2015.08.18

ついナゾ解きにのめり込み・・・の巻

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  往年の名ピアニスト、ミケランジェリのショパンの入手。コンサートでの収録ではなく、録音のためにホールを借り切ったようなのだが、解説にある「完璧主義者」という人物像は、この盤の収録スタイルにも現われている。すなわち、ライブでもないのに“通し”で演奏しているのである(一部に“幕間”はある)。それぞれが独立した曲目で構成されているので、ライブであっても曲ごとに独立させてもおかしくはないのだが、流れのままに演奏が展開。もちろんそこにはスキがない。ライブ同様の緊張感がメリメリっと伝わってきた(これの真逆例をつぎに紹介)。

  曲目もバラエティがあっていい。「ピアノソナタ」は欲をいえば2番ではなく3番をビジュアルつきで楽しみたかった気もするけれど、「幻想曲」と「子守歌」というシブ目の選曲にはグっときた。同じく収録されている「スケルツォ2番」と並び、個人的に好んでたしなんでいた曲でもある(かれこれ10年以上はご無沙汰だが……)。それにして、も。1952年に1962年か。ともにオレが生まれる前じゃないか。もちろんショスタコービッチの存命中である(1975年没。前回アップ参照)

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  こちらは中古盤を購入。「前奏曲集」と2つの「練習曲集」、さらに「ピアノソナタ2番」というラインナップ。いずれも聞いてシビレて見てシビレる名曲だが、残念ながらDVD作品としては失敗作だと断言したい。
  なにがいけないかといえば、それぞれの曲と曲との間をいっちいち途切れさせてしまっているのである。
「前奏曲集」は全24曲、2つの「練習曲集」はいずれも12曲からなるが、先のミケランジェリの収録とは逆に1曲ずつ個別に演奏したものを収録。たとえば「前奏曲1番」、そのわずか30秒ほどの曲が終わると画面が黒くなり、「OP.28-2」との字幕が予告のように現われ、やっとこさ「前奏曲2番」がはじまるという案配だ。もちろん、「曲集」だといって必ずしも通しで演奏しなければならないということはないし、実際に抜粋で演奏されたり録音されることは普通にあるが、この盤では全曲を披露している。それなのにこれでは、「曲集」にすらならないとはいえないだろうか。

  ご存知のとおり、「前奏曲集」は平均率の全調性を主調に24曲を配置、ハ長調にはじまりイ短調〜ト長調〜ホ短調〜という具合にニ短調まで5度循環で網羅している。「練習曲集」も前後に関連をもたせた調性で構成されているといってもいいだろう。それはたとえば「ピアノソナタ」などとは異なるかもしれないが、ショパン自身が曲集として各曲に結びつきをもたせたのは明らかである。したがって、曲と曲の“間”もまた重要で、あるていどの余裕を持たせる解釈が可能な箇所もあれば、逆に「attacca(曲と曲との間を切れ目なく演奏)」あるいはそれに近い流れで演奏する箇所だってあるハズだ。これは、単に“間”の取り方ということではなく、曲集を支配すべき緊張感を失わせかねない大問題。なのにこの盤ではかようなブツ切りにしてしまっているのだからよくわからない。それが狙いなのか、曲によって照明に変化をつけたりしており、ある種の“実験”としては個人的にも興味を惹くけれど、残念ながらマトを得ているようには思えない。そんなモノに凝る前にもっと素直に音楽を楽しませてほしい(一部を除き、演奏と曲中のコンテはまぁまぁ)。

  ついでに。どうせ「OP.28-1」だの「OP.10-12」だのと字幕で出すんなら、調性と冒頭の速度(発想)記号を挿入するぐらいのセンスがほしかった(笑)。しかし、クラシック音楽DVDといえども、ジャストミートで「お気に入り」に遭遇するのは案外難しいものだ。演奏そのものに不満を覚えることもあるし、こうして演奏以外の部分に憮然とさせられることもしばしば。もちろん感激することも多いが。コレは“毒”とまではいかないけど、残念だった1枚でありMASITA。

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  さて、前回のショスタコービッチに続き、ちょっとだけショパンについての独断的ウンチクを。

  譜例は「前奏曲2番(イ短調)」の冒頭部分である。しかし、これはホントにイ短調なのだろうか?  前項でふれたとおり、ショパンの「前奏曲集」は平均率24調のすべてを5度循環で網羅した曲集であり、それぞれの曲の調性は非常に重要な意味合いを持っているハズだ。ところが、この2曲目にその主調である「イ短調」を見い出すことは難しい。旋律は出だし2小節こそイ短調が窺えるものの、3小節目では早くもファ#(fis)が現われイ短調を否定。明確な終止形を見せないままに推移してゆく。伴奏にあたる低音部は冒頭で第5音ミ(e)をベースにしドミナントを意識させるが、解決とは程遠いままに不思議な和声が展開してゆくのである。
  したがって、ショパンのほかの曲から感じとれる「イ短調の色彩」とはかなり隔たったまま、聞き手は不安なときを過ごすこととなる。



