2017.03.16

ロ長調の至福・・・の巻


  今回は、久々にクラシック音楽をめぐる無駄話を……。
  もっとも敬愛している音楽家がショパンであることはなんどか記してきた。聞いたり弾いたりするだけでなく、楽曲などをめぐりあれこれウンチクというかナゾ解きに興じてみるのも楽しいものだ。

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  で、今回取り上げてみたのはショパンの楽曲における調性である。たとえば、『ショパン マズルカ 演奏と解釈への助言』(山崎孝/音楽之友社)を開くと、
「変イ長調という調性は、ショパン好みの調性であることは周知の事実である」(179P)
  といった記述があるし、同世代に生きたシューマンが組曲「謝肉祭」のなかの変イ長調の1曲を「ショパン」と名づけていたりもする。オレ自身もまたショパンにとっての変イ長調という調性を特別視してきた。だが、本当にそうだろうかとふと思ったのである。

  たとえば──といっても個人的な好みにすぎないが──ショパンの変イ長調にどれだけの傑作があるだろうか。著名な1曲として「英雄ポロネーズ(作品53)が思い浮かぶが、演奏会向けではあっても傑作とは思えない(トリオにはグっとくるけれど)。ポロネーズでいえば、同じ変イ長調ならば「幻想ポロネーズ(作品61)」にむしろ霊感めいたものを感じるし、嬰ヘ短調(作品44)のほうがよほどの問題作だ。変イ長調で目立つといえば、あとは「ピアノ協奏曲第2番(作品21)」の第2楽章ぐらいか……。

  そこで集計してみたのが上の表というワケだが、曲数でいうと変イ長調(As-dur)が29曲で堂々のトップ。のっけから“仮説”以前の“疑問”の根拠がなし崩しになってしまいMASITA(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  次点が21曲でイ短調(a-moll)だというのをどう解釈するのかはひとそれぞれだろうけれど、両者の差が歴然としているのではいかんともしがたいではないか(笑)。
  ただ、ショパンの故郷・ポーランドの民族音楽に由来する「マズルカ」の6曲はともかく、「ワルツ」で29曲中の8曲を占めるというのが興味を引く。これらのなかに、“重要な曲”がどれだけあるかという視点においてだ(イ短調・作品34-2や嬰ハ短調・作品64-2あたりはо(^ヮ^)о)。

  *表はC(ハ長調)からd(ニ短調)まで、「前奏曲集」(作品28)と同様の循環で並列しました(大文字=長調、小文字=短調)。カテゴリ中の「マズレック」は「マズルカ」と同義ですが、ショパン自身の命名に合わせて別項目に。「ほか」は「ロンド」や「幻想曲」「舟歌」「ピアノ三重奏曲」などが該当。(*1)などの数字はピアノソナタなどにおける各楽章の主調をカウントしたものです。なお、誤りがありましたら御指摘をいただけると幸いです。

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  ところで、独断で傑作中の傑作を列挙してみると……、
・ポロネーズ:作品26-2(変ホ短調)、作品44(嬰ヘ短調)、作品61(変イ長調)
・マズルカ:作品33-2(ニ長調)、作品56-2(ハ長調)、作品59-1・3(イ短調・嬰ヘ短調)
・バラード:作品52(ヘ短調)
・即興曲:作品51(変ト長調)
・前奏曲:作品28(24曲全曲──とくにハ長調・変ホ短調・ヘ短調)
  あたりを挙げたくなるが、なかでも上の譜例に挙げた「マズルカ・作品59-3」(嬰ヘ短調ーfis-moll)は“ショパンらしさ”という点で傑出した1曲ではないかと思う。マズルカ独特のアクセント(明確な箇所として譜例末尾から2小節3拍目など)。3拍子と2拍子の混在。ルバート。ソナタ形式に準ずる形式美。そしてこの嬰ヘ短調(第2主題は嬰ヘ長調)の響き……。じつはショパンの嬰ヘ短調にはショパンならではの冴えをみせている曲が多い。たとえばつぎの「前奏曲・作品28-8」もそんな1曲ではないだろうか。

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  ショパンはピアノ演奏法に大革新をもたらしたといわれており、たしかに彼以前には想像もつかなかったような書法をいくらでも見つけることができる。ショパンの楽曲にある種の即興性を見い出すという話はよく聞くが、あるいはこの曲にもそんな秘密が隠されているのかもしれない。それを裏づけるといおうか、ショパンのあまたのピアノ曲には、「難しい箇所」は数知れずとも「(あえて)弾きづらい箇所」は数えるほどしかないような気もしている(気も……というのは、このでまかせを記しているのはピアニストではないものでしてねぇ)。

  同時代のリストもまた、ピアノ演奏(技巧)を究めた音楽家ではあったが、おそらくはショパンとは対極の発想(?)が彼の創作を支えていたようなイメージを抱いている。では、やはり同時代のシューマンの心境はいかなるものだったろうか。シューマンといえば、ショパン17歳のときの作品「ラチダレムラマノによる変奏曲」(作品2)にショックを受け、「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」と絶賛。その論評を読んだショパンがあまりのとんちんかんぶりに脱毛してまったというのは大ウソだが、その後もなにかにつけ絶賛の論評を発表している。しかし、そのホンネははたして……?  仮にショパンをめぐる小説なり映画なりを創作するとしたら、シューマンこそが主人公に相応しいような気がしてならない。

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  一連の嬰ヘ短調のなかで、もっともカッチョイイのはこの「ポロネーズ」(作品44)でキマリ!  トリオ(中間部)にマズルカ(イ長調=A-dur。単独で書かれた「マズルカ」にはただの1曲もない調性だ!)を挟む規模の大きな楽曲だが、第1主題の激情ぶりがとりわけ際立つ。もっとも、この曲が書かれた1941年ごろのショパンは、比較的健康状態もよく、療養で訪れていたマジョルカ島からパリに戻り、創作活動に没頭していたという。たとえばウィーンに滞在していたころのような葛藤(故郷ポーランドで起きた「ワルシャワ革命」の報を受けた)とは距離があったようだ。

  それにしても、上の表にあるように嬰ヘ短調を主調とする楽曲はわずか6曲(うち「ワルツ」1曲はショパンの作でないとする意見がある)。ここで取り上げなかった「ノクターン」(作品49-2)のメランコリックな“歌”にも惹かれてやまない(冒頭の主題の22小節にも及ぶ長いスラー!)。

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  いまひとつショパンが描くロ長調にもココロに静かな響きをもたらすような佳品が多い。「ノクターン」全21曲中3曲(作品9-3、32-1、62-1)ともっとも多くを数えるのは、あるいはこうしたスタイルの楽曲にこの調性が向いているとショパンは直感していたのだろうか?  逆に、ただ1曲ある変イ長調(作品32-2)からはあまり冴えが感じられない。
  個人的にはこの3曲ともに好むところで、とりわけこの62-3にはある種の“ファンタジー”めいた世界を想像してしまう。ドイツ北部やポーランドにこんな風景があるような気がした。その平原で聞こえてくるかすかな音は梢だったり波音だったりするのかもしれないが、そうしてまっすぐにさまようような印象を、この曲から抱き続けてきた。

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  同じロ長調でも、「ピアノソナタ第3番」(作品58)の第3楽章からはいくぶん体温めいたものを感じる。だが、作品62-3のAndanteにせよ、この曲のLargoにせよ、そこには“歩み”のようなものが暗示されてはいまいか?

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「幻想ポロネーズ」(作品61)では、前半の山場を走句で締めくくったあとに、テンポを落としてコラールふうの楽想がロ長調で演じられる(譜例はその6小節目以降)。このロ長調もまた、ショパンならではのロ長調だと勝手に思い込んでいる。発想標語にはPiú lentoが与えられており、Largoとは異なるさまよい方をしているような気がするのだが、案外、自分自身はこういう情景を探し求めて旅に出歩いているのかもしれない。以前訪れたバルト海に面した砂浜で、その片隅に繁茂する雑草が示す色彩とのシンクロをかすかに覚えたものだったが……。

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「幻想曲」(作品49)のトリオからも、ショパンのロ長調が強烈に伝わってくる。この曲の主調であるヘ短調の対極調が選ばれたのは、はたして意図的だったのだろうか?

  いまひとつナゾめいている点として異名同音調を挙げておきたい。♯・♭ともに5つ以上が付加されると発生するものだが、多くの場合は♯・♭が6つの調が該当する。すなわち、嬰ヘ長調=変ト長調(Fis-dur=Ges-dur)と嬰ニ短調=変ホ短調(dis-moll=es-moll)である。
  ショパンの場合、異名同音調のうち嬰ニ短調と変イ短調を主調とする曲が皆無だということは子どものころに気がついていたし、上の表でも省略してある。言い換えると、音としては同じであるにも拘わらず嬰ヘ長調を変ト長調とを明確に分けており(「即興曲」と歌曲では双方が混在している!)変ホ短調は徹底して変ホ短調を貫いているあたりにも好奇心をくすぐられずにはいられない。しかし──こんな抽象的な話がどれだけのひとに通ずるかはわからないけれども──、実際に聞くなり弾くなりしてみると、嬰ヘ長調はたしかに嬰ヘ長調であり、変ト長調もまた然り。5曲ある変ホ短調の曲が嬰ニ短調として聞こえてくることはない。

  これまたごく私的な見方ではあるけれど、平均率24の調性にはそれぞれ色彩があり、ことによるとショパンはそういう直感をもって曲の性格をはかっていたのではないだろうか。実際に試してみるとよくわかるハズだが、たった半音をズラしただけで、同じ曲がまったく異なって聞こえてくる(歌曲が原調と異なる調性で歌われるのはごくふつうのことだが、オレはどうしてもなじめないのだ。カラオケを含めて)。はたしてショパンの真意やいかに?

