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2018.12.30

しみじみ、年の瀬・・・の巻

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  今年もあと2日とはねぇ……。
  タイ散歩12月の巻の話でもはじめようかと思ったけれど、今年も最後のアップということで、軽く1年を振り返るのだかどうなんだかという無駄話で締めくくりたいと思う。

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  まずは、今年巡り会った本のなかから、もっともケッサクに思えたこの1冊を。あの椎名歩美おっと、椎名誠の『あやしい探検隊済州島乱入』(角川書店)である。
  巡り会ったといってもこの本、2013年夏の発売で、「なにをいまさら……?」という感じかもしれない。が〜。「あのシーナさんが大韓散歩の本を出していた」のに想像の埒外で偶然に遭遇したのだから、やはり今年巡り会った本なのである。

  内容はといえば、究極ともいえそうな無駄話のオンパレード。単に首謀者たるシーナさんとその仲間たちが入れ代わり立ち代わり済州島に乱入、喰ったり飲んだりしているたけの話である(釣部渓三郎と蟹沢警部補feat.太田蘭三もビックリ!?)。しかし旅とは案外そういうものであり、まさに天晴れ。こういう“旅の本”だってなんとも楽しいじゃないかとウレシくなってしまったのであった。
  ウレシくなった個所を具体的にいくつも挙げることもできるが、とりわけオレが大爆笑したのは、メンバーのひとりである“ザコ”さんの床屋体験記であった。
「髪の毛がのびすぎてうるさくてしょうがないんですよ。床屋に行ってきていいですか?」
  このひとことで幕(全3幕)を開けた大韓床屋との格闘。“ザコ”さんの仕上がりは、ご対面したシーナさんによればこうだったらしい。

>おれたちは外に出てきたザコを見て全員ハラをかかえて笑った。たしかに韓流スターのなりそこないみたいなのがそこに現われたからだ。

  で、ご丁寧にも、そのつぎの見開きに問題の“作品”の写真がビフォー&アフターで載せられていうのだが、コレがまごうことなく本当に「韓流スターのなりそこない」というか、普段見なれている大韓人若者そのものといった仕上がりなんですなァо(^ヮ^)о  いま、このテキストをつくりつつ件のページを開いているのだが、オレはこの期に及んでなお失笑を禁じ得なかったのでありMASITA。いや、笑っちゃいかんよ。大韓スタイルのヒミツの一端が、ココに解き明かされたともいえるからだ。なにはともあれ、一度ぐらいは体験する価値が(オフザケではなしに)、大韓床屋にはあるかもしれない。案外、モテモテと化すかもしれまぜんぞ(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)。

  例によって長くなってしまうのでこのへんで切り上げるが、個人的な“仕事”という視点でも、この本はちょっとした宝物であった。シーナさんの名文はもとより、写真のひとつひとつが「わかるか?」とやさしく問いかけてくれているような気がしたのだ。いうまでもなくその道のプロが撮った写真だからあたりまえといえばいえるけれど、素晴らしきお手本として気を奮い立たせてくれたのである。とはいえ……、相変わらず進歩らしい進歩のないオレではあるのだが……。

  ぁあ……。大韓食堂でハルサメを太くしたようなのに遭遇したことのあるひとは多いのではないかと思う。オレ自身もなんどか遭遇したが、あるとき水安堡温泉の食堂でソイツをシャブシャブの鍋にくべようとしたところ、店のおばはんから止められたことがある。
「旨そうなんだけどな」
  とそのときは思っただけだが、シーナさんはソイツをたらふく喰ったことがあるという。本書とは異なる旅のさなかで現場は江原道・束草。やはり「喰うモノじゃないYO!」とばかりに片づけられてゆく皿を隠したうえで賞味。その報いは七転八倒の下痢と嘔吐その他モロモロとなって襲いかかってきたらしい。アブナイところであった(笑)。