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  わずか24小節のこの曲が、ハッキリとしたイ短調を主張するのは結尾の3小節、そこにあるカデンツだけだと強弁することも可能かもしれない。
  ちなみに、この曲でもっとも面白いと思うのが、上の譜例にある4小節目。実際には16小節目にあたるが、ここにきてやっとファ#(fis)ではなくファ(f)が現われるからだ(⇩部分)。イ短調とはいいながらファ#が支配的なままに推移し、結尾が近づいてきたところで突然のようにイ短調の姿が明らかにされる。ある種ショッキングなファ音。しかし、この曲集にあって、ショパンはなぜこのようなあやふやな調性の曲を書き上げたのか……。などと勝手なことを書き連ねたくなるのだが、この2番は14番(変ホ短調)と並び個人的に大好きな曲なのであるо(^ヮ^)о

※ついでながら、ショスタコービッチの交響曲6番は、一般的には「ロ短調」ということになっているが、冒頭では「ホ短調」で推移している(ほかにもこういう曲はあるが……)。⇩大好きな14番。



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  2曲目は「前奏曲11番(ロ長調)」を挙げてみた。さきに「イ短調の色彩」と記したが、この曲もまたショパン的「ロ長調の色彩」とはやや隔たりがあるように思う。わずか27小節。明確な転調すらしていないにも拘わらず、その和声にどこか頼りなさげな印象を抱いてきたのだが、その理由として推察のヒントを譜例に記してみた。「D」はドミナント(この場合、コードネームでいえばF#7)、「T」はトニック(同じくB)である。冒頭2小節の単旋律のあと重音となるが、トニックではなくいきなりドミナントが鳴り響いている。ところが、次小節でトニックになるものの旋律・フレーズともに終止的な解決を感じさせないまま、ふたたびドミナントへと移ろってしまうのである。この雰囲気は結尾まで一貫しており、ベースの動きは完全終止を見せながらも旋律がそれを嫌うかのように流れてゆく。結尾6小節の色彩は十分にショパンのロ長調ではあるのだが、よくよくみれば不思議な魅力のある曲ではないだろうか。

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「前奏曲17番(変イ長調)」もその調性がゆらぎかちな曲だ。譜例はその冒頭の8小節目まで。最初の和音はコードネームでいえば「A♭onE♭」。ややこじつければベースのE♭が省略されたまま主和音ではじまっているとの解釈もできるかもしれないが、コレはれっきとしたドミナントである。和音が変わる3小節目は「E♭7」、すなわち変イ長調のドミナント。ところが、つづく4小節目で解決を避けるかのように「A♭7」(和声学でいう借用和音=この場合「Ⅳ度Ⅴ度」)が現われ、同様にドミナントが解決すべき8小節目もベースでは偽終止をみせながら他調の属7を借用することにより解決を避けている。この曲で主調の終止形が現われるのは17〜18小節目になってからであり、ここでやっと「Ⅴ→Ⅰ」の形で完全終止をみせるのである(つづく19小節目からは目まぐるしく転調が展開するが)。
  こんなのは作曲のテクニックといってしまえばそれで片づいてしまうかもしれないけれど、この曲が「前奏曲集」の1曲として紡ぎ出されたことにどうもこだわってしまう……。

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  ショパンの和声は比較的素直だが、和声学の題材としてはあまり用いられていないようにも思う。これは同じ時代のシューマンや、時代を前後するモーツァルトやフォーレといった作曲家の作品がそれぞれの「スタイル」として研究されてきたのに比べると不遇な感じがなきしにもあらず。そのせいか、和声に関する専門的な論文の類に乏しく、いまだに消化不良のままナゾ解きのさなかにある箇所も少なくはない。

  譜例は「前奏曲6番(ロ短調)」の結尾部分である。この4小節目のドミナントは9小節目冒頭でキレイに解決しているが、その3拍目に種和音の第7音である「ラ」が忽然と現われる(⇩部分)。この第7音は、ここだけにポツンと姿を見せるだけで、素直に「ソ」に解決するのでもなければ、その後に顔を出すワケでもない。まさに忽然と現われては消えてしまう正体不明の音ではないか。ショパンの手によりアクセント記号が施されており、意図的な音であることは間違いないのだが、はたしてその狙いは……?  こういう不思議に遭遇するのもまたショパンの楽しみでもあるのだ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ところで、6小節目冒頭にペダルを踏む指示があるものの、離す記号がないままに終止線を迎えてしまう。こうした例はショパンの全楽曲を通じてみればかなりの数の及び、「前奏曲集」では、この6番のほか1・7・9・11・16・17・18・19・20・21・22・23・24番と半数を越えている(逆に、明確に指示されているのは5・13・15番でほかはペダル指示そのものが省かれている)。案外、こんなあたりにも深遠な意図が隠されているのかもしれない……。

