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2022.11.09

米国と民主主義・・・の巻


 アメリカ合州国の中間選挙が実施され、日本の各メディアも大々的に報じている。なかには、自国の選挙こそこれぐらい熱心に報じたらどうなんだと皮肉りたくなることもあるが、日米以外の各国での扱いにも興味がわくところではある。

 というのは、米国大統領選挙を近々に控えた2016年秋に欧州4カ国を訪れたさい、テレビニュースの類でかの報道をほとんどみかけることがなかったのである。出発前の日本のテレビでは連日大騒ぎ。帰国後も同様であったが、この違いはいったいなんなのだろうと素朴に思ったものだ。

 今回の中間選挙では、トランプのおとっつぁんが旗振りを続けている共和党が政権党である民主党に雪辱するかどうかという点がひとつの注目点となっているという。これをアップする前の状況ではどうやら共和党が優勢のようで、ただでさえキナ臭さが増す世界情勢に与える影響が心配になってくる。

 中間選挙をめぐる論点には、インフレ対策や銃規制をめぐる議論、現政権と前政権に対する評価などが取りざたされている。銃規制や人工中絶問題などは民主・共和“2大政党”の立ち位置が比較的明瞭だが、なかでももっとも注目されているらしい経済対策について、この選挙の結果がはたしてどれほど米国民の希望に寄与するのかという気もする。

 さて、そんなさなかに興味深いテレビドキュメンタリーと巡り合った。

 NHKが放映した「ミシシッピへの旅 分断国家アメリカのルーツ」である。

 ジャーナリストであるキャノンハーシーが米国における分断のルーツを探るべくミシシッピを訪問、その旅を追跡したドキュメンタリー。1960年に上梓されたルポルタージュ「A Life for A Vote」(キャノンの実父であるジョンハーシーの著作)から着想を得、黒人農民から起こった公民権運動から現在に続く実情を探るというもので、米国における民主主義の深層へとテーマが収斂してゆく。

 そのなかで、俗に“民主主義の総本山”とも捉えられているアメリカ合州国が「民主化」されたのは早くとも公民権法が制定された1964年であり、取り立てて長い歴史があるわけではないことが語られていた。

 そうなのだ。自由の国と喧伝されてきた米国の正体がそれなのである。たとえば、踵を接するように、ジャーナリストの本多勝一が黒人写真家とともに深南部などを訪問。そのさなかにあからさまな人種差別行為に遭ったばかりか、自動車で走行中に銃撃すら受けたことが報告されている(『アメリカ合州国』朝日文庫)。一方で、同じ著者が21世紀を迎えた米国深南部を再訪し、表面的には差別が大きく減少した事実に触れているが、それが融和ではなくモザイク状の分断であることを指摘している。

 公民権法によって米国では法による人種差別が撤廃されたことになっているが、実際には差別は綿々と続き、いままたトランプを旗手として巧妙な手段を交えながら公民権法を骨抜きにしようと画策している層が存在しているのである。

 こうしたことを通り一遍に批判することは容易であろう。だが、そうした差別的(本人らがそう思っているかどうかは不明だが)思想にかられた層が、かなり広範に深く広がっていることに興味を覚える。

 同時に、それに頬かむりをするかのようにかの国が「民主主義の総本山」などと持ち上げることに改めて疑念を抱くワケだが、その未完成な民主主義社会にあって、その改善を目指して活動を続ける人々が、おそらくは大きな層をなしていることも忘れてはならないと思う。

 アメリカ合州国はどのような道を選ぶのだろうか。それは形こそ違えど民主主義の根幹が脅かされている我が国にとっても無視するはできないだろう。おそろしいのは、そうした国家がいままさに各地に顕在していることかもしれない。


 

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