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2020.10.26

はさめないハズの“異論”がまかり通る…・・・の巻

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  涼しくなってまいりMASITAが……。

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  そんな季節にもいいことはあるもので……。

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  ネコとの触れあいにはもってこいなのでありますね。

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  どう見ても母子のようだけど、兄と妹(ちょび&クルミ)。ヒメのおかげで(?)、ネコの生態をあれこれ観察できるのも楽しい。

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  そのちょびとクルミが寛いでいると……?

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  ももたんが梁散歩。

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  避妊手術を受けたばかりだというのに元気でなによりо(^ヮ^)о

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  その騒動に気づいたユメ。目が澄んでるのです。

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  真夜中の格闘。もっときちんと写ったのもあるのだけど、わかりやすすぎるきらいがあるので公表を差し控え……。先週から、ヘビ、カエル、ネズミと大騒ぎなのであった。まっ、ニンゲンの子どもだって似たようなものですよねぇ・・・と我が身を振り返りつつ。

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  いっちょまえのポーズでスヤスヤのクルミ。

  そういえば、数日前だったかタイ発ネコのこぼれ話がネットに配信されていたのを目に止めた。なんでも、ドラえもんのブロック(4500ピース)をやっとこさ組み立てたはいいけど、その喜びもつかの間、ネコが一気にぶちこわしてしまいMASITAという話で、そのネコが人気者になっているという。そこには画像も載せられていたのだが、いかんせん小さくて味わいが伝わってこない。そこで、タイ語で「โดราเอมอน บล็อก แมว ทำลาย(ドラえもん、ブロック、ネコ、破壊)」で検索してみたところ、つぎの記事に遭遇することができた。

  ♨CatDumb Animal

  しかし、件のネコとその事件は微笑ましいが、ドラえもんを破壊されたあんちゃんのベッドの壮絶さに目がテン(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)。まっ、大きなお世話ってもんでしょうが、ココにはほかにも楽しいネコ記事が満載で、イカしたサイトに出会えたものだとうれしくなった。

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  話かわりますけど。
『沈思彷徨』(藤原新也/ちくま文庫・1999年)を入手。この読んでいなかった1冊をつらつらと読みふける。著者がらみの対談や発言などを集めたものだが、四半世紀以上前に発せられた警鐘がより実感を伴って響いてくるようでもあった。ちょうど、『東京漂流』や『アメリカ』といった初期の著作がさまざまな視点で論じられていたころと重なっており、それら著作の背景やリアクションを探るうえでも興味深い。

 くわえて、いまひとつの関心ごとは写真家の目線である。これは、単純に著者からの影響もあるのだけど、このところとりわけ写真家の目線というものに興味を抱いており、自分なりの咀嚼を楽しんでいることによる。残念ながら、自分自身は写真をはじめ絵づくりのセンスを持ち合わせていないが、ものごとを見つめるという点で、新鮮な刺激を受けることも多いのだ。

 ところで、写真そのものについてはどうだろうか。写真家とのつきあいにおいてあらためて気づかされるのは、さりげなく見える1点の写真に込められた写真家の思いであったり、現実がイメージ化されるにあたり介在する存在としての面白さだったりする。ときに、あえて訊ねてみることのよって、新たな見方や発見をもたらしてくれるのもそうしたつきあいの醍醐味といえるかもしれない。

 さて、本書。
 ──(前略)写真っていうのは本当に表現してんのかなぁって気もあるのね。たとえば、金属バットの家に、『これは不動産屋ふうにやったんだ』ってキャプションを入れないと、その写真は決まんないでしょう。
 藤原 キャプションを入れなければその写真がわからないというのは単に感覚がにぶいだけじゃないの。
 ──つらねないとわかんないね、写真っていうのは。
 藤原 一点写真じゃわからない?
 ──うん。その瞬間という写真があっても、一点写真じゃわからないな。たいがい誰がどこで撮った、とわかるような情報が付随しているでしょう。
 藤原 一柳家のあの家の写真、キャプションがないとどう見ます?
 ──キャプションも文章もないと。それじゃぁ、見ようがない。
 藤原 キャプションがついて、その写真の見方を限定されないと写真が読めないという人もいるけどね。キャプション入れるっていうのはひとつの迎合なんだ。一柳のポジフィルムだけをポンと見せたら、写真の見方が変わってくると思うね。(87ページ。対談相手は本書では非公開)

