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2026.01.24

〝コンプライアンス〟無視の政党から立候補させるな!・・・の巻


 さて、選挙である。
 あのツラ見るだけでも吐き気をもよおす蛇女の身勝手な独断解散でありそのはた迷惑ぶりがあれこれ指摘されているが、ここではそれに触れない。
 オレが主張したいのは、〝コンプライアンス〟をやらが社会で重視されるなか、政権政党が率先してそれを無視しているというこの現実を直視したらどうかということである(※欄外注)。
 統一協会などという反社会カルトとの綿密なつき合い。いわゆる裏金問題の放置。莫大な企業献金という名目の〝賄賂〟まがいの横行。細かな事案では〝モリ・カケ疑惑〟やら桜を見る会事件なども未解決のままだ。ぁあ、ゴロツキどもの脱税事件ってのもありますなぁ。
 まだまだあるが、これらはいずれも立派なコンプライアンス違反ではないのか? それも与党がやらかしており、それに対する反省も見られないのである。

 思想信条や政策云々はいい。それこそ国民主権の否定・制限など極右的政策であろうと、米国に対する隷属であろうと、それを主張するのは自由というものだ(ただし、「憲法」云々に関しては、大衆の側に「改正」を求める権利を認める一方で、「公」に関連する組織や政党とりわけ政権政党がそれを主張していいのかどうか、「憲法」の意味というものを噛み締めるべきである)。

 極論と思われるのを承知でハッキリ言いたい。
 自民党を筆頭に、コンプライアンス違反が常態化している政党・政治団体の選挙への立候補を認めてはならない。もちろん、現行の法のもとではそんなことは無理かもしれないし、仮に立法化したところで、今度は別の方向──権力側にとって都合のいい解釈と発動──に用いられる危険性も否定できない。
 そこで何歩か引いて、立候補を認めるとしても、有権者側で彼らのコンプライアンス違反をきちんと認識し、それに基づく投票をすべきではないのか?

 これはもう思想信条以前の問題である。
 身勝手な馬鹿どもをこれ以上好き勝手にのさばらせるのか。はたまたコンプライアンスを守る祖国を築いてゆくのか。我々に求められるのは、その二択でもあるのかもしれない。


※注:個人的にコンプライアンスだのガバナンスだのサステナブルだの故意にワケをわからなくしているような「流行させカタカナ新語」は、原則として使用を拒否している。しかしながら、コンプライアンスはやや広い定義でも用いられていることや「流行させカタカナ新語」のなかでは比較的なじみをもって受け入れられるいると思われることから、今回は例外的に用いることとした。

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2026.01.21

殺人さえしなければなんでもOKという組織と職業・・・の巻


 毎度おなじみ〝みぞぎ〟だなんだと、連中は直接的に殺人の類でもしなければなんでも無罪放免だと特権階級づらをしてやまない。
 ぁあ~、オレも自民党の国会議員を目指せばよかったかなァ。

 いや、そんな必要はない。

 なぜなら、連中のようなせこいインチキや売国行為に開き直るようなつもりもセンスも持ち合わせてないからね、オレは。
 なんというか、世の中どうしても悪人や犯罪組織ってのはあるのかもしれないけれど、かりそめにも有権者によって国会に送り出されておいてあのていたらくぶりを、少しは恥ずかしいと思わないものなのかと不思議でならない。
 これはイデオロギーだの政策だのもろもろ思想信条だのといった高級な問題ではない。自分自身もたいしたニンゲンではないが、ああも恥ずかしい馬鹿にはなりたくないということ。ああいうのを指して〝保守〟とは、〝保守〟ってのは馬鹿を指すってことなのか? 我が祖国日本は、もともとはそんな国ではなかったと思うのだけれど……。

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2026.01.17

対話を放棄した自民党・・・の巻


「首相の器じゃなくて壺」
 とかなんとかいうケッサクなコピーをネット上の通りすがりに目にして大笑い。
 まァ、首相云々以前に政治家としてどうなんだと思うが、壺は壺でも馬鹿の壺ですな、ありゃ。
 大韓のイジェミョン大統領がその蛇女(あるいはサナダムシ)にドラムセットをくれてやったなんてな雑報も目にしたが、ぜんぜんダメですなぁ、イジェミョンソンセンニム。くれてやるべきは壺でしょうよ、壺。
 さすがに二束三文のインチキ壺を恵んでやるワケにはいかず、たとえば朝鮮王朝時代の名品を選ばざるをえないのかもしれないけれど、もらうほうがその価値を理解できるかどうかはまた別の話。しかし、
「統一協会の〝ヒット(させ)商品〟とは違い、わが国の名品ですよ」
 ぐらいにウィットを効かせてでもくれれば、国際的(世界中ではない)ブラックジョークとして苦笑を誘ったに違いない。


