嗚呼、仰天! 野球チーム・ヒメ発足か(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?・・・の巻

サボテンに花が咲きMASITAо(^ヮ^)о
アジサイも色づいております。このアジサイ、3~4年前に買った小さな鉢植えを花壇に移したところ、驚くべき成長を遂げて、いまや花壇の大半を占領するまでになってしまった。キレイで元気だからいいけど。
そのアジサイの傍らに小さな花。ィ世の中疫病だの災害だの子殺し事件だのとイヤな話ばかりではありますが、こうして季節はうつろいつつ生命を育んでいるんですねぇ……。
で、そんなさなか……。
ヒメ家族が倍増SITA(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
なんと5匹。前回の出産が3月中旬だったから、わずか4カ月後(細かくは1週間ほど短い)の出産だったワケで、年子どころの騒ぎではありませんなぁ……。ヒメを監督、白黒おじさんをコーチにしても、子どもたちだけで野球チームがつくれてしまうが、全員を選手にしてサッカーチームという作戦も考えられた(笑)。
という新人たちではあるが、前回と異なり、今回はちょっとした難産であった。把握できている限りにおいて、最初の子どもが生まれたのが7月5日深夜(6日)。妙な気配を察してヒメがアジトにしていた衣装部屋を覗いてみたところ、産まれたてが2匹いたのである。ところが、肝心のヒメがソッポを向いたママなのだ。触ってみるとすでに冷たくなっていて「こりゃぁいかん!」と、とにかく温めてみることに。ムダを承知で口元をネコ用ミルクで濡らしてみたりもしたが、そうこうしているうちにヒメが子ネコの身体をペロペロしだしたので、ヒメに一任するほかはない。
しかし問題はまだヒメのお腹に子どもが残っているらしいことで、このままだと胎児はおろかヒメの生命すら危ぶまれる。だが、気力はあるようだし、子どもをくわえてアジトに運んでいたりするので、ともかくもう少し様子をみることにした。
その2日後、階下からヒメの妙な声が聞こえたので急いで降りると、廊下で半ばヘソの緒でつながったままの子どもをヒメが舐めてるでははないか。見るとまったく動いていない。最初の子どもからまる2日は経っているし、死産はやむを得ないんだろうなとは思った。しかし、ヒメは動かない子をくわえて再びアジトへ。仕方がないので、さらに様子見を決め込んだのだが、その後も子どもが何匹生まれて、そのうちの何匹が生きているのかが気になって仕方がない。
そして7月9日の20時ごろ。居間で寛いでいると「みーみー」大きな声が廊下から聞こえてきたと思ったら、ヒメが子ネコをくわえてアジトから2階の空き部屋へと引っ越しをおっぱじめていた。こっちとしては4カ月前の先輩たちがいるし、彼らのときと同様にひと月ぐらいは目立たないようにしてほしかったのだが、その騒ぎのさなかに、今回生まれた子ネコたちの全貌を確認することになったのでありMASITA。
しかし一本取られMASITAなァ。今回は致し方のない経緯があったとはいえ、なんとしてもここで打ち止めにしなければいよいよ大変なことになってしまうぅぅぅぅ~~(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
先輩4匹。ヒメ親子。ずいぶんと大きく育ったものです。しかしそりゃぁいいとして、今回の5匹、柄のラインナップが先輩たちとほぼ一緒。名前つけるのにも往生しそうですなァ……。
その先輩たちの面倒もよく見てるんですよ、ヒメ。
2週間ほど前だったろうか、マグロの中トロを買ってきた(もちろんニンゲンが食うため)ので、ひときれを少し細かく切り分けてヒメにあげたことがある。子どもたちはどこか別の部屋で遊んでいたので、「いつも大変だろうからゆっくり食べな」というつもりであった。ところが、ひと切れを食べたヒメ、「みんな来なさい」とばかりに泣き声を一閃。たちまちのうちにゾロゾロと集まってくるちょびユメコムギももたん。だからといって、残り全部を子どもたちにあげるという話でもなく来たあとは早い者勝ちということのように見えたが、あれにはちょっとばかり驚きつつも感心させられたものだ。
ニンゲンももっと見習わなければならないような気が……。
それにしても、大きさがだいぶ近づいてきてしまった。
ももたんは一番小柄。食欲は旺盛なんですがねぇ。
話かわりますけど。
朝日新聞出版のサイト「AERAdot.」に鉄道と音楽をテーマにエッセイを寄稿しました。ご笑覧いただければ幸いです。
◎「かつて新聞報道された名曲も 音楽で楽しむ鉄道」
裏話などをしても仕方がないけれど、このネタを思いついたのは、このCD↑を引っぱり出しつつ、オネゲルの「パシフィック231」のピアノアレンジ盤を久々に聞いたことによる。あえて汽車と音楽という接点で聞いてみると、あらためて面白い曲だなと思ったのである。そこで古い資料などを発掘したりしつつ強引にまとめたワケだが、この仕事とは関係のないところで資料に読みふけることとなってしまった。