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  同様に「前奏曲23番(ヘ長調)」にもナゾの1音がある(⇩部分の「ミ♭」)。主和音の繊細なアルペジオで静かに収束するこの場面に、ポツンと第7音──それも下属調の属7を臭わせるように♭が施されている(それもアクセントをつけて)──が浮かび上がり、ほかの音とともに彼方へと消えてゆく。ペダルは最後まで踏まれたまま。このいくらか不安定な響きは、つづく終曲(24番)の情熱的なパッセージへとつながっているようにも思える。

  これについては、だいぶ前になにかの論文を読んだ記憶がある(残念ながら肝心の論文あるいはその掲載誌が所在不明なため正確な引用と出典を明らかにすることができないが……)。たしか、ショパンのマズルカなどに見出せる旋法(フリギア旋法だったか?)とを結びつけた内容で、この「ミ♭」を24番の主音「レ」に向かう「下降導音」ではないかとの解釈あるいは示唆だったように思う。24番の主調・ニ短調における「ミ♭」は「ナポリの6度」を構成する音でもあり、この和声をショパンが好んでいた点にも触れられていたハズだ。


  それでは、問題の23番と24番を……。





  こういうのは、あらためてその筋の専門家に師事するなり、資料に没頭するなりすればある程度の解決はできるのかもしれないが、ココで書き連ねたのはそうした学問としてのウンチクなどではなく、じつは単なるナゾ解き遊び(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  (音楽にしろ文章にしろ映像にしろ)ある作品をきっかけに、その裏側や側面も味わってしまいたいという遊びの一種なのでごぢいます。

  ついダラダラとやってしまいMASITA(最初の心づもりでは練習曲集のほうをやるつもりだったのだが、それはまたいずれ)。今宵はこのへんにて(シメに前奏曲第1番を)……。


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2015.08.12

待望四半世紀(後編)...の巻


  前回アップに続き、ショスタコービッチの話を。



▲交響曲13番(リンク切れ御免。以下同)

  件のDVDボックス(前回アップ参照)を入手して、まっ先に再生したのがこの曲であった。純粋な意味で「交響曲」と呼べるのかどうかという議論はありうるかもしれないが、ショスタコービッチの究極の形があると勝手に思い続けている。

「バビヤール」という表題を持つこの曲は、エフトゥシェンコの詩によるバス合唱とソロを伴っており、楽章それぞれに詩にもとづく表題がつけられている。すなわち、
・第1楽章:バビヤール
・第2楽章:ユーモア
・第3楽章:商店にて
・第4楽章:恐怖
・第5楽章:出世

  である。

  各詩については、日本語版ウィキにその全文が引用されているのでぜひご一読いただきたい。
Wikipedia_交響曲第13番_(ショスタコーヴィチ)

  この曲は、何度か当ブログで紹介したことがあるので、あまり深入りはしたくない。それをあえて冒頭に持ってきたのは、DVD発売とそのモトとなった連続演奏会というプロジェクト、その意味をこの曲からも推し量れるのではないかと考えたからだ。

「(残念ながら)世界は不協和音に満ちています」
  このDVDの解説で、指揮者ゲルギエフがこのように語っているところがある(抄録)。個人的には、不協和音もまた美しく、(音に限らず)多様性があるからこそ世界や音楽は素晴らしいのだと考えており、そういう意味でそのたとえについて引っ掛かりを覚えなくもない。が、ゲルギエフが言わんとすることの意味は十二分に伝わってくる。世界は、じつは未曾有の危機的状況のさなかにあり、近現代史の証言者としてのショスタコービッチの価値、そしてメッセージを、いままさに明らかにし伝えてゆくべきなのである。
  もちろん、その「危機」はわが国にも顕在化している。

「私の身体の中にユダヤ人の血はない。だが激しい敵意を込めて私は憎まれる。全ての反ユダヤ主義者たちからユダヤ人として。ゆえに私は真のロシア人なのだ!」(第1楽章)

「さぁ、かくれんぼ!  彼ら(為政者たち)はユーモアを牢獄に閉じ込めたが、うまくコトは運ばなかった」(第2楽章)

「(ガリレオと同時代の学者)は地球が回るということを知っていた。(中略)そして自分の信念を曲げ、妻と立派な馬車に乗って、これこそが立身出世と思っていた(中略)〜。ガリレオはひとりで危険を冒し、そして彼は偉大になった」(第5楽章)

  わが祖国──その現代のザマを見据えたかのような皮肉に満ちた詩だが、おそろしいのはこれがわが国だけが例外ではないうことであり、ゲルギエフの思いもそんなあたりに収斂するのではあるまいか?

