2017.12.05

思い出したように時刻表の話(後編)・・・の巻

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  前回アップのつづき……。
  ちょっと時代が下って、同じく「観光交通時刻表」の93年10月号を開くと、たとえば「京釜線・週末列車」というページを認めることができる。ちょっと見には、「週末運転」の列車がこれだけあったのだなというところであろうし、そんななかに複数の夜行列車が健在なのは、新幹線以前の日本の国鉄を連想するかもしれない。が〜。そんなことでこのページをスキャンしたワケではもちろんありまっせんでスムニダ。

  注目していただきたいのは、表の上のほう。「行き先」やら「列車種別」、「列車番号」につづいて「編成」という欄がある。ここに記された「特」は日本のグリーン車に相当する「特室」。「食」はいうまでもなく「食堂車」。しかし冷静になって見てみれば、深夜0時すぎに発車して早朝に着いてしまう列車に「食堂車」というのがなんともイカしてはいまいか?
  大韓人の酒好きはよく言われるところ。くわえてココにあるのは「週末(終末でも可?)列車」である。いうまでもなくィ夜である。もちろん断言はできないものの、これら「深夜列車」の「食堂車」が「走る酒場」と化し、そこで酒池肉林(肉林は余計ですな・笑)が繰り広げられていたのではあるまいかと想像してついつい頬が弛んでしまうのでありMASITA……という話(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  ところで。この「観光交通時刻表」は2012年6月号を最後にナゾの満ちた終末を迎えている。突然に起きた廃刊とも休刊ともつかないその顛末は、あのジムトンプソン失踪事件を思わせる大センセーションであったが(まるでウソ)、その消息の一部について、このブログで以前に触れたことがある。
※「ある消息の巻」参照。

  経営者兼編集長兼編集担当であったアンヨンソン氏のその後は未だ不明だが、一部には「逃亡説」に類するものも流布されているようだ。事実はともかく、奥付をあらためてチェックすると、そこにある種の推理を働かせることができる。
  まずは失踪2年ほど前の2010年8・9月合併号。ココには発行会社である「観光交通文化社」の所在地として以下の記述がある(赤囲み部分)。
>〒100-858/ソウル・中区中林洞129-37(伽耶ビルディング5階)

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  じつはずっとココが会社所在地だと思い込んでいたのだが、(遅くとも)失踪数カ月前の12年2月号になると、いつの間にか移転したことを窺わせている。
>〒417-804/仁川市江華郡江華邑菊花里162(以下略)

  江華島なんて、これまたずいぶんと不便な場所に移転したものだと思うが、そうぜざるをえないなんらかの事情を察することはできるだろう。そしたら……、

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  最終号となった12年6月号では、会社所在地がスッポリと抜けている。赤線で示した下にあるのは郵便局の私書箱関連で、所在地と同様に毎号示されてきたものだ。う〜〜む……。いきなりつぎの7月号が発行されなかったという話ではなく、すでにこの号の編集段階で相当の異変が経営者と会社に起こっていた可能性が大きい。もとより、この場合、事実が明らかになったところでどうしたっていう話でもないのだが、気になることを気にしないでどうしますかということではある。

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  著名人による大韓鉄道紀行としては、御大・宮脇俊三もやや控えめながら8日間の汽車旅を遺している。この『韓国・サハリン鉄道紀行』(文春文庫)には、表題のとおり「韓国鉄道紀行」と「サハリン鉄道紀行」の2本が収められている。韓国のほうは古代史をメインとした取材だったこともあってか、やや物足りない気もするが、サハリンとともに貴重な記録ともなっているように思う。

  さすがに「時刻表マニア」だけあって、ともに時刻表が引用されている。大韓は取材時の「観光交通時刻表」から、サハリンは樺太時代の「時刻表」(東亜交通公社)から抜粋されたもので、いずれも面白く「読む」ことができる。

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  上を含む3点の時刻表は、本書引用の時刻表(樺太東線と豊真線)から孫引きし、一部時刻など原典の記載ミスと思われる個所に独自の判断で手を加えたものである。

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  ご覧のとおり、たいした本数があるワケでもなく、見た目としてはごくありふれたローカル線を思わせる。樺太東線には大泊港〜敷香間を直通する“優等列車”らしきスジがあるものの、「急行」だのといった表示はなく、その道行きで抜きつ抜かれつを演じていることもない。時刻表としては、ごく単純な部類に入るのではないだろうか。
  だが、子細に眺めてみればあれこれ興味がわいてくる。当時の日本にとっても樺太は僻地中の僻地であったろうから、おそらく単線だったハズ。となれば、いずこかで上下列車の行き違いがあるワケで、まずはその駅を読み取りたくなる(ここで使っている「OuDia」を用いれば一発でダイヤグラム化できるため、その位置を掴むのが容易)。さらに、単純なダイヤとはいえ、ここでの編成運用がどのようになっていたのかという点にも興味を覚えざるをえない。ヒントはそれぞれの列車の運行時刻のほか、「列車種別」欄に記しておいた「2・3等」「3等」という編成である。こうした運用には、単純に上り→下り→上り……といった流れもあれば、下り→下り→上り……などとなっている可能性もあり、こうした「時刻表」からそのさまを想像するのもなかなかに楽しいものがあるのだ。

  いまひとつは、起終点となる駅を分散し、いずれの区間において良好な時間帯の運転を配慮していることを窺わせているのも興味深い(前半でふれた大韓のダイヤ構成との比較ももちろんのことだ)。断言するほどのことではないにせよ、こうした古くからの積み上げこそが、日本を鉄道大国にしているのではないかという気もする。

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  こちらは豊真線だが、こんな1日3往復の単純な時刻表も、そんな目で読み込むと、味わいというものがわきだしてくる。このけっして便利とはいえないダイヤから、その沿線で暮らすひとびとの日常を想像してみるのもいいだろうし、実際に乗りにゆくとしたらどんな行程になるのだろうと(叶うことのない)乗り継ぎ計画を練ってみるのも楽しい。

  話は戻るが、最初に引用した樺太東線の落合〜大泊間に南小沼という駅がある。ただでさえ少ない列車だというのに、その大半が通過してしまっている。こんなダイヤが現役であれば、当然のごとく訪れるに違いない魅惑の駅だと思うのだが、どうだろうか?

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  ついでに……。宮脇俊三といえば「時刻表」だが、この『椰子が笑う汽車は行く」では、その肝心な「時刻表」のない汽車旅も収録されている。とりわけフィリピンを訪れた「時刻表のない旅」は、著者の外国モノのなかでも秀逸な面白さに満ちているように思う。

  ちょっと不思議なこともある。
  本書にはバンコク発シンガポールゆきの旅も収録されているが(泰緬鉄道とマレー半島の国際列車)、そのなかで入手した乗車券がバンコク〜シンガポール間の「1等車」用となっている。一方で、バンコク〜バタワース間の1等寝台券も事前手配で入手しているが、バタワース以南については乗り換え駅(バタワースとクアラルンプール)でそれぞれ買わなければならない。ところが、バタワースでは狙っていたエアコンつき1等寝台車が売り切れていたためエアコンなし等級不明の寝台券しか入手できず、クアラルンプール〜シンガポール間では「どん行」の2等車に乗る仕儀となったことが綴られている。乗車券は区間ごとの等級変更ができないため通しの1等だったにも関わらず、このザマとは。いかに満席だったとはいえ不条理なように思えなくもないのだが、そのあたりの心境についてはなぜか触れられていない(ついでに、マレー鉄道では寝台券・指定券だけを追加購入したのだろうか?)。
  また、クアラルンプールに朝7時20分に到着し、まずはシンガポールまでの指定券なりの入手を急ぎそうなものなのだが(著者ならなおさら)、なぜかのんびりと観光に興じたうえにホテルで昼寝までしてから駅の窓口に赴いているのもわからない。観光といったってとりたてて目的があったワケでもなく、きわめておざなりな内容をこなしたにすぎない。その挙げ句に予定していた特急「KTMエクスプレス」に乗りそびれたのだから、どうにも著者らしくないのである。かくなるうえは、あの世で御本人にお目にかかったらぜひともそのあたりについて質問してみたいものだ。

  ところで、著者らが散々な目に遭ったフィリピンもぜひ訪れてみたいと思うけれど、バンコク市内からスワンナプーム国際空港までのさなかに交わされたフィリピン人女性・アイリーンさんとの会話がその恐ろしさを物語っている(じつはこの会話、大韓語主体で交わされたのだが、たとえばドイツの街角でフランス人と日本人とが英語で会話するなんてこともあるだろうし、別段おかしなことでもないですね。もっとも、空港に向かう汽車のなかで「ケンチャナヨ!」と言ったら近くにいた大韓人と思しき若い女性が「えっ?」という表情で振り向いたりもしたが・笑)。
「フィリピンのイメージはどうかしら?」
「う〜〜ん……(単純に大韓語・英語で適当な言葉が出なかっただけの沈黙)」
「……デンジャラス?」

  御大・宮脇俊三もまた、デンジャラスというか相当にイカした体験をなさったようだが、『全東洋街道』(藤原新也・集英社文庫)の「終章」にはつぎの記述がある。
>私はフィリピンのマニラに十日滞在しているうちピストルの発砲を二度目の前で目撃した。

  本書でも『全東洋写真』(新潮社)でも、なぜかフィリピンの項がないのが残念。ん?  ちょっと話がそれてしまいMASITAね。

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2017.11.29

思い出したように時刻表の話(前編)・・・の巻

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  ちょっと古い1冊(前にも登場しましたが)などを取り上げつつ、「時刻表」の四方山話を……。

