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2005.04.16

見心地の悪い看板・・・の巻






 千葉県は、もともとが周囲を海で囲まれていることもあり、釣りということでは海でのイメージが強いが、実際には川や湖沼での釣りも盛んだ。
 フナにはじまりコイやモツゴ、タナゴ、ハヤなど……、子どものころはもっぱらこうした“雑魚”釣りに励んだ。それらの釣りは現在でもされてはいる。しかし、佐原周辺のフナ釣りや一部のヘラブナ釣りなどを除けば、かつてを知る者にとっては残骸にしかみえないことがある。理由は単純にそれらの魚が少なくなったからだが、その原因のひとつに挙げられるのがブラックバスなどの外来魚食魚であろう。かつてフナ釣りを楽しんだ川も、いまではバスやブルーギルが釣れるだけになった。

PICT9588

 写真は亀山ダム近くに立つ看板である。“巨大魚”と称してブラックバスの絵が描かれている。
 実際に亀山ダム湖はバス釣りのメッカであり、1年を通じてバス釣りをする姿がみられる。かくいう自分も、かつてはここでバス釣りを楽しんだことが、それも何度もある。
 ダム湖の周囲には釣り人(主にバス釣りであることはいうまでもない)相手のボート屋や旅館が点在する。近所には後発の笹川湖(片倉ダム)があるが、ここもバス釣りのメッカになっていて、やはりバス釣り相手のボート屋が多い(笹川湖のバスは亀山ダムから供給されたという説がある)。看板はそれらバス釣りで商売をしている店の広告なわけだが、こういうあからさまなのを見ると、「そろそろ商売変えをすれば?」と下世話ながら思ってしまう。

 ご存知のとおり、いまやブラックバスは国内の在来生物に悪影響があるとして規制の対象とされつつある。バス釣りそのものもかつての勢いとくらべれば、これもまた“残骸”に近い(ちょっと飛躍するが、ちょうど大型小売り店が出店したはいいが「売り上げ不振」で撤退、進出とともに地元の商店が店じまいをしてしまっていたので、後にはなにも残らなかった……という図式を思わせる。バス去ってなにも残らずではダメなのだ)。
 4月6日に記したが、ふたつの湖を抱える君津市は業者団体から出されたブラックバスを規制種としない旨の請願書を採択している。しかし、6月に施行される法律を引き出すまでもなく、密放流そのものは違法行為そのものであり、バス釣りがそうしたやましい手段の上に成り立っている遊び(と商売)であることは否定できない。法律の施行がバスビジネスに引導を渡す役割を果たすのかどうかはわからない。しかし、紹介したような看板(広告)を是とするかどうかは、まさに倫理観が試されているともいえる。



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コメント

> まず、1992年以降になって定められた
> 都道府県内水面漁業調整規則における
> 外来魚の移植制限や漁業調整規則があ
> げられます。

違法発言の根拠が、都道府県内水面漁業調整規則ということは理解しました。とすれば、その規則が存在しない段階での放流(これを何放流というのかは別問題として)は違法ではありません。

> そもそもだれのものでもない湖や川に
> 勝手に生き物を放すことはほめられた
> ことでしょうか? 

「ほめられたこと」ではないでしょう。バスの拡散について、あなたが何を推測し、何を非難してもそれは構いません。しかし、「象徴的な意味あいを持たせて」「違法行為そのもの」と断定するのは止めた方がいいでしょう。これは何もバス問題に限ったことではありません。

投稿: ThunderShad106 | 2005.06.13 10:37

 お答します。

Q:以下の記述の発言根拠を教えてください。
>密放流そのものは違法行為そのものであり、
>バス釣りがそうしたやましい手段の上に成り立っている遊び
>(と商売)であることは否定できない。
A:まず、1992年以降になって定められた都道府県内水面漁業調整規則における外来魚の移植制限や漁業調整規則があげられます。ただし言われるまでもありませんが、これらのきまりは“法律”はありません。しかし、きまりとして成文化されていることや罰則が定められていることから、広義の法とすることにはムリがないと考えます。
 もうひとつは、象徴的な意味あいを持たせて“違法行為”ととらえていることをお断りしておきたいと思います。そもそもだれのものでもない湖や川に勝手に生き物を放すことはほめられたことでしょうか? それも自分の楽しみのために(釣りはバス釣りだけではないですよね)。もちろん、すべてのバスが密放流によって拡大したとまでは言い切りませんが、きわめて人為的な原因によることは否定できないのではないでしょうか(ここで「密放流はなかった」とされるようだと話は空回りするだけですが……)。こういう考え方をするひとはほかにもたくさんいます。
 バス釣りは肝心のバスがいなければ成り立ちません。自分自身がバス釣りと出会ったころはまだポイントが少なく、幸いにして(?)雄蛇ケ池という魅力的な釣り場が近くにありました(それでも電車とバスを乗り継いで1時間以上かかったのですが)のでこの釣りを楽しむことができました。しかし、その当時はまだごく一部のひとの遊びであり、いわんや釣り業界がバスを大きく取り上げることなどまれでした(そのころには萌芽がありましたが)。バス釣りがブームといわれるほど盛んになる。一説では1000億円という売り上げをバス釣り関連でつくる。そのためにはバス釣り場の拡大が必須であったことは疑う余地もありません。しかしバスは勝手によその湖などへ移動できるとは限りません(池原ダムから琵琶湖などは極端な例でしょうね)。そこで“人為的な”という原因につきあたるのです。悪意があろうとなかろうと。仮に“人為的”な放流によらなかったとしても、釣り業界も表向きは「バスの密放流はやめましょう」という類の表明をしていますね。つまり、バスという魚がなんらかの影響を与えることは認知しているのでしょう。それなのにバス釣りそのものはよしとしている。下の“倫理観”にも通ずることですが、いつの間にか出来上がった釣り場にタダ乗りしているような態度にはとても納得できないのです。

