処分はされても処罰はされず?・・・の巻
「川崎ストーカー事件」。
テレビニュースなどでも大きく報じられたが、ごくかいつまんで言えば、市民が訴えるストーカー被害に対し無視を決め込み、その結果殺人事件に発展したというものだ。
事件に対し、やっとこさ神奈川県警が事件の検証結果を公表した。複数の報道をまとめると、被告の不法侵入に対しきちんとした捜査を行なわなかったほか、ストーカーの訴えに対しなんら行動を起こすことがなかった(ストーカー規制法すら無視)、被害者の行方不明に対しても捜査を実施していなかったことなどを神奈川県警が認めたという。当初は「必要な措置を講じていた」とウソぶいていたのに。
現状では署長ほか数名が被害者遺族を訪れ謝罪したほか、関係者の一部を処分したと伝えられている。
それにしても不思議なのは、さきの大川原化工機株式会社とその関係者に対する冤罪事件もそうだが、処罰されるべき〝犯人〟および〝首謀者〟が処罰されていない(処分ではなく処罰である)。今回の川崎ストーカー事件も、内部で〝処分〟を設えこそすれ、処罰されることなどないのに違いない。
不思議としたのは、オレの〝専門分野〟である交通、そこで起きる事件との違いも指すからだ。
具体例を挙げるとキリがないので大雑把にすますが、たとえば航空事故。日本では警察が率先して捜査にあたり、ケースによっては事故の関係者を起訴するなどして処罰へと発展させる傾向が強い。興味深いのは航空の本場である米国で、こちらでもFBIなども動くものの、事件性がないと判断されるや、さっさと手を引いてしまうのである。ではどうするかというと、類似の事故が今後起きないように、あるいは起きてしまったさいに十全な対策を取りうるために関係者が事故調査に当たるのである。処罰目的でなく、事故対策のために。日本はその米国の子分のクセに、あくまでも関係者に責任を求め処罰へとつなげてゆくのはどうしたワケか?
話をストーカー事件(や大河原事件など)に戻すが、(航空事故というほんの一例を挙げたにすぎないが)ときに徹底して犯人捜しをし処罰をする日本の司法が、なぜこういう明らかに職務の怠慢や恣意的な違法行為が処罰につながらないのか? オレには不思議でならないのだ。
もちろん、処罰すればそれでいいという問題ではないが、川崎でいえば捜査チームのリーダ、大河原事件であれば関係する検察官などの顔と本名ぐらいテレビニュースや広報などでさらしてやれといいたい。たとえ話ではあるが、10円をうっかり失敬したぐらいでテレビニュースに顔を氏名がさらされる一方、警察内部のを含む公務員の内部の犯罪や重篤なミスを受け、その関係者が氏名すら明かされないケースは極めて多い。
もっとも、これは自然人(個人)と法人とにからむ法律の問題が関係してくるのかもしれないが、法人をはじめ組織とその関係者に対する「有限責任」について、抜本的な改正を討議する時期に来ているのではないかという気もするのだ。
いくぶん具体例に欠ける書き方になってしまったが、言いたいことは最後のひとくくりである。
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