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  韓国の『月刊観光交通時刻表(월간관광교통시각표)』がなくなっておよそ5年半。ケンチャナヨ風味が漂うイカした本ではあったが、なくなればやはり不便だ。仕方がないので、KORAILの公式サイトで列車時刻を調べておきつつ、あとは現場でのアドリブということになる。しかし、これでは汽車旅の味わいという点での物足りなさがあることは否定できず、なんだか寂しい時代になりMASITAなァ……ボヤきたくもなる昨今のザマである。
  そんな無聊をなぐさめるべく(?)、この古い時刻表(1976年9月号)を引っぱり出してみた。

※本ページの時刻表およびダイヤグラム作成には「OuDia」を使用。あれこれ日常的に愛用させていただいております。

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  画像はそのなかから京釜線ソウル〜大田(西大田)間の下り列車ダイヤを抜き出したものである。天安では長項線、大田の手前では湖南線と全羅線がそれぞれ分岐。鳥致院でも忠北線が接続している。したがって、たとえばソウル〜水原間であれば京釜線列車のほか長項線と湖南線、全羅線のそれぞれ直通列車を利用できるワケだが、「観光交通時刻表」では伝統的に(?)ぞれぞれの路線系統別にページが分けられていたため(一部に例外あり)、例に挙げたソウル〜水原間のようなケースでは、複数のページ(路線)をチェックするハメになったものだ。あえてたとえるならば、東北新幹線と山形新幹線、秋田新幹線とがそれぞれ独立した表になっているようなもの(現行の日本式でも、この場合の東京〜大宮間は上越・北陸新幹線ページが別になっているものの、区間の性格からさほどの影響はないだろう)。もとより、大韓においてそれほどのひとが不便に思っていたかは知る由もないが。

  そこで、原著でそれぞれ別建てになっている京釜・長項・湖南・全羅線(および忠北線)の全定期旅客列車をひとつの表にしてみたのでごぢいます。
  こうしてみると普通列車の乏しさに目を疑うが、現在ではその普通列車そのものがこの4系統をはじめ大半の路線から姿を消しており、鉄道の位置づけは日本のそれとだいぶ異なるムキもある。ただし、この表中ではソウル〜水原間に地下鉄1号線系統の「電車」が運行されており(当時)、日本の大都市近郊に近い運行形態もみられる。そんな大韓鉄道の京釜線だが、ちょっと奇妙なことに気づく。

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  上記2表(下り列車のみ)をダイヤグラム化したのが上の図。「奇妙なこと」というのは、18時から20時すぎにソウルを発つ列車が見られないことだ。とりわけ、19時台にはみごとに1本たりとも運行されていないが、いうまでもなく日本であれば「ラッシュアワー」にかかっている混雑時間帯である。同様に、朝方の7時台や9時台も空白かそれに近い状態。大韓きっての大幹線だというのになんとも不可思議なダイヤ構成ではないか。

  断言は控えるが、これは全線直通運転に拘泥していることが原因ではないかという気がする。この当時、最速の「セマウル号」でもソウル〜釜山間で4時間50分、特急「統一」では5時間40分を要していたため、19時ちょうどにソウル駅を発車しても、釜山到着が深夜になってしまう。それゆえ、むしろ夜行列車が活躍することとなる一方で、「昼行列車」の最終を早い時間帯に打ち切らざるをえなかったのであろう。とはいえ、沿線には大田や大邱などの大都市はあるのだし、これが日本流であれば、たとえば大田に22時ごろに到着する特急(ソウル発20時ごろ)でも設定するところなのだろうけれど、そういうことはしないようだ。なお、この全線直通運転第一というセンスは現在も受け継がれているが、「KTX」が時速300km超で頻繁運転されている時代に入り、そうした空白はいちおうは解決している。

■ソウル発(2017年12月上旬現在平日・18〜20時)
  時   刻|列車種別・番号(行き先)

  18:00|KTX153(釜山)

  18:05|ムグンファ1511(麗水EXPO)
  18:10|KTX419(馬山・東大邱経由)
  18:15|KTX155(釜山)
  18:19|ムグンファ1221(釜山)

  18:25|ムグンファ1565(益山・長項線経由)
  18:30|KTX157(釜山)
  18:35|KTX545(光州松汀)
  18:40|KTX257(釜山)

  18:44|ITXセマウル(木浦)
  18:50|KTX719(麗水EXPO)
  18:55|KTX237(釜山)
  19:00|KTX159(釜山)
  19:10|ITXセマウル(晋州・東大邱経由)
  19:15|ムグンファ1223(釜山)
  19:30|KTX527(木浦)
  19:35|KTX161(釜山)

  19:40|KTX527(木浦)
  19:40|ムグンファ1305(東大邱)
  19:53|ムグンファ1513(麗水EXPO)
  20:00|KTX163(釜山)

※黒字=ソウル駅始発、
赤字=龍山駅始発

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  先に取り上げた京釜線は日本にたとえれば東海道本線に匹敵する大幹線。かの御大・宮脇俊三は、さまざまな種別の列車が抜きつ抜かれつするそんな幹線(当時)こそが「時刻表」の醍醐味だと語っていたが、いまひとつは攻略困難な路線・線区もまた「時刻表」を楽しい読み物とする主役格であるのは間違いない。
  細かい説明は抜きにするけれど、たとえばこの太白線系統もそんな路線のひとつではあった。眺めているだけでワクワクしてくる一方で、こんな不便でありつつも重要な路線は、いまやわが国でもその存在感が薄れてゆく一方にある……。

※上表注:甑山=現・ミンドゥンサン、黄池=現・太白、北坪=現・東海、餘糧=現・アウラジ。旌善線の餘糧(アウラジ)〜九切里間は2004年9月に廃止され、現在は観光用レールバイクコースとなっている。


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  いちおう、その太白線系統図を(『月刊観光交通時刻表』2012年2月号)。

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  いまひとつの魅惑の線区はこの慶北線系統。だいぶ前から1日3〜4往復という超閑散路線となっている慶北線だが、この時代にはご覧のとおりで、しかも廃止ないし休止状態となって久しい加恩線と聞慶線が営業中。いまとなっては信じられないが、加恩線に相当の本数があるうえ、同線に東大邱直通の「急行」まで乗り入れていたとは……。「超難関」というには程遠いかもしれないが、こんなダイヤが生きていたならば、どうやって汽車旅の行程を組もうかと、それだけで熱中してしまいそうな風景がここにはある。

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  ところで、だいぶ前に入手しつつ愛読してきたこの『韓国きまぐれ列車』(種村直樹・SiGnal)。書き下ろしを含む4本の韓国汽車旅(および高速鉄道計画に伴うパブリシティほか)を収録、うち1本は1977年5月の紀行(韓国鉄道膝栗毛)が綴られている。最初に読んだときから、当時の時刻表が引用されていないのを残念に思っていたが、ここで挙げた1976年9月号のダイヤがほぼ当時のママかそれに近い内容であろうことにふと気づいた。そこで、77年の汽車旅で著者らが乗った列車を件の時刻表から抜き出してみたのが、以下の3本と上記・慶北線中に「☟」で示した1本の計4本である。

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  道行きでは、まん中の87列車(特急「富強」)を17時53分着の慶州まで乗り、同駅発19時56分の124列車(急行)の寝台車で清凉里(ソウル)まで戻るという算段だったようだ。実際には同行者の希望もあって栄州から慶北線484列車への乗り継ぎへとアドリブ。40分ほど遅れて到着した金泉からソウル日着最終便となる44列車(特急「統一12号」)に駆け込んでこの日は大田(儒城温泉)に宿を取っている(翌日は高速バスでソウルに帰着)。

  まさに著者お得意の「きまぐれ列車」といえるが、慶州から清凉里まで乗るハズだった87列車の清凉里着は早朝4時55分。すでに、江陵ゆき125列車に乗る前にソウル地下鉄散歩などを楽しんでおり、まずは汽車に乗ることを目的としていた著者らが、帰国の途につくまで(金浦空港17時05分発の日航機)どうやって過ごすつもりだったのだろう……などと余計な心配をしてしまう。もちろん汽車以外にも旅を楽しむ手段には事欠かないワケだし、実際には買い物やら食事やらフラフラと町歩きでもしていれば、時間なんぞあっという間に過ぎてしまうものではあるのだが。

  それはそれとしても、いい時代だったのだなァと感慨にふけってしまう。寝台車や食堂車は健在だったし、「時刻表」の攻略という楽しみもいまとくらべるまでもない。観光色の乏しい時代にあって、よくも悪くも土着的大韓散歩(DK的と言い換えてもいい)が味わえたのだろうなァと思う(ついでながら、97年6月の旅「韓国SLと分断鉄道」には<どこに停まるか定かでない乱暴運転のバスで>なんてな記述もあってグっとくる)。
  つづくо(^ヮ^)о

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2017.11.23

日ごろテレビはほとんど見ないけど……・・・の巻

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  おっと、祖山式(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)




  春先から“長距離マラソン”に挑んできた大韓時代劇「王と妃」(全186話)が10月10日をもってめでたく完結。

  朝鮮王朝第5代王・文宗時代の中期から11代王・中宗の即位あたりまでを舞台とした「大河ドラマ」で、正史とされる「朝鮮王朝実録」や野史を素材としつつ検証・脚色を重ねた重厚な「歴史ドラマ」に仕上がっている作品だ。が〜……。

「まるっきりホームドラマね、コレ」
  と、年老いたわが母堂がウレシがっていたのがわが意を得た(そもそもマラソンそのものが母堂のヒマつぶしにつきあったという意味もあった)。

  主役中の主役である仁粋大妃(ウチでは「おっかさん」と呼んでいるが)の策略が奏効して王位に据えられたその次男・ヒョル(9代王・成宗)。ある種「太平」の世ではあったらしいが、問題は、その嫁(王妃)・尹氏とおっかさんとがすこぶる不仲だったところにある。まァ、キツイ性格の持ち主だってことでは似た者同士なのではあるけれど、その間に挟まってアタマが上がらない亭主(成宗)という図(ほかもろもろ)がなんとも大韓ホームドラマチックなのである。もとより、大韓放映中に圧倒的な支持を得た作品だということだが、案外こんなあたりにも人気のヒミツがあったのかもしれない。大韓人のおっかさんたちに人気だからねぇ、ホームドラマ。

  ついでに、関係がないようであるというかあるよでなかったりもするが、大韓ドラマの歴史的ヒット作として名高い「砂時計」は、光州事件をはじめとする軍政下の時代を舞台としたこともあって、硬派中の硬派な作品として捉えられるムキもあるけれど、むしろあれはメロドラマの名作なのではないかと個人的には考えている。逆に、「朝鮮最古の恋愛小説」などと評されたびたび映像作品となった「春香伝」は、政治的な皮肉こそが主菜となった硬派な物語なのではないかと思うのだが、どうだろうか?

