マイブームの話・・・の巻
昨年あたりから遅ればせながらのマイブームなのが高野本である。高野本というのは、数々の辺境探訪ノンフィクションを発表している高野秀行の著作の個人的総称(著名人については「敬称なし」こそが敬称と考えているので、あえて敬称なしで記す)。なにを手にとってもあまりに面白いので、いつの間にかそう呼ぶようになっていた。
しかしこれはオレだけの話ではなかったらしく、今週読んだ『アジア未知動物紀行 ベトナム・奄美・アフガニスタン』(講談社文庫)に寄せられた北尾トロによる一文にはつぎのように記されてあるのだ。
>高野秀行は“タカノ本”という辺境ジャンル唯一の書き手なのだ。
この一文を目にしたとき、
「おおっ、やはり高野本であったか!」
とうれしくなったものだが、なにはともあれそう呼ぶのがふさわしい著作群なのだと改めて思った。
この解説の書き出しにはこうある。
>高野秀行さんの本はカロリーが高い。ジャンクフード的味わいもあり、中毒性も持っている。たくさんの人に愛されているが、まだその数は充分ではないと思う。
まさに同感。やはりそう感じている人が(きっと大勢)いるのだと、これまたうれしくなったのである。
遅ればせながらのマイブームとしたが、高野秀行の名前だけは以前から知っていた。デビュー作である『幻獣ムベンベを追え』の著者としてその名を目にしていたからだ。この作品は著者が早稲田大学探検部時代に、あのネッシーと双肩するナゾの恐竜を追ってコンゴの奥地まで繰り出したリポートである。ところが、オレ個人はネッシーだのそのテのウワサ話にはたいした興味もないうえ、ほかに興味のある本があれこれあったこともあって読む機会をつくってこないまま忘れてしまっていたのである。
ところが、昨年だか一昨年だったか、たまたま見かけた『アヘン王国潜入記』を一読して大感激。ミャンマーとタイ、ラオスにかかる麻薬生産地帯、ゴールデントライアングルのまっただ中に密入国のうえ潜入、およそ7カ月にわたり村人に混ざって生活してきたという仰天もののノンフィクションである。
これがなにしろ面白かった。紀行モノのようであり、文化人類学的でもあり、探検モノでもあり、もっとアナーキーな“私ノンフィクション”でもある。最後は自らもアヘン中毒になってしまったあたりも痛快だが、この作品を端緒として件の『幻獣ムベンベを追え』はもちろん、学生時代から十年以上にわたり暮らしていた古木造アパート三畳間を舞台にした『ワセダ三畳青春記』・・・と、読むごとに高野本にハマってゆくハメになったのであった。
ときに「んな、くだらんことを」などと揶揄されかねないテーマに全力でぶつかってゆく痛快さ。大胆でありながら周到な準備を怠らず万全な取材を貫く姿勢(たとえば、各探訪地の現地生活語をマスターしてゆくのは驚愕ものだが、大いに見習わなければならないと襟を正したりもする)。テーマ探しから作品のピリオドまでそこはかとなく充満してやまないユーモア精神。いやはや、これは高野本としかいいようのない唯一無二の世界なのではないか? こんなことを勝手に思いながらページを手繰っては楽しんでいるのである(もちろん、再読を含む)。
という次第で、このブログでも折に触れて各著作おっと各高野本の紹介と感想などを記してゆきたいと考えている。とくにスケジュールも立てずに五月雨式気まぐれアップになるとは思うが……。
ところで、これは感想でもなんでもないが、今週読んだ『アジア未知動物紀行』にちょっとばかり「ハッ!」とさせられる記述があった。
舞台はアフガニスタン。現地の人々との対話シーンのなかにその記述が現れる。
>「この地域を重点的に援助してほしい。そうすれば、日本の名誉になる」
「日本に帰ったら、ちゃんとこのことを政府に報告するんだぞ」
今度はすっかり地元の陳情を受ける政府の視察団みたいになってしまった。
「私は政府とは直接関係ないのでそれはできませんが、あなたがたがそう言っていたことは本に書きます」と約束せざるを得なかった。
「戦争をするのはアメリカ、援助は日本」という構図ができあがっているらしい。まぁ、逆よりはいいのだが、それにしてもである。(296~297ページ)
──戦争をするのはアメリカ、援助は日本──。
しかしこの構図、近い将来にどう改変されてゆくのだろう。さすがに逆にはならないと思うが、「戦争をするのはアメリカと日本、援助は●●」という事態は、決して絵空事ではないのではあるまいか? もはやジャパンには“援助”役をやらせるだけの経済力も活力もない──そう判断した米国が我が国になにをやらせるのか? すでにその兆候は顕われているのだ……。
本書で活写されたアフガニスタンの生き生きとした人々の姿を想像しつつ、身近に迫る暗雲をも感じないではいられなかったのである。
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