 ついでながら、自分自身がかつてバス釣りに夢中になっていたころ、もっと釣り場が近くにできたらなぁと夢想したり、新たに●●でも釣れるようになったゾと喜んででかけたものです(つまり自分もまたタダ乗りをしていた)。さすがに自らほかの場所にバスを放流することはしませんでしたが、こういう思いを持つバス釣り人はいまでも多いのではないかと思います。しかし、「密放流はやめましょう」と思うのであれば、どこかで疑問を感じることはないのでしょうか。

Q:植村様の「倫理観が試されているともいえる」とお考えください。
A:ご存知のように、きたる6月からブラックバスは法による規制を受けることがきまっています。これはある特定の層の利益のためのきまりではなく、生態系の保護という立場に立ったものですね。バスという魚が日本在来のほかの魚や昆虫などの生存を脅かす存在としてクローズアップされたがゆえの規制です。しかもほかの魚などへの影響についてはいまに言われはじめたことではありません。法律では釣りをすることの是非には触れられてはいませんが、“駆除(防除)”を明確にうたわれている。そういう魚を釣って楽しむことはもちろん自由です。しかし、件の看板のようにおおっぴらに宣伝することについて違和感を覚えるのです。ここではそれを“倫理観”として表現しました。


>かつてフナ釣りを楽しんだ川も、いまではバスやブルーギルが釣れるだけになった。
Q:例えば、どちらの川になりますでしょうか?
A:千葉県内のある河川についての一文ですが、具体的な河川名に関しては公表を控えさせていただきます。なぜそんなことをお訊きになるのかはわかりませんが……。

 これだけではご不満でしょうから、少し補足します。
 白状すれば、この川ではバス釣りをしたこともなんどかあります。かつて住んでいた自宅からも近く、「ちょっと釣りにでも」と思い立ったときに出かけやすかったこともあるでしょう(いつの間にかバスがいてバス釣り人が集まるようになりました。いま思うと不思議ですね)。したがって、子どものころはともかく、この川での釣りは後年になるとバス狙いだけでしかありませんでした。ところが、バス釣りから明確に離れるかどうかというあたりで、遠方から遊びにきた知人とこの川にでかけたときに最初に驚かされたのです。連れていったのは親子4人。上の子どもはバス釣りをやってみたいとルアー釣りをしましたが、自分自身は下の子どもにつきっきりでエサ釣りの手ほどきをしました。結果はコバスとコギルの入れ喰い。その後も足を運び試してみたものの状況はまったく同じです。あるいはたまたまそういう釣果であったのかもしれません。フナもけっして全滅などはしていないかもしれません。ですが、釣り人としてそう思ったことをここに書き記したのです。
 
>バス去ってなにも残らずではダメなのだ
Q:ならば、引き続きバスによる経済効果を享受し続ければよいのではないでしょうか?
A:このくだりは、経済に関することを述べているのではありません。


 以上、ご納得いくかどうかはわかりませんが、記事についての補足という意味でお答えしました。なお申し訳ありませんが、今後のご質問等に関しましては、必ずしもお答えするものではないことをお断りしておきます。理由は単純で忙しいからです。ですから、“忘れたころに”コメントを出すかもしれませんが、その旨をお含み置きください(サイトのアップは行ないますが、しばらくは軽い話題のものになりそうです。ネコ好きのひと、どうぞよろしく)。よろしくお願いいたします。

投稿: 猫池 | 2005.05.13 00:38

私も

-- [発言①] --
密放流そのものは違法行為そのものであり、
バス釣りがそうしたやましい手段の上に成り立っている遊び(と商売)であることは否定できない。
--

の根拠を教えていただければと思います。
植村様の「倫理観が試されているともいえる」とお考えください。

また、2点、質問させてください。

-- [発言②] --
かつてフナ釣りを楽しんだ川も、いまではバスやブルーギルが釣れるだけになった。
--

例えば、どちらの川になりますでしょうか?

-- [発言③] --
バス去ってなにも残らずではダメなのだ
--

ならば、引き続きバスによる経済効果を享受し続ければよいのではないでしょうか?

投稿: ThunderShad106 | 2005.05.12 01:49

以下の記述の発言根拠を教えてください。

------
密放流そのものは違法行為そのものであり、
バス釣りがそうしたやましい手段の上に成り立っている遊び(と商売)であることは否定できない。

投稿: heizo | 2005.05.11 18:07

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受信: 2005.04.22 20:06

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