※リンク動画は仁粋大妃と終盤の主役としてクライマックスの大暴れを演じた燕山君<第10代王>との対決場面。燕山君は成宗と尹氏との間の長男だが、そんなこともあって仁粋大妃からハードに嫌われていた。結局、あれこれ虐殺事件を重ねるなどして「暴君」として歴史に残っているが、そうなった背景として、藤原新也が『東京漂流』のなかで指摘しているとある殺人犯のそれに通ずるような心理描写がなされていて、そんなあたりにもグっとくる「王と妃」である。




  そんな大韓ドラマを楽しむ一方で、日ごろはほとんどテレビを見ない生活。パソコンとインターネットは公私を問わず必携アイテムではあるけれど、テレビはなくてもあまり差しつかえはないなと思う。テレビ局のネット配信もニュースの類を含めてアクセスすることはないし(間違ってクリックすることはごくタマにある)、映像エンタテイメントが欲しければDVDにせよネットの動画サイトにせよ、ほかのメディアがあれば十分(もっとも、だからといって外出先でまでネットに頼ろうとも思わず、スマフォやらモバイルやらを使うこともなければ、そもそもが携帯電話でWEBにアクセスしたこともない。あのチマチマとした画面も性に合わないし・笑)。個人的にはテレビってのはそんな存在なのであった。

  ……といいつつ、外国に繰り出すとなんとなくテレビをつける。ニュース番組の傾向を見るのも興味深いし、ドラマや音楽番組もまた然り。で、以前から大韓でときおり遭遇していたこの大韓毎日放送「オレは自然人だ(나는 자연인이다)」がなんともイイ味わいなんですなァо(^ヮ^)о

  内容はといえば、「山の民を訪ねてちょっとした長寿番組」(すでに270回を超えた。なんと「王と妃」よりも長い!)。タレントが“俗界”を離れひとり山奥の掘建て小屋で暮らすおとっつぁん(おっかさんもいるかもしれんが、どっちにしろ“イイ顔”)のもとを訪ね、あれこれお話をうかがうというものだ。なにしろ自然人である。腕によりをかけてふるまってくれる創作料理の数々もまた“イイ顔”揃い。なかには還暦を過ぎてなおタレント(マッチョ系)顔負けの体力勝負を見せたりもするが、なかなかに味わい深いドキュメンタリーではある。が〜……。
  このタイトル、むしろ「オレは畸人だ!」のほうが訴求力抜群なのではアルマイトの弁当箱?  まァ、題目が自然人にせよ畸人にせよ、ちょっとモノ珍しい御仁を主役にでっち上げていることには違いはないんですがね。

  面白いなと思ったのは、取材を受ける畸おっと自然人たちが、すこぶるゴキゲンだってことなんですよ。『畸人研究』(畸人研究学会)に、取材相手に「畸人研究会」の肩書きがついた名刺を差し出すと、「ほぉ〜。畸人研究会ですか」と大半の畸人が好意的に応じてくれるという話があるが、それがまったくの事実であることをはからずも証明しているようなものだ。「オレのことを畸人だなんて、バカにしてるのかっ!」とはならないのである。そもそもが「畸人」に対し敬意というか憧れを抱いて接しているワケで、どうやらこの番組の視聴者のなかにも、そういう気持ちを畸……自然人たちに抱いているムキも多いのではないかと察する。

公式サイトぞなもし




  大韓のテレビでつい見ちゃうのが、この「inet-TV」。演歌というか「トロット」主体の歌謡専門チャンネルである。名も知れぬ(オレが知らないだけの話かもしれないが)トロット歌手とその背後でダンスに興じるおねーちゃん軍団(ときおりちょっとした美形がいて驚く)。それに加えて、そんなステージを目の前にしてゴキゲンでノリノリのおっかさん(タマにおとっつぁんも)たちの姿を眺めていると、「ぁあ、人間っていいものだなァ……」とこっちまでシアワセな気分になってくるのだから不思議だ。




  で、その筋では有名な「千葉テレビカラオケ大賞21」である。なんとすでに36周年という知る人ぞ知る長寿番組だが、土曜日の夕方になると、我が母堂がボケ〜〜っとコイツを見ていたりするのだ。しかし、以前は「なんかジジ臭えなぁ」などと半ば蔑んでいるようなムキもあったオレだけれど、大韓で「inet-TV」のよさがわかるようになると、この番組もまた「イイなぁ」と思えるようになってくる。まぁ、たいていはそこいらのおとっつぁんとか妙にめかしこんだおっかさんなんかが気持ちよさげに歌自慢をしているワケなんですが。
  特殊漫画家・根本敬のなんの著書だったかに、「かつてはポンチャックをバカにしていたけれど、軍隊に入れられて帰ってくるとあのよさがわかるようになったんですよ」とかなんとかそんな大韓青年のエピソードが紹介されていたが、形や背景は異なれど、実感として両者にそう隔たりがあるとも思えない。

  しかしけっして侮れないのが「千葉テレビカラオケ大賞21」である。昨年の話になるが、なんとなしに目を向けていたところ、リンク動画の主役というかこの1分45秒目ぐらいに登場する岡田みなみちゃん(オレは「でかいねえちゃん」と呼んでウレシがっていたが)にとてつもなく仰天させられるハメになってしまったのだ。リンク動画の歌唱をお楽しみいただければ「ぁあ、にゃるほど!」と思われるのではないかと察するけど、なんとも上手なんですよ。年末ごろにはその年のチャンピオンを決めるグランドなんとか大会ってのもあるのだが、当然のようにそのチャンピオンに輝いた。ちょっとした「お宝発掘」である。舞台度胸も抜群で、でかいだけじゃなくオーラにも迫力十分。もとより、プロとなるとまた異なるレベルがあるようにも思うのだが(以前、とある取材のさなかにある人気歌手のアカペラ──CDなど商品にするさいの歌パート録音──を聞かせてもらったことがあるが、「これがプロの歌か!」と目というか「耳からウロコ」だったのを思い出す)、ひょっとすると……、コレをきっかけにプロとしてデビューしていてもおかしくはないと思わせるものがあった。

  ついでに(?)司会の相方を務める「あゆみちゃん」こと椎名歩美ちゃんが、太田蘭三ふうに見ると「われわれ中年男好み」でなかなかにキャワユイのだが、「あゆみちゃんに会いたくて番組出演に応募しMASITA」って男を見かけないのが摩訶不思議(まぁ、見てないところでお出ましになったのかもしれないが。見てる時間のほうが圧倒的に少ないワケだし)。しかしまさか「おビール」(太田蘭三の小説に出てくる女性の定番句)なんてこたぁ言わないよねぇ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)




  大韓の巨大ネコじまん登場!
  体重10kg超。ウチのちょびも絶好調のころは似たようなレベルではあったが、大きく育ったネコを自慢したくなるのも似たようなものであるо(^ヮ^)о
  しかも名前が「주군(主君)」ときた。ちょびもどきおり「殿下」と呼ばれているから似たようなものか。




  だいぶ前にネットで遭遇したアメリカ合州国のスター巨大ネコ・サムソン。「ぁあ、ほしいなァ……」と思うが、なにもニュース番組(YTNはニュース専門TV局)でやらなくっても……でもうやるんだよっ!

Jl869

  話かわりますけど。
  さる10月8日の深夜、なにげに「Flightradar24」(カラオケ大賞21みたいですな)を眺めていたところ、かような航跡を発見した(Flightradar24からのスクリーンショット)。この日のJL869便は成田を18時10分に出発、北京首都空港には21時15分に到着するダイヤが組まれていた。ところが、この航跡図を目にしたのは深夜0時すぎ(9日)。ご覧のとおり、北京上空を目前に旋回したのち進路を東寄りに向け、天津上空を素通りするや北京からだいぶ離れた渤海上空でぐ〜るぐ〜るぐるぐるぐるぐると七転八倒状態。結局、このあとは深夜2時すぎに仁川国際空港に代替着陸(ダイバート)してしまった。
  その後は、4時21分(9日早朝)に仁川を出発、5時05分に出発地の成田に戻らず羽田に代替着陸したらしい。

  で、こんなモノを見てしまえば、なんだってこんな事態になったのかが気になる。そこであれこれネットで検索してみたのだが、どうにも要領を得ないばかりか、国土交通省の「航空安全に関する統計、報告等」にも一切触れられていないのである。一体全体、なにが起こったのだろうか……?  ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。

  ところで、同業者友人にGという女性がいるのだが、だいぶ前に北京からの帰途、乗っていたJAL機が成田の滑走路が水浸しになっていたため着陸できず、羽田に代替着陸したことがあったという。もちろん羽田での降機はできず、(おわびの意味か)フリードリンクサービスで酒盛り状態となった機内で呻吟としたのち、深夜の成田に辿り着いたそうだ(都内まで臨時リムジンバスが走ったとかでその点はよろこんでいた)。
  このGだが、飛行機の予約をするとちょうど台風(成田のときもそうだった)がやってきて国内線であれば日程変更を繰り返すハメになったりと因果者の素質十分といったところなのだが、つい先日、別のエピソードを聞いたオレは、少しばかりビビらざるをえなかった。いわく、
「ANAに乗っていてエンジンから火が噴いたこともあったワ♪」
  ……。

