検証なき痴れ者・・・の巻
中山成彬文部科学相が松江市で開かれた会合(3月5日)の席上で教育問題についてふれ、「いままでの教育に対して“競争は悪だ”とよくいわれた。いままでの教育というのは、フリーターとかニートの予備軍を大量に生産していることに手を貸しているのではないかと思う」と語ったという。その流れのなかで、「社会は厳しいということを子どものころから教える」「競争ということを教育界から排除する必要はない」と続けている。
摩訶不思議な発言だ。事実に対するなんら検証がないばかりか、ウソを前提にモノを語っている。こんなたわごとに誤魔化されるのは家畜人の類だけであろう。どういうことか? 文字通り“いままでの教育”を受けてきた側から言わせれば、学校教育の場というのは“競争”の連続であり、むしろ主役でさえあった。高校や大学受験はもちろんだが、定期不定期の学力検査の類が始終行なわれ、テストの点による生徒のランクづけがあたりまえのようにされていた。高校受験では生徒の偏差値による志望校のランクが厳然とされており、早ければ中学入学早々、おそくとも2年生の後半にでもなれば目にみえる競争となって、生徒はいやがうえにもそれに巻き込まれている(近年ではもっと低年齢化している)。学力……というのはこの場合学校(や塾)のお勉強の仕上がり具合が指標となるのだろうが、個々において差があるのはあたりまえのことだろう。得意不得意もあれば、将来に対する目標や夢の捉え方もいろいろだから、学業優秀で“一流校”に進学する者もあればスポーツや芸術に才能を見い出す者もいる。たとえ学校の成績など悪くても進学などをせずに早くから社会で仕事を覚える者だっている。また学業の類にもいろいろとあって、単純に高給官僚の類や大企業のエリートとやらを目指すためのツールとしてしか体得しない者もあれば、学んだことを直接的に生かそうという者もいる(もっと細分化すれば、同じエリートの類を目指すにしてもその志の問題があろう)。
ところが、“いままでの教育”(いままでというよりは現在もだが)というのは、基本的にはお勉強の成績のみで生徒の評価をするものである(近ごろではこれに思想統制が加わってきた)。しかも、一部には例外があるものの、学校や試験で好成績を収めた者が将来にわたって高収入を得られる仕組になっている。つまり、人生のごく初期の段階で競争によって人間のランクづけがなされ、それが経済的にも大きく影響してくるのである。同時に社会的な差別の萌芽ともなる。競争だらけなのである。これが文科省(旧文部省)が綿々とリードしてきた教育の方針の現実である。そんなことを担当大臣ともあろう人物が大きく事実誤認をしているお粗末さ。“いままでの教育”に異論を唱えるのであれば、それを司る文科省のやり方を根本から否定する必要があるのではないか。中山サン、もっとお勉強しなさいな。
*この記事は加筆のうえ「罵詈雑言雑記帳・日々是雑感」3月第2週(3月10日ごろアップ)にも掲載します。
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