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2004.12.31

んほ・・・の巻


 29・30の両日、茨城県を海岸沿いの北上し、福島県の神白温泉(小名浜)などを回ってきた。

 当日はあいにくの雪模様で、ノーマルタイヤでのドライブだったこともあり、無事にたどり着けるかどうかがやや不安ではあった。はたして北上すればするほど雪は激しくなったが、おかげでアンコウ鍋をつつきながらの酒の風情は増したかもしれない。だが、30日に立ち寄ることを計画していたある管理釣り場や温泉などは道路の積雪に阻まれて諦めざるをえなく、やることがなくなってしまったので帰路の沿線を目的もなく散策して茶を濁すハメになってしまった。

 
・んほ参上



 下の写真は本屋の看板である。書かれてあるのは“んほ”だが(ロードサイド店で、店鋪の建物の屋上にははるかに巨大な“んほ”が鎮座している)。

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 今回、2日間のドライブで、3カ所の“んほ”と遭遇している。いずれもお互いが関係のないどころか、ほぼ間違いなく知りもしないだろうという間柄である。「薬」や「靴」……もっといえば「魚」や「肉」「酒」でもいいとして、ほかの業種を商うひとには“んほ”のセンスはないのかな。“りすく”の類は見かけたことがないが、ネットで検索してみたところ、ほかにも“んほ”が存在するらしい。確実に。

 どうして「本」だとひっくり返したくなるのか? 全国の“んほ”を網羅した本『んほ』でもつくってみようかにゃと思った2004年の締めくくりであった。

 ちなみに、神白温泉の入口です。雪が雰囲気を出していますね。

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2004.12.27

蒼穹のファフナー・・・の巻


 ちょっとしたいきがかりで、アニメ「蒼穹のファフナー」(テレビ東京系日曜日25時30分〜)をみていたのだが、本日、めでたくも物語を完結した。

 内容は、断じてしまってはなんだが「オタク向けロボットアニメ」。「なぜそんなものを?」と訝るまでもなく、かつては「ガンダム」やら「イデオン」を夢中になってみたものである(すでに25年近くも前のことになってしまったけど……)。それで、なんとなく懐かしさを覚えつつ毎度毎度みていたわけだが、時代がかわったのか、それともこちら側のアタマが堅くなったのか、「わかるようでわからん」ままに最終回が終ってしまった感じがする。残尿感があって気持ちがよくない。

 しかし、みていてわからない部分があるのは、この作品(アニメに関わらず映画でも小説でも、なんでもありうることだ)に限ったことではないし、「わからない」ストーリーに文句を言うつもりはない。むしろ、それでも最後までつき合ってしまったのだから、みせる力が作品にはあったということなのだろう。だが、この作品の場合には、わからなさの種類にちょっとひっかかりを感じた。じつは「わかって」いるのは登場人物だけであり、視聴者はもちろん、作り手もまた「わかって」いないのではないか? そんな感じがしたのである。登場人物は自分たちになにが起こっているのかがわかっているからいいのだが、みているほうとすればナイショの話を目の前で延々とやられているようでなんとなく不愉快だ。しかも作り手自身がわからないで作っているから、みている側に理解できるわけがない。正確にいえば、ストーリーを握っているひとりはわかっているのだが、それ以外のスタッフがどこまで理解できているのかがアヤシイ。そんな感じがする(登場人物は架空の世界だが、ようは芝居そのものがそういうふうにみえたということ)。