  じつは、某国某所で取材のジョイントをするのも面白いネなどと話し合っていたりもするのだが、そのときは現地集合にしようと密かに誓ったオレである(笑)。

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2017.11.17

秋のソウルで日が暮れて・・・の巻

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  ソウルにて候。

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  KTX撮影を主役にしつつも、あたりをつけておいた2つの撮影ポイントで惨敗した今回の大韓散歩ではあったが、それでもいちおうは「取材」という「つもり」もある手前、遅ればせながらに「ソウルロ7017」に立ち寄ってみた。

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  少し前まで、ココが自動車専用道路だったとは信じられないが、ともあれ散歩道として親しまれている様子。

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  ピンク系に彩られているのは、乳がんのキャンペーンがらみのようだ。

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  あるようでないような風景ではある。

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  ソウL駅。夕暮れのターミナルってのも悪くはないものだ。

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  旧ソウル駅舎。

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  北方を望む。目下、北朝鮮危機とも呼ぶべき物騒な動向が伝えられているが、今回の散歩においてそうした雰囲気を感じることはなかった。ニュースを含むテレビ放送でもごく控えめというか少なくとも日本のそれのように騒ぎ立てていることもないようだったが、なんとなく日韓ともにそこから政治臭が漂ってくるような気もする。煽る者とそうでない者。案外根っ子は似たようなものなのかもしれない。

  しかし、それはそれとしても、ひょっとすると南北統一へと繋がる転換点に向かっている可能性もある。この線路を辿って未知なる大地へと向かうことのできる日を心待ちにしたいと思う。

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  気がつけば、歩き慣れてしまった感のあるソウルの街並。

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  家路を急ぐ汽車。

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  ソウル駅から北側に向かうのは京義線の普通列車(電車)と観光列車「DMZトレイン」、幸信発着の「KTX」ぐらいなものだが、幸信と水色に車両基地があるため、回送列車の運転はわりと多い。

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  三脚を持参していないので手持ち撮影。粗さは目立つが、スナップだと考えればケンチャナヨだ。

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  ところで。狙っていたKTX撮影こそ断念したけれど、「オマケ」の主菜であった食堂「ちゅ〜ちゃくむじ(주차금지=駐車禁止転じて酒車禁止)」は大いなるムダの末、無事にゲット(「くむじを求めて312.8公里の巻」参照)。それがどのような“ムダ”さ加減だったかというのが上記の地図(DAUM地図)に現れている。

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  その前にいたのが忠清道沃川郡の龍岩寺の近所(施した赤い線の左端)。ココから徒歩で6kmほど歩いて沃川駅へ。そこからはつぎの乗り継ぎで安東に辿り着き1泊。

●→沃川12:53(ムグンファ1304)13:04大田13:46(ITXセマウル1007)15:35東大邱16:30(ムグンファ1674)18:19安東

  安東では朝6時すぎに宿をチェックアウト、市内バスで40分ほどのところにある安東バスターミナルへ(独自の信号&車線感を持っている運転手によって、その半分ほどで着いてしまったが)。そこで7時20分発のバスに乗り換えて1時間20分で英陽バスターミナルに到着。目的地の「ちゅ〜ちゃくむじ」はそこから徒歩5分ほどであった。店そのものがなくなってなくてよかったと安堵したものだったけれど、営業しているのかどうかはいざ知らず……。

  それはともかく、ようはこういう行程であったという話でありMASITAо(^ヮ^)о

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  という次第で、大韓散歩秋の巻でごぢいMASITA。次回大韓散歩は1月中旬ナリ(12月からサーチャージが上がるというので、珍しく2カ月も前に航空券を買ってしまった)。

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2017.11.11

もう1カ所に希望を託したが……・・・の巻

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  ソウルでの一夜を明け、ソウル地下鉄4号線・大夜味駅にやって参りMASITA。
  だいぶ前にも記したが、4号線のこの界隈には、なぜか訪問欲をソソるような駅名がチラホラ。いわく、常緑樹(상록수=サンノクス)、半月(반월=パヌォル)、修理山(수리산=スリサン)、古桟(고잔=コジャン)……。大夜味(대야미=テヤミ)もそのひとつだけど、「夜」を抜いたら大味ですな。一方で中央だの工団などといったぶっきらぼうな駅名もあったりする。

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  駅前からバスに乗り継いで、やってきたのはこんなところ。

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  じつは、この界隈にKTXのちょっとした撮影ポイントがあることを発見したのである。が〜〜……一抹の不安も。
  その現場のロケーションというのが、この大韓散歩にあって最初に訪れつつも「国家保安法」云々(うんぬん)の前に撤退を余儀なくされた沃川のあのポイントと同じ系統なのである。ということは、こちらもまた撮影どころでない可能性がある(「その場所、デンジャラスにつきの巻」参照)。

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  コレがその現場(DAUM地図を一部加工)似たようなロケーションということは、ちょっとばかりイカした写真が撮れるハズ(黄色いライン)なのだが、こういう予感があたりがちだというのは世間によくある話。ロケハンしたかぎりにおいて、3通りのアプローチがあることがわかったが、そのいずれもが「출입금지(立ち入り禁止・赤い×をプロットしたポイント)」。うち2カ所は完全に金網デスマッチで監視カメラのオマケつきというありさまなのであった(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  唯一金網のなかったアプローチポイントだが、ご覧の看板でさりげにシャットアウト。イヌがワンワンうるさかった。이봐! 개!!
  しかしココ、なんかの秘密基地のようでもありますなァ……。

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  そのすぐ近くにこんな看板。ひょっとすると撮影ポイントに辿り着けるかもしれんと山道を登っていったけれど、待っていたのは土饅頭(墓)の集団であった。

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  北朝鮮当局(ついでにアメリカ合州国も)が不穏が様子を見せているようなご時世。関係があるかどうかはともかく、微妙な事情を理解する必要はある。とはいえ、ほかにすることがあるワケでもなく、仕方がないのでプラプラしながらカメラを構えるが、こんな逆光ではいかんともしがたし……。

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  朝方にでも出直せがいくらかはマシなふうかもしれない。

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  なんともうらめしいですなぁ……。

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  大雪の日に出直すのも面白いかも?

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  という次第で、連戦連敗を喫したKTX撮影の巻でごぢいMASITA。

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  コイツぐらい高く飛べばいいのだが。

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  それでも諦め切れずに、あれこれ小道を散策。

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  でもまぁ、あったのはしゅぽぐらいなんですがね。

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  一見ケンチャナヨだが、悪ふざけの類ではない真面目な物件。

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  この風景を列車真正面の高台から俯瞰できるハズだったのだ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ちなみに、仕方なしにちょっとだけ林道ふう小道に分け入った金網にほど近いポイントでしばらくシャッターを切っていたところ(3点目の写真など)、しばらくして自家用車の前で中年夫婦と警察官数人がなにやら鳩首会議をしているのに気がついた。別段こちらの挙動を気にしているふうでもないようではあったが、事故で警察官を呼んだ様子でもなく、なにをやっていたのかはわからない。まぁ、少なくとも金網の向こうでなければ列車撮影をとがめられるワケではないらしいことはわかった。もっとも、仮に問題があったとしたら、とがめ役は警察ではなく軍隊なのであろうなァ……(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  帰路は4号線の終点・烏耳島経由で水仁線に初乗り。ご覧のとおり単なるロングシートの電車というのでは、こういうときにでもないとワザワザ乗りに来ようとは思いませんわなぁ。

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  で、なんとなく仁川に到着。まっ、ケンチャナヨでござる。
  つづく。

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2017.11.05

秋の散策は山が一番?・・・の巻

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  堤川駅。
  英陽から乗ってきたバスを降り安東駅へと急ぐと、ちょうど5分後に上り清凉里ゆき「ムグンファ号」があった。仮に逃すとつぎの列車まで2時間以上も間が空くので、まさに絶妙のタイミグだったといえそうだ。

  その列車に乗って堤川に着いたのは12時51分。堤川駅で乗り継ぐべき太白線の時刻を見ると14時10分と1時間以上待たされることがわかった。ちょっと失望しかけたが、咸白の玄関となる禮美には15時07分に着くので、運任せの路線バスかタクシーを使えばいくらか撮影時間が取れるハズ。
  だが、問題は帰路の列車で、想定していた17時32分発「ムグンファ号」(清凉里着20時29分)は満席。ほぼ1時間後に走る「旌善アリラン列車」には空席があるものの、清凉里着が21時33分と遅いうえに運賃が割高で面白くない(禮美〜清凉里間「ムグンファ」一般席1万2600ウォン、特室1万4500ウォン、「アリラン」特室(のみ)2万2300ウォン)。困ったことになったが、ちょっと時間を置いて再度自販機をいじくってみたところ、「ムグンファ号」の特室に空席がお出ましに。
「こりゃ、とにかく禮美に行けってこったろう」
  と勝手に合点して切符を購入したのでありMASITA。

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  という次第で禮美駅に到着。

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  列車ダイヤなんぞ帰りのぶんしか調べてないので、相変わらずの行き当りばったりではある(左:太白線、右:咸白線)。

  ところで、いまひとつの堤川立ち寄り目的に人参液があった。駅構内の韓方店にィ安いのがって、土産などに重宝しているからだ。が〜……。
  買い物をするハズの駅構内韓方店の扉が閉じられてITA。

「う〜〜む……。前回の堤川がらみでも途中から運にソッポを向かれたものだったが、今回も同じようはハメになったか……」
  ふとそう思ったけれど、昼飯を食って駅に戻ってみれば、店の扉はウェルカム状態。しかし再びが〜〜……。
  肝心の人参液の在庫はなく、なんとなく全体の商品量が少なめであった。駅前では仮駅舎の工事がたけなわで、どうやら駅舎の大改装が進められているらしい。おそらく、そんなあたりが店の商いにも影響しているのであろう。

