30年ぶりぐらいの邂逅(その3)・・・の巻

とあるィ夜о(^ヮ^)о
上から見るこうなります。
困ったことに、「そろそろ」と計画していたヒメ避妊手術をなかなか実行に移せないんですよ。なんでかというと、大暴れして獣医に連れて行かせてくれないのである。そのうえ、どうもつぎが仕込まれているふうでもあり、いよいよわが家はこんな(↑)具合になってしまうのか……。いや、ネコがいるのはうれしいというか人生の基本なんだけれど、限度ってモノがある。それに、ここまでになってしまうと家を開けられなくなりかねないのが、仕事上の死活問題ともいえるしねぇ……。という次第で、里親募集を真剣に進めなければ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)
ちなみにこのCD、たしか2009年冬にソウルで買ったブツである。ふとした拍子にお出ましになったのだが、10年ぶりの邂逅であった。
▼Zoltán Kodály - Missa Brevis for Soloists, Choir and Organ
という次第で(?)、30余年ぶりに再会したクラシック音楽を紹介してきた。前回、コダーイの「ハリーヤーノシュ」について触れた流れで取り上げてみたのが、同じくコダーイの「ミサブレビス」である。
この曲はさすがに「30年ぶりに聞きMASITA」ということはなく、ときおり棚からCDを取り出していたものだが、最初に聞いたのは30年以上前で、「ハリーヤーノシュ」のそれとほぼ同時期になる。ではなぜ「ハリーヤーノシュ」と離ればなれになっていたにも拘わらず、「ミサブレビス」はときおり聞いていたか? 別段たいした理由があるワケではなく、学生のときに合唱に参加したことがあったため、そのぶん身体にしみ込んでいたというだけの話である。
「ハリーヤーノシュ」でも感じることだが、コダーイの和声と旋律には、単に美しいだけではないなにかがあると思う。その“ナゾ解き”についてはいくつもの研究がなされているが、バルトークが手がけた洋の東西を結ぶ世界観、東西の境界に近いハンガリーという土壌が、音楽に独特の精気をもたらしているのであろう。いい曲です。
ところで、ふとネット上でみかけたこの雑誌には一本取られた。シリーズとしてすでに刊行を重ねているのだが、恥ずかしながら完全に認知の外。しかし表紙にデカデカと「ショスタコービチ」と打たれては、買わない理由もとりあえずはなかった。もちろん、即オーダーである。が〜……。
届いた1冊をさっそく開いてみたところ、その途端に大いに失望させられた。ここで「クイズ」だが、スキャンしたこの表紙から、この雑誌のこの号の「特集」をどのように思い浮かべるだろうか?
タイトル上に「特集 シンフォニストの時代 ショスタコーヴィチ」とあるので、「交響曲の名作曲家とその時代」を語るとともに、「ショスタコービチ(注:個人的表記ルールで「ヴァヴィヴヴェヴォ」は原則使わないここととしています)」がその「特集の中心」、言い換えると、この1冊の主役が「ショスタコービチ」であろうと当然のようにオレは考えた。
ところが、開いてみれば全162ページ(表1〜4を除く)中「ショスタコービチ」について語っているのはたった6ページ。「シンフォニスト」という括りでは、さまざまな作曲家などについて56ページにわたり(ショスタコービチの6ページを含む)展開しているので、「特集」としては正当かつ立派なボリュームであり、かつ(ショスタコービチ以外の作曲家等については)興味深い記事もあるのだが、なによりも「ショスタコービチ」の文字に釣られてカネを払ってしまったこちらにしては、とんでもない看板倒れではないかと罵倒のひとつもしたくなってくる(いましていますが・笑)。
ほぼ同時期に「週刊東洋経済2020年3月28日号〜特集:羽田空港クライシス」を手にしている。こちらは「特集」のボリュームとしては「シンフォニスト」よりは規模が小さいものの、看板との乖離はここにはない。
ネットショップでの買い物には、ときにこうしたリスクが伴うが、この買い物は大失敗の好例であろうなァ……。少なくとも、町中の書店で手に取っていれば、間違いなく買わなかった。こういうことはときおりあるが、困ったものであります。
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