2024.04.21

カイロ大学をめぐるひとつの報告・・・の巻

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 ふと思い出した。
『旅ときどき沈没』(蔵前仁一/講談社文庫)につぎの記述があるのだ。


当時、カイロ大学では、ほとんど何のチェックもなく国際学生証を発行してくれた(引用ここまで)


 (当時)カイロ大学では、公的に通用する──旅行者たちはその「学生証」を用いて航空運賃の学割などを受けていたという──いわば〝公的証明書〟をのべつまくなしに(?)配布していたというのである。これは「国際学生証」の話で、どこかのおばさんを巡りその真偽が問題となっている「卒業証書」とは異なるが、そのカイロ大学をめぐる証言である。ホンモノの卒業証書とは別にそれ用の「卒業証書」を売ってたのではないかと邪推したくもなってくる(あくまでなんら証拠のない個人的な想像にすぎないが……)。


 さて、当ブログではあの祖国最悪級の政治家・安倍晋三に関する罵詈雑言を繰り返してきたが、御周知のとおりその死後を中心として、あの男の出鱈目ぶりが各所で明らかにされてきた。やはりここで批判した「健康食品」という偽称を持つサプリメントの類も同様で、コイズミ時代の「規制緩和」とやらに加え、安倍がゴリ押し──事件が発覚した小林製毒おっと小林製薬と安倍との間における贈収賄を疑う報道もされている──したのが、今般の俎上に挙がった「機能性食品」とやらである。


 ったく出鱈目にも程がある。


 これはけっして大げさな話ではなく、ここで少なくとも「安倍案件」についての総括を完遂しなければ、わが国の健全な将来はない。言い換えると、いままさに祖国はその将来に向けての帰路に立っているといっていい(いま自民党カルト政権が目指しているのは、わが国を中華人民共和国的な非民主国家と化すことである)。


 そのついでに、我らが自由民主党を「ピリオド政党」にしたいものだと思う

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2024.03.10

新刊のお知らせ・・・の巻

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 3月19日、拙著『アジアの鉄道旅行入門(旅鉄HOW TO)』(天夢人・山と渓谷社)が発売となります。
 タイトルどおり、海外の鉄道旅初心者やこれからチャレンジしてみようという方向けにごく基本のことがらなどを汽車旅目線でまとめてみました。また、各国とも1編ずつ紀行文を収録。うちラオスでは2021年に開業した中国ラオス鉄道の旅模様を取り上げています。
 旅のおともや参考書として、あるいはちょっとした息抜き読書に、お手に取っていただければ幸いです。

●内容●

序章:旅をはじめる前に
海外鉄道旅行の楽しみ/計画を立てる/パスポートとビザ~出入国の流れ/持ち物はどうする?/言葉はどうする?ほか
第1章:台湾の鉄道    台湾を知ろう/準備編/現地編
   紀行──台湾近郊の秘境路線で過ごした日
第2章:韓国の鉄道    韓国を知ろう/準備編/現地編
   紀行──新路線を活かし韓国北東部を周遊
第3章:タイの鉄道    タイを知ろう/準備編/現地編
   紀行──夏の記憶を歩く~メークロン線の小旅行
(コラム)ミャンマーの鉄道/カンボジアの鉄道
第4章:マレーシアの鉄道    マレーシアを知ろう/準備編/現地編
   紀行──熱帯の暮らしを運ぶジャングルトレイン~サバ州立鉄道
(コラム)シンガポールの鉄道/インドネシアの鉄道/イースタンオリエントエクスプレス
第5章:ラオスの鉄道    ラオスを知ろう/準備編/現地編
   紀行──ラオス中国鉄道がラオスを駆ける
(コラム)中国の鉄道/ベトナムの鉄道

 

 

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2023.06.13

新刊のお知らせ・・・の巻

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  新刊『寝台特急「北斗星」「トワイライトエクスプレス」の記憶』(発行:天夢人/発売:山と渓谷社)が、6月19日より発売となります。
  本州と北海道とを結んだ〝スター列車〟の乗車記を綴りながら、その足跡を辿ってみました。お手に取っていただければ幸いです。

●おもな内容●
・第1章:寝台特急「北斗星」との出会い 1989~1992
・第2章:特別な寝台車を堪能した時代 1993~1998
・第3章:もはや人生の一部と化した「北斗星」 1999~2008
・第4章:「北斗星」との別れ 2009~2015
・第5章:はじめての寝台特急「トワイライトエクスプレス」 1989~2001
・第6章:雑誌取材と寝台特急「トワイライトエクスプレス」 2002~2015

♨本書に登場するおもな乗車列車
  上野→札幌:北斗星1号「ツインDX」
  上野→札幌:北斗星5号「ロイヤル」
  苫小牧→新宿:北斗星トマムスキー「スーペリアツイン」
  上野⇔札幌:北斗星ニセコスキー「ソロ」
  上野→札幌:カシオペア「カシオペアツイン」
  札幌→大阪:トワイライトエクスプレス「ツイン」
  大阪→札幌:トワイライトエクスプレス「ロイヤル」
  ほか
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  おまけ♨
  東北本線名物車窓「腸にミヤリサン」を「北斗星」のB寝台個室「ソロ」からシュート。いとをかし(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?

