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2021.02.11

苦い話(後編)・・・の巻


  またしてもどっかの“薄ら馬鹿”がお得意の舌禍騒動を起こしMASITAなァ。今回はどうやらまったくの無事では済まされない流れになってきたようだが、83歳にもなってあのザマとはなんとも哀れな爺さんである。しかしアレはわれら日本国民を映す鏡でもある。別のところにも記したけれど、ああいう軽薄な人物というのはどこにでもいるもので、アレが床屋談義の類であれば「アホか」と思いこそすれ、テキトーに受け流すことだってできる程度のたわごとにすぎないのだ。

 ところがあの御仁ときたら長らく国会議員の座にあり、それも与党の重鎮のひとりである。今回のような軽口はもう数え切れないほど繰り返してきた前科持ちでもあるのだ。そんなのを「東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長」なんぞに据えたばかりでなく、かつてはわが祖国の首相まで務めていたという笑いにもならないお笑い──逆に言えば、単にそこいらにいるのであれば、きっといい爺さんなのに違いない──。それこそが大問題だと思うのだが、バカは死ぬまでのたとえ通り、改まるとしたらそのときには国家が崩壊しているのかもしれない。オレが外国人だったら、「日本って国はホントにバカなんですね」と真剣に信じているだろうなァ……。

 ところで、ミャンマー。ミャンマーの代表的政治家といえばアウンサンスーチーだが、そのカナカナ表記について触れた鋭い一文がある。

「アウンサンスーチー」か「アウン・サン・スー・チー」か メディアの表記不統一が意味すること」──日刊ベリタ

 詳しくはリンク記事をお読みいただきたいが、正解を記してしまえば「アウンサンスーチー」が正解である。これはちょっとだけでもきちんとした知識を持つ努力をすれば容易に理解できるレベルなのだが、この一文を読んだのを切っ掛けにテレビや新聞などを気をつけてチェックしてみると、たしかに「・」(ナカグロ)の羅列式が極めて多い。なんと、NHKはもとより、あの「しんぶん赤旗」までが「アウン・サン・スー・チー」しているのには苦笑させられたものだ。

 しかし、ナカグロ羅列を「正解」としたいのであれば、たとえば韓国人のムンジェインはムン・ジェ・インになっちゃうじゃないか。まぁ、韓国ドラマの軍隊シーンで兵隊が「ムン! ジェ!  イン! チュンソン(忠誠)!」などと挙手しているシーンを見たことのあるひとも多いハズだし、「それでいいんじゃないの?」と笑うムキもあるかもしれないが、言うまでもなくこの場合は「ムン」が姓で「ジェイン」が名である。それとも「モリ・ヨシ・ロウ」とでも記しましょうか(笑)。まぁこんなのは言い掛かりととっていただいて結構ですが。

 蛇足を記せば、英語(ローマ字文)などからの転記問題もある。個人的にはこちらからも原則ナカグロを廃したいと考えている。仕事上の原稿では版元に合わせざるをえないが、案外必要のないナカグロがまかり通っている例も少なくないのではないだろうか。

 もうひとつ蛇足。個人的にも外国語をカタカナに転記するさいに悩むことは多い。仕事上では地名などが顕著で、各日本語資料だけでなく現地を訪れたさいにその場で確認するようにもしている。例を挙げるとバンコクの「Siam」はほとんどすべての「資料」で「サイアム」と表記されているけれど、現地で耳にすると「シィアム」に近く、これは現地で複数のタイ人に発音してもらったほか、現地駐在の日本人ビジネスマンからも「サイアムはサイアムって言われてもわからないですよね」との証言を得ている。こんなのを気にするのは「職業病」の一種かもしれないが、気になることを気にするのもあながちムダなことではないと考えている。

Unmakingofamerican01

  前置きが長くなってしまった。前回につづき今回取り上げる
1冊は『ぼくがアメリカ人をやめたワケ』(ロジャー・パルバース/大沢章子:訳/集英社インターナショナル)である(本書表記どおり「・」つきとしました・笑)。

「嗚呼このタイトル! 思いきり先を越されてしまいMASITA!」
 というのが本書を知ったさいの感想で、今回のアップをそれだけ記しておしまいにするのもオツだろうなぁとも思った。かつて『ぼくがバス釣りをやめた理由(わけ)』(大月書店)という本を書いたこともあるし、とある妄想が現実に発展したあかつきにはイカした企画になるんじゃないかと企んでいるからだ。

 という個人的妄想はさておき、ちょっと意味深なタイトルを背負った本書の著者は、実際に生まれ育った故郷・アメリカ合州国の国籍を放棄し、1976年にオーストラリアの国籍を取得している。ロシアやポーランドのほか日本との縁も深く、67年に初来日以来、文筆──日本語の著作も多数──や映画製作などに関わってきたほか──大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」の助監督も──、宮沢賢治の研究者としても知られている人物だ。