  なんだか曖昧模糊としたボヤキの羅列になってしまったが、今宵はこのへんまでにしとうごぢいます(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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2016.12.10

下世話に欧州・・・の巻

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  パリゆき「タリス」の車窓にお澄まし顔┌〈vv〉┐?

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  その足下にはこんなお顔があるし(座る前から目についていたが、隣席のご婦人の反応を慮りつつ、降りるドサクサに紛れてショット)。

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  ウィーン中央駅にて。大きなお世話だと思った。

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  オカ・・・もといニューハーフ御用達?

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  ワルシャワの街角では哭くのが流行りとみた。しかし、トイトイだって役牌やらドラがからめば容易にハネる。バカにはできんよ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
  この「TOITOI」、ポーランド語でどう発音するのかはわからないが、フランス語ならば「トワトワ」ですね。トワトワトゥロワスキュールソンブルアベックブラントゥロワドラドッカ〜ン!  日本の「○I○I」を大韓人が目撃すると「イイ(이이)」になってしまいますなぁというのはついでの噺。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  ポーランドにもしゅぽ多数。残念ながら、「슈퍼 꼬라지 하고는」をポーランド語に訳すすべがない……。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  新鮮市場。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  本当に0時から7時まで締まっているのかは確かめなかった。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  しゅぽ(スーパー)ではないかもしれないけれど、つい本能がシャッターボタンを押してしまうのであった。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  車窓にしゅぽアリ。

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  ありきたりな観光地なんぞよか、よほどその土地のニオイが漂っているのではないかと思うのだがどうか?

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  슈퍼 꼬라지 하고는〜♪
  WOLA(ボーラ)という靴下メーカーがポーランドにある。ぢうでもいいが。

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  ボゴキン(バーガーキング)ならぬケパッキン(ケバブキング)とは一本取られMASITAね。

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  このツェッペリンのLPが、どのような巡り合わせで21世紀もだいぶ経ったワルシャワの露店で売られていたのか……。いま思えば、日本に連れ帰ればよかったのかもしれない?

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  ワルシャワの街角にも「くむじ」アリランо(^ヮ^)о

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  こちらはソハチェフで遭遇した「くむじ」。

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  やっぱ、主張したくなるものなんだろうねぇ、シャッターがあると。

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  花の都と「くむじ」のコラボ。

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  ペールラシェーズの墓地における「くむじ」事項の数々。

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  ケルン中央駅のキヨスクにて。
「リッタースポーツください」
「いくつか種類がありますけど……?」
「コンプリート!」
「OK^^!」
  よくよくみればイチゴヨーグルト味などの欠品があるが、それよか、こっちに気を取られてたおかげで、ハヌータを買い忘れたのを帰路の飛行機のなかで気づいて地団駄を踏んでしまった。思いきり“チャイナ買い”をするつもりだったのに、コレというのもソウル駅ィ横のロッテマートからリッタースポーツが消え失せたのがいけない。……などと思っていたら、バンコクのスワンナプーム国際空港で2種類ほど発見したが。
  一緒に並んでいるのはショパン生家(博物館にもアリラン)で買ったショパンブランドのビターチョコ(板チョコ)とユーロナイトのサービス品(左:ウィーン〜ワルシャワ、右:ワルシャワ〜ケルン)。

  ところで、今回のヨーロッパ散歩は、当初の目論みでは来年の春ないし秋を予定していたものをとある思いつきから前倒しての日程であった。ところが、つい先ごろにドイツ鉄道(DB)が夜行列車(シティナイトライン)を全廃するという報道に遭遇。ウィーン〜ワルシャワ間のユーロナイト「ショパン」は生き残った模様だが、ワルシャワ〜ケルン間の夜行は、(DB予約サイトから見るかぎり)このアップと踵を接するようにして姿を消してしまった。なんらかの形で夜行列車の運行が続けられるという見方もあるらしいが、ギリギリのタイミングで夜行列車の旅が楽しめた幸運に感謝するほかはない……。
  という次第で、欧州散歩2016年秋の陣でごぢいMASITA。

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2016.12.04

終着地はパリ20区・・・の巻

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  パリでおのぼりさんо(^ヮ^)о  が〜……。

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  目的地はこの1点。ペールラシェーズの墓地である。

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  なんでかといえば、ショパンの墓があるから。この地にショパンが眠っていることを知ったのは中学生のときだったと思うが、以来、いつの日か足を運んでみたいと思い続けてきたのである。つまり、今回のヨーロッパ散歩は、ショパンの生家から墓所を訪れるという単純な発想かその起点だったワケだ。
  が、しかし。ともあれあの“聖地”にやってきた。
「あなたのおかげで、人生をより豊かにすることができたのです」
  墓前にて、そんな思いが去来した。

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「マリアカラスの墓がこのへんのハズだが……」
  そう思いつつ歩いていたらカラスがいた。見てみればビゼーの墓。墓石にカラスが乗っているのは考えたシャレでもなんでもないが、マリアカラスの墓はついぞみつけることがでいなかった(公式サイトから入手した地図に、どういう次第かカラスの墓がプロットされていない)。

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「先生、ラベルはどうして自分よりあとに亡くなった作曲家の墓を曲名にできたんですか?」
「フフフ●●くん(あえて名を秘す)、それはプーランクじゃなくてクープランだよ」
  という本当にあった笑い話の題材となった(?)プーランクの墓である(学生時代の“恥ずかしいお話”が一生言われ続けるというその好例)。

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  マルセルプルースト。傍らには涙を流しながら跪く西洋人のうら若き乙女が……。彼女、メッセージカードまで墓前に供えていた。
「ぁあ、プルーストには熱狂的ともいえるファンが少なくないからねぇ」
  と証言するのは件の●●くんである。

  ごく私的な話ではあるが、「マルセルプルーストの小径」というピアノ曲をプレゼントしてくださった作曲家が、つい先ごろ亡くなったとの報を受けた。ちょうど、かつて討議の題材となったショスタコービチの交響曲11番終楽章の解釈をめぐって思うところがあり、(30年ぶりぐらいになってしまうが)お目にかかりつつお話でもうかがいたいものだと思っていた矢先の訃報であった……。来世へのキャリーオーバーというのは、案外多いものかのかもしれない。

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  そんなペールラシェーズの墓地を歩きながら、「夜のガスパール」の終曲「スカルボ」(ラベル)の締めくくり、その音色が妙ににつかわしく感じられた。……ところで、資料としたこのデュラン版の楽譜(1980年代後半の版)にささいな誤りを発見してしまった。あるいはラベルの自筆譜のママなのかもしれないが、だからといってこの譜面どおりに弾くひとがいるとも思えない。いまのいままで気づかなかったのも不可解だが……(念のため、終わりから2小節目上段にあるべきト音記号が抜けている)。

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  せっかくなのでおぼのりさんの定番もо(^ヮ^)о
  そいや、社会人になりたてのころ、取引先の係長だかに尾登さんという人物がいたなぁ。どうでもいいけど。

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  そんな定番おのぼりさんもいいけど、案外こうしたなんでもない街の貌にこそ旅を実感したりもする。

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  やっぱ、どっちかというと大韓風味だよねぇ(もっとも、東京に比べれば大阪は大韓風味が濃厚。歩いていて楽しいのはもちろん大阪でありパリである)。ぇえ、ぇえ、とっても気に入りMASITAね、パリが。

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  地下鉄も楽しい。
「どこに行くの?  切符は買ったかい?  ぁあ、その切符じゃダメだよ。一緒に来て」
  なんていうベタな手口の“寸借泥棒”にも北駅切符売り場前で遭遇したが(ネタをありがと、長髪あんちゃんよ)。

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  この異国情緒がたまらん♪

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  郊外とを結ぶPER。ウッカリ逆方向に乗ってしまい、気がついて車内の地図をみたら(ほんの3〜4駅なのに)すでに「ゾーン4」。慌てて反対ゆきの列車に乗り換えたが、手持ちの切符が有効な「ゾーン1」に戻るまですこぶるヒヤヒヤさせられMASITA(時効直前の逃亡者心理に近いモノがあった・笑)。

「いやぁ、いつゲシュタポが現れるかと思ってドキドキしたぜ」
「いちいち面倒なんだよね。でも運がよかった。もしやられてたらかなりの額を罰金で取られるよ」
  とデラT。パリの中心部は「ゾーン1」として一律で広範囲かつ安価で乗車できるパリ地下鉄だが、外郭部は円周状に「ゾーン」が設定され、「ゾーン」ごとに有効な切符を事前に購入しなければならないのである。日本式の「乗越し精算」は制度そのものがなく、「ウッカリ」もクソもなく罰金を徴集されるらしい。
「うんうん。事情はわかった。でも規則なんだ」
  そういうことは旅行案内書やネットのパリ観光案内などにも記されてあるが、(そんなに深く調べたワケではないにせよ)具体的な罰金額についての記述をみかけないことに気づいた。はたしていかほどに徴集されるハメになるのだろうか?