 その“ひとり”。ストーリーの統括役だったSF作家の冲方丁氏は、SF大賞を受賞するなど実力者で、かなりのファンをつかんでいるひとらしい。辻真先氏にうかがったところ、辻氏をして「いちど会ってみたい」と注目しているほどの有望株だという。このひとが「わかって」いると感じたのは、なにも原作を手がけているからというからではない。番組をみていたひとはお気づきかとは思うが、冲方氏が直接シナリオに参加した後半(全26話中14話以降あたり)とそれまでとは、作品のできに明らかな差が感じられたことによる。だから、後半になるといくらかわかやすくなってきたわけだが、それでも登場人物たちが勝手気ままに物語を進めているという感じがぬぐえなかった。作り手をして制御不能に陥っているようにみえたのである(つまり前半はよほどひどかった)。まぁ、かつて大ヒットした「エヴァンゲリオン」がこんなふうに「理解不能」が続出だったというから、流行りなのかもしれないが……。

 さて、そんな「蒼穹のファフナー」に最後までつきあったちょっとしたいきがかりとは、サントラを友人の斉藤恒芳が手がけていて、非常にすばらしい音楽に仕上がっているからなのであった。かつて、すぎやまこういち氏が手がけた「伝説巨人イデオン」のサントラを夢中になって聞いていたのを思い出すような感覚で毎回楽しませてもらった。どの曲もよかったが、おそらく本人がもっとも気にいっていると思われるピアノコンチェルト風の曲(わずか2分ちょいのなかにカデンツァまで盛り込まれた駆け足ソナタである)が最終回の戦闘シーンになってやっと使われるまでにはだいぶ待たされた。もっとも、もっとドラマチックに使われると想像していたのだけれど。

 しかし、作曲者本人も苦笑していたが、付点のリズムとゼンクエンツがシューマン風だにゃぁとしみじみ思った・・・あぁ、ついでながら戦闘シーンは軒並みできがよくみえなかったにゃぁ(番組をみていないひとにはわけのわからない話題ですみません)。

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2004.12.22

釣り具屋...の巻


 ひさびさに某大手釣り具チェーン店をのぞいてみる。東京都内の某ターミナル駅の駅前といっていい一等地にある店だが、客はほとんどいなかった。店員も、こう言っては悪いが、なんとなく投げやりな雰囲気が漂い、ようは店そのものに活気が感じられなかった。師走の休日、商店にとってはかき入れどきであろう。同じ時間帯に、たとえば家電屋をのぞいてみれば、ほとんどの売り場が相当に混雑している。釣り業界による公称によれば、釣り人口は1000万人にも及ぶというのだが、この寂しさはなんだろうか……。まぁ、禁漁期間にある渓流をはじめ、冬は釣りという遊びにとって向い風の強い季節である(反面、寒バヤやクロダイ、カワハギなど、この季節に味わいのある釣りもある)。それに年末の忙しさで釣りどころでないひともいそうだ。だが、この閑散としたありさまには、もっと別の理由があるのではないか? 釣りという遊びのなかで、もっと根本的な部分に齟齬をきたしているのではないかと思わずにはいられない。釣りを商売とする側に抜本的な改革をする必要があるのは間違いない。

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2004.12.18

ドン・キホーテ放火殺人事件に思う・・・の巻


 12月13日から続発しているディスカウントショップ「ドン・キホーテ」放火事件。死傷者が出るなど許し難い事件であり、犯人逮捕を含めて、早い解決を期待したい。
 事件捜査は素早い展開をみせ、同日、「店内からカゴと商品を持ち出した」とする窃盗容疑で女性を逮捕、18日には家宅捜査を行なうとともに「放火容疑」についても追求がされているという。女性は「火や煙がみえたので(カゴを持ったまま)びっくりして逃げた」と放火容疑については否認をしている。

 さて、この事件報道をみていて、以前起きた「松本サリン事件」を思い出した。1994年6月に起きたこの事件は、長野県松本市の住宅街で深夜に起きたもので、死者7名、重症4名を出す惨事となった。事件から6日後(7月3日)、捜査本部は「サリンと推定される物質を検出」と発表し、被害者である河野義行氏(当時44歳)に事情聴取を行なうとともに、家宅捜査を行なっている。はたして河野氏は警察・マスメディアによって完全な犯人に仕立てあげられ、翌3月に起きたオウム真理教(現・アーレフ)による「地下鉄サリン事件」まで、その“汚名”が晴らされることはなかった。事件は、オウム真理教教祖=麻原彰晃の命令により同教団が行なったことが明らかになったが、当時、容疑者の段階で、それも容疑を否認している状態のなかで同氏を犯人として祭り上げたマスメディアの姿勢は、その後、報道のあり方についての一石を投じる結果となった(同様に警察の“冤罪”でっち上げの遣り口も明らかになったが)。