 著者が米国籍を放棄するに至った経緯については、直接的には深く触れられていない。大きな転機として米国によるベトナム蹂躙(ベトナム戦争)が挙げられているが、当時と過去と現在とに連なる“アメリカ人”のセンスについてのハっとさせられるような証言も綴られており興味深く読み耽ってしまった。

“中流階級”の白人系米国人として生まれ育ち、長じて目の当たりにすることになったもうひとつの米国、そして米国人。根を張る貧困と虐殺の歴史。皮肉なことに、それは新たに国籍を取得したオーストラリアもまた顕著に同類であったのだ。オーストラリアに移住するにあたっての物語には「日本ではまだ共食いし合っているのか?」という強烈な小見出しも見られる。

 そこには、
「ええ、そうです。(中略)近頃は、特に丸々太ったぽっちゃりの白人が好まれるらしいです」(103ページ)
 と皮肉たっぷりにオーストラリア紳士に答えたくだりが続く。

 また、オーストラリアの政府高官が日本の高官に対し告げた「我が国には文化がないのです」というエピソードも。日本はもちろんロシアやポーランドなどあらかたの米国人やオーストラリア人にとっておそらくは異質であろう世界に生きてきた著者が受けたショックを窺うこともできるだろう。

■ただ命令にしたがっただけ


 本書は数々の異なる文化のなかで生きてきた著者だからこそできうる文化論にもなっているが、わが祖国・日本がこれから先どのようにして国を豊かにしていけばいいのか、そのヒントともなりうると思った。

 著者はとある講演のさい、控え室で面会を求めた男性から第二次大戦とその後に起きたできごとについての話を聞く。その男性・駒井修さんの父親は、日本軍に入隊すると、現在の北朝鮮や現在のインドネシアなどに送られたのち、タイのカンチャナブリ捕虜収容所の副所長を務めることとなった。当時、日本軍はあの「泰麺鉄道」鉄道建設を急ピッチで進めており、現地住民や捕虜を労働力として酷使した史実は、映画「戦場にかける橋」などでも描かれている。

 カンチャナブリ捕虜収容所はまさにその橋の近くにあったというが、駒井さんの父親はそこで捕虜の虐殺に「責任者」として関与することになってしまう。戦場においても適用されるべき手続きすら踏まず一方的な殺害に加わった父親は、終戦後にシンガポールの軍事法廷で裁かれ、件の事件に関わり同裁判にけかられた6人の日本兵のなかでただひとり死刑に処せられたというのだ。彼のみが自分の行為を認め、「ただ命令にしたがっただけ」という抗弁をしなかったのである。

「父が軍事裁判にかけられ処刑されたことが、私たち遺された家族の終戦後の暮らしに大きな影響を与えました」
(中略)
 父が犯した罪のためにひどい目にあい続けます。企業の就職試験を受けても、面接のときの彼の父が何をしたかがわかると、すべて不採用になりました。修と家族はときどき、役所でも常習犯罪者のような扱いを受けました。そもそも彼の父親を戦争に行かせたのは、日本という国なのに。
(208ページ「戦犯の子として生きる」)

 のちに駒井修さんは件の事件で生き残った元英国軍中尉との面会を果たし、元中尉の死後もその夫人との交流を続けているという。しかしそうした「和解」が実現した表側でなにが起きてきたのか。この国で生まれ育ちいまも暮らしている人間のひとりとしてなんともやりきれない気持ちになってしまうのである。

■司馬遼太郎、そして東日本大震災

「敵が上陸してきた場合、戦車を南へと進めねばなりません。しかし道幅が非常に狭いのです。反対側から馬車が来たときはどうすればよろしいでしょうか?」と彼は尋ねました。「上官はしばらく無言で私を見つめていた」と司馬は書いています。「それから質問にこう答えた。『轢き殺してゆく』」。
(中略)この態度は、現代の日本の役所や企業文化において、不気味に幅をきかせています。
 日本には、その一年を最も適格に言い表す言葉を選ぶ恒例の行事があります。あの2011年以降、ぼくが「流行語大賞」に選び続けているのは、文句なしに「無責任」です。
(224ページ「『轢き殺してゆく』──日本人の無責任の原点」)

 冒頭の“薄ら馬鹿”だけではないが、「広辞苑から“反省”の文字を消してしまえばいいさ」と盟友Sに言ったのに対するヤツの返答。

「“責任”は“痛感”するだけのもので“取る”ものではないものと、広辞苑に記載されることになりMASITA」

 広辞苑云々は事典の代名詞として勝手に書名を使わせていただいただけだが、アベ・スカ・モリほかもろもろのザマを見ていると、ホントにそのとおりのニッポンでございますと思わざるをえない。

第二次大戦が終結するまでに行われた日本の侵攻により、何百万人ものアジアの人たちが犠牲になったときも、「事後」に採択された方針は、曖昧で誠意のない謝罪で犠牲者をなだめ、彼らのうちの最後の一人が亡くなるまで待つ、というものでした。これは、福島の原発事故という惨禍の被害者に対する日本政府の対応そものものです。(225ページ)
(中略)彼ら(引用者注:政治家や官僚、企業の管理職=いずれも著者による)が追うべく責任から逃れています。彼らは、指揮管理の誤りと原発事故の本当の原因のもみ消しという二つの大きな過ちについて、きちんとした形での謝罪をしていないし、本当の意味での責任感もいっさい示していません。
(中略)
 その後、2017年にもう一つのキーワードが生まれました。それはソンタクです。
(226ページ)