ついでに・・・というのもヘンですが、「イマドキありえないノロさ? 日本各地にはこんなに「夜行鈍行列車」があった」(ともに別画面で開きます)などほかあれこれ寄稿させていただいております。
本書『わたしは作曲家である』(A.オネゲル著・吉田秀和役/創元社)が問題の1冊。この本そのものは知っていたものの、いまごろになってはじめて読むこととなった。調べてみると新装版が発売されていることがわかったが、あえてもっとも古い1953年版を入手。奥付には230円の定価と並んで「地方定価235円」とある。だからどうしたって話でもないが、本そのものの朽ち具合といい、時代を感じさせるデザインといい、活版印刷といい、この味わいがたらまんのだ。
じつは「パシフィック231」に関する記述はわずかなのだが、第5章にあたる「職業上の技術的問題」に興味深いというか、「そうでしょうっ!? ホントにそのとおりですよね!」という内容が綴られているのである。椎名歩美おっと椎名誠流にいえば「コノヤロ系」といったところだが、記譜法についてあたりまえといえばいえる疑問を挙げられているのだ。
>記譜法上の変則的なこと、つじつまのあわないこと、廃物のことなどを話そうと思う。
(中略)
比較的転調の少ないクラシックの音楽では、五線の前に、嬰とか変とかの変位記号をつけ、主要調整の性格を暗示することにきめていた。けれども、転調がたえずあるようになつたつい最近でも、まだこの廃物化した習慣を忠実に守つている大家たちがいたのです。たとえば、ポール・デュカの《アリアスと青髭》の中では(デュカは決して悪戯好きじゃなかつたのに)、第二幕の冒頭から、六個の変記号で武装してかかつているのですが、その存在は忽ち忘れられてしまい、すてられたソーセージみたいにそこにぶらさけられているだけで、音符は嬰記号や本位記号で装飾される必要に迫れてしまう。そこで一頁の中に約九十九個の変位や本位の記号がほりつけられることになる。無用で煩琑な長物ですな。
(中略)
指揮棒の名人の間には、あなた方にこういう人もいるでしょう。《全部ハ音でかかれたスコアは、わたしにはよめない。移調楽器でよみなれてしまつたものだから……》。そういわれたら落ち着いて、こう返事するとよろしい。《では、クラシックの一連の作品はみなだめですね。何しろ、モーツァルト、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン。リスト、その他の人たちは、実によくクラリネットやホルンをハで書いていますからね。そのパートはよめないわけですね……それともその楽譜を調べている時、ハでかかれているのに気がつかなかつらのじやないですか?》と。(本書66~71ページから抜粋して引用)
長い引用をしたが、思いあたるフシのあるひとは案外多いのではないだろうか。もちろん、移調楽器の記譜法にせよ、調記号と臨時記号との関係にせよ、それぞれに合理性はあるワケだが、それを理解しつつも、オレもまた「なんかヘンだなぁ」と、かれこれ30年以上も思っていたのであった。だから、このオネゲルの論を目にして合点するほかはなかったのである。
いまひとつ、オネゲルが挙げているのものひとつにクラシック(だけではないが)の声楽や歌のパートで用いられている記譜法がある。譜例として有名な「乾杯の歌」(ベルディ)を取り上げてみた(本書中ではデュカの「アリアヌと青髭」が譜例として挙げられている)。
▲譜例1:オリジナルの(伝統的な)記譜法
本書にはもっと明解かつ複雑な譜例が引用されているが、この「乾杯の歌」程度であればもとかく、伝統的な記譜法だと案外リズムを把握しづらいことはないだろうか? これをたとえばつぎのように一般的な記譜法に置き換えてみれば読みやすさの違いは明らかであろう。
▲譜例2:一般的な記譜法
念のため、伝統的な記譜法には十分な根拠と合理性がある(歌詞の音節に合わせるためなど)。ただ、練習や演奏に際しての読みやすさという点で、はたしてどちらに軍配があるだろうかとも思うのだがいかがだろうか? ちなみに、以前紹介した『バルトーク音楽論選』(訳:伊東信宏・太田静夫/ちくま学芸文庫)には、バルトークが各地で採取した民謡の譜例が掲載されているが、いずれも一般的な記譜法(譜例2の方法)を取り入れてある。
……なにはともあれ、面白い本です。
























































































































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