ももたん、子育て(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?・・・の巻

とある朝。子ネコの部屋から「みーみー」聞こえてきたので、なにごとかと様子を窺いにゆくと、ももたんが子ネコたちの世話をしてITA……。
タマタマこのブログにお立ち寄り下さった方にとっては「それがぢうした?」といったところかもしれないので、ここまでの経緯を簡単におさらい。っと、その前にココに写っているのは、全員がヒメの子どもである。

ヒメに子どもたち(ちょび、ユメ、コムギ、ももたん)が生まれたのが今年の3月中旬。当初は授乳時期が落ち着いたあたりで避妊手術を施し、母子5匹の面倒をわが家で見るつもりであった。ところが、出産早々につぎの子どもを授かってしまったのはいいとして、獣医に連れていかれるのをヒメが全力で阻止。くわえて、時期的に中絶が不可能な可能性もあるということで、いまいちど出産させて、つぎのタイミングで手術を受けさせる作戦に切り替えたのである。
で、7月6日から8日にかけて生まれたのがこの子ネコたちという次第なのだが、生まれた5匹のうち1匹は残念ながら生き延びることができなかった。ところが、「みーみーちゃん」と名づけ葬ってあげようとネコ部屋を訪れたものの、子ネコ箱のなかにみーみーちゃんの姿はなく、その後もいままで見つかっていない。ヒメがどこかに連れていったのか、どうかはわからないが……。
ところで、わが家でネコが出産したのはたぶん25年以上ぶりだが、それ以前はなんどか子ネコを授かっている。しかし、同時に避妊手術も施してきたため、1匹の母ネコが2度以上出産したことはないし、いわんや「年子」なんてはじめて。オレの興味は、こういうケースに遭った母ネコ(ヒメ)と最初の子どもたち(ちょび、ユメ、コムギ、ももたん)がどういう態度を取るのかという点にもあったが、その結果がお母さんのマネをするももたんだったのでありMASITA。ちなみに、最初の子どもたちのうちメスはももたんのみ。
「やっぱ女の子ってことなのかねぇ……」
と考え込んでしまうのだが、ニンゲンの世界では幼い女の子が、それこそお母さんをならって弟や妹の世話をするということはあるらしい。でもネコですからねぇ。ほかのオス3匹も、最初は物珍しげに、落ち着くとつかず離れずの様子で、8匹の子どもたちをヒメがまとめて見守っているのであった。
それにして、も。またひとつネコの不思議に出会った気分である。ネコってのは、ホントにいいものですねо(^ヮ^)о
話かわりますけど。珍しく(?)、話題の本ということで『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハワン・著/岡崎暢子・訳/ダイヤモンド社)を読んでみた。なんでも、「いい大学に進学して、いい就職先に」といった類の人生にあるとき見切りをつけた韓国人の著者が綴ったエッセイ集らしい。韓国のあれこれを取材し続けている身からすれば、「韓国の文化や現代社会の一部を垣間見るヒントになるかもしれない」と思うワケで、「コレは面白そうだ」とさっそく入手したのであった。
ところがいけない……。最初の数ページを見て、「こりゃ大失敗した!」とサブイボが立ってしまったのである。
たとえば……といってもほぼ全編がこの調子なのだが、第1章「こうなりたくて、頑張ってきたわけじゃない」にはつぎのくだりがある。
> 身近な例で言えば、根を詰めて働いたわりにたいした成績を得られなかった一方で、適当にやった仕事が好成績を収めたような経験は、誰しも一度はあるだろう。
必死に努力したからといって、必ずしも見返りがあるとは限らない。
必死にやらなかったといって、見返りがないわけでもない。(31ページ)
カンのいいひとはお気づきかもしれない。本書にはこのように黒字の文章の合間に青字でポエムチックな強調が万遍なく挟まっているのである。この体裁、オレがケーセッキアベと並び嫌悪してやまない「自己啓発本」そのものではないか……。しかし、こんな冒頭だけで判断してはもったいないと先々まで読み進めてみた結果は、数行前に記したとおり。ところが、著者はこんなことも記しているのである。
>小説以外の教養書、自己啓発書には手が伸びない。(268ページ)
偏見(しかし読みはじめるまではそんなものは一切なかった)を承知で大雑把にまとめるのであれば、本書は中途半端なニート崩れがひたすらに愚痴ってひとり納得し、出版社がそれを共感と感動のエッセイに仕立て上げたというのが正体なのではあるまいか。揚げ足取りのようだが、たとえばこんなくだりもある。
>食べていく手段を自分で選べる今の時代は好きだが、ふと狩猟と採集で毎日を送っていた原始人たちの生活をうらやましく感じたりもする。(166ページ)
勘弁してくれと思ったが、一方でがぜん活き活きとしている箇所もわずかながらある。
>そんな生活で誰にも気兼ねせずにすんだのが、登下校の時間だった。