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  年末年始にでもまったり読むべぇと入手したのが、この『イスラーム宗教警察』(高尾賢一郎/亜紀書房)である。
  なんともセンセーショナルかつおどろおどろしいタイトルだが、イスラームの教えや習慣、思想などが丁寧に解説されており、イスラーム社会の一端を知る格好の入門書といえるかもしれない。飲食物の禁忌などに見られる厳格な戒律。礼拝や偶像崇拝の排除。異教徒らにとって、ときに異様な戒律や習慣としてもれ伝わってくるイスラーム社会。それらに触れるヒントになるに違いない。まだ第1章に目を通したにすぎないが、これは興味深い1冊に出会えたものだとワクワクしている(いずれあらためて感想をアップするかも)。

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  今年もっとも仰天した本がこの「la farfa」(ぶんか社)であろうなァ。くしくも『〜済州島乱入』と同じ2013年の誕生で、またしても「いまさらなにを?」という話ではあるけれど、あまりにビックリしたので会うひと会うひとに「知ってっか?」と訊きまわってみても、「知ってるYO♪」という反応がないのだから恥じ入ることもないだろう。

  内容はご覧のとおり“大きめサイズ”専門のファッション雑誌である。じつは、かつてファッション業界にいたこともあり、ファッション関係の記事などをなんとなしにチェックすることがいまだにある。もとよりキレイなおねえさんは大好きだし、ファッション誌や通販サイトなどのコーディネートを眺めることもママある。
  あるとき、某通販のバナー広告だかなんだったかに、ちょっとカワイイ感じのモデルを認めた。「おっ?」と直感しそのサイトをチェックしてみた。よくよくみれば細っとりとしたお人形さんみたいなタイプで、現実に目の前にいてどう感じるかということはともかく、ファッションモデルとして眺めているぶんには「ええなァ」と思わせるものがあった。が〜その店。なんと“大きめサイズ”が専門で、商品説明にも「L〜6L」などと記されてあるではないか。
「う〜〜む……」
  と妙な好奇心にかられたオレは、そのテの通販ショップをいくつかチェックしてみた。すると、はやりユーザーと乖離のあるモデルが大半だったのである。

「わからないでもないけれど、こんなんでいいのか?」

  下世話を承知でオレは思った。転じて、9月ごろだったか、「大きめサイズのお店」のバナーに遭遇。ところが、そこにお出ましになっているモデルはかつての華奢なお人形さんタイプと異なる女性であった。なんとなしにそのサイトを訪れてみると、ちょっとかわいらしい感じの顔だちながら、まさに“大きめサイズ”(“め”あるいは“大”に異論を持つムキもごぢいましょうが)にピッタリなモデルが、さまざまなコーディネートで登場。で、そのモデルが「ラファモの●●ちゃん」との紹介されていたのであった。で、「ラファモとはなんぞや?」とごく自然に思ったのが、この雑誌との邂逅であったワケですよо(^ヮ^)о  まぁ、わかると思うけれど、「ラファーファのモデルだからラファモ」ね。

  断わっておくが、「フラファモ」系がタイプという話ではないYO(力んで否定する話でもないが・笑)。なにをかっていうと、このアイデアとその実行力(フロンティア精神といってもいかも?)に対し大いにリスペクトし、この雑誌のキャッチコピーにもなっている「ぽちゃティブ」という発想も悪くないではないかと思ったワケです。
  そうしてさしあたり創刊号をネット古書店で入手。その後の号では「福余暇旅のススメ  ぽちゃ旅ニッポン」だの「世界が羨む  和ぽちゃ花嫁」だのといったイカした企画が登場していたようで、またしてもオレはうなるハメとなったのであった。それはそれとして、大韓でもちょっとばかり話題となったようでごぢいますね(゜゜;)(゜゜;)(゜゜;)

※가:MKニュース
※나:WikiDOK

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  話かわりますけど。
  ふと「マタイ受難曲」(J.S.バッハ)が聞きたくなってCDを購入した。記憶違いがなければ、最後に聞いたのはVHS(βだったかも?)で録画したNHKのクラシック音楽番組だったハズだから、たぶん四半世紀以上ぶりの邂逅である。で、仕事のBGMとして3回ほど聞いたあと、まったりと映像つきで楽しみたいとの衝動にかられてしまいDVDまで買うハメになってしまいMASITA。