  ゲルギエフ自身は楽曲解説にあって「ショスタコービッチが政治的プロパガンダを込めていたとは考えていない」といった見方を示している。それはそのとおりであろう。なぜかといえば、平和や自由、幸せな未来への願いというのは、本来は政治とはなんら関係がないからだ。それを政治問題にスリ替えているのは、常に平和を敵視する側であり、ショスタコービッチ、あるいはゲルギエフは、そのレジスタンスとして不偏の思いを音楽に託しているように思えてならないのである。

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  ところで、ひところショスタコービッチの交響曲をピアノ用にアレンジするのに凝っていたことがある。そんなことを思い出したので書庫をあさってみたが、みつかったのは1冊のノートだけ。コレはそのなかに収められていた「交響曲13番・バビヤール」のピアノソロ版、その出だし部分である(つくったのは1楽章のみ。その終止線のところに94年10月10日とあった。歳をとるワケですね・笑)。

  こうしてみると音の構成そのものは至極単純。このノートにはほかに5番(1楽章)があったが、ココに納められていない作品では、4番(1楽章……ただし途中で挫折)と5番(3楽章)、11番(1・3楽章)、12番(全楽章)、15番(1楽章。コレのみ4手)をアレンジした。いずれの曲も意外とシンプルであることに驚いた記憶がある。ただ、そのシンプルさゆえピアニスティックな表現に置き換えるのが難しく、実際に弾いてみても即座に爽快感が得られづらかったように思う。

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  そんななかわりと面白かったのが4番の冒頭で、できればそれをココに載せたいと思ったのだが肝心のノートはどこへやら。その4番の快感には及ばないけれど、13番1楽章のクライマックスから再現部にかけては、いくらかは弾いて楽しいアレンジにすることができた。
  練習番号「20」以降、一気に盛り上がりをみせるが、右手部分にあたる旋律は冒頭第1主題のベース部分が用いられている。譜面上で単純化されるぶん、曲の構成などを分析しやすいという利点もあるのである。

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  上のつづき。いま思えば、2小節目と4小節目の左手にある16分音符の3連符はオクターブでもよかったかもしれない。弾くのは億劫だが(笑)。

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  こちらは5番1楽章の展開部。アレンジした人間のセンスのなさはともかく、こうしてみるとホントに単純なつくりだ。
  その5番。一般には「革命」の表題で知られ、演奏される頻度が15曲中でもっとも高いのではないかと思うが、とっつきのよさでもピカイチだなとあらためて実感。いま、仮に「入門にはどれがいいが?」というリクエストを受けたとすれば、やはりこの曲を選ぶに違いない。ちなみに件のDVDに収められているのは文句なしの名演!
「いやぁ、いい曲ですなぁ……」
  と、いまさらながらに感激しMASITA。



  しかし、たしかに5番は素晴らしいが、どれが最高傑作だと思うかという問いを受けたとしたら、この8番を筆頭に挙げたい。規模が大きく、ポピュラリティという点で5番のような明解さに乏しいきらいはあるものの、曲の構成美であらためて瞠目させられたからだ。各主題に派手派手しさはないかもしれないけれど、じっくりと耳を傾けていると、音楽のほうが自然と感性に寄り添ってくる。ちなみに、ゲルギエフも最高傑作との評価をしており、「曲の演奏後の拍手も余計」ぐらいな強い思い入れを語っていてうれしくなった。上の動画も、つい聞き入ってしまったが。

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  ショスタコービッチの交響曲には、あっと驚くような締めくくりをする曲が多いが、この8番もそのひとつであろう。譜例(以下、ピアノアレンジしたワケではないので解説用にMacでつくろうかと思ったが、途中で面倒になったので手書きをスキャン。こっちのほうがよほど楽)は終楽章のコーダ。まるで死後の世界を描いたかのような不思議なフィナーレ。件のDVDでは、最後のフェルマータとその後の「間」が延々と時を刻み、やがて両手を下ろしたゲルギエフの目には涙がにじんでいた。4番もミステリアスな顛末を迎えるが、深みという点ではやはり8番にこそグっとくる。