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  で、禮美駅に降りると、タクシーの姿はまったくなく、路線バスからも完全に見放されていることがわかった(上段中央の「영월・함백<寧越・咸白>」と左下「함백방면<咸白方面>」の一部がその路線)。どうせこんなこったろうと思っていたが、ケンチャナヨである。

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  仕方がないので、これまで何度か歩いた道をプラプラと辿りつつ、秋の山里風景を楽しむことにした。ふと見れば学校に植えられたイチョウ並木が色づき秋らしさ7分咲きぐらい。その先に見える線路に「ムグンファ号」が走ったらさぞやいい絵になるのになァ……。

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  どう見積もっても徒歩で咸白駅との間を往復することはかなわないので、どこか適当に妥協しつつせめて1カットでも汽車の写真を撮りたいものだ。その妥協点として選んだのがこのポイント。間近にあるのが咸白線。奥に見える高架橋は太白線の線路である。

  結果からいえば、小1時間ほど待ってはみたけれど列車のレの字も現われず……。

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  望遠レンズで山を覗けば、なんとなく不思議な風景が現われたりもする。

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  泉が心地いい。

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  おっと、ヤマカガシ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
  まだほんの子ヘビ。このまま進んでしまうと道路に飛び出してしまいそうなので、足で威嚇して後戻りさせようかとしたのだが、効果はなかったようであった。その後の無事を祈る……。

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  禮美駅構内にふと見かけたナゾの物体。目が悪いもので、メガネをかけていても遠目には乳母車(オレは、あの「ベビーカー」という気の抜けた呼び方が大嫌いなのだ)に載せられた動物のぬいぐるみかなにかに見えたのである。望遠レンズで押さえてみればこんな具合なのではあるが。

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  話は戻りますけど。
  英陽から安東に戻る途中で遭遇した巨大な「くむじ」(出入禁止)。

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  沃川で、読みさしの文庫本を旅館に忘れて取りに戻った話はしたが、無事に手元に本が戻って安心した直後に発見した作品がコレо(^ヮ^)о

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  아〜주차금지(ちゅう〜ちゃくむじ/駐車禁止)。やはり「くむじ」はアートである。

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  소변금지(そびょんくむじ/ションベン禁止)も必須アイテム。コレは作品としては凡庸に思えるが、貼り紙としたところに作家の思惑が読み取れまいか?  だって、ココにションベンをぶっかけでもしたら、デロンデロンになっちゃうワケだし、ンなところにわざわざ立ちションするってのも大人げないでしょう?

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  食堂の店先もちゅ〜ちゃくむじ。つまりは、クルマでの来店は止めてほしいということか???

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  까치(カチ)はカササギ。しかしそれを含めても電波文書と紙一重な「農場」の看板(いや、広告か?)。カメラを向けつつも、「コレの作家に出くわしたらちょっとヤだなぁ……」などと思った。ポンポン年度1978年度〜???

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  沃川の例のポイントから延々トボトボと歩いている途中に遭遇したしゅぽ。

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  ところで、沃川は「オクチョン」。ふと道路標識を見てみれば、その「옥천(オクチョン)IC」の下に「동이(トンイ)」の文字が。もとより、あの張禧嬪・チャンオクチョン(張玉貞)のオクチョンは「옥정」*なので、こんなところで「ぁあ」と面白がるのは日本人ぐらいでしょうけれども、とにもかくにも「チャンオクチョン」と「トンイ」とが並んでいるワケでごぢいますね(笑)。・・・とかなんとか、くだらんことばかりが思い浮かんだ道中であった。
※下世話な注:沃川=Okcheon、(チャン)オクチョン=Okjeong

  つづく。

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2017.10.30

くむじを求めて312.8公里・・・の巻(不定期連載・くむじや〜! 特別編)

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  せっかく発掘した沃川のKTX撮影ポイントであったが、おどろおどろしい事情により撤退せざるをえなかった……という話は前回いたしMASITA。で、無念の“転身”で時間が空いみてふと気づいた。昨年7月に訪れたものの、肝心な“絵”を撮りこぼしたママになっている咸白駅を訪れれば(「ツキと流れの巻」参照)、いくらか溜飲が下がるのではあるまいかと思ったのだ。沃川から大田までは「ムグンファ号」で十数分。そこで忠北線列車に乗り換えて終点の堤川にィ宿を取ってもいいし、堤川で太白線列車を捉まえて寧越に泊まれば翌日の咸白の持ち時間もたっぷりと確保できる。
「こりゃ、イカしたアイデアではないか♪」
  と勇んで大田に着いてみれば、つぎ忠北線列車は2時間以上も彼方の話であった。かといって大田でなにをすることがあるワケでもなく、切符の自販機とにらめっこ(列車時刻を調べることもできる)。結局、釜山ゆき「ITXセマウル号」と正東津ゆき「ムグンファ号」とを東大邱で乗り継ぐ安東までの切符を手にすることとなった。宿泊地としては堤川より安東のほうに軍配が上がるし、どうしでも咸白にこだわるのであれば、朝イチの上り「ムグンファ号」を乗り継げばある程度の時間が取れるに違いないと思い直したからだ。

  その軍配の理由というのが、この安東名物「カンコドゥンオ(塩サバ焼定食)」なのでごぢいますо(^ヮ^)о  季節は秋。そいやサバの旬ではないかと思うワケだが、ときにコレを食べたいがためだけに安東を訪れることもあるという大好物なのである。もちろんこの日も旨かった。
「お元気でしたか!?」
  店主の笑顔で迎えられ、ご当地米のお土産までいただいてしまった。ホっとシアワセなひとときであった。

  とかなんとか、前置きが長くなってしまったが、なんだって安東にやってきたかといえば……。

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  ジャ〜〜〜ンッ♪
  コイツをカメラに収めたいがためだったのである〜о(^ヮ^)о
  なんのことやら???という方は、「금지야〜!」をご参照くださいマセ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  ここ数年間にわたり大韓のそれを発端に各地で「くむじアート」を探索してきたが、そのとてもじゃないが意味のあることとは思えない所業がおおむね間違っていなかったことを知らしめてくれた店であり屋号であり看板であるо(^ヮ^)о

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  で、まずは安東である。
  これまで何度も訪れてきた割には宿が定まらないので(最初に泊まったィ安旅館は親切な女将さんにココロが温まったものだったが、その後2回訪れたところ肝心の女将さんに会えず、そうなるとあえて泊まる意味もなくなってしまった。ひょっとすると不幸でもあったのかもしれない……)、今回もテキトーに宿を物色することとなった。いつも駅前から目抜き通りを奥に進んでしまいがちなところを、ふと気づいて右側に歩いてみたところ、こぢんまりとしたモーテルがあったので、そこに決定。わりと小ぎれいで快適な一夜をすごすことができた。

  ところで、かの御大・宮脇俊三は、安東を訪れたさいにマツタケでも食べたいと思いタクシーの運転手にマツタケの絵を描いて見せたという。マツタケの意の韓国語を知らなかったのだ。そしたら、その絵を見た運転手は安東にはそういうのはないといったリアクションとともに苦笑い(「韓国鉄道紀行」<『韓国・サハリン鉄道紀行』文春文庫に所収>)。たしかに、そういうの(どういうのだ?)があるような街には思えないのだが、なんとこの通りにはそういうのの客引きとしか思えないおばはんがクモのように巣を張っていた。モーテルの先にある水色の壁の家。さらにその向い側の似たようなたたずまいの安普請。おばはんの視線を躱しつつィ横目でチェックしてみれば、そこにはそのテ(どのテだ?)そのものと思しきピンクの灯が煌々と灯っているのであった。
  まっ、こっちはさっさとモーテルにチェックインしてしまったが、窓を開けてみるとそのおばはんが視界にある。生憎、ただひとりの獲物も引っ掛かっていない様子ではあったが、ケッサクだったのは、表通りをパトカーが通るや、さりげに物陰に姿を隠したりするんですねぇ。なにか後ろめたいことでもやっているのでしょうか(笑)。ニンゲン、ドラマありでござるよо(^ヮ^)о

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  ィ翌朝は早起きしてまずは安東バスターミナルに突撃。駅近くのバス停から乗るとたいては40分以上かかるのだが、早朝だからということか、その半分ぐらいの時間で着いた(道も空いていたが、信号に対する独自の解釈をもって運転していた運転手のせいでもあったかもしれん)。そこから、市外バスを捉まえる。

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  隣のバスに江原・洪川「人参・韓牛名品まつり」の広告が。ふと気になったのは、この「인기가수(人気歌手)」の文字である。はてさて、どんな「人気歌手」がお出ましになるのやらと思いつつ、ポンチャックやらinetTV(大韓の演歌専門チャンネル)的情景を想像してみたりするワケですよ。そこで帰宅してから調べてみたところ……、チャンユンジョン(トロットの大人気歌手)やらエイプリル(アイドルユニット)やら、あのキムセジョン(ちょっとタイプですなァ……30ぐらいか?  と思ったら20歳<当時・数え>とわかって仰天した)がメンバーだったりするクグダンなどなど、ホントに「人気歌手」がゾロゾロと出演したようで驚いてもしょうがないが驚いた。おそるべし「人参・韓牛名品まつり」ではあるが、なんとあの「オーロラ」の名前まであってもっと驚いた(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)



♨「オーロラ」ぞなもし。曲名の숨바꼭질(スンバコッチル「かくれんぼ」)とおりかくれんぼしたママなのかと思ったら御存命にてなによりо(^ヮ^)о

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  安東バスターミナルから目的地まではおよそ1時間20分。車窓はちょっとムーディー。もっともこのバス、ちゃっかりと安東駅前を通った。バスターミナルまで繰り出ざずとも、駅近くからの乗れたワケだが、ンなことは事前にわかりようもない。言うまでもなく、帰路はその駅近くのバス停で降りたが……。