  そんなおどろおどろしい地下鉄。どこだかの駅で、自販機で切符を買って自動改札を通ろうとしたら、エラーで入場できなくなってしまった。なんかイヤだなァと思いつつ、幸運にして(?)すぐ背後にあった窓口で事情を話すと、「左の入口を開けますから、そこを通って」とあっさり。

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  今回のパリは、ショパンの墓参拝が最大にして唯一の目的だったが、ともあれ短すぎる滞在ののち、「ロワシーバス」でシャルルドゴール空港を目指す。運転手のフレンドリーな接客にココロが和んだ。

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  ウッカリして導線のママに進んでいったら、そのまま搭乗便の待合室に入ざらるをえなくなってしまった。それはいいとして、免税店はおろかコーヒー屋の類すらやってないのはどうしたことか。「空港で買えばいいや」と思っていた土産も、これではお手あげである。
  が〜……。憮然としつつ長クソを終えて戻ってみれば、店がちゃっかり開いている。ようは、出発便に合わせてその時間帯だけが開店となっているというワケだ。フランス流合理主義というヤツか……?

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  免税店のナイスガイ。

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  ホテルにて。ホテルと(値段が高い)食堂の類には、おっとっつぁんこそがよく似合うо(^ヮ^)о
「快適でしたよ」
「またパリに来たら泊まってくれるかね?」
「もちろん!」

  それはそれとして、「カメラはちゃんとカバンにしまって、観光スポットに着いてから出すようにするほうがいいよ。なにしろあぶないんだから」
  と、真顔でアドバイスされたのには説得力がありすぎた。さしあたり物騒だという印象こそなかったものの(場所によっては夜間は……と感じたところもあったが)、治安面での不安はやはりあるようだ。

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  ホテル自室からのィ夜。「あこがれのパリにやってきた書生気分」といったところでごぢいMASITA。


  おまけ。晩秋のペールラシェーズ墓地とよく似合っていた「スカルボ」。



  なぜか、つづく〜о(^ヮ^)о

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2016.11.04

嗚呼、ショパン散歩・・・の巻

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  憧れの逸品……。

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  という次第で、ショパンの生家にやってきた。わが憧れの地である。やってきてしまえばなんということはないが、ともあれあの家が目の前にある。

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  左からフレデリックショパンの姉ルドビカ、母ユスチナ、父ニコラス、妹イザベラ。ほかに14歳で早逝した妹エミリアがいた。

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  たぶん全ピアニストにとって羨望の1台なのに違いない。

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  庭園は後世に設えられたのであろうが、こんな小川のほとりで釣り糸でもたれて1日をすごしてみたいような気もする。もっとも当日は10度あるかないかで寒空に震えあがっていたが(笑)。

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  昼食も生家のある公園内で。

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  夏場の週末は、生家前で野外コンサートも開かれているという。この日は土曜日。残念ながら季節外でひっそりとしていたが、この寒さではピアノを弾く手もかじかむだろうと妙なところで納得してしまった。しかし、この季節のおかげで色彩があでやかなのである。

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  バス停にはショパンのイラスト。

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  ワルシャワに戻って、こちらはショパン博物館である。あいにく日曜日の訪問になってしまったが、おかげで無料で観覧できた(日曜日のみ無料解放)。ただ、入ろうとしたら入口のおとっつぁんが「チケットを」と宣告。無料のハズだがと要領を得ないままレセプションを訪れたらカード式の観覧券を無料で手渡してくれた。ようは、これが館内での楽曲や解説ビデオの再生などに用いられているワケである。

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  もちろんこちらにもショパンのピアノが。ご覧のとおり、現代のピアノと比べて音域が狭い。鍵盤幅もやや狭く、9度であれば楽々、10度もどうにか指が届くほどであった。鍵盤のタッチが軽く、ペダルの効果も現代のピアノとはだいぶ異なるらしい。残念ながら手を触れることはできないが、ショパンの自筆や原典版の楽譜をもとに、その音色を直に味わってみたいとも思う。

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  展示内容は充実しており、時間が経つのを忘れてしまうほどであった。

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  自筆譜の展示も多数(コレは、大好きな曲のひとつ「幻想ポロネーズ」)。じつはこれら自筆譜も目的のひとつで、生家にしろ博物館にしろ、自筆譜のファクシミリの販売があるのではないかと密かに期待していたのである。もしあるのであればほしい曲はいくらでもあって、いちいち挙げればキリはないし相場の想像すらつかないままやってきたが、10万、15万円の散財は散財にあらずといった程度の予算を立ててはいたのであった(“爆買い”といえるかどうかはいざ知らず)。が〜……。残念ながら「くったんごおぷそ(そんなものはないわ)」。では、古典的なマズルカやポロネーズなどポーランドの民族音楽のCDでも……と思ってはみたが、こちらも残念な状況であった。

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  一方で驚いたのがコレ。何カ所かで楽譜を見ながら楽曲をヘッドホンなどを使って楽しむことができるのだが、その曲目がイカしていたのだ。この楽譜をひと目見て曲名がわかるひとはちょっとしたショパン通といえるかもしれない。オレ自身、その存在をすっかり忘れていたどころか、耳にしたのはたぶん30年ぶりぐらいである(「3つのセコセーズ」OP.72〈遺作=死後に出版。16歳のときの作品といわれる〉)。あえて“王道”を避けるのがポーランドふうということなのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  イラストレーター・ショパンо(^ヮ^)о

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  デスマスクと毛髪。ショパンにしろモーツァルトにしろ、あまりに短い生涯であった。仮にもしもっともっと長命だったら、どんな曲が生まれた……どころか音楽史すら異なるものになっていたかもしれない。もしショパンが生まれなかったらという仮定でもまた然りではあろうが。

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  ショパンが洗礼を受けたというワルシャワの聖十字架教会。ショパンの心臓が安置されているという。
  この日は日曜日。賛美歌の澄み切ったハーモニーに耳を澄ませつつ、カトリックの礼拝情景を垣間見るのも悪くないと思った。

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  ワルシャワのワジェンキ公園にあるショパン像。さすがに観光客が大勢。リスト像もあるのだが、カメラを向けているひとを見かけることはなかった。単に知られてないだけなのかもしれないが……。

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  街角にもショパンの楽曲が。
  つづくо(^ヮ^)о

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2016.10.29

一路ポーランドへ…・・・の巻

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  ウィーン中央駅からは「ユーロナイト406列車」に乗り込む。ウィーン中央駅22時50分発、ワルシャワ中央駅には翌日の7時00分に着く(終着はワルシャワ東駅7時12分着)。
  じつはこの列車、恐れ多くも「ショパン」の愛称がついている。今回、EUに入国したフランクフルトからであれば、ベルリン経由で向かうのがワルシャワへの近道だが、あえてウィーン経由としたのはこの列車を発見してしまったからでもあった(ほかにニュルンベルクで買い物をするという都合もあったが)。

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  個室寝台車。以前乗ったハンブルク〜ミュンヘン間のシティーナイトトレインの寝台車は不粋な落書きが車体デザインを損ねていた(ドイツ鉄道では放置しているように見える)が、この列車の車両はその点でキレイである。窓配置(見えているのは通路側)がEF64-1000番台っぽくてソソられる(機関車マニアではないが、あの電気機関車はむかしからのお気に入り)。

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  ウィーン中央駅22時50分発。深夜の出発ということもあってか、室内はすでにベッドメイキング済み。構造はシティーナイトラインとほぼ共通で、折り畳み収納されているベッドを使うことにより3人まで同室利用が可能。クローゼットと洗面台がついているほか、ミネラル水とオレンジジュース、チョコレートのサービスがあった。ただ、洗面所の水を飲むのは100年ぶんぐらいの無鉄砲さが必要とみた。コップに「×」をつけたピクトグラムのシールまで貼ってあるが、それよりも水の現物をみたら、歯磨きにすらミネラル水を使ってしまいMASITA。もとより、そういう意味も含めてのサービスなのかもしれないが……。
  窓の上部が開けられるのもシティーナイトラインと同じ。少し暖房が効きすぎていたので、助かった。

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  こちらは2等座席車。6人定員のコンパートメントで、空いていればともかく、満席でひと晩を過ごすのはキツそうだ。

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  キリル文字に旅情が刺激される。

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  ニコヤカで親切だった車掌さん。ポーランド語とドイツ語とイギリス語のピビンバでひとときを過ごす。

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  この列車では朝食サービスはないと聞いていたが、温かいコーヒーとともに届けられた。パンがポーランド風味というか旧社会主義国を彷佛とさせる味わい(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  ちなみに、トースターであぶるとわりとおいしい。

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  ワルシャワ中央駅には定刻7時00分に到着。途中、チェコ国内を通過するが、車窓をよぎるチェコの鉄道車両がこれまた旧社会主義国風味で思いきりソソられてしまった。ある意味でキューバーがその代表といえそうだが、社会主義体制下の遺構は立派な観光資源になっているようにも思う。