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  それにしても、「やはりバッハだな……」といまさらながらに痛感する。ひとつひとつの旋律や和声、リズム、対位法的作曲テクニックetc.・・・どこを切り取っても美しくココロにしみ込んでくる。やはり久々にスコアなんぞも書庫から引っぱりだし、鑑賞に没頭してしまうのであった。

  単に「最近聞いていますのYO」という話なので細かい論評は避けるけれど、ひとつだけ気になったところも……。
  罪人バラバとイエスとのどちらを放免するかという有名なあの場面。

・ピラト「バラバと自らを神の子と称するイエスとのどちらを放免するか?」
・エバンゲリスト「彼らは言った」
・コーラス(群集)「バラバを!」
・ピラト「では、イエスはいかに?」
・コーラス「十字架にかけよ!」
(いずれも抄訳)

  いうまでもなく演奏のテンポやひいては全体の演奏時間は演奏者にゆだねられている部分も大きいわけで、実際に演奏者や演奏によってだいぶ違いがあるが、全曲中にあってこの場面こそが黄金分割点を示唆してはいまいか。ふとそんな想像をしてしまったのである。
  こんな想像は単なるお遊びにすぎないけれど、バッハの作曲技法にあって、その影響はどれだけ見られるのだろうとも思う。いずれ時間をつくって調べてみたい。

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  ちょびの葬儀にフォーレの「レクイエム」を鑑賞。もとよりオレはクリスチャンではないしちょびも一緒だが、れっきとした宗教音楽でありながら、宗教を超えた存在なのだと思う(「マタイ受難曲」もまた然り)。終曲「天国へ」の静かなさざなみの波動に包まれながら、ちょびの安寧を祈るのであった……。

  そのちょび廟だが、供えた黒缶とカリカリがだれかによって平らげられていたという話は前回いたしMASITA。その後、毎日同じことが繰り返されているのだが、なかなかその来訪者の姿を拝めない。が〜。28日夕方、ついにその姿を捉えることができた。カーテンを開けると、ちょこんと庭に座っていたのである。しかもちょび系の柄で、ちょびがよく佇んでいた場所で同じように座っている。まだ小柄ではあるが、つかの間ちょびがそこにいるのではないかと錯覚してしまった。

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  それにしても、祖国の昨今のザマを、ある種の歎きとともに憂えないでいられない……。
「いまや日本は法治国家ならぬ痴呆国家だな」
  とある友人がもらしたひとことである。
「わはは、たしかにそうだ」
  とオレも同意したものだったが、いまにして思えば、むしろ“痴呆国家”などにも及ばない“幼稚国家”なのではあるまいかと気づく。  失礼ながら、「TVをかたときも離せない」(そりゃぁ寝ているときやクルマを運転しているときぐらいは離れているワケだろうが)という知人とあれこれ話をしていてそう痛感した。年の瀬に及んで罵詈雑言で締めくくるのもどうかと思うのでさしあたり深入りしないが、身近なところでひとつだけ例を挙げてみるならば、消費税増税をめぐる「ポイント還元」案なんていうのが真顔でお出ましになったことなどもその現われのひとつであろう(ちょっと古くは「地域振興券」などという愚劣かつ幼稚な施策もありましたなァ)。
  そういえば、冒頭に取り上げさせていただいたシーナさんもまた、日本の若者は世界でもっとも幼稚なのではないかといった旨のボヤキ(?)をどこかに記していたような気がする。話の主旨はともかく、“日本の若者”がとりわけ幼稚だのとは思っていないし、オレもまた自身が“愚物”にすぎないことは承知しているつもりだ。しかし、シーナさん曰くの“若者”はともかく、国家の中枢を動かしているある種のひとびとはどうか。あるいはそれを受けて妄信あるいはヤケになっている(としか思えない)ひとびとはどうだろう。そんなもろもろと隣り合わせに生きていると、そこに(「マタイ受難曲」でも描かれた)バラバの釈放を求めイエスを十字架にかけよと叫んだ群集の姿を重ね見てしまうのである。
  おろそしいことではないか……。

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