 ここで取りあげられている「金属バットの家」というのは、『東京漂流』で掲載されたとある事件現場のことである。都市近郊の新興住宅地などであればどこにでも見かけることができる(た)ようありふれた民家。それを縁側サイドの正面から撮ったものだ。著者いわく「寸分たがわずその不動産屋折り込み広告写真の方法を転用」。『東京漂流』によればある出版社の重鎮だかなんだかが「誰にだって撮れる」ぐらいに言い捨てたらしい。そのくだりを読みつつ、写真の意図云々はさておいても、出版のプロにしてはウブな発言だったのではないかと思ったものだが、オレ自身のことでいえば、なんだかブキミな空気が漂っているなぁぐらいに感じたものだった。

 ごくふつうの家屋だけど閉じられた雨戸が暮らしの温かみと乖離している。脱がれたまま放置されたと思しきサンダルも然り。陽光に照らされていながらも、心地の悪さを覚えさせられる絵だと思ったのだ。

 しかしそれは、写真とともに綴られている文章があってこそ導き出された直感なのかもしれない。一方で、写真そのものに添えられたキャプションとキャッチコピーには、オレ自身はさほどなにも感じられなかった。仮に文章もなにもない状態で、件の写真だけが目前に示されたらどのように感じたかという興味はあるものの、写真家自身が文章とともに発表した写真である以上、そういう前提にあまり意味があるとは思えない。

 ところで、本書『沈思彷徨』ではインドに旅立ったころの著者や『東京漂流』とその後の著者の言葉が綴られており、それらの時代背景と合わせ興味を引くところが多い。そんななかちょっと恐ろしいな……と思ったのが対談中に飛び出した筑紫哲也氏の指摘であった。

>今この国で“シンデレラ症候群”というのが流行っているけど、本当は“白雪姫”症候群だとぼくは思う。正確には白雪姫に出てくる女王様だけど。彼女は鏡に向かって毎日「世界中でいちばん美しいのはあなた」という答を強要する。本当に自信があればそんなことしないのだが、ナリシズムには浸りたい。「日本は世界中で一番いい国だ」とね。そこへあなたがふらりと戻ってきて「オマエらの顔、こんなに羞悪だぞ」とやるから反発されたり、教祖扱いされる。(116ページ)

 この対談は1984年4月のものだが、それから36年が経ったニッポンの姿はどうか……。「そうそう。本当に日本は世界一だ」とやって教祖扱いされる例はその当時からすでにあったが、そのころのほうはよほどいい国だったのではないかと皮肉りたくもなってくる。

 あれこれ抜き出すとキリがないのでこのあたりで止めておきたいが、著者が繰り返している「農耕民族」だのといった“定義”に違和感を覚えるのでちょっと触れておきたい。
 たとえば、
>私たちは戦後数十年の間に消費と排泄の奴隷にさせられた。どこかに歯止めの機構みたいなものを自分のなかに持たないといけないんだけれども、それをイスラムの人たちは持っているんです。日本人がいつまでたってもこれをもてないというのは、農耕民族のひとつの習性ですね。(252ページ)
 といった個所だ。

 しかし、同様に消費と排泄の奴隷にさせられたと思しきほかの国々のひとびとはどうなのか。アメリカ合州国にはそれこそ世界中の諸民族が集まっているけれど、あの国が消費と排泄の総本山であることを著者は『東京漂流』や『アメリカ』などで看破している。この現象は欧州でも顕在しているハズだが、そうしたもろもろのひとびとの歯止めはどうなのか。

 あるいはイスラムの人たちにしても、それこそ沙漠の遊牧民もあれば石油成金もあるし最新のIT産業が盛んな国もある(本書発売のころはなかったと思うが)。農業や漁業が盛んなマレーシアやインドネシアなどにだってムスリム社会が形成されている。ついでにいえば米国にしても欧州(国によって差はあるが)にしても農耕が盛んであることは常識中の常識だ。また中洋(中東)にしても歴史を遡れば農耕が盛んだったのであり、このあと対談相手である日野啓三が語った「日本のなかの二千年ほどの農耕社会的感覚」というくだりを含め違和感を覚えざるをえない。

 また、ここで言われる日本人とはいったい何者なのだろうか? 島国ゆえ漁業も盛んだが、漁師など漁業従事者もまたイコールで農耕民族になってしまうのかという揚げ足取り(とも限らないが)はともかく、ちょっとした生活環境の違いによって人間のセンスというものは変わってしまうものではないのか。著者自身もこう語っている。

>日本人なのだから農耕民族であることは確かなことだけれど、港町で育ったこと、そして家が旅館だったこと、私のまわりの環境は農耕民族のものではかった。(293ページ)

 日本人という集団が農耕が盛んな島国で代々暮らしてきたということからある種の集団的特性があるかといえば、それはあるに決まっていると思う。しかしこれを「日本人(民族)なのだから」と括ってしまうと、ではさてたとえばハワイや米国本土、南米などで数代にわたって暮らしている日系人(たとえばヤマト民族)はどうなのかという疑問も浮かんできてしまうのだ(島国云々も一般によく使われるたとえだが、イギリス人やアイルランド人と日本人、フィリピン人と日本人……、もろもろ同じ括りにできるっていうこと?)。それに、日本人とは(近世以降の外来移住者とその子孫を除いても)ヤマト民族だけではないのだ。