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  地下ホームとなっているワルシャワ中央駅。こんな2階建て車両があったり、時代は確実に進んでいるということなのであろう。

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  ポーランド国鉄ご自慢の高速列車ペンドリーノ(Pendolino)。最高速度は時速250キロとの由。クラフクゆきだったが、それはいいとして扉が閉まったと思ったところにコレに乗りたいらしい女性がエスカレーターからホームへと猛ダッシュ。残念ながら乗り逃したようであった。

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  切符売り場の窓口が大行列だったので、自動券売機にチャレンジ。クレジットカードしか受けつけないのが不安だったが、無事に乗車券を入手できた。

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  乗り込んだのはインターシティ。

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  およそ30分でソハチェフ駅に到着(できれば、隣に見えるタイプの車両に乗りたかった……)。

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  いよいよ憧れの地にやってきた……という感じがする。

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  ここソハチェフは、ショパンの生家への玄関駅。ショパンをこよなく敬愛するオレにとって、ショパンの生家を訪れたいというのは子どものころからの夢だったのである。だからといって常日ごろから「行きたい!」などと思っていたワケではないにせよ、憧れの地であることは疑いようがない。今回の欧州散歩の主菜はまさにショパンなのであった。

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  駅前にはナローゲージの蒸気機関車。

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  ショパンの生家へと連れていってくれるのは、左の青いバス(6番)。駅前に掲げられた時刻表を勘違いしたせいで1時間以上も駅界隈でのんびりするハメになったが、陽気なおっとっつぁん(運転手)に迎えられて、いざ出発であるо(^ヮ^)о

Sochaczew_0744

  たぶん日本では見られないタイプの車内。黄色いハコは改札機で、切符に日付を刻印するきまり。

※おまけ:ショパン生家アクセスバス時刻(日中のみ抜粋)
●ソハチェフ駅前発
・平日 7:30、9:01、10:35、11:40、12:33、13:40、15:20、16:50、18:40(始発4:30、最終22:20)
・土休日 7:40、9:15、10:50、12:07、12:58、14:15、15:50、17:40(始発5:30、最終22:19)
●ショパン生家(ジェラゾバボラ:Żelazowa Wola)発
・平日 9:30、11:05、12:05、14:20、16:00、17:20、18:42(始発5:04、最終21:16)
・土休日 10:00、11:40、13:25、14:45、16:30、18:30(始発6:30、最終21:15)
*2016年9月1日改正ダイヤ

  つづくо(^ヮ^)о

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2016.10.05

秋の娯楽・・・の巻


  なんだか近ごろはDVD鑑賞がささやかかつ貴重な道楽になってしまったので、今日はそんな無駄話を(そもそも、汽車に乗ってあれこれ歩き回るのがいちばんの道楽だったのに、好き好んでその道楽を仕事にしてしまったのが運の尽きだったともいえる。その点、DVD鑑賞は仕事抜きにリラックスできるから「貴重な道楽」という言い種になってしまう。「贅沢を抜かすな!」と言われるかもしれないが……)。しかしそれはそれとして、なんにも考えずに「秋の娯楽の巻」としたはいいが、ふと気がつけばもう10月。時間が過ぎるのが異様に速い……。

Amadeus

  のっけから古い映画を持ち出してしまった。ともあれひさびさにこの「アマデウス」を鑑賞の巻である。かつて楽しんだ映画なりドラマなりに再会すると、なにかと考えさせられることも多いが、「なんとかの天才とが紙一重ってのはホントなのねぇ」という公開当時の友の言葉をふと思い出したものだ。虚実を巧みに織り込んだ物語の展開は面白く、音楽ドラマとしても十二分に楽しむことができた。ただ、あの当時は思い至らなかったハズだが、「レクイエム」の作曲依頼者についてのくだりについては、疑問を抱くところだ。事実(とされる伝承)よりは映画の創作物語のほうが心に染み入るがゆえにそう思う。

  モーツァルトは大好きな作曲家のひとりではあるけれど、かといって格別以上に心酔しきっているワケでもない。だが、仮に「この世に天才なんてものはいるのか?」と問われたとすれば、まっ先にこの名を挙げることにためらうことはないだうと思う。そうあらためて感じた。
  個人的には、この作品の主人公がサリエリであるように、シューマンそのひとにスポットライトを当ててショパンの物語を描いてみたいという思いを抱いているのだが……

  しかしなんだっていまさら「アマデウス」なのかというと、明日のィ夜をウィーンで過ごす予定だからなのだ(コレがアップされるころはユーラシアの空の上にてごぢいます)。旅の主目的はモーツァルトではないのだが、ウィーンということで思い浮かんだのがコレだったのである。残念ながらモーツァルトの正確な墓所はいまだ詳らかではないというが、せっかくなのでゆかりの地のひとつにでも訪れてみたいと思う。

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  おつぎはフォーレの「レクイエム」。コレも大好きな1曲で、機会があればライブで楽しんでみたいと思いつづけてきた(盤にはほかに「パバーヌ」や「エレジー」などフォーレの有名作品が収められている)。残念ながらなかなか機会が捉えられないので、せめてDVDでのんびり鑑賞を……というワケである。
  音色といいテンポ感といい好みにあういい演奏だが、不思議なことにオルガンが設えられてないホールのようであった。ステージ上にはもちろんオルガンが設置されているとはいえ、いまひとつ力強さに欠けているような感も抱く。それを十二分に補っていたのが合唱団で、とりわけ「アニュスデイ(Agnus Dei)」や「リベラメ(Libera Me)」(これらの曲はまさに美しい!)で絶妙なる魂の響きが生み出されていると思った。これからの季節にふさわしく、いい盤を入手できた。

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  話は大きく転調しますけど。前々から取り上げようと思っていてすっかり忘れていた1枚。大韓映画「殺人の疑惑(原題:共犯)」である。なんでコレを買ったのかというと、主演のキムガプスのファンだからなのだが、期待を裏切らない悪役ぶりが演じられていてウレシくなった。

  物語はパッケージにあるとおりで、ふとしたことから主人公が自分の父親に対し、その過去の重大犯罪への疑念を抱くところから話がはじまる。時効を目前とした児童誘拐殺人遺体遺棄事件。容疑者あぶり出しを狙って公開された脅迫電話で語られたつぎのひとこと──끝날 때까지 끝난게 아니다(クンナル テッカジ クンナンゲ アニダ)──。父親が「好きな野球選手の名セリフなんだ」といっていたこの「終わるまで終わらない(最後まで諦めるな)」という言葉が、まさに父親の声が語る脅迫電話の録音として公開されたのである(米大リーグの往年の名選手・ヨギベラ語録のひとつとして知られる“It ain't over till it's over.”のようだ。ヨギベラは、ちょうど昨年コレを自宅で鑑賞したころに亡くなってしまったそうだが)。

  でまぁ、あまり続けるとネタバレになってしまいかねないのでこのへんにするが、キムガプスが彼のファンなら知っている“お約束”をきちんと果たしていたところにもグっときたо(^ヮ^)о  しかも、その悪役ぶりときたら、あの西村京太郎大御大(その節はたいへんお世話になりました)をして感激してうなってしまうに違いないと確信させるものがあったのだからタマラナイ。

  それにして、も。ソンイェジンというのは不思議なイロっぽさの漂う役者だと思う。ヨンさまと共演した「4月の雪(原題:外出)」のときもしみじみ感じたが、この作品でもしばしばそのイロっぽさにあてられることとなった。ハンイェスルではただのいちども覚えたことのない感覚なんだがねぇ……。ぁあ、韓藝瑟と孫藝珍。ともに「藝(イェ)」ですねぇ。不思議ですねぇ……。

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  またしても大転調しますが。
  あるとき、ふとしたはずみで通販の検索窓にラッシャー木村とインプットしたら、このDVDの中古が割安で出品されているのに出くわした。ラッシャー木村といえばズバリ「金網の鬼」。当時、国際プロレス中継のオープニングに金網で囲まれたリングが映し出されると、それだけでもうワクワクしてしまったものだが、残念ながらこの盤には金網デスマッチはただのひとつも収録されていない●~*  ったく、それでどこが「金網の鬼」のDVDなんだと思わないでもないが、コレにささやかな散財を決め込んだのにはワケがある。

  同じモノのプロパー品が楽天ブックスにも在庫アリで出ていたのだが、そこには「アーティスト」としてつぎの名前が列記されていたのである。つまり、
・ラッシャー木村
・ジャイアント馬場
・ジャンボ鶴田

  である。繰り返すがこの御三家は「アーティスト」でござるよ。楽天ブックスによればだが。

  これからも想像できるように、収録されているのはおもに国際プロレス崩壊後の全日本プロレス中継のフィルム。あの「馬場〜っ!  これからは兄貴って呼ばせてくれよ!」というラッシャー木村の名セリフが飛び出した試合を中継で見たのは間違いないものの、そのあたりをさかいに中継そのものを見なくなったので、そういう意味でも興味を引くものがある。が〜。本題はそこではなく、この「馬場・鶴田・木村」という並び、そこにこそある。