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  眞寶バスターミナルで小休止。

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  眞寶は진보。コレで「チンボ」と読む。帰路のバスでは運転手が「チンボですよ。チンボで降りる人はいませんか〜?」と声をかけていた。

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  その眞寶でほかのみなさまは全員降りてしまいMASITA……という図。

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  しかし車窓は悪くない。

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  そんなこんなで英陽に到着。安東から東海岸方面に向う途中にあるィ山間の町である。

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  町ではあるが、その貌はあくまでのんびり。大韓の田舎歩きも楽しからずや。

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  そんなさなかにちょっとイイ作品がо(^ヮ^)о

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  本来であれば手前の「しゅぽ(すぽになってしまっているが)」が被写体であるハズなのだが……。

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  じつはこの「ちゅ〜ちゃくむじ(酒車금지)」、偶然に大韓のDAUM地図で発掘したシロモノなのである。場所はといえば、ここでふれたとおりのすこぶる不便なところ。しかも、コレ以外にこれといった物件があるワケでもなさそうだ……。とはいえ、こんなに愉快なブツを見つけてしまっては仕方がない、「でも、行くんだよっ」というワケなのでありMASITA(ついでながら、東ソウルバスターミナルとの間に直行便アリラン<所要4時間30分だが、往復すれば1日がかりですなァ……>)。

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  しかし一抹の不安はあった。こんな地方も地方の小さな飲食店である。DAUM地図の情報だって最新とは限らないし、わっざわざこんなところまでやってきた挙げ句に、店の痕跡すらなかったらあまりにも悲劇ではないか。英陽にはいちおうソンバウィ(川辺の崖というか巨岩が景勝地になっている)などの見どころはあるらしいけれど、来訪の目的にはこだわりを持ちたいからねぇ。もっとも、建物と看板こそあったものの、営業しているのかどうかは……?

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  しかしまぁ、悪くないところではある。こんな町で一夜をすごすのもタマにはいいのではないだろうか?

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  おっと、しゅぽо(^ヮ^)о
  目的を遂げ、そそくさと安東に戻る。うまくすれば上り「ムグンファ号」を捉まえて、咸白とのハシゴができるかもしれん……と思ったからだ。
  つづく。

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2017.10.24

その場所、デンジャラスにつき・・・の巻

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「おひさしぶりです」
「そうですねぇ。どれぐらいぶりでしたか?」
「この前が1月でしたから……」
「1、2、3……、お元気でしたか?」
  ソウルの定宿にて……。

  で、仁川空港に着くや、急ぎ足の乗り継ぎでやってきたのは忠清北道・沃川である。この駅と町を訪れたのははじめて。単語の変換登録すらしてなかったので、この機会に沃川を登録。

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  町は穏やか。ニョキニョキと高層アパートが群れをなしているのはいかにも大韓ではある。

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  19時ごろに着いて、いつものごとく行き当りばったりの宿探しではあったが、田舎の小さな町ということもあり、いちおうDAUM地図であたりをつけておくことにした。すると駅前といっていいところにこぢんまりとしたモーテルがあるので、まずはそこを訪れてみようと思っていたのだが、建物はあるのにすでに建築会社だかなんだかの社屋になってしまってITA……。
  見渡すと「ホテル」を名乗る7〜8階建てのビルも見えるが、1泊4万ウォンを上限にと決め込んでいたのでそれは最後の手段。プラプラ歩くと旅館が2軒。片方の地下はノレバン(カラオケ屋)なのでパスし、もう1軒を訪ってみればすでに満室の巻。う〜む、晩飯を食う前に宿探しをすべきだったかと反省しつつ、2万5000ウォンナリのこの旅館で無事に手を打ったのでありMASITA。

  ィ翌日、ふと読みさしの文庫本が見当たらないことに気がついた。考えられるのは旅館の部屋に置き去りにしたことぐらいなので、散策したあと汽車に乗る前に立ち寄ってみたところ、「ぁあ、いるぼんのネ!」と宿のハルモニが保管しておいてくれて一件落着о(^ヮ^)о  シブイ宿ではあったが、沃川を再訪することがあったら、ココにまた泊まろうと思ったものだ。

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  郡内バスターミナル。ココで1日6本のローカルバスをつかまえる。

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「この道を少し歩いてから左に進めばいいですよ」
  降りぎわに道順を教えてくれたバスの運転手は、「いいから、いいから」と運賃を受け取ってくれなかった。大韓では、ときおりこんな人情に遭遇する。
  その運転手には「龍岩寺に行きたい」と伝えて最寄りバス停で降ろしてもらったのだが、目的地は別のところにあった。

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  その目的地はココなりо(^ヮ^)о
  つまり、ココで腰を据えてKTXの走行写真でも撮るべぇと目論んだがゆえの沃川訪問だったのである。が〜〜〜〜……。

  この1カットを「試し撮り」した直後、控えめな音量ながら、「ピンポ〜ン」となにごとかが流れはじめた。じつは、場所はこんなだし、北朝鮮情勢があんなだしということで、ひょっとすると「撮影くむじ(禁止)」なんてな看板でもおっ立ってるかもしれんと思っていたのだが、それはなかったにしても、ちょっとした第六感が働いたので耳を澄ませてみた。すると、女声の録音放送が、
「この場所は国家保安法により(ちょっと聞き取れず)速やかにお立ち去りくださるようお願い申し上げます」
  ときた。物言いは最上級に丁寧ではあるものの「国家保安法」のひとことがあまりにもブキミである(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

  着いてみれば朝日の逆光でこんなだし、せめて昼過ぎぐらいまでは粘る心づもりではあったけれど、無用なトラブルは避けるが吉。2度目の放送を汐に退散するほかはなかった。なにしろ、ある意味で、テロリストやその他犯罪者の類よりデンジャラスなのが国家権力の発動ですからねぇ……。

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  ぁあ、無念!  この天気だし、順光になればちょっとばかりカッチョイイ写真が撮れるハズだったんだがなァ……。

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  とはいえ、周辺は穏やかムード。

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  せっかかくなので龍岩寺を訪れてもよかったが、そこまでの急な登り坂を歩くのが億劫だったので即断でパス。名も知れぬ小さな仏教寺院で無念の気持ちをなだめる。南無観世音菩薩……。

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  ぁあ、パガジを買ってくるのを忘れたわ。

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  少しちょび柄の入ったネコと遭遇。どうもこのテの柄は大柄になりがちなのか、ソウルでテレビをつけていたら体重10kmおっと10kgという巨大ネコが登場(最盛期のちょびも10kgに迫っていた。全長約150cm)。しかも名前が「주군(主君)」ときた。ぁあ、ちょびも「殿下」とか呼ばれてるからねぇ。「おい、殿下!」とか。ついそう呼びたくなるようなものが、このテの巨大ネコにはあるってこったろうねぇо(^ヮ^)о

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  でも行っちゃうし。

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  麓から龍岩寺。再訪の折にはぜひ立ち寄ってみようと思う。

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  麓でKTX。

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  ほかに使えそうなポイントがありゃぁいいなと思ってあれこれ歩き回ったけれど、残念ながらそれらしい場所に遭遇することはかなわなかった(国家保安法ポイントに近いと思われるロケーションの場所が地図上に認められるが、たぶんそこは「国家保安法2」なのであろう)。

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  在来線ぞいに駅まで散歩(2kmほど歩いた先の国道にいくつかのバス路線があるのだが、バス停まで来てみれば、そこから駅までのおよそ6kmを歩いたほうが早いというていたらくであった)。

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  いかにも“やる気”の失せたような写真ですなぁと自分で思いMASITAね(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  沃川駅に帰還。予定より2時間弱も早く駅に戻ってしまった。ここから東大邱経由で安東に行くというのが当初のスケッチではあったが、あまりに実りのない沃川散歩だったがゆえ、あれこれほかのプランが思い浮かぶ。そこで、さしあたりは大田まで、ひと駅ソウル側に戻ってみることにした。ちょうどいい忠北線列車があれば堤川方面に、なければ予定どおり安東に泊まって、あとはィ翌朝に考えればいいと結論を先送りにしたのであった。
  つづく。

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2017.10.18

嗚呼、Dという世界! 大韓本小咄(ほか)・・・の巻

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  え〜、ただいま大韓散歩中でありますо(^ヮ^)о
  で、数ある大韓関連本──というよりあまたの旅行記のなかで傑作中の傑作だと長年にわたり確信しているのが一連の『ディープ・コリア』(DK)でありまッスムニダ。青林堂版(定本DK)からの愛読書なので、かれこれ20年以上のつきあいであることは間違いないが、その愛着ぶりを記すならばこんなこんな感じになる。

  ある年の大晦日のィ夜、盟友Sより電話アリラン……。
「なにやってた?」
「ディープコリア読んでた」

  オレからすれば事実をそのまま述べただけにすぎないが、ことのほかSがウレシがってくれたので、以来、「大晦日といえばDK」となって今日に至る(さすがに旅行先にまでは持参しないが……、荷物になるし・笑)。

  それにしても二十余年。当時は韓国語はおろかハングルの読み方でさえさっぱりわからなかったが、そのあたりが“解読”できるようになると、あれこれ見えてくることも少なくない。そのうち、ちょっとばかりギョっとしたのが、湖南線を往く満員の「ムグンファ号」の車内で著者らが出会った赤シャツのチョンユンギ青年、その彼が書き記した自らの住所である。いわく、「大韓民国全羅北道益山郡`*金馬面新龍里私書箱11号通信隊」(*益山郡=現・益山市)。益山市金馬面はあれこれ史跡のあることで日本人にも知られているが、ふと思って調べてみると、彼の記した連絡先ってのは、どうやら徴兵中の彼が勤務する軍隊の駐屯地のようであった……。

  ところで。最近になってこの傑作シリーズの意外ともいえる見落としを発見した(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  表紙カバー(より厳密にはカバー裏だが)は、本来こうするべきだったのではアルマイトの弁当箱?