  一方、11番も驚きのフィナーレへ向かってなだれ込んでゆくが、全楽章を通じてドラマチックで聞きやすい曲なのではないかと思う。

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  譜例は第4楽章コーダの導入部。不穏な空気に包まれたかのような出だしである。なにしろ、「血の日曜日事件」が題材とされているのだから、出来のいい長篇映画に接するようなものかもしれない。

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  こちらはその結尾。上段下声部の「C-ne」は「鐘」である。主音「ソ(g)」がトゥッティで強奏されるなか、鐘のみが第3音を響かせてゆく。いわく「シ(h)」と「シ♭(b)」。言い換えると長調と短調とがめまぐるしくせめぎあっているようでもあるが、どちらともつかないまま主音のみで、突然のようにドラマが締めくくられる。
「カッチョよすぎる!」
  学生のときはじめて聞いて、一本取られたまま起き上がることができなかったのを思い出す。

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  同じように13番にもノックアウトを喰らったものだったが(こちらはむしろ終楽章の導入部分にやられた)、最後の交響曲となったこの15番の締めくくりもまた、あっと言わせられるには十分のインパクトであった。
  譜例はそのコーダだが、練習番号「147」の3小節目で弦楽器が主調主和音の空虚5度「ラ・ミ(a・e)」を奏で、それが最終小節までタイで結ばれてゆく。練習番号「148」からは打楽器のアンサンブルが加わり、これがフィニッシュまで重要な役割を果たすのだが、シロフォンとチェレスタ、ティンパニーが主題の再現を含むかすかな旋律を浮かび上がらせ、やがて主和音の彼方に消えゆくさまは、4番や8番にも通ずるあの世への入口か。そして訪れるとどめの1打。トライアングルのアシストを受けるようにして、チェレスタと鐘が主和音の第3音「ド#(cis)」を静かに響かせるのである。
「やられた……」
  こうして「1本」また「1本」と取られてはショスタコービッチのトリコになっていったわが半生……(笑)。

  ちなみにDVDのこの曲はまごうことなき超名演。聞きながらシアワセを噛み締めたのはいうまでもない。



▲交響曲15番

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  おまけ。件のノートに「春の祭典」もあった(ただしいくつかの場面の抜き出しではあるが……)。こうしてクラシック音楽で遊ぶのも案外楽しいものなのでありますо(^ヮ^)о

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2015.08.06

待望四半世紀(前編)...の巻

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  ショスタコービッチ豪華DVDボックスをゲットо(^ヮ^)о
  交響曲全15曲とピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、チェロ協奏曲の全集盤で、名指揮者・ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団によるライブ作品である(オマケとしてドキュメンタリー「Dmitri Shostakovich─A Man of Many Faces. A Film by Reiner E.Moritz 2015」をプラス)。

  細かに話せば長いことになってしまうが……。これこそが、かれこれ30年近くにわたって登場を待ちわびていた夢の箱なのである(とはいえ、そのころにはDVDはなかったが)。最近になってもときおりこんな案配の全集盤は出てないのかとネットショップで検索しては「ないねぇ……」と果てしなき諦め顔。それが今年4月になってその輸入盤の発売に遭遇することができたのでありMASITA(CDによる全集は交響曲と弦楽四重奏を25年ぐらい前に入手して愛聴してきた)。
  某ネットショップでおよそ1万3000円ナリ。8枚組。激安!  なにしろ、13・14番でそれぞれ5000円、11・15番もそれぐらいならば衝動買いしてもいいぐらいに常々思っていた──もとい、ライブで楽しめるのだったら、レニングラード(現・サンクトペテルブルク)でもどこでも行きたいと熱望していたのだから、これはもうサンシルとチワンが一緒にやってきたような気分である(*注)。とはいえ、収録されたパリでの連続公演、事前に情報を入手しちゃってたらいまごろ困窮に喘いでいたかもしれん(笑)。

  もちろん演奏は素晴らしい。とりわけ15番は超名演の部類に入るのではないかと思うが、8番や6番、2番、さらにチェロ協奏曲とピアノ協奏曲にビリビリときた。欲をいえば、ゲルギエフの指揮姿をもっとビジュアルで堪能したかったとは思うし、11番ラストの鐘がもっと大胆に響けば……などという感想も持ったが、そんなのはこの夢の箱に巡り会った喜びからすればニチボ〜(Ничего=大韓語の「ケンチャナヨ(괜찮아요)」に近いニュアンスを持つロシア語)というものだ。ゲルギエフといえば、箱の写真では指揮棒を手にしているが、実際に指揮台で携えているのは“爪楊枝”(なにも持たないこともある)。それに慣れると、長い指揮棒が違和感たっぷりになってしまうが、あの絶妙な手さばきにはグっとくるほかはない。