  話は、オレが真面目に勤め人をしていたころに遡る。会社玄関の受付には、「外出簿」が置かれてあり、商用などで外出するさいにはそこに名前と行き先、帰社予定時刻などを記すきまりになっていた。で、あるとき外出しようとして外出簿を開いたところ、そこに「馬場・鶴田・木村」のお3方の名前が力強い字で記されてあったんですねぇ。ようは馬場さんと鶴田さんと木村さんがタマタマ一緒に外出したにすぎないのだが、オレにとっては大爆笑するにあたいするパフォーマンスだったワケですよ。
  このエピソードを存命だったラッシャー(いうまでもなく木村ってんだが、生きてるんなら連絡のひとつでもよこしなさいヨ!)に話したところ、
「馬場と木村はともかく、ココに鶴田があるところがミソだよな」
  とウレシがっていMASITAね。オレもそのとおりだと思ったワケだが。

  で、そんなくだらん昔話をココ(このブログ)でしようととっさに思いついたので、そのためだけに3000円近い大散財をシャレこんだ……という話なんですねぇ。

  ちなみに、晩年のラッシャー木村の「マイクパフォーマンス」を遡ると、新日本プロレス興業@田園コロシアムにラッシャー木村が「殴り込み」をかけた試合に辿り着くようだが、残念ながらオレはその試合を見ていない。なぜかっていうと、新日本プロレスの試合ぶりや演出が単に好みに合わなかっただけの話で、その点はラッシャー(友人のほう)とは逆の嗜好であった。が、それはともかく、その試合中継をたしかメシを食いながら見ていたラッシャー、テレビ画面のなかでラッシャー木村がやおらマイクをとったところで「みなさんこんばんは。ラッシャー木村です」と折目正しく挨拶をしたのを目撃して、その場で凍りついてしまったという。そんな話を大爆笑とともに教えてくれたものだったが、そのときはラッシャー木村の晩年云々を想像することなんぞできるワケはない。

  閑話休題。それにしても、最晩年のラッシャー木村の姿には痛々しいものを感じないではいられなかった。そこにプロ根性のようなものを感じとることもできる一方で、見たくなかったなという気もする。やはり「金網の鬼」は「金網の鬼」であってほしかった。ジプシージョーやアレックススミルノフ、オックスベーカーらとやりあっていたあの雄姿こそが懐かしい。

  無駄話は長くなってしまうが、ラッシャー(友人のほう)との間で決着のついていない論争がある。よく知られたプロレス技のひとつに「逆エビ固め」ってのがある。また、押さえ込んだ相手の片脚を持ち上げてフォールする「片エビ固め」ってのもある。前者はうつぶせにした相手の脚を逆側(背中側)に締め上げてダメージを与えるなりギブアップを奪うないという技であり、後者は仰向けになった相手の片脚を抱え込むことによってフォールをより堅固にするというものだ。つまり、名前は似ているけれど、技としての性格や目的はまったく異なる。ではさて、「逆エビ固め」の態勢で両脚ではなく片脚だけを抱えて締め上げたらどうなるか?  技のベースは明らかに「逆エビ」にあるから、「片逆エビ固め」ではないかと思うのだが、ラッシャーはあくまでも「逆片エビ」を主張して譲らなかったのである。しかしそれでは「片エビ」(つまりフォール態勢)を単に逆さまにしたことになってしまい、現実に目の前にあるギブアップ狙いの技としての説明がつかないではないか(「逆エビ固め」そのものが「エビ固め」の逆バージョンだというのがヤツの主張なのだが)。
  その論争はかれこれ数年にわたって繰り広げられたが、あれから30年以上経ってなお決着が着かないママ。ラッシャーが行方不明のいま(あっちからみればこっちが行方不明なのかもしれないが)、これでは論争そのものが墓場まで持ち越されかねん(笑)。

  ちなみに……。その論争の切っ掛けをたったいま思い出した。かつて発行されていた雑誌「デラックスプロレス」のバックナンバー表紙に、ジャンボ鶴田が黒人選手に対しこの技をかけている写真が載せられていたのである。それをみたラッシャーがふと気づいたように「コレ(その黒人選手)、レイキャンディーと違うか?」とひとこと。で、なにが面白かったのか、いまとなってはさっぱり理解できないのだが、大爆笑が止まらなくなってしまったオレ。で、たぶんそのときに「片逆エビ」と言ったオレに対し、ヤツが「いや、これは逆片だ!」と論争を仕掛けてきたのであろう。ココまでお読みくださった方、ホントにバカバカしい昔話ですみませんでしたねぇ……。

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  またまた転調して本の話を。
  この『藤原新也の動物記』(新潮文庫)を「そいや読んでないな」と気づいたので、入手して読んでみた。大爆笑を誘ったくだりがあった。

  沢木耕太郎の『深夜特急』の終盤。「サグレス」という名のビールとサントイッチだかなんだかを市場で買ってサグレスというユーラシアの果ての岬を訪れた場面がある。しかし、そのビールやらをどうするつもりだったのかと自問する著者。「サグレスの岬でサグレスという名のビールを呑む、という形ばかりのイメージにとらわれていた」というワケだ。しかし、最終バスで到着したサグレスはすでに夕闇のなか。あたりにはホテルどころか開いている商店の類すらない。いわく「その浅薄さのしっぺ返しはすぐに受けることとなった」。が〜。その「浅薄さのしっぺ返し」も、藤原新也自らが呼び込んだ“災難”にくらべればかわいらしいものである。

  インドを放浪していた藤原新也、なにを思ってかヘビ使いの男から必須の商売道具を買い取ってしまったのである。ヘビ使い必須の商売道具。いうまでもなくコブラである。それも、とりわけつややかでイキと気の強そうなヤツを、1日200円で過ごすのもどうかという旅人が、1200円も投げ打って買ってしまったのだから愉快である。で、もちろん、買ったはいいけれど思いきり持て余すことになってしまう。あたりまえだ。そのコブラがほしいと思った気持ちはわからないでもないが、それにしたって買ってどうしようと思ったのだろうか(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  でまぁ、ホテルの自室に持ち込まれたコブラ入りの壺は、時間をおうごとにその存在感を増す一方なのだが、あの藤原をしてこういわせしめてしまうのである。
<厄介なものをかかえ込んだと思った。私は、日に日に、その壺に対して臆病になっていった>
  このあたりの描写は鬼気迫る迫力があるが、あたりまえのこととしていずれはそのコブラにエサを与えなければならないときがやってくる。意を決し、ヘビ使いのアドバイスにしたがって鶏卵をあげることにしたはいいが、ヘビっていうのはあれでなかなか力強いらしく、押さえる藤原の手をスルスルとすり抜けるや、まんまと壺の外、つまりホテル自室で鎌首を持ち上げられるハメになってしまったワケだ。まぁ、笑っちゃいけない場面なんだろうけれど、コブラをそれもインドのヘビ使いを相手に衝動買いしてしまい、挙げ句の果てにはホテルの部屋で1対1でにらみ合うハメになったなんてすんばらしいエピソードではないか。

  それにして、も。「噛まれたら死んでしまうが、コブラから噛まれて死ぬことはよいことなので落胆しないこと」というヘビ使いの口上にはグっとくるものがある。また、「あらゆる動物の中で、蛇ほどシェイプアップされたものを他に知らない。(中略)ほとんどひとすじの線としての洗練された存在」という著者の観察眼には唸らざるをえなかった。

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  そんな話をデラTこと斉藤恒芳にしたところ、上の写真を送ってよこした。撮影者はもちろん斉藤である(ラージャスタン州の国道を走っていて道ばたに蛇使いを認めたデラT、慌ててクルマを止めて撮ったのだそうな)。
  で、オレがなにを思ったかというと、コブラは持て余すに決まっているからいらないけれど、この笛とカゴ壺が無性に欲しくなってしまったのだ。ところが、大手通販サイトを複数チェックしても該当商品は見当たらず、たった1サイトだけ扱っているのに遭遇するに留まってしまった。もっともその店でも在庫なしとの案内で、ようはお手軽に入手しようなんてのが甘い考えであることがわかっただけであった。

  しかしそれ以上に不可解なのが、その「ヘビ使いセット」を買ったといった類の記述が、少なくとも日本語ではいまだネット上で遭遇できていないことなのである。ほしがってるひとがいないとは思えないし、インドに行く日本人だってけっして少なくはないハズ。であれば、そのなかのいくばくかのひとが笛なりカゴ壺なりを入手して、ブログなどを通じて自慢話のひとつをしていてもおかしくはないではないか。……それにしても欲しいなァ。

  ところで。デラTによれば、「死(蛇)に勝つという意味で尊い職業」だというのをどこかで読んだという。で、毒蛇を大韓語にすると「독사(トクサ)」。しかしこの「독사」というのは「毒蛇」であるとともに「毒死」でもある(単に「사(サ)」が「死」でもあるというだけの話だが)。このへんは日本語でも似たような部分もあるけれど、同じアジアにあってなんらかのつながりがあるのだろうかという気もする。ついでながら。

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2016.02.08

春の1ページ・・・の巻

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  ふと気づいたら、庭のウメが花をつけていた。福寿草はまだだったが、フキノトウはぼちぼち顔を出しているし、ブルーベリーの木にも芽が揃っている。春が近寄ってくるのはいいなと思う。そんな思いはネコも一緒なようで……。

