苦い話(前編)・・・の巻
ミャンマー(ビルマ)で勃発したクーデター。個人的な話だが、仮に新型コロナ大流行などが起きていなかったとすると、まんまこの事件に巻き込まれた可能性があった。海外鉄道を中心とする自主取材については、おおまかな年次計画を立てており──断わるまでもないが、今年は立てていない──昨年から今年にかけての冬期に2度ほどミャンマーを訪れるつもりでいたからだ。いちおうは1月下旬を見積もっておいたとはいえ、ほかの仕事などとの兼ね合いで前後にズレる可能性はあったので、ヘタをすれば(?)いまごろはかの国に軟禁状態だったかもしれない。それ──自分が陥ること──についての“評価”は難しいのだけれど……。
さて、このところすっかりネコブログと化していて、それはそれでいいのだけれど、今回と次回はちょっと硬派な本の話を……。
わが国において、マスコミが「マズゴミ」だのと蔑まれるのはいまにはじまったことではないが、“コイズミ~アベ暗黒時代”(あるいは“偽躁時代”)を経て、その劣化ぶりには目と耳を被うばかりである。
個人的にテレビニュース──まぁ、テレビ番組そのものをだが──はほとんど見る習慣がなくなってしまったが、ネット上のヘッドラインはざっとチェックする。興味深い記事もあれば、興味のわかない芸能記事まであれこれ羅列されているなか、「総合」といったカテゴリに並ぶヘッドラインを一瞥して、わが祖国のレベルというものを実感させられることが多々ある。
「ゆきぽよの発言にアンミカが疑問を呈することが大ニュースとして扱われてしまうお国柄だからな(笑)」
あるとき、盟友Sが送ってきたメールの一節である。ただし、Sにせよオレにせよ、「ゆきぽよ」だの「アンミカ」だのがどこのだれなのかさっぱり知識もなければ興味もない。たぶんパっと出のシロウトタレントの類だろうと想像するだけである。もちろんこういう芸能ネタがあってもいいし、興味を持つ読者もいるワケなのだろうけれど、数がごく限られているヘッドラインスペースに出すだけの価値アリとしている日本のメディアのおめでたぶりにアタマが下がるのみである(それとも、それほどに有名かつ大人気のトップタレントたちなのか、この「ゆきぽよ」と「アンミカ」ってのは(゜゜;)? たまたまこんなネタに使わせてもらって御本人たちには申し訳ないとは思うけどm(__)m)。
さて、『吠えない犬 安倍政権7年8カ月とメディア・コントロール』(マーティン・ファクラー/双葉社)。著者はニューヨークタイムズの元東京支局長だった人物で、本書のほかにもメディアと政治権力とをめぐる著作などがある。
■子供じみた日本国官僚
本書では、「はじめに」でテレビ朝日の舞台裏で起きた権力介入事件に触れ、つづいて安倍ケーセッキ政権下におけるメディアへの介入や日本にはびこるメディア同士の足の引っぱりあい(朝日新聞とそれを攻撃する読売・産経コンビがその代表例だろう。ついでながら、FOXがあれこれとトランプのおとっつぁんを持ち上げていることはよく知られているが、著者によれば「産経」のレベルがそれにあたるらしい)、記者クラブ──オレはむしろ“記者ムラ”と呼びたいが──の実態と弊害などについて指摘する。
冒頭で安倍ケーセッキ政権が「政権に友好的なメディアには、首相への独占インタビューの機会を折りを見て与える。官邸から積極的に情報を流す」一方で「政権に批判的なメディアには、距離を置いて独占取材をほどんと受けない。スクープも与えない」といった事実に触れ、それをコントロールしてきた中心人物があのスカギー、すなわち菅義偉であることあらためて明らかにしている。
もっとも、率直な感想を述べさせていただくなら──といってもこれは本書にではなく「政権に友好的なメディア」とその熱心な読者に対しての言ではあるが──ケーセッキアベやらスカギー相手の「単独インタビュー」やら官邸からの「リーク」などは、多くの場合、さほどのニュース的価値があるとは思えない。もちろんまったく価値なないとまでは言わないが、たとえば「批判的」の先頭に立っているような「しんぶん赤旗」のようなメディアがあの「桜事件」やスカギー(菅義偉)が監房おっと官房機密費を1日換算307万円、延べ86兆円超も湯水のごとく使い続けている(この記事はコチラからドウゾ1月4日)といった大スクープを報じられた事実のほうがよほど重要である(「赤旗」はいうまでもなく日本共産党の機関紙ゆえ、仮に同党が政権側になったときにこそその実力とセンスが試されることになるが)。悔しかったら、その「単独インタビュー」やら「官邸リーク」とやらをソースに、これら「赤旗」の記事に匹敵する大スクープをぶち上げてみやがれ……と思う。
第2章は「トランプ大統領VSメディアの攻防戦」で、アメリカ合州国(以下、米国)におけるメディアコントロールなどの実態を紹介。以下、
・第3章「安倍政権のメディア・コントロール」
・第4章「メディアの自壊」
・第5章「ネット右翼と安倍政権」
・第6章「権力VS調査報道」
・第7章「失われる自由」
・第8章「不確かな未来」
(第1章は「コロナ・ショックと安倍政権の迷走」)
とつづく。
この外国人記者が最初に(?)浴びた日本式洗礼とはいかなるものであったか?