家から学校までは、子どもの足で30分くらいの距離。公共交通機関がなかったから、歩いて通っていた。古いお墓が点在する低い裏山を一つ越え、牛糞のにおいが漂う農家を過ぎ(これはソウルの話である)、恐い兄ちゃんたちが通う高校のグラウンドを横切るという大遠征だった。
近所の子どもたちと一緒に下校したくなくて、時には彼らをまいたり、あれこれ言い訳したりしてひとりで下校した。その30分が自分ひとりでいられる唯一の時間だったから。
いろいろと空想しながら歩くと、あっとうまに家に着いていた。家がもっと遠ければいいのにと思ったこともあるくらい、その時間が好きだった。(106ページ)
まさに幼少時の著者の姿が、あわせて当時のソウルの片隅の情景が目に浮かんでくる。いまひとつ、こことは違う意味で面白いと思ったのは、人気テレビ番組「ユン食堂」をめぐる韓国人たちの会話や願望であった。なんでも「もともと韓国では、自分の店を持ちたいという国民的野望が以前からあった」(174ページ)というのである。
面白いと感じた理由は、オレ自身が書籍や複数の韓国人から得た話はちょっと違う様子だったからだ。「店を持ちたい」という点についてはそういうこともあるのかもしれないが、その割には自らの子どもたちに自分の店を継がせたいというオヤは例外だというのである。店で一所懸命に商い、子どもを育て、その子どもたちには一流企業なり公務員なり社会的にも経済的にも安定した職業についてほしい(間違っても自分の店を継がせるなどしたくない)。したがって、日本のそこここで見られるような何代目の老舗といった店を見かける機会は少ない(近年は少し意識が変わってきたともいうが)。なのに「自分の店を持ちたい」? 不思議なもんだなァとオレは思った。むしろ、そういうセンス──自営業ではなく公務員か一流企業ばかりが「正解」とされている社会(コレは日本にも共通する部分が多いとは思うが)──だからこそ、本書のタイトルにあるように「一生懸命生きるところだった」という抵抗や逆接が成り立つのではないかと思うのだが、残念ながら著者はそういった点についての言及をしていない……。
ついでに、オレが同時に思ったのは、本書の語り口ってのが、あの亀一郎と一緒雀ということであった。
亀一郎ってのは、この本↑『電氣菩薩 豚小屋発犬小屋行きの因果宇宙オデッセイ』(根本敬/径書房)に出てくる実在の人物(原作・根本敬)。詳細は省くが、著者とのインタビューでの「語り」の一部を以下に抜粋して引用してみよう。
「話かわりますけど(コレはこの男の句読点みたいなもんで、そう言っちゃあ、全く別の話題に飛んだり、又戻ったりを繰り返す)、いやあ、素人とやりたいですね。でも無理でしょう。オレ、日本はおろか地球上の女全部に嫌われてますから。M78星雲の女性にもモテませんよ。しかし一応、万が一、お母ァちゃんが出来た時に着せようと思ってね、セシール、通販のやつ、アレで下着、パンティ、ブラジャー、シミーズ、ストッキング、ガーターベルト、ひと通り買ってますね、みかん箱にして三箱はありますね。あとチャイナドレスも買ってあります。でもダメですね、絶対オレみたいなのに付いてくる女いませんから。だから今は、ぜいせい風俗店行く時持ってって、お姉ちゃんに頼んで着てもらってますね」だの(中略)、「話かわりますけど、自分、素人に全然モテないですから、縁ないですから。せせせ、生理的に嫌われるって言うんですか、電車でも差別されて、俺が座っていると隣空いてても絶対、女の人座らないしね、逆に俺が座るとパッと立って、べべ、べ、別の車両へ行っちゃいますね。いやあダメですね。その上、ハゲ、中卒、醜男、バカ。もう四重苦背負ってますから。でもオレ、ここここ、こう言っちゃアレですけど、ブスはダメなんですよ。あとスタイルの悪い女。自分、脚フェチですから。オマンコ臭いのとか、脇臭いだとかね、体臭キツい女はお断りっていうか、ダメですね。こここ、こんな事言うと贅沢かもしれませんが、やっぱ素人にモテたいですね。でもダメでしょう、オレ、毎朝シャノアールって喫茶店に行ってるんですけど、そこにいいお姉ちゃんがいて、ジャンパーあげたりして『食事行きませんか』って前誘ってみた事があったんですけど、笑われただけでね、一向に振りむきませんね。ここだけの話、オレ、精神的なつながりっていらないんですよ、肉体的な繋がりだけでいいんですよ」だの、「話かわりますけど、ハタチ前から髪、薄くなりまして、益々コンプレックスの固まりになりましたね。た、ただでさえ中卒の醜男ですからね。それで26の時、床屋に薦められて『いいのがあるから』って、ボーナスつぎ込んでね、当時で30万のカツラ作って貰ったんですけど、何んか両面テープで留める、そそそ粗悪品って言うか、すぐカツラって分かっちゃうヤツで、結局、ににに、二回ぐらいしかつけませんでしたね」だの、とにかく下らない話が止まらない。そいで最後は「いやあ、どうしたら女にモテるんでしょうねえ」って。そんなんだからモテるワケがない。
(同書219〜221ページ)
とまぁ、前掲書でもたれた腹を落ち着かせるべく、本書でリハビリを試みたある日のィ夜DESITAという次第。
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