 

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2023.01.20

マイブームの話・・・の巻


 昨年あたりから遅ればせながらのマイブームなのが高野本である。高野本というのは、数々の辺境探訪ノンフィクションを発表している高野秀行の著作の個人的総称(著名人については「敬称なし」こそが敬称と考えているので、あえて敬称なしで記す)。なにを手にとってもあまりに面白いので、いつの間にかそう呼ぶようになっていた。

 しかしこれはオレだけの話ではなかったらしく、今週読んだ『アジア未知動物紀行 ベトナム・奄美・アフガニスタン』(講談社文庫)に寄せられた北尾トロによる一文にはつぎのように記されてあるのだ。

>高野秀行は“タカノ本”という辺境ジャンル唯一の書き手なのだ。

 この一文を目にしたとき、

「おおっ、やはり高野本であったか!」

 とうれしくなったものだが、なにはともあれそう呼ぶのがふさわしい著作群なのだと改めて思った。

 この解説の書き出しにはこうある。

>高野秀行さんの本はカロリーが高い。ジャンクフード的味わいもあり、中毒性も持っている。たくさんの人に愛されているが、まだその数は充分ではないと思う。

 まさに同感。やはりそう感じている人が(きっと大勢)いるのだと、これまたうれしくなったのである。

 遅ればせながらのマイブームとしたが、高野秀行の名前だけは以前から知っていた。デビュー作である『幻獣ムベンベを追え』の著者としてその名を目にしていたからだ。この作品は著者が早稲田大学探検部時代に、あのネッシーと双肩するナゾの恐竜を追ってコンゴの奥地まで繰り出したリポートである。ところが、オレ個人はネッシーだのそのテのウワサ話にはたいした興味もないうえ、ほかに興味のある本があれこれあったこともあって読む機会をつくってこないまま忘れてしまっていたのである。

 ところが、昨年だか一昨年だったか、たまたま見かけた『アヘン王国潜入記』を一読して大感激。ミャンマーとタイ、ラオスにかかる麻薬生産地帯、ゴールデントライアングルのまっただ中に密入国のうえ潜入、およそ7カ月にわたり村人に混ざって生活してきたという仰天もののノンフィクションである。

 これがなにしろ面白かった。紀行モノのようであり、文化人類学的でもあり、探検モノでもあり、もっとアナーキーな“私ノンフィクション”でもある。最後は自らもアヘン中毒になってしまったあたりも痛快だが、この作品を端緒として件の『幻獣ムベンベを追え』はもちろん、学生時代から十年以上にわたり暮らしていた古木造アパート三畳間を舞台にした『ワセダ三畳青春記』・・・と、読むごとに高野本にハマってゆくハメになったのであった。

 ときに「んな、くだらんことを」などと揶揄されかねないテーマに全力でぶつかってゆく痛快さ。大胆でありながら周到な準備を怠らず万全な取材を貫く姿勢(たとえば、各探訪地の現地生活語をマスターしてゆくのは驚愕ものだが、大いに見習わなければならないと襟を正したりもする)。テーマ探しから作品のピリオドまでそこはかとなく充満してやまないユーモア精神。いやはや、これは高野本としかいいようのない唯一無二の世界なのではないか? こんなことを勝手に思いながらページを手繰っては楽しんでいるのである(もちろん、再読を含む)。

 という次第で、このブログでも折に触れて各著作おっと各高野本の紹介と感想などを記してゆきたいと考えている。とくにスケジュールも立てずに五月雨式気まぐれアップになるとは思うが……。

 ところで、これは感想でもなんでもないが、今週読んだ『アジア未知動物紀行』にちょっとばかり「ハッ!」とさせられる記述があった。

 舞台はアフガニスタン。現地の人々との対話シーンのなかにその記述が現れる。

>「この地域を重点的に援助してほしい。そうすれば、日本の名誉になる」
「日本に帰ったら、ちゃんとこのことを政府に報告するんだぞ」
 今度はすっかり地元の陳情を受ける政府の視察団みたいになってしまった。
「私は政府とは直接関係ないのでそれはできませんが、あなたがたがそう言っていたことは本に書きます」と約束せざるを得なかった。
「戦争をするのはアメリカ、援助は日本」という構図ができあがっているらしい。まぁ、逆よりはいいのだが、それにしてもである。(296~297ページ)

 ──戦争をするのはアメリカ、援助は日本──。

 しかしこの構図、近い将来にどう改変されてゆくのだろう。さすがに逆にはならないと思うが、「戦争をするのはアメリカと日本、援助は●●」という事態は、決して絵空事ではないのではあるまいか? もはやジャパンには“援助”役をやらせるだけの経済力も活力もない──そう判断した米国が我が国になにをやらせるのか? すでにその兆候は顕われているのだ……。