 おそらくこの破綻は著者としてとうの昔に気づかれているであろうことは読者として理解しているつもりだし、これをもって著者批判をしたいという話でもない。ただ、畸人・藤原新也(断わるのもヤボだが、畸人というのは羨望を込めた褒め言葉)としてブレのないなかに垣間見られる足取りにも面白さを感じるのである。

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  本書『東京漂流』はだいぶ前に朝日文庫版で読んだ。ズッシリとココロに染み入ってくる個所もあれば、「なんだこれ?」と反発を覚える一文もあり、しかもルポやエッセイがあるかと思えばいきなり論評をおっぱじめたりと、通読した最初の感想は「面白いけれど、なんだか支離滅裂でもあるな……」というふうだったと記憶している。ただ、好きな1冊であることにかわりはなく、枕元などで鎮座していることも多い。表紙画像は若干の書き下ろしを加えた「新版」(新潮文庫)で、冒頭に辛辣な一文が展開している。

 本書はだいぶ物議を醸したらしいが、個人的に面白いなと思ったのは権威があるらしい複数の「ノンフィクション賞」の受賞を著者が断わったことである。そのひとつがあの大宅壮一ノンフィクション賞で、当時こそ理解できていなかったが、のちに「さもありなん」と思ったものであった。

 この賞、第1回で石牟礼道子が自著の『苦海浄土 わが水俣病』(講談社)への受賞を辞退したことでも知られる。歴代の受賞作には読みごたえのある傑作も散見されるが、一部に「ホントにノンフィクションなのか?」との疑念を禁じ得ない“奇書”の類も見られる。ひょっとすると、賞のそうした実績と性質とを見抜いていたがゆえにあえて授賞を断わったのではあるまいか?

 関連して勝手に想像したのは、本書で綴られているたとえば日本国憲法のくだりと読者が陥るかもしれない誤解である。あるいは授賞にあたり、この誤解を最大限に生かす狙いがあったということはないのだろうか(本書とは大きく異なるが、萩原僚の歴史的力作『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』ではなく『北朝鮮に消えた友と私の物語』が同賞の受賞作となったのはなぜか?)。

 ところで、国連によって「核兵器禁止条約」が発効することとなった。藤原は本書で「反核」運動について短く触れている。とある人物から賛同を求められたのに対し「賛同するというより異論がないという点において、参加させていただきます」(新版110ページ)と応えたというのだ。

>人類を滅ぼす「核爆弾拡散」反対運動の、いったいどこに異論をさしはさむ余地があろうか。
 たとえ、この一連の反核運動に、ソ連のプロパガンダが一枚噛んでいようといまいと、「人類が核を持つこと」に反対することは、誰が考えても、「絶対」に「正しい」のである。(同)

 これはこの文言どおりに素直な意味ではないとも取れるが、残念ながら現代ニッポンとその与党である自民党にとっては「絶対」に「正しい」ことではなく、すなわち国連の採択に異論を差し挟まんとしているのだからなにをかいわんやであろう。断わっておくが、オレ自身もそう簡単な話でないことは理解しているし、その実現すら難しいのではないかと考えている。しかし、少なくとも異論を挟む余地などがあろうハズもないではないか……。まずはそれこそがスタートではないのか……。批准50カ国(10月25日現在)に入ってすらいない被爆国・日本。わが祖国はここまでダメになってしまったのだ。

スキンシップのママローヤル。 心のこもった贈り物。 ふれ合い家族。 愛のひと声運動。がんばれコミュニケーション。 和気愛々。 もっと会おうよ。話そうよ。 ふたつの心がありまして。 触れてほしい。 握手しないか。 親近感まるだし。 まるく心を開いて。 「お腹」をいやすお料理から「心」をいやすお料理へ。 やさしさをありがとう。 はだかの心で。 抱いてみて。 求む。友。 愛情はつらつ。 愛することとカタチにしよう。 モット愛クダサイ。(新版103ページ)

 著者が羅列したコピーの数々を、あえてそのまま引用してみた。80年代。現在はもっと渾沌としている。アベだのコイズミだのスカだのもこの類(笑)。GOTOなんとか。マイナポイント。ウイズコロナ・・・ほかあれこれ。

