歴史に学べ・・・の巻
よく言われることだが、戦争というのははじめるのは簡単だが、終わらせるのは極めて困難だ。
幸いにしてその当事者となった経験もなければ、今後もなりたいとはつゆほども思っていないが、諸外国から伝わってくる戦争の実態を見るにつけ、それは本当のことなのだと理解する。今般のプーチンロシア侵略戦争も然り。米国が各地で繰り広げている諸戦争もまた然りである。
そういう常識を前提とするならば、我々人類にすべきことはいかに戦争を起こさないかということになるが、同時に肝に銘じるべきことがある。それは、いかなる「備え」も戦争終結の切り札とはなりえないということだ。
目下、あのケーセッキ安倍を先頭にした自民党はもとより関西ゴロツキ軍団がやれ的基地攻撃能力がどうのとお題目を唱えつつ、多額の税金をつぎ込もうとたくらんでいるが、改憲や核保有などもろもろの武装化をこの機に成し遂げてしまえという動きが顕著化している。断るまでもなく、そんなことが戦争を防止する役に立つハズはなく、いわんやはじまった戦争を終結させることなどできはしない。こんなことはケーセッキのように多少──もとい、「だいぶ」か──オツムが足らなくても理解できることのハズなのだが、与党とその補完勢力がこのザマなのである。イデオロギーが本音なのか、単純にカネが欲しいのか、はたまたある種の妄想を満足させたいだけなのかはわからない。あくまでオレ個人の思い込みではあるけれど、プーチンがある種の「敵」であるのと同時に、彼らもまた明白な「敵」だとでも言いたくなってくる。
ところで、日々のニュースには米国によるウクライナへの巨額規模の軍事支援などが伝えられている。状況が状況なだけに、そういう「支援」が起こりうるのは必然なのかもしれないし、必ずしも間違ってはいないと考えている。しかし、穿った見かたと思われるかもしれないが、あれもまたカネである。ひょっとすると、軍需産業はプーチンに足を向けて寝られないぐらいに感謝している可能性だってある。米国にしてみれば、自国が直接戦争当事者にならないままで巨額の軍事的消費が可能なのだ。そうなれば、当然のようにしてそこに「投資」という名のゴーズトマネー(注:個人的造語です)がつぎ込まれ、濡れ手に泡で泡金に狂奔する連中が群がってくる。彼らもまた思っているだろう。ウクライナよ、まだまだ抵抗を続けてくれ。プーチンよ、けっして妥協をするなと……。
そうして、終結への道筋がますます遠ざかり、戦争はドロ沼化してゆく。
断っておくが、なにもどこの国との間でも軍事的緊張などありえないのだと楽観せよと主張したいのではない。国名を挙げては失礼だが、ふとっちょあんちゃん牛耳る北朝鮮はどうか。覇権主義に溺れかつての日本のパロディのような中国共産党の中国もまた然り。プーチンロシアだって十分に疑う必要がある。このような状況にあって「専守防衛」という範疇における軍備までが不要なのだとはオレだって思っていないのである。
だが、ここで最初に戻るのであれば、仮にそれらの国がわが国に軍事行動を起こしたら、それはそれでもう終わりなき惨劇のはじまりなのだ。ということは、自国が軍事行動を起こさないのはもちろんのこと、諸外国に対してもそうした行動を起こさせないための行動や毅然とした態度──あえて緊張感と呼び替えてもいい──が必要となるのではあるまいか?
(そもそも、あのプーチンの大のなかよしだと世界に向けて公言していた安倍晋三さんよ、オトモダチならただちに手を引くように説得してほしいもんだ。そしたらその「成果」について大いに礼賛してもいいぞ・笑)。
悪いけれど、ケーセッキやらゴロツキ軍団やらの発言を見ていると、とてもではないが「文明人」とすら思えない。侮蔑を込めて「土人」と呼んでやろう。
以下は歴史に対する“畏れ”とプーチンロシアに対するオレなりのイヤミであり警告である(ロシア語・ウクライナ語・米英語の順)。
Российская война─ Похоже, что это стратегия SANKO, которую японские военные делали раньше.
Російські акти агресії──Це схоже на операцію Санко, яку японська армія робила раніше.
Russian war──That seems to be the SANKO strategy the Japanese military did formerly.
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