 その〝馬鹿の壺〟。
「ASEAN首脳会議が開催された」とのたまうべきところを「解散」と言い間違えたそうな(笑)。
 かつて、日本共産党の〝あの〟宮本顕治が、その最晩年に開催された党大会だかなにかの開会宣言の席で「閉会します」とやってしまった話があるが、対する蛇女さんはまだそんな恍惚なお歳ではございませんでしょうに。もとより、ミスはだれにでも起こりうるのであり、ここに記している戯言は一有権者としてぶつけるべき相手に対するブラックジョークにすぎない。
 ぁあ、そういえばというか、その日本共産党の選挙における「減票マシーン」志位和夫──これもまぁ、オレが勝手にそう考えているに過ぎないが、同じように思っているかの党の党員や支持者は、案外少なくないのでは?──がきたる総選挙への立候補を取りやめたという。
 そこに至る本音の本音や舞台裏がどうであったかはわからない。また、きたる総選挙にどのような影響を及ぼすのかもわからない。ただ、珍しくも「いいことを言うな」と思った場面もある。つぎのくだりだ。


>「1990年代、2000年代、10年代と、時代を経るにしたがって、自民党政治の劣化がすすみ、かつて自民党がもっていた活力を失ったと感じます」と語りました。
 1990年代の橋本龍太郎首相との論戦では「橋本さんは官僚まかせにせず、正面から答えてきました。立場は異なってもかみ合った論戦で、爽やかさも感じました。そういう点では自民党の活力を感じたものでした」と強調。2000年代の小泉政権は弱肉強食の新自由主義やイラク派兵を強行し、正面から対決したが、02年の日朝平壌宣言を交わした際には、党首会談でこれを高く評価し、この一点では協力してきたことを語りました。
 10年代の安倍政権については「冷静で論理的な議論がいよいよなくなった」と指摘。とりわけ、安保法制の強行について「戦後最大の汚点です。憲法という国の土台でモラルハザードを引き起こした責任はきわめて大きい」と批判しました。
 さらに、高市政権の衆院解散の動きをはじめ、この間の自民党政権が相次いで超短期解散・総選挙を強行してきたことに触れ、「国の進路をめぐる正々堂々の論戦に耐えられないところまで、自民党政治は行き詰まり、劣化している」と指摘。


「志位議長、時期総選挙へ不出馬」しんぶん赤旗2026年1月17日


 ちょっと長い引用となったが、オレ自身がここでもっとも大切だと考えている「立場は異なってもかみ合った論戦」である。
 意見や立場、あるいは思想などにあれこれ違いはあって当然。しかし、そこで対話を拒否するか、機会を生かし対話を交わしてゆくか。それに続いてケーセッキ安倍政権(以降)の自民党がそれすらできない集団と化したことを指摘しているが(〝サヨクバカ〟にもそれはいる)、オレの知人にあって数少ないケーセッキ安倍支持者が、まさにその教祖や仲間と同様に「対話」というセンスをこれっぽっちも持ち合わせていないのに仰天したのを思い出す(その一例でモノを語ろうとは考えていないので念のため)。


 選挙をめぐっては、立憲民主党と公明党が手を結ぶといった新たな動きも出てきた。彼らがまだ十全にその訴えをまとめていない段階である。あれこれデマカセを抜かすのは極力控えたい。ただ、端緒にある段階での直感を記すのであれば、彼らには〝左派〟からの票はさほど流れないのではないか? 自民党支持者層のなかから、どれほどの票が流れてくるかという興味もあるが、結局は一部労働組合と創価学会票だのみになりはしまいか? なにしろ、〝保守層〟がより右傾化し(保守とはなにか?)、維新だの参政だの保守だのといったゴロツキ集団を支持しているご時世である。統一協会という世界最悪級カルトとの密接な関係にある政治組織や政治家に関する報道がほとんどなされていない国である。このままでは、本当に救いようがなくなるだろう、我が祖国は……。


 ところでというか、まったくの蛇足ではあるけれど、少しは韓国の三権分立を見習ったらどうかと思う。
 わが国には外患誘致罪という物騒な刑法がある。立件され有罪が確定すれば刑は死刑のみである。そこには外国と共謀したうえで日本に対する武力行使云々としてある一方で、武力についての具体的記述がなされていない。オレは法の専門家ではないので、あくまでシロウトの落書きに過ぎないが、解釈があやふやな法律という印象を持つ。
 さて、統一協会は少なくとも直接的には武力の行使はしておらず、そのための武力の保持もないようだ(本当か?)。したがって、自民党国会議員(だけではないが)大多数がいかにあのカルトと結びついていようと外患誘致罪に結びつけるのは無理があるかもしれない。だがしかし、彼ら統一協会の究極的な狙いはわが国の支配である。そこにいまのところ直接的な「武力」が明示されないからといって、自民党をはじめとする連中が「外患」を「誘致」していないと断言することも、いまや難しいのではあるまいか?


 マトモな対話もできない。詐欺同然の選挙活動も辞さない。国内外のカルトを支持母体に抱える……。オレがもっとも重視するのは対話云々だが、それゆえに国民は断固たる態度を取る必要に迫られているのではないか。ここにあるのは危機であり、危機感である。

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