 本書の原型となっているのは週刊誌「FOCUS」(新潮社)に掲載された同名の連載である。当初は1年に及ぶシリーズとなる予定だったそうだが、第6回の掲載が最後になったのはよく知られた話だ。
 その連載記事はもちろん本書で再現されている。ただし、問題の第6回「幻街道・シルクロード──ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺──」のみ2編のテキストと当時の2通りの図版が並ぶ。第6回で著者と編集部とが取り上げたテーマはコマーシャリズムであった。それも辛辣な手法で表現されることとなったため、藤原はコマーシャリズムそのものを否定しているといった誤解も流布されたらしい。

 しかし、なにもコマーシャリズムそのものを否定するということではなく、そこに顕在するある種の欠落を指摘し、時代に向けて問いかけたのである。

 その課程でひとつのサンプルとされたのがサントリーであった。当時、サントリーのみならずあちらこちらで好まれたシルクロードという題材。しかしそこにはシルクロードに(限らないが)存在する「哀怒、死、狂気、宗教、汚物、異物の一切を骨抜きにし、中流意識の人々がお茶の間でレギュラーコーヒーなどを飲みながらセンチメンタルなシンセサイザーなどを流して、“夢街道”などといって楽しめる箱庭の見世物にしてしまった」(「」内は新版312ページから)と著者は指摘する。日常において死や異物などの封印を急ぐ日本の「ブンカ」。そこにひとつの危惧を抱くがゆえに、「ブンカ」に対するアンチテーゼとして、かつてインドで撮影した人の屍を喰らう犬とともにサントリーウィスキーのそれを模した壜をあつらえ辛辣なパロディとして世に問いかけたのであった。

 だが、輪転機は止まり、午前3時すぎに編集担当者によって披露された修正ゲラは、手の施しようがないほど無惨な改竄を経たシロモノであった。つまり、本書にはその「ビフォー&アフター」がさらけ出されているワケだ。

 この事件の背後のスポンサーであるサントリーが関与したかどうかは知る由もないし、現代ニッポンのザマから推測するに、出版社上層部がまず「忖度」し、編集部がそれに従わせられたのではないかと推測する。なにしろ、中とじのド真ん中を飾っていたのが、ほかならぬサントリーの広告だったのは皮肉というものか。これがそのままサントリーのホンモノの広告とともに掲載され、読者があれこれ思索できると同時に、サントリーが辛口のパロディとして受け入れたとすれば、オレは同社の大ファンになったかもしれない。なにしろ、あの甘口の広告そのものをオレ個人は嫌っていなかったし、むしろ「オシャレ」ぐらいに思っていたのだ。深読みするだけの知識や感性も当時は持ち合わせていなかったこともあるのかもしれないけれども。

 で、ちょっと話は飛ぶ。その「オシャレ」広告のサントリーだが、最近はあのロゴを目にするだけで猛烈な嫌悪感を抱かせてくださるようになった(笑)。法人としては当時の件の広告とは別なのかもしれないが、同じロゴを乗せた正体不明の「食品」の数々はどうか。一見すると薬剤の広告かと勘違いしそうになるが、よくもまぁ厚生労働省が黙っているものだというのが個人的感想のひとつだ。まさか藤原が語った「『リゲイン』みたいな金もうけ一点張りの広告のほうがまだましだね、文化より」(「新版」371ページ)への意趣返しとも思えんが。

 くわえて、『東京漂流』には、広告の世界には「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」しかなく、当時かすかに「哀」の表現が見られるようになったという視点が綴られている。しかしオレ個人の見方では、そこに「醜」が見事に加わり、それも大いばりでテレビコマーシャルなどを席巻している現代ニッポンということになる。

 背景のひとつにはあのコイズミ政権下における「規制緩和」の類があったのだと考えているが、それと広告表現とは別問題。これはなにもサントリーだけの話ではないが、失礼ながら、こんなモノにまで手を出さざるを得ないのかと、広告主だけでなく出演者に対しても下世話な感想を抱いてしまうのを禁じ得ない。

 少なくとも……、件の「シルクロード」の時代には、そのテの広告というのはスポーツ新聞だのゴシップ雑誌だのエロ本だのが舞台だったハズで、媒体が媒体なだけに見るほうもそれなりの視点であったのではあるまいか(現在でいうなら幸運を招くアクセサリーだのチャジ=자지をでかくするサプリメントだのといった類)。そんなのがいまやテレビ画面に続々と登場するニッポン。どこもここもそんなに苦しいということなのでしょうか? コロナ云々はさておき、これは国を揺るがしかねない大問題を孕んでいるように思うのだが。

 ところで……。自分の腰抜けぶりを披露してしまうが、件の第6回「改竄版」と連載第3回「東京最後の野犬 有明フェリータの死について」は、あまりに辛くて最初に読んで以来、今日まで再読していない……。
(※当ブログでは、著名人については敬意の表現として原則敬称略としています)

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