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  のび〜〜〜♪

Tyobi0775

  ややのび〜〜〜〜♪

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  のびたらゴロン♪

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  んで、ゴロゴロとо(^ヮ^)о

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  みてくださいな、この表情♨

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  ちょうどそのころ、クロはお食事中。

Kuro0783

  相変わらず日中はドロンしているという奇妙な生活だが、よくよくみると首輪がほとんど汚れていない。本体はもとより、鈴にも目にみえるようなキズひとつないのである。ということは、姿をくらましている日中も、野外ではないどこかに居所があるのかもしれない。野外暮らしでは、さすがにこうはいかないハズだからだ。

Kuro0784

  コレはコレでけっこう甘えるようになったんですよ。ちなみに、写真を撮ろうとするとイソイソと寄ってきちゃってこうなっちゃうの図でごぢいますо(^ヮ^)о

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  栄養状態もよくなり、毛のツヤもいきいきとしてきた。

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  やっぱネコでしょ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  が〜……。このクロ、ネコなら当然やるべきことをやっていないふうなのである。つまり、顔洗いや毛づくろいをさっぱりしないため、ツヤツヤこそはしてきたけれど、なんとな〜く薄汚れたまんまなのであった。たぶん重度の鼻炎で鼻が利かないせいじゃないかと推測しているのだけど、日中にドロンしているおかげでいまだに獣医のもとに連れていけないのが悩みの種。

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  ネコはコタツが大好き。

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  こっちの寝床が侵食されているの図。。。

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  でも、ネコのいない生活なんぞとうてい考えられないのでありMASU。

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  ところで。長年の懸案(?)がこのほど解決。オレ思うところの大韓ドラマの最高傑作のひとつ、「その夏の台風」のサントラCDがやっとこさ(もちろん適価で)入手できたのでありMASITA。盟友Sの協力もあっての成就ではあったが、あとはふぁんこ(ファンタスティックカップル=환상의 커플の大韓盤DVDか……(大いにジャンルが異なるけど、イナミ=이남이の一連のアルバムも捜索続行中)。さっそく仕事のBGMにしたりしてるけれど、なんか妙な細工がしてあって(?)携帯用蓄音機用のデータが抜きだせないのがタマにキズ。ちなみに、この作品では日本版のみエンディングはイジェファンが日本語歌詞で歌を披露しており、当然のようにアルバムには収録ナシモフ。ドラマのサントラが日本版と大韓版とで異なることは珍しくはないが、そのほかにも聞き覚えのない曲が収録されている一方で、作中で頻出していた曲が入っていなかった。そんなワケで、この作品の大韓盤DVDも入手したくなってしまったのだが、こっちはさらに難易度が高そうだ……。

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2015.12.28

本年もお世話になりMASITA・・・の巻


  今年もなんだか無駄話に明け暮れたような気もするけれど、無事に本年最後のアップでごぢます。12月の大韓散歩話をちょっと中断して、まずは最近読んだ大韓関連本の紹介などを……。

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  あるときなにげにネット通販で検索したら、その値段から手を出しあぐねていた『韓國原影  桑原史成写真集』(三一書房)が割安でおでましо(^ヮ^)о  さっそく入手してシビレまくった次第。
  内容は、写真家・桑原史成氏が歩んだ韓国現代史。米軍がらみの影や軍事政権下での学生デモなど、生臭い場面が続々と登場してくる(日本における安保法デモは、どれだけ映像として歴史に残されたのだろうか?)。そこにあるのは庶民であり、生臭さとともに躍動感や温もりが全編を貫く。そうしたコマに見入りながら、「なんだってオレはこの世界に惹かれるのだろう……」と自問を繰り返すのみである。

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『鯨とり  対訳シナリオで学ぶ韓国語』(脚本:崔仁浩/編訳注:林原圭吾・白水社)
  こりゃぁ本当に生きた韓国語の教科書だо(^ヮ^)о  読むのにだいぶ時間がかかっているけれど、文法や表現の解説も懇切丁寧でなにかと参考になる。英語など学校などにおける外国語の学習も、こういうのを題材にしたらもっと言語として体感でくるように思うのだけど……。もちろん、題材となった映画「鯨とり」は傑作中の傑作!

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  こちらは韓国関連書籍・雑誌などでおつきあいいただいている康煕奉氏の新刊『宿命の日韓二千年史』(勉誠出版)である。
  いろいろと取り沙汰されているが、じつは現在ほど韓国が日本で関心を集めている時代はないかもしれない。少し前の“韓流ブーム”にせよその後の“嫌韓”にせよ、そのいずれもが関心へと結びついているからだ。オレ自身が大韓散歩に明け暮れているのは、仕事という意味はあるにせよとりたてて大層な目的があるワケではない。いうなればネコの散歩みたいなもので、前後不覚のままふらふらと隣国に舞い降りているというのがその実態。しかし、その根っ子にはかの国とそこで暮らすひとびとや文化などに対する関心があり、それが源泉となって「気になって仕方がない」から大韓散歩へと繰り出しているとこじつけることも可能なのではないかと思う。

  一方で、民族という観点でみれば、その関心やつきあいはそれこそ古代からつながっているのであり、あらためてその歴史をひも解いてみてもいい。本書は、帯にあるとおり「古代から現代まで、二千年の日韓の歴史をわかりやすく」まとめた1冊。そこには、日本に生まれ育った「在日韓国人2世」である著者だからこそできうる視点が、微妙な陰影を伴って網羅されている。日韓の歴史の足跡を訪ね歩くルポという要素もあり、リアルに読者に語りかけてくるだろう。“現代史”のひとコマとしての「あとがき」も圧巻である。日韓双方で読んでもらいたい……ふとそう思った。

  ココからはやや蛇足。本書中でも、近代史部分において「創氏改名」というわれわれ日本人にとっても(マトモな感性を持っていれば……だが)あまり耳障りのよくないできごとに触れられている。そのくだり──

<創氏改名を行なわない人に対しては、子供の入学不可、役所での事務受付拒否、公的機関への採用禁止という厳しい罰則が設けられた。>(本書201ページ)

  世間で「マイナンバー」と呼ばれている「国民管理番号」(個人的にはほかに「ユアナンバー」と呼んでいるが)を思い浮かべた。義務教育のある現代ニッポンが「子供の入学不可」なんてないだろうと思うかもしれないが、平気の平さで憲法をないがしろにする連中が権力の中枢に巣食っていることを忘れてはならない(憲法ってのは、そういう連中を暴走させないためにあるのだがねぇ。改定は可能だが、同時に不可侵でもあるのではないのか?)。いずれ買い物ひとつにも管理番号がまとわりついてくる可能性は否定てきないのではないだろうか。そうなれば、これは祖国為政者が自国民に科した「創氏改名」という見方だってできるかもしれない……(韓国のネット通販などで、国民登録番号の類を要求され買い物を断念したひとも少なくないのでは?  言論や結社の自由などをめぐって韓国でも大問題となっているが、ああした点を含め、韓国のそれはわが国にとって他山の石でもある)。

  このほか、軍事政権下にあった1961年から翌年にかけての韓国(おもに政治)を解説した『激動する韓国』(松本博一・岩波新書〜せっかく微妙な時期に長期滞在していながらルポがほとんどないのが残念。庶民の暮らしぶりがほとんど描かれておらず、期待したような内容ではなかった。が〜。韓国や北朝鮮の状況に触れながらも、むしろ当時のわが国の動きやセンスが窺える点は興味深い)や“皇国少年”として育った著者が、ふたつの“祖国”で生き抜いてきたその半生を語った『朝鮮と日本に生きる──済州島から猪飼野へ』(金時鐘・岩波新書〜こちらは深い作品)などと出会った。


  話かわりますけど。年末の休息時間はひさびさに「その夏の台風(그 여름의 태풍」でひとときを過ごす。個人的には大韓ドラマの最高傑作ではないかと思っているのだが、あらためてみるとやはりいい作品だ。
  音楽もいい。なかでもこの「Memory」はお気に入りの1曲。「その夏の〜」ではあるけれど、冬の暖のなかで聞くのもまたオツなのだ。




「その夏の台風」は夭折してしまったチョンダビンとあのハンイェスルとが競演している。そのいぇすらの最高傑作はあのふぁんこ(ファンタスティックカップル=환상의 커플)でキマリだとは思うが、「クリスマスに雪は降るの?(크리스마스에 눈이 올까요?)」で彼女が演じた“ふつうの女の子”も個人的には「主演女優賞」である。いぇすら唯一の“フツーのメロドラマ”だし。
  ただ、このドラマのストーリーや脚本にはちょっと暗すぎて疲労感も……。一方で音楽は素晴らしく、いまでもサントラ盤CDを仕事のBGMにしていたりもする。ところが、ドラマ中にたびたび流れている歌で、なぜか収録されていないのがひとつある。美しいメロディーとハーモニー。しかもかなりの美形だ。しかし曲の正体もわからないのでは音源の探しようもなく、長いことモンモンとしていたのであった。が〜。歌詞にある「사랑이 있을까=愛はあるのだろうか?)」というフレーズにあるとき「ピンッ!」ときてさっそく検索。するとあっさりとその正体がわかったのでありMASITA(動画はドラマとは関係ありません)。



