御無礼!・・・の巻
近ごろは麻雀をする機会もすっかりなくなってしまったが──最後に卓を囲んだのは、あの石丸謙二郎さんとだったかもしれん。その節はお世話になりましたm(__)m)──、ときおりヒマつぶしにMacで麻雀ゲームに興じることはある。
その麻雀のなかで議論を呼んでいるというかある種「神話」的に語り継がれていることに「流れ論」というのがある。ごく大雑把にいえば、勝てる流れであったり、相手の当たり牌が自分の余り牌になる流れだったり、裏ドラが乗る流れだったり……といろいろあるワケだが、あるといえばいえるような気もするし、ンなもん迷信に過ぎないという気もする。まぁ、あると思うほうが夢やコクがあるんじゃないかぐらいに思っているのだけど。
この「流れ論」。麻雀マンガでもよく題材にされている。ヒット作のひとつ『むこうぶち』(天獅子悦也/竹書房)はその典型だろう。
たとえば20巻には好勝負を続けていた男がポンと同時に混一色を聴牌、捨てた不要牌が主人公・傀の「リーチ・三暗刻・ドラ6(裏3)」にドッカンした場面がある。和了した傀は淡々と点数を申告しつつ「ドビましたね」とつぶやくのだが、当てられたほうは「ポンはなかったか!?」とポンしなかった場合つぎに自分がツモるハズだった牌をチェック、「鳴かなきゃ俺のアガリだった!」と悔しがってしまう。そのザマを見た傀が、ひとこと「御無礼」と毎度おなじみのキメゼリフを発する……。
このあと、この男は崖から転落するかのような負けを喫したワケだが、勝負を終えたのち同席していたプロに自分の流れの峠がどこにあったかを訊ね、こう指摘される。
「鳴かなきゃツモれていた二筒を君が思わず見た時さ。(中略)俺達はあの瞬間に君の流れが下がると読めた」
面白い話ではあるが、実際問題としてそんなことがホントにあるのかどうかはわからない。しかし、なにごとかが起きたとき、それをいかようにも解釈するのは我々ニンゲンの側である。できごとそのものはなんら性格を持ち合わせていない。それをプラスやマイナスに受け取るのも、活かすのも殺すのもニンゲンの側である。言い換えると、あるできごとに対し謙虚であるべしというふうにも思える。
閑話休題というか、ココまでは前置きである。
あの忌わしき東京五輪。じつはハナっから「流れ」を失っていたのではあるまいか。むしろ「大敗の流れ」に掴まったと見てもいいかもしれない。それも「勝負」が煮詰まるはるか以前、麻雀でいえば開局前からすでに負けモードに自らが陥っていたのである。
その発端は当時からウワサされていた誘致にあたるワイロ疑惑に遡れるのではないかと思うが、いまひとつ思い出していただきたいのはエンブレムの盗作疑惑騒動である。あれは開局早々の「東1局」でオヤの役満にぶち込んだほどの被破壊力があった。そして国立競技場の設計変更騒動。こんなのは酔っぱらいのタワゴト(軽く一杯ひっかけながらタイプしていますです・笑)と一蹴していただいて結構だが、あの時点で東京五輪は成功という「流れ」を失っていたのかもしれない。
断わるのもヤボだが、今般の新型コロナウィルス感染症の世界的大流行は五輪などとはまったく関係のないできごとである。だが、あえて謙虚になりすぎるぐらいなって立ち止まってみてもよかったのではないか? むしろ謙虚さや誠実さを放棄したがゆえに、開会式直前にまで程度が低くくだらない騒動が次々と勃発し、世界中に恥をさらすとともに五輪開催そのもののをシラケされたのである。
五輪にはもともとたいして興味はないので報道すらほとんど見ないが、どうやらいくつかの競技で好成績も生まれているらしい。それはそれで結構なことだが、その「できごと」に対しウカレているばかりだとしたら、わが祖国はもっと重要な「流れ」を失うことになるような気がしてならない。
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