  それにして、も。
  なかには真面目すぎる悪評やとんでもない勘違いを受けている面もあるらしい本書であるけれど、大韓通いをはじめる数年前、大韓ツウの同業者Yさんと大韓話になったところ、彼はこう言い切ったものだ。
「わはは、そっちできましたか。でも、あの本(DK)に書かれてあることは本当ですよ」

  残念なことに、往時からすればかなり薄味になってしまったようではあるが、それでもDK世界にある種のやすらぎを覚えつつ、なんのと言い訳を弄して繰り出したくなってしまうのが大韓なのでありMASU。

  しかし、この最新版である『元祖〜』(K&Bパブリッシャーズ刊)ではちょっとしたショックも……。
  片隅につけくわれられたつぎの記述。

>著者の意向により、この目次は一部を除いて、実際のページ数、ページ内容と違います。(P367。『豪定本〜』ブルース・インターアクションズ刊の採録部分)
>P575〜P600のノンブルに整合性が無いのは、著者の意向によるもので落丁ではありません。(奥付)

  ンなこたぁ、いちいち断られなくても、本書を買うような読者がヤボなことを騒ぎ立てるとは思えないのだが、だれの「意向」による“おことわり”の類なのだろうか……?  たしかに、前者では「もくじ」と本文との内容はその大半が異なっているし、後者ではノンブルの一部が飛んでいる(もっとも、本文を読んでいて件の個所で「落丁」なんぞと思うとしたら、よほどの前衛的読者であろう)。
  この最新版の“おことわり”が著者の「意向」なのであればケチをつける筋合いのモノではないけれど、できることなら、世間の目を気にしたにすぎないなんていう事情でないことを祈る。

  いまひとつは『豪定本〜』から登場した薬山温泉のつぎのくだり……。

>ザブザブっと湯をあびてドボンとつかって、ここに泊まったら夜はやたらに長くて長くて、ここに泊まったら夜はやたらに長くて長くて、どうしようもなかろうと思われる。(『豪定本〜』2002年)
>ザブザブっと湯をあびてドボンとつかって、ここに泊まったら夜はやたらに長くて長くて、どうしようもなかろうと思われる。(『元祖〜』2013年)

  オレが当地を訪れたときは、件の薬山温泉ホテル(宿はココだけ)が改装なのか廃業なのか、半ばガレキ状態だったためその夜をすごすことがかなわなかった。しかし、そのときの直感からすれば「ここに泊まったら夜はやたらに長くて長くて、ここに泊まったら夜はやたらに長くて長くて」はまさにそのとおりだったに違いない。

  なにがいいたいか?  それこそヤボなのかもしれないと自らを戒めながらも、ココに“イイ顔”もポンチャックもブタの運搬もじいさんの亡骸もインドと有明のイヌもケンチャナヨすら汚物のごとく排除されたわが祖国(ついでに大韓もか?)の情けなさを勝手に重ね見てしまったのである……。ほんの蛇足ではありますが。

Kankokunotabi

  もうひとつのDK的存在として、この『誰も歩かなかった韓国の旅』(宮原誠也・昭文社・1997年)も愛読している。
  昨今でこそ一般の旅行案内書にも大韓の地方や地方中の地方、あるいは著名観光地とは無縁な土地や物件が取り上げられることも珍しくなくなったが、かつて大韓のそんな土地やひとびとに目を向けていたメディアはDKなどごく限られた存在にすぎず、そんななかにさりげなく現われたのが本書であったようだ。愉快なのは、ガイドブックの体裁を整えておきながら著者の主観や思いが随所にちりばめられていることで、あたかも大韓の食堂で大衆的なメシをごちそうになりながらざっくばらんな大韓話をうかがっているような楽しさに満ちているのである。もちろん参考になる記述も満載。本書を読みながら、再訪への興味がわく土地も数多いのであった。

Jeondongyangha

  そういえば、『全東洋街道』(藤原新也・集英社文庫)を開いてみれば、その大韓の巻(下巻)にひとも羨むようなDK体験が綴られていて、何度読み返してもグっときてしまう。

  DKにあれこれ紹介(?)されているが、日本やほかのあまたの国々でそうであるように、大韓にも有名無名の遊廓街というものがある。そのうちもっとも著名だと思われるのがソウル東大門区にある清凉里588であろう。あるとき、友人Tの反応を面白がるべく見学に連れ出したところ、「いやぁ、(店先に立っている女の)みんながみんながモデル級ばかりだねぇ」と妙な感心をしていたものだったが、「行ってきていいYO」とそそのかしたところ、「お前が見てるから行かない」と一笑に付されてしまいMASITA(突撃モードになられても困ったのであろうが・笑)。本稿を記すにあたって調べてみたところ、すでに撤去が進み、現在はまったくなくなったか、わずかに細々と火が灯っているだかといった状況らしいが、DKにもあるとおり、かつては相当に現実離れした世界が繰り広げられていたようだ。

  で、そうと知ってか知らずか、無防備にも紛れ込んでしまったのが若き畸人・藤原新也であった。
  清凉里界隈のとある暗がりの路地を歩いていた藤原、いきなり闇のなかから飛び出した腕に抱え込まれてしまったのである。咄嗟にはなにごとが起きたのかわからず、しかしやがてそれがいささか強引な女郎部屋の呼び込みであることを理解したのだが、なんにしてもそんな“買い物”なんぞするつもりがないのだから迷惑な話だ。ところが、その女──還暦ごろと思われる──が肥満した大柄のガタイを武器に、怯む気配をみせずに力一杯挑みかかってくるのだからタマラナイ*。服を掴まれて引っぱられるわ、体当たりを喰らわされて部屋に投げ込まれるわで大騒ぎの明け暮れですといっとところだが、
>部屋はひどく狭かった。化粧品とニンニクと醤油の混じり合ったような匂いがした。狭い床いっぱいに蒲団が敷きっぱなしになっていて、その上にトイレットペーパーが二つころがっていた。(同書244ページ)
  という描写には戦慄が走る(笑)。

  そんな格闘を繰り広げつつ、おばはんが娼婦を呼びに行っている間に逃げればいいと気づいた藤原、観念したフリをして「女どこよ?」とおばはんに問いかけた。それに対するおばはんの返事──。
「わしじゃわ!」

  でまぁ、そのあとも平手打ちを喰らうやらで往生したようだが、笑いを誘われつつも同時に悲しげな感情もわき出してくる。そんな情景やココロのやりとりを垣間見つつ、「ぁあ、DKだなァ……」との思いがジワジワと心身を包み込んでゆくのであった。

*たぶんこんな感じであったのであろうо(^ヮ^)о
「ノー、ノー!  ナヌン、イルボンサラムカンガンゲ、アンデヨ、アンデヨ!」
「아니〜〜괜찮아〜(アニ〜〜、ケンチャナ〜^^)」

Jeondongyang

  もっともっとジックリと藤原新也の大韓話を読んでみたいと常々思いつづけているけれど、それでも前掲書のほか『逍遥游記』(朝日文庫)などで少しずつ語られているので、同じ文章を幾度となく読むこととなる。
  そんななか、写真中心にまとめられたのが本書『全東洋写真』(新潮社)である。いうまでもなく、ここで写真を通じて綴られているのは大韓だけではないが、東洋の西の果てから旅立ち、次第に東へと歩んでゆく道ゆきにあって、大韓の描写にふと目が止るとともに、ある種の懐かしさが込み上げてくるのであった。それは、『逍遥游記』で語られているオンドルにも通ずる安心感であり、温もりでもある。どうやら、そういう時空こそが、オレがあれこれ歩き回りつつ探し求めているものなのかもしれないなどと思いつつ……。

Thaitetudosanpo

  ところで、大韓から東南アジアへのプチ浮気をしている昨今ではあるが、某編集部のMさんから「参考にどうぞ」とプレゼントされたのが『タイ鉄道散歩』(藤井伸二・イカロス出版)であった。
  いやぁ、面白い!  単純にタイの鉄道の旅を網羅した旅行案内書なのだが、読んで楽しく、しかも大いに参考になっている。

「すごい本をいただきましてね。大袈裟かもしれませんが、究極の鉄道ガイド本というか、少なくとも汽車旅ガイド本の“あるべき形”として完成しているように思うんです」
  これは、“師匠”でもある故・野口冬人に本書を見せたときの話だが、事務所でひととおり見たあと、食事の席でもふと気になったのか、「あの本、もう一度見せてくれ」と熱心に内容を検分していたのを思い出す。

  欲をいえばもう少し文章による説明を深めたり表組を用いてもいいような気がしないでもないけれど、明解な内容は細部にわたり目が行き届いている。くわえて、繰り返し読めるガイド本であるというその一点だけでも、本書がお気に入りかつオススメの一冊となっているのであった。オレもがんばらねば!