  ↓曲もいいけど、いぇすらがきゃわゆすぎる……(こっちはクリ雪)




  ところで、大韓散歩のさいにはさりげにテレビ番組ネタをチェックするのも楽しみのひとつ(日本ではほとんどテレビを見ないし……)。で、12月の巻に遭遇したのが、米国アニメ「おっはよー! アンクル・グランパ(邦題)」だ。
  なんつうか、あの特殊漫画家・根本敬画伯の世界が大平洋を渡ったというか、でなければ妙なクスリでもかっくらった状態でつくったがごとしのとんでもアニメ(褒め言葉だYO)。なりゆきまかせの動画もナイスだが、もっともウケたのが画面にときおり現われる実写状のトラだ。内容がさっぱり理解できないママ、トラが出てくるたびに腹を抱えて大爆笑させられてしまいMASITA。

  帰国してさっそく正体を確かめると、「Giant realistic flying tiger」なんてなこれまたイカれた名前であることが判明(驚くべきことに、グーグルに「Giant real」まで入力すると、予測なんちゃらで「Giant realistic flying tiger」が筆頭にお出ましになった・笑)。ふと「The original intelligent  sensational Destroyer(ザ・デストロイヤーのことだYO)」を思い浮かべたけれど、これじゃウチのちょびを「シマシマでシッポが長い甘えん坊の巨大ネコ」にでもしなければならないではないか。ちなみに、公式サイト紹介によればこのトラ、「イケメンバンド好き」の「女の子」だそうだ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)




  一方、大韓ドメスティック番組ではコレだろうねぇ……。

  トロット専門局(?)「inet」で遭遇した「イチョルミンのシアワセ歌教室(이철민의행복노래교실)」である。内容は以下の動画そのまんま。画質も音質もこんなものである。正体の覚束ない司会のイチョルミンはもとより、会場は“イイ顔”のカオス状態о(^ヮ^)о  こんなのをみてると「ぁあ、そこいらへんのおっとっつぁんやおっかっさんらのカラオケってのも案外イイものなんだなァと思えてウレシくなってくる。地元・千葉テレビの某カラオケ番組が「たいそう豪華な歌謡番組」に思えたりもするのだが……。




  この「inet」、「15周年記念」だかで日本ゆきのクルージングツアーの参加者を募っていた。コースはふたつ。「山口&北九州コース」(アベとアソーか……ケッ!)と「大阪コース」が組まれ、名も知れぬようなトロット歌手によるコンサートなんかもプログラムに含まれていたりする。前者は39万9000ウォン、後者は29万9000ウォン。ふと「こんなのに便乗して大韓風味を味わいつくすのもええなぁ……」と思ったもんだ。このCMを目撃したのが12月10日のィ夜。ところが、後者の出発は1週間を切った12月15・17日。前者にしても12月19・20日が出発という慌ただしさ。さすがに「絶賛発売中」とは謳っていなかったが、これはもう在庫処分市の心境だったのではアルマイトの弁当箱?  はたして無事に催行されたのか否か……大きなお世話ですね(笑)。

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  話かわりますけど。クロに首輪をつけてみた。口内炎はやや改善、鼻炎も少しずつよくなっているようだが、相変わらず日中はドロンしてしまうため、いつまで経っても獣医に連れていけないのが悩みの種。18時ごろに帰ってきて朝になると外出。寒くなったせいか、8時すぎまでいることが増えたが、ひょっとすると前世は勤勉なサラリーマンかなにかだったのだろうか(笑)。そんな気さえさせられる規則正しい生活ぶりである。

Tyobi0358

  冬の楽しみはちょびとのおねんね。布団のなかがホカホカぬくぬくふわふわシアワセネコベッド(행복한고양이침대)。
  という次第で、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げますm(__)m

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2015.11.16

ほかあれこれ・・・の巻

Yozohetc01

  彼女は、大韓に繰り出す少し前、偶然にネットで遭遇した歌手YOZOH。どういう経緯で巡り会ったのかはさっぱり覚えてないが、見た瞬間に「ピッ!」とくるものがあってさっそくチェック(そのときのはコレとはまったく違う画像)。このエッセイ集(楽譜つき)「기타등등(ほかあれこれ)」とCD2枚を買ってきた。太宰治の『人間失格』の主人公・大庭葉蔵からとったというイヤ〜ンな芸名。音楽のベースはHIPHOPだという。だが、CDから流れてきた「音色(おといろ)」はこの表紙そのまんまであった。ジャストミートではないものの、ところどころでココロの奥底をくすぐられる。そんな「音色」であり音楽だと感じた。
  ところで、ハングルでは「요조」。「よ〜じょ〜?」と思わないでもないが、ソウルでも「ヨーゾー」で通じることを確認。どうでもいいが。

公式サイトだ요

Daehanno0369

  ひょっとしてライブでもやっていはいまいかと大学路あたりを闊歩してみたけれど、そんな偶然には恵まれず……。

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  今回の大韓散歩では、この「アリラン列車」にも乗ってみた。「チューチューパーク」からソウルに戻ろうとしたら、夕方の清凉里ゆき「ムグンファ」が満席。堤川で中央線の「ITXセマウル」に乗り換える作戦もあったが、太白〜ミンドゥンサン間と「ムグンファ」(満席となるのはミンドゥンサン以降)、試乗の意味もあるし、ミンドゥンサンで小1時間待って「アリラン列車」に乗継ぐことにしたのである。

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「アリラン列車」は清凉里〜アウラジ間を走る観光列車で、下り列車のアウラジ到着後の折り返し間合いにアウラジ〜ミンドゥンサンとの間を1往復するダイヤが組まれている。上りの清凉里着は21時33分とやや遅いが、もとより急ぐ旅でもないからケンチャナヨ。機関車牽引の客車列車ということもあるかもしれないけど、どことなく夜行列車風味が漂っているのがよかった。

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  販売カウンターもアリラン♪  残念ながら弁当が売り切れであったが……。

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  こちらは鳳陽付近の工場引き込み線からやってきた貨物列車。線路だけでも撮っておくかとカメラを構えていたらちょうどやってきたのである。

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  珍ドコ列車を思い出しMASITA。

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  空港に向かうさい、1番列車を待つ鐘路5街駅でなんとなく1枚。よくみたら「付着物くむじ」の文字が……。なんなんだ、付着物?

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  己の道が大筋間違っていなかったことが、この「ニュースY」で明らかになった……という瞬間。ほかに「しゅぽ(슈퍼)」もあった요!
※「?」という方はコチラをドウゾ。

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  なにをアピールしているのか……?

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  道に歴史あり。

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  漢灘江駅界隈の漢灘江岸がキャンプ場になっていることは前に触れたが、キャンプ場とはなんら関係のない駅前にもなぜかテントが……。インディーズの住人でしょうか。

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  白黒オールカラー。

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  きゃわゆすぎо(^ヮ^)о

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  おっとナナちゃん。
  つづくがねー(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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2015.08.18

ついナゾ解きにのめり込み・・・の巻

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  往年の名ピアニスト、ミケランジェリのショパンの入手。コンサートでの収録ではなく、録音のためにホールを借り切ったようなのだが、解説にある「完璧主義者」という人物像は、この盤の収録スタイルにも現われている。すなわち、ライブでもないのに“通し”で演奏しているのである(一部に“幕間”はある)。それぞれが独立した曲目で構成されているので、ライブであっても曲ごとに独立させてもおかしくはないのだが、流れのままに演奏が展開。もちろんそこにはスキがない。ライブ同様の緊張感がメリメリっと伝わってきた(これの真逆例をつぎに紹介)。

  曲目もバラエティがあっていい。「ピアノソナタ」は欲をいえば2番ではなく3番をビジュアルつきで楽しみたかった気もするけれど、「幻想曲」と「子守歌」というシブ目の選曲にはグっときた。同じく収録されている「スケルツォ2番」と並び、個人的に好んでたしなんでいた曲でもある(かれこれ10年以上はご無沙汰だが……)。それにして、も。1952年に1962年か。ともにオレが生まれる前じゃないか。もちろんショスタコービッチの存命中である(1975年没。前回アップ参照)

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  こちらは中古盤を購入。「前奏曲集」と2つの「練習曲集」、さらに「ピアノソナタ2番」というラインナップ。いずれも聞いてシビレて見てシビレる名曲だが、残念ながらDVD作品としては失敗作だと断言したい。
  なにがいけないかといえば、それぞれの曲と曲との間をいっちいち途切れさせてしまっているのである。
「前奏曲集」は全24曲、2つの「練習曲集」はいずれも12曲からなるが、先のミケランジェリの収録とは逆に1曲ずつ個別に演奏したものを収録。たとえば「前奏曲1番」、そのわずか30秒ほどの曲が終わると画面が黒くなり、「OP.28-2」との字幕が予告のように現われ、やっとこさ「前奏曲2番」がはじまるという案配だ。もちろん、「曲集」だといって必ずしも通しで演奏しなければならないということはないし、実際に抜粋で演奏されたり録音されることは普通にあるが、この盤では全曲を披露している。それなのにこれでは、「曲集」にすらならないとはいえないだろうか。