*注:サンシル&チワン:ともにあのハンイェスルの名演キャラ。そのふたりのどっちがいいかというのは個人的には究極の問いではあるが、こういう中年男にはなりたいものである(笑)。それはともかく「アカデミー賞」とか役者の賞がありますでしょう?  一般には、「今年は誰(役者)が受賞するのだろう?」といった興味を引くのだと思うが、むしろコレは「誰が?」ではなく「どのイェスルが?」とするのがファンとしてのたしなみでありましょう(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  サンシルとチワン(ハンジワン)──ようはそういうたとえ話(どうでもいいか・笑)。


※ナサンシル(나상실)


  嗚呼、きゃわゆい(リンク切れ御免)


※ハンジワン(한지완)


  嗚呼、きゃわゆい(同上)


※もういっちょさんしら(상실아)


  嗚呼、きゃわゆい(リンク切れ御免)


※ハンイェスルクロニクル한예슬의 크로니클(別画面で開きます・リンク切れ御免)

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  閑話休題(笑)。
  もうひとつ、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」も入手。有名な作品ながら、ライブを含め、映像つきで鑑賞するのははじめてであった
。むしろ大昔にLP(!)で聞いたまま半ば意識の埒外に置いたままだったのだが、さきのDVDボックスの「オマケ」ドキュメンタリーの冒頭に本作が登場しており、そこでふと思い出したという次第なのでありMASU。

  筋書きはシンプルにして陰惨……。革命以前の帝政ロシア時代。裕福な商家に嫁いだ女性をめぐる事件を描いた物語である。主人公カテリーナはカネ持ち商家での食客暮らしに退屈極まりない日々を送っている。そんなある日、新たに雇われた遊び人セルゲイに手篭めにされメロメロに。やがて高圧的で意地悪な舅をカテリーナが毒殺、夫もふたりで殺害してしまうという2時間ものサスペンスドラマ顔負けのストーリーが展開してゆく。
  カテリーナが手篭めに(もっとハッキリと記せば強姦)される場面は、この作品に名声をもたらしたとともにあのスターリンの憤怒を買ったといういわくがあるのだが、興味のひとつはこれがどのように演出されているかということであった。はたせるかな、“鬼才”とも称される演出家クシェイは破天荒ともいえるシンプルな舞台セット(コレが、大韓式ズルムケ風俗店とクリソツときた)を設え、そこにめまぐるしい視覚的効果を加えることによってこの生々しい場面を描ききった。「驚いた!」というのが正直な感想だ。──蛇足ではあるが、映画などで挿入されるベッドシーンがじつはあまり好きではない。ひょっとするとあれはある種のサービスという狙いもあるのかもしれないが、「別段、ここでそんな場面がなくったって十分に物語は描けるだろうよ?」ぐらいに白々とさせられることが多い(もちろん、すべてがそうだとまでは思っていないが)。そういう意味でも本作の描写・演出には感服せざるをえなかったのである。

  事件はやがて官憲に知られることになり、悲劇的な結末へと進んでゆくのだが、後半の描写は存分に風刺的であり、コミカルな毒に満ちている。当時、上演されるや爆発的な人気を集め、連日のようにラジオ放送されるなど広く庶民に親しまれたという。現代ニッポンで、クラシック音楽あるいはその1形態としてのオペラが一般的にどのように捉えられているかとも思うのだが、なんのといってもエンタテイメントなのである。これを「芸術」などとカテゴライズするからいらぬ誤解を招くのであって、たとえばオレ自身にとっては、クレイジーケンバンドのライブに興奮するのも、大韓ドラマでハンイェスルに萌ぇ〜っとくるのも、ショスタコービッチやショパンに心酔するのも、それぞれ根っこはまったく同じ。エンタテイメントのある人生は楽しいということなのである(ちと大袈裟か・笑)。念のため……、あえて名称は挙げないが、“お子さまの学芸会”に毛の生えたようなシロウト芸をCKBやショスタコービッチなどと同列にできるとはこれっぽっちも思っちゃいない是!

  ところで。最初に見た直後、友人の音楽家デラTこと斉藤恒芳に「よかったヨ」とメールを送ったところ、ヤツは以前にパリでライブに遭遇したことがあったとかで、その感想を送ってよこした。いわく「ただのメロドラマのような気が……」(まぁ「……」にかすかな良心を感じさせるが・笑)。さらに、「(そのときの)新聞の書評に、まさにソープオペラ(昼ドラ)だと書いてあったよ」ときた。「チッ!」と思ったのであれこれ言い返してやろうかと思ったが、代わりに「ケッ!  エッラそうに、おフランスでお楽しみだってヨ!」と盟友SとRにメールを送ったところ、「もっと言ってやれ!」との励ましが。持つべきものは友である(笑)。