 本書で活写されたアフガニスタンの生き生きとした人々の姿を想像しつつ、身近に迫る暗雲をも感じないではいられなかったのである。


 

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2022.12.27

G7中最悪の汚染政権・・・の巻


 本年最後のアップとは、時間が過ぎるのはなんとも早いものです。

 ここ10年以上にわたり海外おける鉄道散歩を中心に続けてきたブログですが、今年はすっかり罵詈雑言の嵐となってしまいMASITA。来年は3ないし4月から海外取材を再スタートしたいと考えていますが、どうなりますか……。

 といいつつ、本年最後も罵詈雑言を一席。

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 特殊漫画家根本敬の名著『電氣菩薩 豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ』(径書房)。

 本書の“主役格”のひとり佐川一政さんの訃報を目にした方も多いハズ。近ごろ凝っている高野秀行が、中国で人間の胎盤を用いた水餃子などを食しつつ、
>念願の胎盤を食べたら、なんとしても正真正銘の人肉を食べてみたくなった。どこか食べられるところがあったら、是非、教えてほしい。(『怪しいシンドバッド』集英社文庫)
 とそのくだりを締めくくっていて、
「さすが、裏切らない是っ!」
 などとうれしくなったものだが、密かに佐川さんとの対談などを期待していた・・・のはオレのほか500人はいるのではアルマイトの弁当箱?

 いや、本当に面白いんですよ、高野本。

「あの椎名誠すらしのぐかもしれん」

 なとど思っていたら、とうのシーナさんが大絶賛しているのだから世の中捨てたものではない。

 さしあたりオススメを挙げてみると、

『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)、『ビルマ・アヘン王国潜入記』(同)、『ワセダ三畳青春記』(同)、『恋するソマリア』(同)、『謎の独立国家ソマリランド そして海賊国家プントランドと戦国南部ソマリア』(同)『怪しいシンドバッド』(同)、『イスラム飲酒紀行』(講談社文庫)、『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』(文春文庫)、『極楽タイ暮らし「微笑みの国」のとんでもないヒミツ』(ワニ文庫)・・・ほかあれこれ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)。

 話を──罵詈雑言に──戻すと、『電氣菩薩』のいまひとりの主役格が亀一郎でしょうねぇ。

 このヒト、根本敬読者を中心に有名なハズだが、本書でその出会いからはじまり数々の大活躍ぶりが紹介されている。ネオン街──銀座や六本木など高いところじゃくてね──で“女遊び”をするのが趣味といか生きがいというかで、そのあたりを語りだすとそのまま改行なしでダラダラと止まらないという楽しいお方である。

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 その“自己紹介”のひとつにこんなのがある。

「ハゲ、中卒、醜男、バカ。四重苦背負ってますから」  ・・・ってのをふと思い出したというのが今回のテーマなんですねぇ(今回アップの冒頭から続くダラダラ感が亀とクリソツですなぁといま気づきMASITA)。

 ようするに、我らが自民党というワケで、たとえば、

「デタラメ、汚職、無法、恥知らず、馬鹿。五重苦背負ってますから」

 とかなんとかなるワケです。まっ、自覚しているだけ亀さんのほうが至極真っ当でしょうねぇ(「寸借詐欺から殺人まで“犯罪”のデパート」というキャッチフレーズもええなぁ……)。

 ところで、いわゆる「G7」(センター柴田のことじゃないYO)のなかで、我が国がもっとも新型コロナウィルス感染症の新規感染者がワーストなどとたびたびのように報じられていますよねぇ。

 しかし、「G7」(というよりもう少し広義の「先進国」)にあって、政権の汚染度や無能・出鱈目ぶりなども堂々の「ワースト」なのではあるまいか? ついでに経済の停滞・後退度もノミネートされそうだ(近ごろになって、延々と賃金の上がらない実態が“お題目”になってきたが)。ぁあ、さまざまな分野を加味したうえでの「将来性のなさ」もワースト級と評されるかもしれん。

 なにもこんなもろもろすべてを政権や政治のせいにしようなとどは思ってもいないが、このぬかるみきった足元をもっと真剣に見つめてもいいのではあるまいか? そこから進歩に向けて努力するのが真の「エリート」(という表現が適当かどうかはともかく)だと思うのだが、どうだろうか。そして、その第一歩が自民カルト政権に引導を渡すことなのである。


 

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2022.11.21

スポーツとカネをめぐる不正直な大衆・・・の巻


 サッカーW杯が開幕したが、どうも世間からの関心が薄いと感じているのはオレだけだろうか?

