Adieuは嫌い・・・の巻

2018年12月17日早朝。ちょび逝去……。

当日はタイにおり、最期を看取ることを果たせなかった。やがて避けられないときを腕のなかで迎えさせてあげたい。いつのころからか抱き続けていた思いにとってもまた、冷酷な運命だった。

出会いは友人Sとの里山散歩の帰り道だった。馴染みのラーメン店で夕食をとったあと、ふといつもとは異なる道をドライブしていたときの邂逅であった。クルマの行き交うなか、縁石の陰にいた子猫を保護して連れ帰ったのである。

最初の夜はあっさりと“ネコこし”から脱走された。しかし、夕方になるときちんと帰ってきて、無事にわが家の一員となった。生後ひと月ほどだろうか。薄汚れ、身体中がノミだらけ。でも、ふた夜目にはこうしてヒザ上で寝顔を見せてくれたものだ。

相当に不安だったのだろう。当時いた2匹の兄貴分(ぼん&たぬんぼ)のもとに駆け寄って、さっそく甘えていた。

そんななか、ことさらに面倒をみてくれたのがぼんだった。あるときは、「物置にちょびが閉じ込められてるよ!」と教えにきたこともある。やさしく面倒見のいい兄貴分の存在は、ちょびにとってシアワセだったことだろう。

もっとも、そんなシアワセな情景にシアワセを実感していたのはほかならないニンゲンのほうだったのかもしれない。

背後にあるのが“ネコこし”。じつは、容態が悪化するなか、物置の隅でひたすらじっと耐えている姿ばかりを見せていた。寒いだろうとムリに部屋に連れ帰ってもダメで、最終的には好きなようにさせてあげることにしたのだ。しかし、最後の力を振り絞ったのだろうか、“ネコこし”から部屋に戻ったところで、眠るように最期を迎えていたという。

11月初旬ごろ、呼吸がやや速いのではないかとふと気がついたのが悲しみへのはじまりであった。残念ながら悪性リンパ腫との診断で、せめて穏やかに過ごさせてあげようと思うほかはなかった。
しかし、これだけは言っておかなければならない。かかりつけ獣医が頼りにならないと判断し別の獣医のもとを訪れた(セカンドオピニオン)うえでの診断だったのだが、担当となった獣医師は患者はおろかその身内に対する人間としての気づかいひとつできない典型的な“試験管医師(個人的造語)”だったのである。
「コレがアメリカだったらこの場で安楽死ですよ」
いきなりコレなのだから驚くほかはない(検査をしなくても、最初の様子をみてすぐにわかりましたなどと自慢もしていたな、恥知らずなバカ医者だ)。もとより、それほど重症なので、飼い主として覚悟してくださいという意味なのであろうと善意に解釈することも可能だろうけれど、すべからくこの態度なのだから巡り合わせの不運を歎くこととなる。
「アンタがたとえるアメリカ合州国であれば、アンタの態度はアンタが一生かかってもつぐないきれないほどの賠償問題になりはしませんか?」
そう指摘したいのを最大限に我慢し、“馬に水を飲ませる”ようにして処置をさせたが、じつはそのテの医師はニンゲン向け医療機関にもいる。この場合、客観的な事実としては間違った見解ではないのかもしれないが、こういうスタイルで医療に携わりたいのであれば、臨床医ではなく実験室にこもるなりして医療の発展に貢献してくださいと言うほかはない(年老いたわが母堂がそんな態度にショックを受けたこともあり、じつをいえば訴訟すら考えた。ちょびの最期を慮ってとりあえずは我慢しているけれど)。
ついでにいえば、タイに出発する数日前に連れていったさい、「再び呼吸が速くなっているようなので」というこちらの問いを無視し、「体重が少し増えていますね。また胸水がたまっている可能性がありますのでレントゲンで診てみましょう」というのでお願いした。その結果、
「水はたまっていません」
ということでホっとしたものだったが、その日の診療明細にはレントゲン云々は記されておらず、金額も明らかにレントゲン代が含まれていなかった。これはいったいどうこうことなのだろうか?
ちなみに、そのあとから状態が悪化した。

その最初の診察のさい、胸水を抜いたり(おそらく検査だけのためだろうといまになって思う)、「あまり意味はありませんが」とプレドニンなどの投与を受けた。すると、さらに呼吸が荒くなり、「これは朝を迎えられないかもしれない」と真剣に心配する状態となってしまった。
ところが、それから3日目ぐらいになると水を口にしはじめ、翌日には好物の「黒缶クラシック」も食べるようになった。さらにその翌日ぐらいからは旺盛な食欲をみせて体重も増加。布団で一緒に寝る日が戻ったのである。

その元気を取り戻したころ……。

ヘンな顔〜о(^ヮ^)о

表にゆくと、こうして玄関で待っていたり……。

コレはやっと水を飲みはじめたころだろうか。アンマを枕に休んでいた。

状態は好転し、ソファーで一家団欒。

かと思えば押し入れでスヤスヤ。

アジトの物置にて。

ただ、こうしてみると、やはり調子を崩しているのがわかる。

おそらくは最後の外出(庭の外という意味で)となったひととき。隣の畑でちっちをし、ふとこちらの視線に気がついた瞬間(都合450ミリで撮影)。

そそくさと家に戻ってきたが、その途中でちょっと「ガリガリ」。

最初の診察から連れ帰った夜、「こんなに急いで行ってしまうなんて酷いじゃないか」と悲しくなったが、それに応えるかのように回復し、ひと月以上を一緒に過ごしてくれたちょび。本当にネコ中のネコのウチの子ちゃんだった……。
最後の寝顔。表情にわずかなとまどいを伝えていなくもなかったけれど、苦悶の陰はなかった。痩せ細ることもなく、普段どおりに寝ているのとなんら変わらない姿だった。最後の最後の一夜を、一緒にすごした。
人生には悲しい別れというのはいくつもあるが、少なくともいかなる失恋よりも悲しく、寂しい。

大好きだったカエデの近く(根もとでよく寛いでいた)に寝床をつくってあげた。ふと気づくと、近所のだれかが黒缶とカリカリを平らげていた。またあげることにしよう。まさか本人ということはないけれど、ひょっとすると友だちが弔いに訪れたのかもしれない。

ありがとう、ちょび。早く帰っておいで。
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