  ご存知のとおり、「前奏曲集」は平均率の全調性を主調に24曲を配置、ハ長調にはじまりイ短調〜ト長調〜ホ短調〜という具合にニ短調まで5度循環で網羅している。「練習曲集」も前後に関連をもたせた調性で構成されているといってもいいだろう。それはたとえば「ピアノソナタ」などとは異なるかもしれないが、ショパン自身が曲集として各曲に結びつきをもたせたのは明らかである。したがって、曲と曲の“間”もまた重要で、あるていどの余裕を持たせる解釈が可能な箇所もあれば、逆に「attacca(曲と曲との間を切れ目なく演奏)」あるいはそれに近い流れで演奏する箇所だってあるハズだ。これは、単に“間”の取り方ということではなく、曲集を支配すべき緊張感を失わせかねない大問題。なのにこの盤ではかようなブツ切りにしてしまっているのだからよくわからない。それが狙いなのか、曲によって照明に変化をつけたりしており、ある種の“実験”としては個人的にも興味を惹くけれど、残念ながらマトを得ているようには思えない。そんなモノに凝る前にもっと素直に音楽を楽しませてほしい(一部を除き、演奏と曲中のコンテはまぁまぁ)。

  ついでに。どうせ「OP.28-1」だの「OP.10-12」だのと字幕で出すんなら、調性と冒頭の速度(発想)記号を挿入するぐらいのセンスがほしかった(笑)。しかし、クラシック音楽DVDといえども、ジャストミートで「お気に入り」に遭遇するのは案外難しいものだ。演奏そのものに不満を覚えることもあるし、こうして演奏以外の部分に憮然とさせられることもしばしば。もちろん感激することも多いが。コレは“毒”とまではいかないけど、残念だった1枚でありMASITA。

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  さて、前回のショスタコービッチに続き、ちょっとだけショパンについての独断的ウンチクを。

  譜例は「前奏曲2番(イ短調)」の冒頭部分である。しかし、これはホントにイ短調なのだろうか?  前項でふれたとおり、ショパンの「前奏曲集」は平均率24調のすべてを5度循環で網羅した曲集であり、それぞれの曲の調性は非常に重要な意味合いを持っているハズだ。ところが、この2曲目にその主調である「イ短調」を見い出すことは難しい。旋律は出だし2小節こそイ短調が窺えるものの、3小節目では早くもファ#(fis)が現われイ短調を否定。明確な終止形を見せないままに推移してゆく。伴奏にあたる低音部は冒頭で第5音ミ(e)をベースにしドミナントを意識させるが、解決とは程遠いままに不思議な和声が展開してゆくのである。
  したがって、ショパンのほかの曲から感じとれる「イ短調の色彩」とはかなり隔たったまま、聞き手は不安なときを過ごすこととなる。



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  わずか24小節のこの曲が、ハッキリとしたイ短調を主張するのは結尾の3小節、そこにあるカデンツだけだと強弁することも可能かもしれない。
  ちなみに、この曲でもっとも面白いと思うのが、上の譜例にある4小節目。実際には16小節目にあたるが、ここにきてやっとファ#(fis)ではなくファ(f)が現われるからだ(⇩部分)。イ短調とはいいながらファ#が支配的なままに推移し、結尾が近づいてきたところで突然のようにイ短調の姿が明らかにされる。ある種ショッキングなファ音。しかし、この曲集にあって、ショパンはなぜこのようなあやふやな調性の曲を書き上げたのか……。などと勝手なことを書き連ねたくなるのだが、この2番は14番(変ホ短調)と並び個人的に大好きな曲なのであるо(^ヮ^)о

※ついでながら、ショスタコービッチの交響曲6番は、一般的には「ロ短調」ということになっているが、冒頭では「ホ短調」で推移している(ほかにもこういう曲はあるが……)。⇩大好きな14番。



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  2曲目は「前奏曲11番(ロ長調)」を挙げてみた。さきに「イ短調の色彩」と記したが、この曲もまたショパン的「ロ長調の色彩」とはやや隔たりがあるように思う。わずか27小節。明確な転調すらしていないにも拘わらず、その和声にどこか頼りなさげな印象を抱いてきたのだが、その理由として推察のヒントを譜例に記してみた。「D」はドミナント(この場合、コードネームでいえばF#7)、「T」はトニック(同じくB)である。冒頭2小節の単旋律のあと重音となるが、トニックではなくいきなりドミナントが鳴り響いている。ところが、次小節でトニックになるものの旋律・フレーズともに終止的な解決を感じさせないまま、ふたたびドミナントへと移ろってしまうのである。この雰囲気は結尾まで一貫しており、ベースの動きは完全終止を見せながらも旋律がそれを嫌うかのように流れてゆく。結尾6小節の色彩は十分にショパンのロ長調ではあるのだが、よくよくみれば不思議な魅力のある曲ではないだろうか。

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「前奏曲17番(変イ長調)」もその調性がゆらぎかちな曲だ。譜例はその冒頭の8小節目まで。最初の和音はコードネームでいえば「A♭onE♭」。ややこじつければベースのE♭が省略されたまま主和音ではじまっているとの解釈もできるかもしれないが、コレはれっきとしたドミナントである。和音が変わる3小節目は「E♭7」、すなわち変イ長調のドミナント。ところが、つづく4小節目で解決を避けるかのように「A♭7」(和声学でいう借用和音=この場合「Ⅳ度Ⅴ度」)が現われ、同様にドミナントが解決すべき8小節目もベースでは偽終止をみせながら他調の属7を借用することにより解決を避けている。この曲で主調の終止形が現われるのは17〜18小節目になってからであり、ここでやっと「Ⅴ→Ⅰ」の形で完全終止をみせるのである(つづく19小節目からは目まぐるしく転調が展開するが)。
  こんなのは作曲のテクニックといってしまえばそれで片づいてしまうかもしれないけれど、この曲が「前奏曲集」の1曲として紡ぎ出されたことにどうもこだわってしまう……。

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  ショパンの和声は比較的素直だが、和声学の題材としてはあまり用いられていないようにも思う。これは同じ時代のシューマンや、時代を前後するモーツァルトやフォーレといった作曲家の作品がそれぞれの「スタイル」として研究されてきたのに比べると不遇な感じがなきしにもあらず。そのせいか、和声に関する専門的な論文の類に乏しく、いまだに消化不良のままナゾ解きのさなかにある箇所も少なくはない。

  譜例は「前奏曲6番(ロ短調)」の結尾部分である。この4小節目のドミナントは9小節目冒頭でキレイに解決しているが、その3拍目に種和音の第7音である「ラ」が忽然と現われる(⇩部分)。この第7音は、ここだけにポツンと姿を見せるだけで、素直に「ソ」に解決するのでもなければ、その後に顔を出すワケでもない。まさに忽然と現われては消えてしまう正体不明の音ではないか。ショパンの手によりアクセント記号が施されており、意図的な音であることは間違いないのだが、はたしてその狙いは……?  こういう不思議に遭遇するのもまたショパンの楽しみでもあるのだ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ところで、6小節目冒頭にペダルを踏む指示があるものの、離す記号がないままに終止線を迎えてしまう。こうした例はショパンの全楽曲を通じてみればかなりの数の及び、「前奏曲集」では、この6番のほか1・7・9・11・16・17・18・19・20・21・22・23・24番と半数を越えている(逆に、明確に指示されているのは5・13・15番でほかはペダル指示そのものが省かれている)。案外、こんなあたりにも深遠な意図が隠されているのかもしれない……。

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  同様に「前奏曲23番(ヘ長調)」にもナゾの1音がある(⇩部分の「ミ♭」)。主和音の繊細なアルペジオで静かに収束するこの場面に、ポツンと第7音──それも下属調の属7を臭わせるように♭が施されている(それもアクセントをつけて)──が浮かび上がり、ほかの音とともに彼方へと消えてゆく。ペダルは最後まで踏まれたまま。このいくらか不安定な響きは、つづく終曲(24番)の情熱的なパッセージへとつながっているようにも思える。

  これについては、だいぶ前になにかの論文を読んだ記憶がある(残念ながら肝心の論文あるいはその掲載誌が所在不明なため正確な引用と出典を明らかにすることができないが……)。たしか、ショパンのマズルカなどに見出せる旋法(フリギア旋法だったか?)とを結びつけた内容で、この「ミ♭」を24番の主音「レ」に向かう「下降導音」ではないかとの解釈あるいは示唆だったように思う。24番の主調・ニ短調における「ミ♭」は「ナポリの6度」を構成する音でもあり、この和声をショパンが好んでいた点にも触れられていたハズだ。


  それでは、問題の23番と24番を……。





  こういうのは、あらためてその筋の専門家に師事するなり、資料に没頭するなりすればある程度の解決はできるのかもしれないが、ココで書き連ねたのはそうした学問としてのウンチクなどではなく、じつは単なるナゾ解き遊び(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)  (音楽にしろ文章にしろ映像にしろ)ある作品をきっかけに、その裏側や側面も味わってしまいたいという遊びの一種なのでごぢいます。

  ついダラダラとやってしまいMASITA(最初の心づもりでは練習曲集のほうをやるつもりだったのだが、それはまたいずれ)。今宵はこのへんにて(シメに前奏曲第1番を)……。


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