 サッカー観戦はわりと好きで、よほど忙しくもなければ、日本代表の国際試合などもテレビ観戦(ときには試合場で)してきたが、お恥ずかしい話、日本代表が本選出場が決まったことすら忘却の彼方であった。

 テレビはごくわずかしか見ない習慣だが(例外のひとつが、海外のニュース番組を集めた「ワールドニュース」の類)、それだって報道番組をまったく無視しているワケではない。ネット上のヘッドライン程度はチェックしているのだし、W杯関連の報道を完全に見逃していたとは思えない。一方で、米国野球で大活躍している大谷選手の話題などは日々目に止まっていたし、珍しくテレビ観戦をしたこともあるから、やはりサッカーの話題が異様に乏しかったのかもしれない……。

 しかし、そうは言うものの、近ごろはとみにテレビなどでのスポーツ観戦──“ながら”的なものを含む──をしなくなってしまった。とりわけ見なくなったのがアマチュア大会の類で、ほとんど完全に興味を失いつつある。

 なぜか?

 アマチュアのそれでありながら、カネのニオイが充満しすぎていることによる。ややもすれば、それはプロスポーツをしのぐほどであり、そのクセ、タテマエ(キャチコピーを含む)ではそんな生臭いことなど我関せずといった体が鼻につくのである(例外もあるとは思うが)。

 現在の五輪大会はプロの参加もあるとはいえ、東京五輪をめぐる汚職や失態──エンブレムの盗作疑惑や競技場設計没事件などを含む──の数々を、そうしたカネまみれの実態と無関係ではあるまい。ならば(というのもヘンだが・笑)、もっと正々堂々とカネのついてのもろもろをオープンにすればいいではないか。せめてプロ組織程度に。

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 さて、ふとした思いつきから、久々に「巨人の星」(梶原一騎・川崎のぼる)と再会した。
 子どものころ夢中になって同作のテレビアニメにかじりついていたものだが、この歳になって読んでも十分に面白く、共感できる部分も多い。

 そんななか、もっとも共感したのが左門豊作であった。

 主人公・星飛雄馬のライバルのひとりとして描かれた左門は、熊本の貧農家庭で生まれ、早くに父母を亡くすなど幼いことから苦労を重ねてきた。そして、野球という競技に目覚めてゆくなか、その自らの得意分野を生かして暮らしの土台をつくろうと決意。そうした背景のもと出場した全国高校野球大会(甲子園大会)で星との対決を迎えるが、そこで描かれているのがスタンドやテレビ画面などで選手たちに視線を送るプロ球団のスカウトや首脳陣であり、左門はなによりも彼らの目と評価を求めてグラウンドに立ってたのである。

 言い換えると、左門にとっての野球とは生活のための糧であり、より多くのカネを稼ぐその将来のためにも甲子園での活躍を自らに課してきたワケだ。

 素晴らしいではないか!

 高校野球というアマチュアスポーツの舞台を描くなかで、左門のような登場人物に違和感を抱く人もいるかもしれない。しかし、現実のプロはもちろんアマチュアスポーツのなかで、はたして左門の意思を真向から否定できる人は、はたしてどれだけいるだろうか。

 いつだったか、夏の甲子園大会への出場を果たしたチームを取り上げたテレビニュースのなかで、選手のひとりが「客を楽しませたい」といったことをしゃべっているのを聞いて、心底情けなくなった。日本のアマチュアスポーツは、ここまで広告の類に害されているのかと思ったのである。

 客を楽しませる?

 そんなもんは、プロになってから考えることではないのか?

 類似のキャッチコピーに選手自らが「楽しんでやりたい」といったのがあるが、それはそれとして共感はするのものの、一種の流行りのように流布されていることにも疑問を抱く(そもそもああいうのは、選手自身が「自分の言葉」だとどこまで思っているのだろうとも思う)。

 ちょっと話が飛んだが、仮にそこで甲子園出場を果たした高校球児が、
「ぼくの夢はプロ野球で活躍すること。●●選手を目指し、米国野球にも挑戦したい。甲子園出場はそのためのステップと考えている」
 ぐらいの発言でもしてくれれば、オレは大喝采するかもしれない。

 あるいはもっとストレートに、
「プロ選手のなるのが夢。得意な野球でおカネを稼ぎ──」
 と言い切ってくれるような選手は出てこないものだろうかとも思う。上記「──」部分は、たとえば左門のような背景があってもいいし、そこで稼いだおカネを資本に起業する夢があるというのだっていい(もっと砕いて「活躍して女にモテたい」ってのもええなァ……)。

 もっとも、そんな正直な発言が一般に受け入れられないのが我が祖国の大衆とマスコミなのかもしれないが、オレはこれこそが現実であり、選手ひとりひとりの人生設計を鑑みても少しも間違っていないと思う。