※ムツェンスク郡のマクベス夫人(リンク切れ御免)


  ついダラダラとやってしまった。次回アップにいくつかの曲への思いなどを……。

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2009.03.16

ちょこっと音楽の話、...の巻

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 唐突ですが本の紹介。
 裏方の仕事はあまり公開しない主義なんだけれど紹介しておきます。本書『二十歳の原点ノート』(高野悦子著。カンゼン刊)はベストセラーかつロングセラーのリバイバル版。ちょっとねぇ……。あれこれ感じさせられるところのある内容なので、ぜひお手にとってくださいませ。この続編になる『二十歳の原点序章』と『二十歳の原点』も近日発売予定であります。

Kalkbrenner

 話はかわって。
 だいぶ前に、当ブログ「嗚呼、カルクブレンナーの巻」でカルクブレンナーのピアノコンチェルトについて情報を求めたところ、コメントでありがたい情報をいただいた。紹介していただいたのは「HMSLP」というサイトだが、おかげさまでスコアを入手することができMASITAo(^ヮ^)o あらためましてありがとうございます。
 で、ついでに調べてみたら、近年になって注目度ががぜんアップしてきたらしく、この曲の日本初演(?)もあったとかなかったとか。しかし、ショパンに影響を与えた作曲家としては知られている人物であるし、このコンチェルトもそうした豆知識的に流布されてきたハズ。曲も親しみやすい内容であり、逆にいえば、いままでコンサートのプログラムに載ってこなかったことのほうが不思議に思えてくる。ご興味のある方は、ぜひCDを探して聞いてみてほしい。

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 初演といえば、かつてショスタコービッチのシンフォニー第4番のを聞きに行ったことがある。こちらはちょこっと難解なふうでもあってなかなかオススメはしづらいのだけど、久々にカルクブレンナーのCDを取り出すさいにゴソゴソやっていたら、このシンフォニーのピアノソロ版が出てきた。
 じつは、ひところオーケストラ曲のピアノアレンジに凝ってた時期があって、この曲や同じショスタコービッチの13番や15番などを2手ないし4手用に編曲しては遊びで弾いたりしていたのだった(うち13番の第1楽章はMIDI化してあるので、版権などの問題がなければアップしてもいいのだが……)。
 ちなみに、4番のほかに10番のピアノ版のCDを入手しているが、タマに聞くと同じ曲なのにだいぶ新鮮な感じがして面白い。ついでながら、この4番では第1楽章再現部がメリメリ(feat.横山剣)っときMASU。

Shostakovich_15

 そういや、15番をピアノとバイオリン、チェロ、チェレスタ、パーカッションにアレンジしたこんなCDも出てきた。大好きな1曲。とくに最後のcis音がイヤ〜ンな響き。

Field

 こちらは、カルクブレンナーとならんでショパンが影響を受けたとされるジョン フィールドのノクターン集。正直なところさほどの感銘は受けなかったので研究用(?)か……。

Bennygoodman

 あと、今週買った1枚がコレ。なんか突然聞きたくなったんです。「そうだ、ベニー グッドマンがいい!」ってな感じで。名高い「sing,sing,sing」あたりに、ごく幼いころ「メリッ」ときていたような気もするのだが、こういうフラッシュバック的になにかを聞きたくなることはよくありますよね?

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2007.04.06

Mitchell408...の巻

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 ミッチェル408。
 個人的に、スピニングリールの最高峰と絶賛してやまない“名器”である。

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 子どものころ、オヤにねだって買ってもらい、ルアー釣りなどでよく使っていたものだが、某所で釣りをしている最中に盗まれて、それ以来の再会がなんとも懐かしい。コンパクトにかつ高機能にまとめられているだけでなく、デザインが洗練されているあたりがとてもイイのである。
 絶版となって久しいらしく、なかなか再会が果たせないでいたが、ある知人が「自宅を片づけていたら出てきたヨ」と譲ってくれた。
「修理部品もないらしいし、まぁ鑑賞用だね」
 とその人物は言うが、現役のままといっていい快調さがボディーに漂ってはいまいか?

