requiemmozart

  でまぁ、なにを思ったのか、モーツァルトの「レクイエム」を映像つきで聞きたくなった。指揮者としてショルティーの名があったので購入したこの盤は、モーツァルト生誕200周年記念イベントを収録したもの。曲の合間に祭祀が挿入されるのは、キリスト教の行事を垣間見るという点で興味深かったが、もちろん曲だけの再生も可能だ。
  じつは、ワケあって学生時代にこの曲の合唱団の一員となったことがある。おかげで、およそ30年が経ったいまでもこのラテン語歌詞の曲を諳んじることができるが、久々にこの曲を聞きながら、モーツァルトというのはホンマモンの天才だったのだなとの感を強く持った。それでピアノソナターのCDを引っぱりだして聞き入ったり、ついでに(?)バッハの「平均律」なんかも久しぶりに聞いてりたりするワケだ。魚釣りの世界に「釣りはフナではじまりフナでおわる」というのがあるが、なにやらそれに近い心境といえなくもない……。

  ところで、このときはネット通販を検索しながらモーツァルトにするフォーレにするかちょっとだけ悩んだ挙げ句にモーツァルトにしたものだが、本当はコダーイの「ミサプレビス」のDVDがほしかった。名曲だと思うのだが、どういうワケか出版数が少なく不遇な感じがする。

Livingproof

  話は変わるようだが、著名人の闘病などを通じて乳ガンがにわかに注目されているようだ。じつは、この病気で三十数年来の友人を失い、いささか“参って”いるといえなくもない。組織型云々などは知らないままだが、初発からかれこれ10年以上は病と戦ってきたと記憶している。それが「そいや元気にしてるかな? 久しぶりに会合でも開くか」と思っていた矢先に電話があり、「ちょうど連絡しようと思っていたんだ」と思って出ると、聞こえてきたのは本人のではなく妹の声であった……。

  それが直接の契機というのではないが、ガンの治療などについてあれこれ調べていたことがある。そこでは、知られざる医学の進歩に驚かされたり、それでもなお難病でありつづけるガンという存在そのものにもシロウトなりの興味を抱くことにもなった。そんななか、興味を覚えたもののひとつに分子標的薬がある。従来の抗癌剤とは異なる発想で開発されている薬で、乳ガンや肺ガン、白血病などの治療に用いられているという。ひところ副作用が重大問題となったイレッサ(ゲフィチニブ)もそのひとつ。これはある特定の遺伝子に異常をきたしているタイプの肺ガン患者であれば副作用もなく効果が高いということで、その後にも用いられている。

  乳ガンでは、いくつかある組織型のうちHER2(ハーツー)という特殊なタンパクが過剰に現われている「HER2陽性」の患者に対しハーセプチン(トラスツズマブ)と呼ばれる分子標的薬が高い効果を見せている。「HER2陽性」患者は乳ガン全体の4分の1程度。従来は悪性度の高い疾患とされていたものが、この薬の登場によってむしろ治療しやすいタイプになったらしい。
  このハーセプチン実用化を題材としたのが2008年に公開された米国映画「希望のちから(原題:Living proof)」である。

  実際のできごとをエンタテイメントとして脚色した内容で、主人公の医師を軸に、おもに臨床試験段階の物語として綴られている。ただし開発秘話といったドキュメンタリーではなく、むしろ死に直面しつつある患者やその家族にスポットライトをあて、この希望の特効薬によって救われてゆくひとびとの悲哀と歓喜とを描き出している。作り手の心優しさが伝わってくるような台本であり演出だと思った。
  ただ、それだけに科学ドラマとしての要素はまったくなく、その点に物足りなさが残る。臨床試験に至るまでにはさまざまな発見や苦悩があったハズで、「どうして効くのか?」という素朴な疑問とともにそのあたりももう少し丁寧に描いてほしかった。また、ヒューマニティあふれる視点も、せっかくの特効薬も実際に投与するとなればべらぼうなカネを要することにまったく触れられていないことにより評価が減殺されてしまう(ゆえに「臨床試験」が命綱になるということだろうか?  間違っても比較対照試験があったとは思いたくもないが)。わが国では実質1割程度の自己負担で使用できるハズだが、それでもひとつの治療薬の負担としては重い。ましてや公的保険“後進国”米国とあっては……。

  ついでに。「科学(医学)ドラマ」ということにこだわるのであれば、あのSFもどきサスペンス映画「アウトブレイク」(ありゃぁあらゆる罵詈雑言を喰らわしても足らないほどの愚作だった)に類するような疑問を抱かせる部分があるのも気になった(万が一闘病中の方が目にすることを慮り、シロウトの具体的発言は控えるが)。やや乱暴な言い方になってしまうが、ヒューマニティドラマとしては「名場面」もあって心に残る作品ではある一方で、駄作の一歩手前かもしないとの思いも捨て切れなかった。もっとも、作中で主人公と製薬会社との間で交わされたようなやり取りが、映画制作者と配給会社などとの間にあったであろうことも想像できなくもないわけだが……。

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2016.06.13

にゃー的な日常・・・の巻

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  当初は、タイ散歩につづいてそのまま大韓散歩初夏の巻に突入するつもりだったが、ふと我が家のネコの出番が遠ざかっているのに気がついた。というワケで、平和なひとときをドウゾо(^ヮ^)о

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  そりゃそれとしても、全長1メートル近い巨体を誇るちょびではあるが、まぁるくなればコンパクト。やはりネコである。

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  もっとも、背後に回ればこんな案配ではあるのだが(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  ちなみに、このおぼんを先に発掘したのはクロボウズ。「ネコは寝床さがしの天才」という毎度のセリフが出ざるをえない。

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  食欲は旺盛なんだがねぇ。なんか哀れっぽい声と顔で催促するんですよ。

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  身体のほうぼうにノラ時代の名残りが……。ちょびが連れてこなかったら冬を越せなかったかもしれない。

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  ネコの相性というのも不思議である。

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  で、あるとき隅に追い詰められたちょびの巻。

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  クマりMASITAねぇ。

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  なにしろ、ちょびはおっとりとした性格なもので、こうされても「いやぁん♪」ってホントに言うんですねぇо(^ヮ^)о

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  躊躇なしに襲い掛かるクロボウズ。

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  ともにオスでごぢいます。

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  ある真夜中。仕事に勤しんでいると、階下からとある気配アリラン。たいていはロクな事態ではないのだが、逆にいえばカメラ持参で現場に趣く価値があるワケだ。

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  ちょびがふと離れた隙を狙ったクロボウズ。

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  やはり躊躇というものがなかった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  かわいそうに、断末魔の声が聞こえてきた……。かといってこんなのが増えると、最悪の場合は火災に結びつく可能性があるから情けは禁物だ。しかし、こんなところで食わせるのもなんなので、取り上げてしまうのが吉というものであろう。が〜……。

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  気配を察したクロボウズ、獲物をくわえたまま逃走を謀った。仕方がないので、シッポをひっぱって獲物を没収。庭の樹の肥料にしてやったのだが、後日に現場を通りかかったら、穴を掘り返した形跡が。燕山君でもあるまいし、やだねぇ。どちらが容疑者なのかはわかりませんが。

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  クロボウズに獲物を横取りされたちょびのザマо(^ヮ^)о
  かように、ネコとの暮らしはなにかと楽しいのである。いまさらですが(笑)。

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