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2020.04.05

プロレスな時代・・・の巻


  日を追うごとに悪化の一途を辿っているかに見えるコロナ禍ですが、ビジネスや文化面での影響も深刻さを増しています。個人的におつきあいのある編集部でも原則在宅勤務になったりと“コロナシフト”を余儀なくされているところがありますが、我々の仕事に不可欠である取材活動にも影響が及んでおり、今後の動向が心配であります。

  ちょっと個人的なできごとではありますが、関連する話題として、予定していたタイ取材中止の顛末を「AERAdot.」に寄稿しました。状況が日々変わってゆくなか、すでに古い情報となってしまった感もありますが、ご笑覧いただければ幸いです。

「トラベルライターが直面したコロナ禍 タイの水際対策は迅速で厳格だった」──AERAdot.

  ともあれ、いまはできることをひとつひとつやってゆくほかはないと思います。しかし、わが国の“リーダー”たちのオツムの中味はいったいぜんたいどうなっているのかとクビをかしげざるをえないのも正直な気持ちです。

  たとえば、あのケーセッキアベが大いばりで打ち出した施策のひとつ「マスク2枚バラマキ作戦」はどうでしょうか。あるいは「大企業」相手に「1000億円」の税金を注ぎ込むとか注ぎ込まないとか……。ほかにもやれ商品券だのと、こう言っては悪いけれど子どもじみたとしか言いようのない「施策」が、どうやら大真面目に検討されているようなのです(商品券といえば、かつて「地域新興券」などという、これまた幼稚極まるバラマキパフォーマンス──断わるまでもなく、オレは受け取るつもりすらなかったし受け取っていない──もありましたねぇ。その“効果”とやらがマトモに検証されたという話もトンと聞くことができませんでしたが……)。

  そんな祖国政府のザマについて、あの“畸人”藤原新也が、かなりズバリとした感想を綴っています(*著名人は敬意を込めて敬称略としています)。いわく、

>この準戦争時にまるで小学生がママゴトをやっているかのような思いつきを国民に押し付ける総理を持つ「愚鈍」というものの空恐ろしさをつくづく感じる。(中略)
>私はこれまでことあるごとに安倍を批判してきたが、さすがにここまで真性のバカだとは思わなかった。
(下記リンクから引用)

  「金曜爆弾、1日前倒しで木曜爆弾!!」──Shinya talk

  う~ん、「真性のバカ」(笑)。まさに然りですが、「ここまで──思わなかった」ってのはホントかな(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)?

  それはそれとして、今後のコロナ対策の「出費」を口実に「消費税再増税」だの「コロナ復興税」徴収だのといった話が出てくるに違いありません。一方で、たとえば「不要不急」のさいたるブツとしか言いようのない「宗主国様」からの「戦闘機爆買い」の見直しをするつもりもないのでしょう(ついでに「政党助成金」やら国会議員がもらっている「ボーナス」という意味不明な一時金にも要注目ですね。「観光」がなんぞと騒いできたクセに、そちら方面へのフォローも見られないし)。おそらくそうした「増税」に対し「やむを得ない」といった理解を示す層が、この国にはことのほか多いのではないかという予感もあり、なんともおそろしい……。

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  さて、今回は引き続き本の話題などを……。

  っといきなり話題が大きく“転調”して、最初に登場するのは女子プロレスである。本書『女子プロレスラー小畑千代 闘う女の戦後史』(秋山訓子/岩波書店)は、ひょんなことから出会った1冊だ。
  中学生のころプロレスに夢中になっていたオレだが、残念ながらといおうか、小畑千代というプロレスラーにはまったく記憶がない。したがって、本書を読みながら「こんなにすごい女子プロレスラーがいたのか!」などとの感慨を覚えるのだが、同時にその“雄姿”にビジュアルを通じて体感できないのが残念でならない。

  当時は小畑が所属していた国際プロレスとジャイアント馬場が率いる全日本プロレス、アントニオ猪木の新日本プロレスがそれぞれテレビ中継を持っていたほか、「ビューティーペア」などで一世を風靡した全日本女子プロレスを含む4つの団体がテレビ画面を賑わせていたものだ。ただ、女子プロについていえば、タマにテレビ中継を見てもさほどの面白いとは思わなかった。唯一といっていい程度に印象に残っているのは外国人ヒールとして大暴れを演じたモンスターリッパーぐらいなものだろうか。だが、それももし小畑の試合を観戦できていたとしたら、はたしてどうだったろうかなどとも想像してしまう。

  小畑のプロレスの神髄は、スポーツとして観客を満足させることにあったようだ。そのための身体づくりや技の練習などが基礎にあるのは言うまでもないが、技をかける、あるいはかけられるにあたって、どれだけ観客にその面白さをアピールできるか。実際の試合を見る機会を得ていないのでなんともいえないが、昨今のプロレス中継──自宅では見ないが、海外滞在中に米国WCWなどのテレビ中継に遭遇するとつい観戦してしまうことも──を見てもそうした“巧さ”を実感できることは稀で、小畑が実践してきたことは決して簡単なことでないことが理解できる。