 さて、今回のサッカーW杯開幕のさいに思ったことがひとつある。

 テレビ中継を楽しみにしているファンも大勢いるワケだが、NHKはそこから撤退すべきではないのか? W杯にせよ五輪にせよ、あるいはほかもろもろの国際大会にせよ、そこには巨額のカネが動いており、放映にあたってもべらぼうな金銭が支出されているハズである(例外はある)。そして、中継画面には多くの広告が乱舞しているワケで、これはもう公共放送ではなく民間放送のテリトリーではないのか? 公共放送にはほかにカネを使うべきこと──たとえば民間マスコミで取り上げづらい事案など──があるハズだ。

 その巨額のカネだが、海外でNHKニュースなどを見ていて、こうした大会などのスポーツ報道になると、突如にして画面が消えて音声だけになるというのを経験している人も多いだろう。なんだって報道にすら放映権料のようなカネを要求するのかとも思うが、そんなところにもまた、カネまみれスポーツの実態が見て取れるのだ。一部に例外はあれど、主役であるハズの選手にはカネのことを語らせたがらないクセに。


 

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2022.11.09

米国と民主主義・・・の巻


 アメリカ合州国の中間選挙が実施され、日本の各メディアも大々的に報じている。なかには、自国の選挙こそこれぐらい熱心に報じたらどうなんだと皮肉りたくなることもあるが、日米以外の各国での扱いにも興味がわくところではある。

 というのは、米国大統領選挙を近々に控えた2016年秋に欧州4カ国を訪れたさい、テレビニュースの類でかの報道をほとんどみかけることがなかったのである。出発前の日本のテレビでは連日大騒ぎ。帰国後も同様であったが、この違いはいったいなんなのだろうと素朴に思ったものだ。

 今回の中間選挙では、トランプのおとっつぁんが旗振りを続けている共和党が政権党である民主党に雪辱するかどうかという点がひとつの注目点となっているという。これをアップする前の状況ではどうやら共和党が優勢のようで、ただでさえキナ臭さが増す世界情勢に与える影響が心配になってくる。

 中間選挙をめぐる論点には、インフレ対策や銃規制をめぐる議論、現政権と前政権に対する評価などが取りざたされている。銃規制や人工中絶問題などは民主・共和“2大政党”の立ち位置が比較的明瞭だが、なかでももっとも注目されているらしい経済対策について、この選挙の結果がはたしてどれほど米国民の希望に寄与するのかという気もする。

 さて、そんなさなかに興味深いテレビドキュメンタリーと巡り合った。

 NHKが放映した「ミシシッピへの旅 分断国家アメリカのルーツ」である。

 ジャーナリストであるキャノンハーシーが米国における分断のルーツを探るべくミシシッピを訪問、その旅を追跡したドキュメンタリー。1960年に上梓されたルポルタージュ「A Life for A Vote」(キャノンの実父であるジョンハーシーの著作)から着想を得、黒人農民から起こった公民権運動から現在に続く実情を探るというもので、米国における民主主義の深層へとテーマが収斂してゆく。

 そのなかで、俗に“民主主義の総本山”とも捉えられているアメリカ合州国が「民主化」されたのは早くとも公民権法が制定された1964年であり、取り立てて長い歴史があるわけではないことが語られていた。

 そうなのだ。自由の国と喧伝されてきた米国の正体がそれなのである。たとえば、踵を接するように、ジャーナリストの本多勝一が黒人写真家とともに深南部などを訪問。そのさなかにあからさまな人種差別行為に遭ったばかりか、自動車で走行中に銃撃すら受けたことが報告されている(『アメリカ合州国』朝日文庫)。一方で、同じ著者が21世紀を迎えた米国深南部を再訪し、表面的には差別が大きく減少した事実に触れているが、それが融和ではなくモザイク状の分断であることを指摘している。

 公民権法によって米国では法による人種差別が撤廃されたことになっているが、実際には差別は綿々と続き、いままたトランプを旗手として巧妙な手段を交えながら公民権法を骨抜きにしようと画策している層が存在しているのである。

 こうしたことを通り一遍に批判することは容易であろう。だが、そうした差別的(本人らがそう思っているかどうかは不明だが)思想にかられた層が、かなり広範に深く広がっていることに興味を覚える。

 同時に、それに頬かむりをするかのようにかの国が「民主主義の総本山」などと持ち上げることに改めて疑念を抱くワケだが、その未完成な民主主義社会にあって、その改善を目指して活動を続ける人々が、おそらくは大きな層をなしていることも忘れてはならないと思う。

 アメリカ合州国はどのような道を選ぶのだろうか。それは形こそ違えど民主主義の根幹が脅かされている我が国にとっても無視するはできないだろう。おそろしいのは、そうした国家がいままさに各地に顕在していることかもしれない。


 

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2022.09.04

ぼったくりバーと「黒葬」・・・の巻


  日本史上最悪級の首相であったケーセッキ安倍の「黒葬」。その指揮を取るジミー飢死駄はその予算を2億5000万円だかなんだかと放言したそうだが、それが「全額」と相当に乖離した胡麻化し予算であることは早々から指摘されてきた。

  そんななか目に止まったのがつぎのリンク記事である。

「国葬」総額 100億円超?(「しんぶん赤旗」2022年9月4日)

  2019年に実施された現天皇の「即位の礼」にかかった費用がおよそ90億円(公称)。しからば「「安倍黒葬」はいかにという次第だが、「そんな、天皇関連儀式と一緒にはできないだろう?」と訝るムキもあるかもしれない。しかし、同記事のつぎの指摘を完全に無視することができるだろうか?