>前任の東京支局長を努めていたノリミツ・オオニシ記者が書いたニューヨーク・タイムズの記事が、政権に対しあまりにも批判的すぎるというのだ。それだけではない。国際報道官は信じがたいことを口にした。
「もし官邸から取材の協力がほしければ、ノリミツ・オオニシ記者の記事を批判し、『自分はノリミツ・オオニシとは違う報道をする』という旨を文書で提出するように」
私にとって、この言葉はどこか懐かしく聞こえた。AP通信の記者として北京支局で働いていた当時(中略──)私はこう尋ねた。
「日本政府は中国と同じようなことを私に頼んでいるのですか」
(137ページ)
オレはこのごろの日本のザマ、とりわけ自公タッグ政権の遣り口を見ていて、どんどんと祖国が中華人民共和国化していると恐れを抱いている。あくまで個人的な見方ではあるにせよ、いまや自由民主党イコールミニ中国共産党である。ただし頭脳や知略という点を除いて。いまひとつは、さすがに中国にようにあからさまな粛正や市民弾圧こそしていないものの、今般の緊急事態宣言に伴う罰則規定は、ややもすると今後の中国化への前例として悪用されるかもしれない点を指摘しておかなければならないだろう。その政権下における官僚がこうなのである。
それはともかくとしても、日本国の官僚を相対した外国人記者が、いみじくも中国のそれを思い出し、同等だとしていることを、日本人としてどう捉えるべきか。
>彼ら(引用者注:日本国外務省)と接していると、あまりにも子供っぽい単純な思考に驚くこともあった。私たち海外メディア記者について、彼らは「この人たちは日本の敵」「この人たちは日本の味方」という程度の安直な味方しかいていなかった。(136ページ「国際報道官から要求された念書の提出」)
一流の学歴を持ちわが国の中枢にいる連中からして「あまりにも子供っぽい」と見抜かれているのである。この国のザマというものがよくわかるというものではないか? 森の爺さんどころでないとんだ恥さらしである。
■表現の自由を守る戦い
著者は米国において、日本を先行するように同様の事態が深化していったことを指摘している。
>協力的なメディアにはアメを与え、敵と見なしたメディアにはムチを振るう安倍政権のマイクロ・マネジメントは、むしろレーガン政権よりも行きすぎだった。(中略)レーガン政権は批判するメディアであっても、「あそこは敵だ」という線引きをすることはなかった。(147ページ「レーガン政権の『マイクロ・マネジメント』」)
現実に米国における監視社会化はオバマ以降にも急速に進んでいるらしい。映画「ボーン・アルティメイタム」のエピソードなども例に挙げてその実態に触れているが、あの「自由と民主主義」の国もまた危機に面しているという(映画では、新聞記者──それまでなんら俎上に挙げられていなかった──がCIAで用いられている機密について携帯電話で話していたところ、その機密の符牒を口にしたことがCIAの監視網にヒットし、即座に組織的追跡を受けている)。
それと並行するようにしてフェイクニュース、それも政府が主導してメディアがそれに乗るという事態が起きている。米国のイラク侵略において、当時のブッシュ政権がウソ八百を並べ立てつつ正当化したことは有名だが、著者が在籍するニュヨークタイムズもまたその片棒を担いだ過去がある。しかし、その後の展開については学ぶべき点が多々あるといっていい。
>ニューヨーク・タイムズもブッシュ政権に対して相当批判的な論調になった。「オラクは大量破壊併記を保有している」という主張がウソだったことを記事に書いた。だが、当時、ニューヨーク・タイムズはブッシュ政権の主張に乗ってしまったことに対し、世間から大きな批判を浴びた。同時に、社内にも大きな不満が生まれた。こうした状況の中、ニューヨーク・タイムズは「From Editors」(編集者たちより)と題し、イラク戦争が始まる前の取材の仕方や報道姿勢にどのような問題があったのか、詳細な検証記事を掲載した。書いた記事を取り消したわけではない、意図的にウソをつこうとしたわけではないのに、結果として政府のプロパガンダに乗っかってしまった。なぜ我々はバランスをもって記事を造れなかったのか──二度とこうした間違いを起こさぬために反省し、過ちを洗い出したわけだ。(168ページ。「イラクは大量破壊兵器を保有」というNYタイムズの誤報」)