  ちょっと愉快だなと思ったのが、小畑や相棒の佐倉輝美が語るところの「ミステイク」。当時、観客のなかには試合に“お色気”を期待するムキも少なくなかったようで、ときにそのテのヤジが試合中の耳に飛び込んでくることがあったという。すると、選手同士があうんの呼吸で場外乱闘に持ち込み、そのドサクサに紛れるようにして件の客に手を挙げることがあったというのだ。

  冷静にいま考えれば、オレなどはマジメに「そんなヤジを相手に……プロ根性が足らないぜ!」などと思ってしまう部分もあるが、愉快だなというのは、たいていは客の側もそれを面白がっていたことで、そういう点を含め「なんとも大らかな時代だったのだなァ……」と感慨に耽ってしまうのであった。

  ごく大雑把な感想として、もう少し試合にちなむエピソードなどが動的にかつ多く描き出されていたらとも感じたが、小畑とのシングルマッチで実施された佐倉の引退試合は、その顛末に素直な感動を覚えたものだ。また、興業をめぐる裏話が活き活きと伝わってきて、そうした時代の活気に羨望の念を抱いてしまう。皮肉にも、その多くは──たとえそれが子ども時代だったとしても──オレ自身もまた生きてきた時代であったワケなのだが……。

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  ところで、その小畑千代と遭遇したのは、このムック「忘れじの国際プロレス」(ベースボール・マガジン社)誌上であった。この本、買ったのは6~7年前だったと思うが、さきの大掃除のさなかに発掘されたのである。そこで「懐かしいなァ」と思いつつページをめくっていたところ、「国際プロレス女子部」として小畑や佐倉の紹介が目に止まったワケだ。

  オレが金網デスマッチに小躍りしていたころには、少なくとも女子部のテレビ中継はなかったハズで、知らなかったのもムリはないかもしれない。しかし、「この女子部3人のレスラーは、どういうひとたちだったのだろう?」と思うのが自然ななりゆきで、ネットで検索してみたところ件の小畑本がヒット。「おおっ!」と驚きつつ、さっそくネット書店に注文したのであった。

  で、届いた本をポストから回収し部屋に持ち帰ろうとしたところ、年老いた我が母堂が「また本を買ったの?」という。そこで、「コレさ」と封を切ってみせたところ、なんと、
「あら、小畑千代じゃないの!」
  とのたまったではないか。コレにはさすがに驚いた。

  母堂の母堂、つまり婆さんがプロレス好きだったのは幼少のころの遠い記憶にあるものの、それにしたってプロレスなんぞ見ない婆さんが知ってるってんだがら、小畑千代おそるべしではないか!
  そうなれば、当然のことながら訊きますよね。
「えっ!?  よく知ってるね!」
  話がつながれば、その思い出話なども聞きたいところでしょう?

  ところが……(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

「知らない」

  とただひとこと。要は表紙にドンと出ている「小畑千代」の名前を読んだだけだったんですなァ……。コレには一本取られMASITAよ(笑)。

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  全日本プロレスの名物レフェリーだったジョー樋口も、よき時代の思い出へといざなってくれる。本書『心の残るプロレス名勝負 いま甦る激闘の裁き』(ジョー樋口/経済界)を読みふけりつつ、ふとノスタルジーにひたってしまった……などとボヤくようでは、やはり“トシ”なのかねぇ。もとより、トシのことをボヤくのはカッコ悪いことだと思っているけれど、まっ、ケンチャナヨである(笑)。

  ジョー樋口。巧いレフェリーだったと思う。けっして目立ちすぎることなしに、でもいなくてはならない(ときおり“失神”してたけど・笑)。いま思えば、あのころオレが好きだったプロレスラーにはそんな人物が多かったようは気もする。

  いうまでもなく、ジャイアント馬場にせよラッシャー木村にせよ、彼らがスター選手であったことに違いはないとはいえ、「オレがオレが!」とは一線を画すシブさがありはしなかっただろうか。それは同時に自然体にもつながる。わざとらしさや大袈裟さな“演技”などに頼らず観客を満足させるテクニックと人柄。いま思えばそんなあたりに心を引かれていたのかもしれない。


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  一緒に発掘された『カストリの時代』(林忠彦/PIE BOOKS)。オビに記された時代を切り取った写真集である。

  力道山の姿も捉えられている。太宰治のスカしたポーズがいる。集娼街の女が路地に視線を送っている。ある種混沌とした世の中であったのだろう。それから数十年が経ち、さまざまな意味で整ってきたいまの世の中が悪いとは思わない。だけど、ここに描き出されている時代の大らかさはどうか。社会もまた、成熟と引き換えに失なってゆくものがあるということなのだろうか……。

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