>岸田文雄首相は安倍元首相の「国葬」に、「即位の礼」の2倍以上となる参列者約6000人を見込んでいると表明(8月31日の記者会見)しています。「国葬」の警備費と接遇費が「即位の礼」での約90億円を大きく上回り100億円超となる可能性があります。

  予算総額について、ジミー飢死駄政権はどう国民に答えているか?

>野党が「国葬」の経費総額の提示を求めると、政府は「国葬」実施後に明らかにすると述べるだけでした。(同記事)

  そこで連想するのが、ぼったくりバーの類である。

「シャチョー、シャチョー! いまならビール飲み放題たった1000円ポッキリですYO! キレイどころのホステスがアナタを待ってます!」

  そんなポン引きの誘いにつられて入ったおとっつぁん。会計明細を見て真っ青になったことでございましょう。たしかにビールは1000円でウソではなかったけれど、「チャージ料」やらホステスが注文したカクテル名目の飲み物代や頼んだ覚えもいないのにテーブルに運ばれてきた果物や乾きものの代金やらよくわからない「サービス料」などもろもろ含めてその額ン十万円!

  それと同じことをケーセッキ安倍「黒葬」でやろうとしているのがジミー飢死駄をはじめとする自民党というワケだ。

  しかも、その予算の一部があの「桜事件」において会を仕切った「アベトモ」業者にわたるというわかりやすさ。この点については本格的な馬鹿なのか、それとも心底国民を馬鹿にしているのかどちらかであろうが、統一協会や暴力団顔負けの厚顔無恥ぶりではないか。

  ところで、いま読んでいる本のなかに『ビルマの独裁者タンシュエ』(ベネディクト ロジャーズ・秋元由紀訳・根本敬解説/白水社)がある。

  タンシュエは1992年から2011年にかけてミャンマーの軍事政権を牛耳った独裁者。あのアウンサンスーチーを幽閉した人物でもある。  その人物像やできごとなどを多数の証言や資料などから探ったのが本書だが、そのなかにつぎの記述がある。

>タンシュエは(中略)報道機関や司法機関の役割に目を向けた。1983年、タンシュエはジャーナリズムについての会合を主催した。会合の目的は「労働者のためになる文献を引き出す」というものだったが、これは婉曲的な表現で、実際には検閲など、報道に対する国軍の支配についての会合だった。会合に集まった記者たちは、政府の方針の「説明」を受けた。後にタンシュエ政権が開く多くの会合と同様、本当の目的は記者たちに恐怖心を植えつけ、自己検閲をさせて、国軍の業績称賛させようというものだった。またタンシュエは(中略)国軍が司法にも介入する用意があることをはっきりと伝えた。(同書92ページ。引用にあたり、漢数字を算用数字に改めたほか、一部を太字としました)。

  太字とした部分は状況に若干の違いこそあるかもしれないものの、「忖度」と言い換えることができるだろう。あのケーセッキ安倍がタンシュエはおろかビルマ/ミャンマーについてどれほどの知識があったかはわからないが、独裁者にとって、これは支配のイロハかもしれない。

  ちなみに、タンシュエは軍隊にいてこれといった実績を挙げることもないままに順調に昇進を果たしたらしい(ある戦闘では、部隊長であったにも関わらず、無線スイッチを切ったまま前線から逃避していたと目されているそうだ)。(自分にとって使えそうな)上官をはじめ自分より上位の人物の「イエスマン」として巧みにふるまってきたことが、その事情として示唆されている。

  こんなところもケーセッキ安倍とその取り巻き(「アベトモ」など)にソックリではないか。違うところといえば、タンシュエが貧しい生い立ちから成りあがっていったのに対し、ケーセッキ安倍はハナっからぼっちゃんであったことか。

  アウンサンスーチーの軟禁をはじめ自分にとっての「政敵」を権力で弾圧してきたタンシュエと異なり、ケーセッキ安倍は自らの手でそこまでの所業までには及んでいないという違いはある。だが、あのまま放置してきたらはたしてどうなったか。あるいは、このままこのデタラメを極める自民創価統一政権(ゴロツキ応援団つき)を放置したらどうなるのか。我々日本国民は真剣に向き合う必要がある。「黒葬」阻止もそのひとつだ。