 著者は、忖度そのものは日本特有の現象ではない断ったうえで、「組織ぐるみの無責任、という戦時中の心的態度が今の日本にまで生きていて、効力を持ち始めている」(227ページ)と指摘する。そうした流れのなかで、

「無責任と偽善的責任回避というイデオロギーが、今の日本の、道徳的、経済的、社会的衰退と運命づけています」(同)

 と喝破している。そして、今般「ひどい目に遭わされているのは(中略)日本の市民たち」だと指摘している──そういえば、以前触れた藤原新也『黄泉の犬』では、水俣病被害に対し当然の権利としてそれを申請したひとびとが「アカ」扱いされていたという実態も報告されているが、そんなのもこれに通ずる忖度、むしろ「奴隷(ヤプー)文化」といえるのではないか?──。このまま「打ちのめされ気力を失っても従順であり続け」ていていいのだろうか?

 そしてつぎの指摘ににも背筋がゾっとさせられる。

2013年に、日本の国会議員だった山本太郎が、天皇陛下に脱原発に関する手紙を手渡すという出来事が起きたときに、この1901年の天皇への嘆願書のことを思い出しました。ちょうど田中正造が亡くなってから一世紀後のことで、山本が慣例を無視したといでメディアによる中傷の嵐にさらされるのを見て、落胆しました。100年経ってもほとんど何も変わっていない。見方によっては、明治の日本のほうが、今の日本より意見の相違に寛容だったとさえ言えるかもしれない。(170ページ「啄木に影響を与えた二つの事件」)

 非常に残念なことに、この指摘は多くの場面──ただし与党政治家および役人、大企業がからむ事件を除く──にあてはまっていると思わざるをえない。

 オレ個人としては、あまりにキッチリとしすぎた社会よりも、どこか緩いというか「まっ、いいっぺ」(大韓語であればケンチャナヨ、タイ語であればマイペンラーイの類)を好もしいと思っている。しかしそれはごく大まかな文化として捉えた場合での話であり、権力側の都合がいいようにデタラメをやっていいという話ではない。昨今の祖国は、共食いをする家畜のごとしであるというのは言い過ぎだろうか?

■嗚呼、ニッポンガラパゴスショウ?


 ところで、著者が日本と関わりだしてほどなく、日本では日本人のアイデンティティがどのといったことがブームとなった。そんななかにリリースされたのがの『日本人とユダヤ人』(イザヤベンダサン=山本七平)で、以前にこのブログではそれに対する書評本(浅見定雄・朝日文庫)の感想などを綴ったことがある。これは想像だが、パルパースさんもまた、そのブームを目の当たりにし、いくたびも疑念を抱いてきたのかもしれない。

明治以前の日本人の国民性を作り上げていた諸々は、明治時代の日本人のそれとは大きく異なっていたし……大正、昭和、平成、令和時代の日本人についても同様です。
 言うまでもなく、そんなことはわかりきったことです。日本のようなダイナミズムを示している国は、同じ場所で走り続けたり、堂々巡りをしたりはしません。それにもかかわらず、西欧の多くの作家が、この何十年もの間、あらゆる時代のすべての日本人に共通する普遍の特性を見出してきました。まるで、日本は、今現在もこれから先もずっと、見た目も行動も似通った人たちが暮らす国であり続けると言わんばかりに。
(146ページ「時代が変わっても変わらない国民性なんてあるのか?」)

「大正、昭和~」というくだりは日本人読者に対する単なる「たとえ」でしかないと推察するが──ごくおおまかに「昭和な」とか「大正ロマン」といった比喩はオレ自身も使うことがあるけれど、あんなものは単に明治以降に定められた天皇の代と合致した元号にすぎす、昭和から平成に代わったからといって日本人の行動やアイデンティティ、日本社会がそれ相応に変化したワケでもなければするハズもない──問題は西欧云々というくだりである。つぎに引用する一文と比較されたい。

外国人が英訳でこの本を読んで「日本教」の部分に感心する気持は分かる。外国人読者には、「日本人」が珍しい民族であってくれるほど面白いのである(しかし危険なことだ)。(『にせユダヤ人と日本人』76ページ「『日本教徒・ユダヤ教徒』の無知と詭弁」)

 われわれ日本人は、もっともっと自分たちのことを素直かつ謙虚に見つめ直すべきなのではないか。もちろん素晴らしい点も多々あると思うが、そればかりでないどころか、その素晴らしい点すらその存続が揺らいでいることも見落としてはならない。少なくとも、クールなんとかだのニッポンすごいなどとヤケを起こしている場合ではないと思うのだが……。

※文中の引用部分につきましては、原典の漢数字を算用数字に置き直しています。

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