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  残念なことに、DKに匹敵するディープな旅本というのは、じつはあるようでなかなかないものだ。貴重な例外として『インドでわしも考えた』(椎名誠・集英社)からはDI(ディープインド)を感じる。同行の編集者や写真家まで登場させながらもあんなに面白い紀行文に仕上がるとは……というのはついでの感想だが、ようはああいう話でもある。

  そんななか、本書『タイ鉄道旅行』(岡本和之・めこん)は、決してDT(ディープタイランド)ではないものの、タイという国やそこで暮らすひとびとと密着した一冊として、ところどころではあるけれど深めの世界を提示してくれている。しかし、自分自身もまた好きなように歩き回っているけれど、そうそうはハマリ込めないものなのだといまさらながらに思う。いうまでもなく「D」という世界にである。

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  おまけ。マウリツィオポリーニは大リスペクトするピアニストのひとり。とりわけ、かれこれ35年以上にわたり愛聴してきたショパンの前奏曲集や練習曲集などを聞くたびに、そうそうはああいう演奏はできないとの思いを新たにする。で、あるときなんの気なしにネット通販を検索していたらこのインタビューDVDが目に入ったのでさっそく購入。ここにももちろん「D」の世界が満載ではあったが、音楽の話とは異なるところでドキっとさせられたところがある。

  じつはまったく知らなかったのだが、ポリーニはイタリア共産党の党員なのだという。ただしイデオロギーからの参画ではなく、当時のソ連よるプラハ侵攻に対してイタリア共産党が真っ向から批判を繰り広げたことなどから「リベラル」の受け皿として党員となったことが語られている。こうしたエンタテイメントに関するインタビューで、そうした政治的な問いをぶつけるインタビュアーも立派だが、正面から答えるポリーニからもまた学ぶべき点が多いと思う。とりわけ、権力側におもねっていないという点で。

  その話の流れのなかで、(イタリアにおける)右翼への批判が展開されている。具体的な言及はないものの、相当に酷いありさまらしく、当時をして最大級の罵倒をぶつけたかったようだ。ところが、昨今の状況はさらなる悪化の一途を辿っており、ポリーニいわく「最低」をしのぐ形容詞が必要だという。
  う〜む。いっそのことポリーニの“リクエスト”に対し、「ABE」というのを輸出したらいいのではないかと思ったものだが(なんか、大韓ではそのテの用語が裁判沙汰にすらなったそうですなぁ。「お前はABEみたいだ!」とかそういうのが「名誉毀損」──ネタにされた側にではなく、「みたいだ」と罵られた側に対して──とされたとかされないとか。イイ話ですな)、世界のあちらこちらで不穏なよどみが拡大しているのがなんともおそろしい……。

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2017.09.24

散歩の傍役拾いも楽しからずや・・・の巻

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  前回アップと同様に、ちょっと古い話になりMASUが〜。
  シンガポールの博物館でタマタマの巡り合わせにて「朝鮮王朝展」に遭遇したそのほぼふた月前、バンコクの中心街では大韓まつりが開かれていた。もちろんひやかし散歩を楽しんだ。東南アジア散歩で大韓取材ができるとは、ある種の「星」のようなものを感じたくもなってくる。が〜。ふと思ったことも……。

  かの御大・宮脇俊三は、「アンデスの高山列車」(『汽車旅は地球の果てへ』<文春文庫>に所収)の旅のさなか、ペルーの食堂で「チーノ(中国人)か?」「コーリァンか」と訊ねられた体験を記している。そのくだりで、「こういう議論、私は大嫌いなほうなのだが、たまには許していただきたい」との断りを添えつつ、つぎのような一文を挿んでいる。
>どの国に行っても、東洋人と見ればジャパニーズ、ハポネーの時代に、これは奇特なことである。こうした経験は幾度かある。そうなるのは、主要都市や観光地からはずれた場所においてである。(中略)そういうところでは「日本」より「トヨタ」や「カシオ」のほうが有名なのだ。観光旅行者のごときは、お定まりのところにしか行かないから、他の大半の地域とは無縁である。(中略)日本人の海外旅行は、まだ修学旅行の域を出ていない。(前掲書/初出は1984年)

  自らこう記しておきつつも、とうの著者自身は必ずしもここで飛び出した論に納得していないのではないかと推察するが、オレ自身もまた「日本人旅行者ってのは、マイナーな存在なのかな?」といったふうに感じることはしばしばある。いうまでもなく、ごくごく限られた範囲における些細なめぐり合わせにすぎないけれど、東南アジア然り、ヨーロッパ然り。例外は大韓で、たいていはこちらが日本人であることを疑うそぶりすら見せないが、それでも「チャイナ?」と訊かれたことはあったりもする(笑)。

  ウサギとカメというか漠然とそう思うだけの茶飲み話だが、ひとつにはアジア諸国のなかで先行して経済発展を遂げた日本と少し遅れをとりながらも経済成長を果たしてきたアジアのほかの国々があり、その一面として外国旅行者の幅が拡がったということがあるのであろう。日本や日本人云々(うんぬん)ということだけではなく、それだけ異なる国や文化を持つひとびと同士の交流が盛んになったことをむしろ喜ぶべきなのではないだろうか。

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  コタバルの街角にも大韓風味。

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  CKBの世界о(^ヮ^)о  写真がブレているのは、シャッターを切ったあたりで縁石に躓いたため。「ケンチャヨ!」とそのときは思っていたのだが……。そういえば、このほどレンズを1本調達。これまで強いられてきた「手ぶれ防止機能」なしの戦いからやっとこさ解放される。もっともないならないでそれなりに慣れるものだとは実感しているのだが。

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  勅令の文字が目を引いた。念のため電子辞書で「広辞苑」を開いてみると、<明治憲法下、帝国議会の協賛を経ず、天皇の大権により発せられた法令>云々とあり、それ以外の意味には触れられていない。むろん、この貼り札と天皇とは一切関係がない……のだろうねぇ。

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  トイレの使い方。

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「インスタントティーミックス」のいれ方。
  シンガポールのホテルの部屋にあったサービス品で、むかしからある安直なインスタント茶だが、こういうのもタマに飲むとおいしく感じられる。しかもほのかにシナモンの香りがあり、ようはマサラティーふうなのに感激した。で、タマタマみかけたスーパー(しゅぽにあらず)をチェックしたところ見つからなかったのだが、最後のチャンスとばかりにチャンギ空港で訊ねてみた。
「インスタントの紅茶で……、ほら、むかしからあるような砂糖とミルクの入ったヤツなんですけど」
「あっ、スリーインワンですね!」
「そうそう、それっ、それっ!」
  教えていただいた第3ターミナルのショッピングセンターでは、残念ながらこのマサラティー風味のブツがなかったが、ともあれ似たようなのを買い込んで日本への帰途に着いた。ィ夜中の仕事のティーブレイクには最適なアイテムでごぢいますねо(^ヮ^)о

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  ホントにこういうおとっぁんだったらコワイ。畸人のオーラが漂っていますなァ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

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  人相は悪いが目がつぶら。オジホが時代劇で世祖のィ役なんかをやるとこんな風情になるのではアルマイトの弁当箱?

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  コタバルの川辺にて。

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  ビエンチャンの公園にあった恐怖看板。

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  ターナーレーンの街道にいわくありげな「学校」の看板が。ドラッグフリーとフリードラッグとでは意味が逆になってしまうのだろうと思った。

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  ビルの工事現場にて。他者を拒絶するかのような文字とイラスト。

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  ノンカーイの名も知れぬ仏教寺院にて。まさか爆弾だとは思わないが(笑)。

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  旧ノンカーイ駅に掲げられていたイラスト。背後はメコンだが、旧駅は道路を挟んだこの反対側にあるので、ひょっとするとこういう具合につくり変える計画があったのかもしれない。どのみちバンコク方面からの直通国際列車はないのだし、ラオスとを結ぶ列車はここでスイッチバックして友好橋を経由するルートにしてなんら不都合があるワケでもないだろう。現駅よりはこちらのほうが市街地へのアクセスには都合がよさそうに思えるが、その後の経緯は不明である。

  新旧といえば、大韓時代劇「王と妃」にこんなくだりがある。
  ある役人の首を挿げ替えた首陽(世祖)。その新旧2名を招いて簡単な酒宴を開いていた。そのおふた方は、旧・領議政シンスクチュ(신숙주/申淑舟)と新・領議政・クチグァン(구치관/具政寛)。そこで王(首陽)がふたりに呼び掛ける。
「シン領議政」
「ク領議政」
  問題は、「シン」が「新」であると同時に「申」であり、かつ「ク」が「旧」であるとともに「具」であるところにある。つまり、単に「シン領議政」「ク領議政」と話し掛けられただけでは「新領議政」「旧領議政」なのか「申領議政」「具領議政」なのかがわからず、とうのおふた方ともに揃ってあたふたするほかはなかったのであった。
  いうまでもなくココはそういう場面であり、オレは「こいつぁどっかで使える是!」(どこでだ?)と大爆笑するほかはなかったが、とうの首陽もまた上機嫌に高笑いをしているのであった……という話о(^ヮ^)о

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  コーンケーンではトカゲ多数。コレはどうみてもトカゲだろうけれど、トカゲとワニとの区別はいまだ理解できず(笑)。もっとも、蝶と蛾との区別にしてもあるようでないといった類の話を聞いたことがあるし、ヒラメとカレイもまた然りなのではあるが。

Khongkaen_0432

  よほど運が悪かったと思われる。

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  東線どん行の車窓にみかけたナゾの鳥。そういえば、わが母堂が、庭で「仏法僧(コノハズク)が啼いてた」とウレシがっていた。なんでも、子どものころに「ブッポーソ〜!」と啼く鳥がいると親に教えてもらって以来はじめての遭遇だったそうで、「ホントにそうやって啼くんだねぇ」としきりに感心していた。となれば、オレもソイツの声と姿とをぜひキャッチしたい。あれからほぼ2週間がすぎ、いまだに遭遇することができずにいるのだが……。ちなみに、種類はわからないけれど、フクロウ系と思われる「ホー、ホー、ホッホホホーホー」といった声がィ夜中に聞こえてくることはタマにある。こちらも姿を拝む幸運には恵まれていないのが残念。

Bangkok_0069

  帰途のバンコク・スワンナプーム空港(5月の巻)では、搭乗口の関係からかエバー航空のラウンジを案内された。大韓ドラマでみかけるナイトクラブを思い浮かべるのはオレだけではないハズ。シャワーでさっぱりとし、あれこれくだものをつまみつつフライトタイムを待つひとときであった。

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