●おまけ
『ビルマの独裁者タンシュエ』にあるつぎのくだりもケーセッキ安倍やジミー飢死駄を彷彿とさせる。

>新聞やテレビが報じることといえば、国軍に対する賛辞と独裁者ネーウィンの視察旅行のことばかりだった。視察旅行の記事は、読むと頭が麻痺しそうなもので、どれも必ずネーウィンがその場で『適切な指示』を与えたという記述で終わっていた。国営メディアの空虚な報道は私たちにとっておもしろおかしいものだったが、同時にビルマ政府が国民の知性をそこまで侮辱することが自分たちの利益になると考えているということに驚嘆せずにはいられなかった。(32ページ)

  念のためつけ加えると、あの「安心・安全」などいったポエムコピーもまた、この「適切な指示」と同類の茶番語である。なお、NHKは公共放送であり「国営」ではないが、とするとビルマにおけるそれよりもタチが悪いと評価することも可能であろう。


 

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2022.08.29

民主主義は“面倒”だ?・・・の巻


  本題に入る前に、たまたま目に止まった新聞社の配信記事を1本リンク。

  広がるウクライナ避難者支援、その陰で… 失意の中、危険覚悟で日本を去った男性(神戸新聞2022年5月10日配信)

  リンク記事は、度重なる逮捕や拷問など、自国政府からの迫害を受けたウガンダ人男性をめぐるリポートである。「民主主義の国」に期待を抱き来日したこの男性は、難民申請をした入管でそのまま拘束され、半年以上にわたり拘束されていたというのだ。なんでも、迫害の証拠として提出した写真や新聞記事等が「ニセモノ」と決めつけられたらしい。

  その後「仮放免」され、日本国から若干の生活費が支給されていたというのだが、今年になって、身の危険を承知で祖国に帰国したという。リポートはこう証言する。

>男性が来日した19年、日本では1万375件の難民申請があったが、認定されたのは44件、認定率は0.4%。先進国の中でも極端に低い。
  そして、今般のウクライナ難民との処遇の差についても疑問を呈している。

  詳しくはリンク記事をお読みいただきたいが、こうした「差別」の根幹はなんなのか。ひょっとすると件のウガンダ人男性がかの地で反政府側にあったのかとも疑いたくなるが、難民申請をめぐる「実績」を見れば必ずしもそうではなさそうに思える。
  オレの勝手な思い込みにすぎないが、日本国にとって有利な宣伝材料(宣伝相手には日本国民の含まれる)となるウクライナ難民とそうでないほか多数の難民申請者という差別がそこにありはしまいか? 

>今、日本はウクライナ人のサポートをしているが、戦争が終われば『帰りなさい』と言い出すのではないか。(リンク記事)

  という疑いのこもったウガンダ人男性の言葉が的を得ている可能性を、オレは否定できない。もしそのとおりだとすれば、こんなに恥ずかしい国(それも一応は「先進国」とされている)がほかにどれほどあろうかと情けない気持ちになってくる……。

  話かわりますけど。 近ごろ凝っている高野秀行の著作のひとつに『極楽タイ暮らし』(ワニ文庫・2000年)がある。大学卒業後に日本語講師としてチェンマイ大学に赴任した著者が、その後の体験や見聞なども交えつつ、その暮らしやタイ社会やタイ人をめぐるさまざまな所感などを綴ったものだ。

  国や地域を問わず──そのなかにはもちろん日本も含まれている──「国民性」だの「文化」だのを捉えて論評などをした著作はケーセッキ安倍の悪業ほどあるが、その多くはごく限られた材料に頼った思い込みに過ぎなかったり、もっとひどいところでは単なるペテンだったりすることもママある。一方で、面白く読める本も多いけれど、「ちょっとこれは単純化しすぎてないか?」「書かれてることとまったく逆のことがいくらでもあるぞ」など疑問が積み重なることも多い。

  ──ごく私的な場でのデマカセや軽いジョークやイヤミの類はともかくとして、少なくとも、オレ自身はほんの少しだけ韓国だのタイだのの経験があるからといって、韓国人はどうだのタイという国はどうだのといった論評をしかつめらしくする気にはとてもなれない(もちろん、ちょっとした感想や出来事などをめぐる所感程度のことは記すが)。どっかの本にあるように外国のことなんぞ「わからない」というのが本音だからだ(とはいえ、「わからない」で投げ出してしまうのもどうかと思うので、自分のなかではあれこれ思案してみたりもする)。

  そんなことを勝手に思っているなか、本書はじつに面白く、有意義に読めた。読後も枕元文庫の仲間入りをし、ベッドのなかでときどき適当に開いては読みふけっていたりする。著者自身の謙虚な姿勢と旺盛な冒険心、さらに小気味のいいユーモアセンス。本書に限らず、高野本は本当に面白い──珍しく複数(といっても4~5人だが)の友人に「読んだか? 読んでない? 面白いゾ!」などとオススメしているほどなのであった。

  ・・・・と高野秀行とその著作をめぐる雑感については別の機会に改める。今回取り上げた本書に、(たぶん)著者の思いとは別の視点で興味を引いた箇所があり、単にそこを取り上げたいと思ったのであった。