これは、朝日新聞などがかつて誤報した慰安婦問題──当事者を名乗ってウソを語りのちにそのウソが判明した「吉田証言」をめぐる事件(ただし批判の先頭に立っていた産経もまたこの「吉田証言」を鵜のみにして記事を載せた事実も著者は触れている)──にからめて触れられたものだ。朝日新聞社は記事を取り消し謝罪までしてしまったうえに、畏縮すら強いられてしまった。それを利用したのがあのケーセッキ安倍であり、背後にはスカギーもいたワケであろう。
>(前略)安倍首相はこう言っている。(中略)
<朝日新聞の慰安婦問題に関する誤報により、多くの人が苦しみ、そして悲しみ、そしてまた怒りを覚えたわけであります。>
「個別の報道機関の記事については本来コメントするべきではない」といいながら、特定のメディアを名指しして、「朝日新聞が国際社会に悪影響を及ぼした」と一方的な批判をする。「苦しみ」「悲しみ」「怒り」という言葉を用いて、人々のエモーショナルな(引用者注:感情的な)反応を引き起こそうとする。
「苦しみ」「悲しみ」「怒り」は、慰安婦をはじめとする戦争被害者が受けたものだ。もちろん日本は戦争の被害者でもあるが、同時に加害者でもある。(192ページ。国際社会では朝日新聞を誰も読んでいない)
著者の指摘はまさに呵りと思うが、こういう単純なことを理解できないセンスがオレにはわからない。著者はこうも語っている。
>根拠ある戦時中の過ちについで「戦時中に日本は悪いことをした」と認めることは、保守にとってもマイナスではないと思う。「かつて日本は間違いを犯した」。そう潔く認めたうえで「だが今の日本は違う」と訴える。このことは日本の国益にかなうはずだ。(219ページ/表現の自由を守る戦いに右も左もない)
しかし、残念ながらこの国には「反省」という言葉はもはやほとんど意味をなしていないような気すらしている。個人個人といったレベルではごくふつうに通用しているハズだが、ここに権力だのカネだのが介在してくるとはたしてどうだろうか。なんともやりきれない国になったものだと思う。
なかには外国(日本)のことをとやかく言うまえに、自分の国(米国)のザマを見てみろという感情もあるかもしれない(著者は自国の状態にも触れているが)。しかし、政治的プロパガンダだの損得勘定だのを抜きにした外国人がわが国をめぐり体験し、考えさせられた事実を率直に明かしてくれているのである。部分部分を含め賛否はあるかもしれないが、せめて祖国がどのように見られているのかを知っておくこともムダではないハズだ。いまひとつ印象に残った個所を引用しておこう。
>「零戦最後のパイロット」原田要氏インタビュー
「戦後生まれの政治家は、戦争は絶対に避けなければならないことをわかっていない」
自民党のベテラン政治家は次々と引退し(中略)バランスが取れた中道派の政治家がずいぶんと減ってしまった。
それどころか、今や多くの自民党議員は都合の良いところだけ戦争を利用しているように見える。感情論に押し流され、自分の主張を強化してくれる事実だけを拾う。これではバランスが崩れてしまう。(中略)日本は国際社会から軽蔑されるだけだ。日本国内ではいまだに「南京大虐殺における犠牲者の数」といった細かな点で議論がなされるが、世界から見れば、民間人に対する虐殺行為があったことが重大な問題なのだ。(222~223/「伝説の零戦パイロット」の叫び「戦争は二度とするな」)
著者は最後にこの時代におけるメディアの生き残り策についても、ニューヨークタイムズの実例などとともに提言している。事情あって超特急で書き殴ったためだいぶ粗い所感を並べただけになってしまったが、ぜひ御一読いただきたい著作だと思う。
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