見ざる聞かざるの裸の王様・日本共産党の重篤なる失策・・・の巻
極めて重大な誤りを犯したと指摘しておきたい。
先々週のアップで触れた日本共産党党員松竹伸幸さんに対する同党の過剰とも思える個人攻撃の顛末である。
本件に関わる同党の主張は、つぎのリンク記事に示されている。
●松竹伸幸氏の除名処分について(「しんぶん赤旗」2023年2月7日)
>松竹伸幸氏がすでに全国メディアや記者会見などで公然と党攻撃をおこなっているという「特別な事情」にかんがみ(引用ここまで)
除名したということだが、オレが日頃からそのジャーナリズム精神を評価している「しんぶん赤旗」にしては、「特別な事情」について具体的な解説がない(これは取材記事ではなく、単なる党支部の発表のタレ流しにすぎないが、それにしてもである)。
つづいて、松竹さんの発言や行動についてのいくつかを取り上げ、「除名処分の理由」としている。その最初の項目を引用してみよう。
>(1)松竹伸幸氏は、1月に出版した本のなかなどで、「党首公選制」を実施すべきと主張するとともに、党規約にもとづく党首選出方法や党運営について、「党内に存在する異論を可視化するようになっていない」、「国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる」などとのべています。「党首公選制」という主張は、「党内に派閥・分派はつくらない」という民主集中制の組織原則と相いれないものですが、松竹伸幸氏が、この主張と一体に、わが党規約が「異論を許さない」ものであるかのように、事実をゆがめて攻撃していることは重大です。(引用ここまで)
つづいて、
>わが党規約は、中央委員会にいたるどの機関に対しても、自由に意見をのべる権利を保障しています。異論があればそれを保留する権利も保障しています。しかし、松竹伸幸氏は、そうした規約に保障された権利を行使することなく(引用ここまで)
とし、党員として行使できる権利を行使せずに党外において言論をしたことを問題視しているようだ。
党内の細かな規約(党内における言論の自由などについて)は具体的に知る由もないし、その解釈を云々することはここでは留保する。オレがここで気になったのは、前段にある松竹さんが主張しているというつぎのくだりなのである。
>国民の目から見ると、共産党は異論のない(あるいはそれを許さない)政党だとみなされる(ここまで)
愛情のこもった内患表明である。ではさて、こんな強硬措置をとった事実が、はたして熱心すぎる党員(あえて志位派コミンテルンと呼びたい)以外の人々──すなわち「国民の目から見ると」──がどのように捉えるだろうか? まさに「異論のない(あるいはそれを許さない)政党」そのものなのではないのか?
ややもすれば「いいがかり」とされかねないが、同党はいわゆる「内部告発」を評価してきたハズで、松竹さんの行動もまたそれに準ずるという解釈だってできるかもしれない(同党がどう反論しようが、事実そう捉える大衆に対してはなにを主張しても無駄である)。ほかにもっと「民主的」な解決方法だってあったろうに、よりによって最悪な判断をくだしたものである。ホント、ジミー忌死駄顔負けの厚顔無恥ぶりではないか(笑)。
オレ個人は、ストッパーあるいはブレーキ役としての同党を大いに評価しているし、選挙で票を投じてもいる。だが、こんな醜態を晒しかつ自説に凝り固まって開き直っているようでは、それも中断せざるをえない。もっとハッキリいえば、志位和夫が退陣するまで同党への支持あるいは潜在的支持を見送ることにした。
前々週に記したとおり、同党の勢力が衰えてうれしがるのは自民党や創価学会、統一協会や関西のゴロツキどもである。まさか、そういうシナリオに沿って選挙で大敗を喫し、そのリーダーとして志位和夫が党首に居座っているとも思えないが、いかに同党内部の規約に沿っているとはいえ、表から見ればブレジネフだの習近平だのプーチンだのの長期政権とまったく一緒である(でなければ、よほど人材がいないと解釈されそうだ)。
それにしても大丈夫なのだろうか?
幸か不幸か(?)、オレは同党に一定の評価をする一方で党員などではないが、党員のなかでも「こんなやり方は自らの思想信条と相容れない」と考える人も少なからずいるに違いない。「しんぶん赤旗」の読者だって目に見えて減ったかもしれない。あるいは、議員や幹部のなかからも同様な異論が噴出してくる可能性だってある(むしろそれを期待したいが)。さらに肝心なことは、この事件が支持者や潜在的支持者からの離反のきっかけとなり、近々の選挙という選挙で歴史的おっと「異次元の大敗」を喫する可能性だって捨てきれないのではないか?
仮にそうなったとき、はたして現執行部はどのように責任をとるつもりなのだろう……。
なんにしても失望した。さらば志位共産党よ!
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