  本書は40編のエッセイと4本のコラムからなっているが、今回取り上げるのは「タイ人の愛国心はあるか?」というやや生臭いタイトルのエッセイである。そのなかにこんな記述があるのだ。長くなるがそのまま引用する。

>タイは、日本や他のアジア諸国同様、長くて深刻な不景気の状態にある。会社はどんどん潰れ、多くの人がリストラされたり、破産したりしている。ところが、こういう状況下でも儲けている人間はすごく儲けており、日本への観光ツアーにやってきては、買い物をしまくるという。日本に住んでいる彼女はときどきその通訳兼ガイドをする。
「そういう人たちってすごいんですよ」と彼女は言う。すごいのは不況下でお金をたくさん持っていということではない。「あの人たちは、今の不況がもっともっと長引けばいいと思っているんです」
  いったいどういうことか。彼女によれば、彼らは、タイ・バーツの下落により商売が逆にうまくいっている輸出業者だったりするのであり、景気が回復すると、バーツの価値が上がり、商売のうまみが減る。ライバルもたくさん現れるので困る。だから、今の状態がいい。
  それだけではない。彼らは日本に来て、日本の発展ぶりを目の当たりにする。しかし、それを羨ましいとはかならずしも思わないのだという。なぜなら、みんなが豊かになったら、物価が上がる。人件費も上がるから、従業員の賃金もかさむし、民主的な考え方が広がったら賃金闘争や労働条件の改善を訴えられたりする。(249~250ページ)

  鋭い方はもうお気づきなのに違いない。ここでは日本で暮らすタイ人女性の話として著者が綴っている「タイ人」の姿の例なのだが、これがあてはまる日本人もかなりの数にのぼるのではないかと思うのだ。むしろ日本を映す鏡だ。

  とりわけオレが着目したのは、「民主的な考え方が広がったら賃金闘争や労働条件の改善を訴えられたりする」というくだりである。それこそが財界や自民党らの本音──もちろん、そうでない人物や組織もあろうが──なのではないのか? 

  おそらく、同じセンスは習近平だの北朝鮮のふとっちょなどにも共通するんじゃないかと思うが、そんな連中よりも自民党幹部だの「アベトモ」だののツラを思い浮かべるほうが、祖国や自分のためというものである。

  本書では、こうした点について日本との比較を(おそらくは「あえて」)避け、本稿もある種のユーモアまじりで巧みに締めくくっている。しかし、書かれてから二十余年が経ち、著者が内心でどのような所感を抱いているのか、興味のわくところではある。


 

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2022.07.18

涅槃もどき・・・の巻

Butan02
  だいぶ古い本になるが、最近になって読んだ『秘境ブータン』(中尾佐助/岩波現代文庫・初出1959年)に時空を超えたナイスな皮肉が書かれてあったので以下に引用してみることにした。
(以下、前掲書42~43ページから引用)

> アッサムを結ぶ国有鉄道のマル・バザールの駅に着いたのはまだ七時前の雨の中だった。私達はうす暗い駅長室でランプをふけて朝食をとって列車を待ったが、定刻八時になっても列車の音さえしなかった。インドの汽車旅行はいつもこれだ。ただもう待つ以外の方法はない。どこで列車がどうなり、何時間おくれるのか、一切通信はない。たくさんのインドジンは何事もないように悠然として待っていて、怒っているものは一人もいない。彼らは時間や年月を超越しているのだろうか。インド人の考え方を哲学的に考察して、このような結論を出したのを私は読んだことがある。しかし私がインド人のインテリと、汽車を黙って待っていることについて話しあってみると、彼らは時間を超越しているので平然としているのではなく、どうすることもできないのであきらめているだけだ。「インドの鉄道はホープレスだ」 改善の希望のないところで、改善のための努力がないのは当然だ。(中略)日本のもう一つの国有企業であった電話をとってみると、その新設が普通の日本人にとって「ホープレス」になったまま、いつ自由に家庭に電話がつけられるか見当もつかないままだ。電話の新設申し込みが、十年以上待っても、つかないことは普通だ。それで日本人は電話の不自由のため郵政大臣の辞職をせまることなく、平然としているのだから、これも外国人から見たら、インド人が平然といつ着くともわかない列車の到着を待っているのと同じことだろう。
(引用ここまで。太字は引用者による)

「インド人のインテリ」(単体? 複数人?)というサンプリングが適当かつ十全かという問題や、オレ自身にとっても日本の電話云々が「本当にそんなザマだったのか?」と当時のことが理解しがたいという点はあるにせよ、この比較が面白い見方であることに変わりはないと思う。

 ところで本書。
 以前にブータンをかじってみたいとネットで書籍を調べてみたことがあるが、出てきたのは「幸せの国」がどうのというステロタイプの内容ばかりでガッカリしたことがあった。その後、本書など数冊の良著と出会えたのだが、ぜひ一読をおすすめしたい一冊である。


 

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