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 それはそれとして、“観賞用”になっちゃうリールというのもすごい。しかしはやはり道具は使ってこそ価値が生きる。このところ釣りにはほとんど行かなくなったけれど、今年はコイツを持ってどこかに繰り出してみようかなと思っている。

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2005.02.09

女流雀王戦観戦その2・・・の巻

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 1月18日にご紹介した「女流雀王戦」観戦記の第2弾である。

 結果については「近代麻雀オリジナル」(竹書房)の最新号に掲載されているが、応援中の横山明香さんは、残念ながら優勝を果たすことができなかった(でも、多数の女流プロを打破っての4位は立派な成績! つぎの戦いに期待です)。

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 結果は横山さんの師匠格・崎見百合プロがディフェンディングチャンピオンの奥村知美プロを破って優勝。最終日のスタート時点では【奥村:101.5P、崎見:95.2P、初音舞:▲11.0P、横山:▲185.7】と奥村プロ優位だったが、安定した仕上がりをみせる奥村プロに対して崎見プロが着々と迫る。一時は【崎見:160.9Pに対して奥村98.0P】と逆転したものの、最終半荘を前に奥村プロが大逆転、【奥村:175.0P、崎見:104.8P】となって、王者の強さをみせつけた。しかし、最終半荘のオーラスを前にわずか33.9P差までに猛追、ラス親の崎見プロが怒濤の連荘を重ね大逆転で勝利をおさめる結果となった。

 卓上の4人の美女は、最終半荘あたりではかなりの疲労がみられたが、観戦するほうにもなかなか体力がいる(笑)。が、「今日の勝負は面白かった」という日本プロ麻雀協会の土井泰昭代表のコメントどおり、最後まで楽しめる戦いだったと思う。麻雀というゲームが、もっと親しまれるようになればいい。

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・優勝した崎見さん。

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・横山さんは堂々の4位。つぎは師匠を越えるのを期待!


 

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2005.01.18

女流雀王戦観戦その1・・・の巻


 1月16日。寝台特急「さくら」号で帰京した脚で「第3期女流雀王決定戦」の観戦にかけつけた。

 予選を勝ち抜けた奥村知美(ディフェンディングチャンピオン)、初音舞、崎見百合、横山明香の各プロによって争われる決勝戦は、3日間にわたって半荘15回戦を行なうというもので、この日が最終日である。1日につき5半荘。しかし、たかが5回というなかれ。ふつうの麻雀好きが毎度ながらやらかす徹麻よりも間違いなく濃い戦いであり、体力のいる競技である。

 プロ麻雀もこのところだいぶ認知されてきたのか、CSを中心にテレビ放映にお目にかかることも多い。しかしナマの公式戦を観戦するのははじめてである。「コクがあって、かつ緊張を覚える」というのがナマで味わった感想だ。見ているだけでも体力がいる(取材旅行帰りということもあるか・笑)。しかし、対局者の緊張度と疲労はもっとであろう。4名のプレイヤーの熱気が終始まとわりついてきた。主目的は横山さんの応援だったのだが、ついつい熱中して試合に見入ってしまった。

 試合の結果などについては後日にアップしたいと思うが(*注)、こうした対局だからこそあり得るようなナゾの打牌や勝負の“流れ”に、ときおりハっとさせられるなど、麻雀そのものの面白さが十分に楽しめたことをとりあえず記しておきたい。意味不明にさえ感じられる牌のうねり。しかし、ひとつひとつの打牌には必ずプレイヤーの意志が込められているのである。卓上に充満する無慈悲な厳しさ。15回の勝負に彼女たちが賭したものはなんだったのか……。


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“師弟対決”・崎見さん(左)と横山さん。仲のいい姉妹みたいですね^^


*注:試合の結果につきましては、2月7日発売の『近代麻雀オリジナル』(竹書房)に掲載されますが、公式戦のパブリシティーとの関係上、このコーナーで紹介するのも7日以降になります。

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2005.01.06

女流雀王決定戦・・・の巻


 個人的に応援している女流麻雀プロの横山明香さんが、さりげに「女流雀王決定戦」の予選を1位通過していたことが昨日判明 (^.^)

 決勝戦は1月10日、15、16日の3日間にわたって行なわれる予定で、ディフェンディングチャンピオンの奥村知美プロと、横山さんの師匠でもある崎見百合プロ、強豪で知られる初音舞プロとの間4名で争われる。ファンには堪えられないメンツである。

 近年、女性の間で麻雀が密かなブームであることはだいぶ知られてきたが、トーナメントやリーグ戦などで日々技を競い合っている姿は、まだまだ世間に露出できているとは言い難い部分もある。今回の大会は数ある公式戦のなかでも女流プロの強者を争う重要なタイトル。ひのき舞台であることは間違いない。横山さんの活躍を期待したい。

 横山さんは昨年夏に某雑誌の記事で取材をさせていただいて以来の大ファンで、各大会の決勝など大一番を迎えたときにはぜひ応援に駆けつけたいと思っていたが、新年早々にその機会がやってきたわけである。あいにく13日からが取材旅行だが、16日の午前中には帰京の予定なので、その脚で応援に繰り出そうと思う。

 決勝の模様などはこのコーナーにアップしたいと思います。・・・それにしても、久々にやりたいにゃぁ、麻雀.・.・.・

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