 今回の放火事件関連の捜査や報道をみていると、その多くが窃盗容疑で逮捕された女性が放火事件についても犯人である可能性がきわめて濃厚だという前提に立っているとしか思えないフシがある(ビデオに残さなかったため具体的にお伝えできないのが残念だが、12月16日あたりであったNHKの報道がその極みだという印象を残した)。他店でのボヤ騒ぎでも「(容疑者と酷似した)不審な女がビデオに写っていた」だの、女性逮捕後に起きた同種の放火に際しては「模倣犯」ではないかと発表する警察のコメントをメディアがそのままタレ流しにしている(一部に例外があるが)。当初は「白い服を着た男」という児童の証言も伝えられていたのに、これはどうなったのだろうか? その一方で、果たして同種の窃盗容疑で家宅捜査まで行なう必要があるのかどうかについての検証が、自分が知るかぎりではみられない(事実上、放火の容疑者として捜査しているとしても、この段階で家宅捜査までが認められることの恐ろしさを市民はもっと敏感に感じるべきであろう)。

 この一文を書いている12月18日段階では、犯行についての詳細は明らかになっていない。だが、実際に犯行を行なったのが誰であるにせよ、別件容疑で拘留されている市民に対して警察の“推論”を無批判に報じる姿勢は改めるべきであろう。この記事http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/don_quijote_serial_fire.htmlなどはむしろ煽っていないか? 記事本文には「窃盗容疑で家宅捜査」と記しているクセに、見出しには「ドンキ連続放火」とある。どっちが本当なんだ? 家宅捜査は放火事件のそれと断定していいのか(辺見庸さんが、ご自身が在籍していた共同通信について「(いまの記者たちの多くは)100回生まれ変わってもマトモなジャーナリストになんかなれっこない!」と嘆いていたのを思い出す)。松本サリン事件の教訓が、なにひとつ生かされていない。



*この記事は「日々是雑感」12月4週(12月23日アップ)にも加筆して再掲しました。

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2004.12.14

カラオケ・・・の巻


 昨夜、風呂上がりにふと思い立ってある検索をグーグルで行なった。このブログのタイトルのモトになっているPANTA&HALの歌がレパートリーに入れられているかも? と思ったのである。

 カラオケはそれほど好きでもないが、誘われればそれなりにはしゃいでくる。ところが、以前からPANTAの歌が入っていないのが気にいらないでいた。CDでPANTA&HALを聞きながら、「嗚呼、カラオケでPANTA三昧をやってみたい」といつも思うのである。最近、リバイバルのボックスセットが売り出されたこともあり、「ひょっとしたら?」と考えて検索してみたわけだが、ほんの数曲ながら、メニューに登場していることがわかった。

 確認できたのは「つれなのふりや」と「マラッカ」。「マーラーズパーラ」があるという情報もあるようだ。欲をいえば「臨時ニュース」と「裸にされた街」、「ルイーズ」あたりもほしいところだが、早晩レパートリーに入る可能性も期待できる。で、さっそく友人S(“朋ちゃん萌え〜”のほう)にこの件をメールで連絡したところ、よほどうれしかったのか、寝る間も惜しんで明け方まであれこれネット上を漁っていたようである。エレカシの「珍奇男」なども登場していたようだが、久々にカラオケで騒ぎたいにゃぁと思った(ピーターの「人間狩り」があれば、さらにいい)。

 個人的な好みとして、カラオケは原調主義である。声域の問題はあるが、移調されるのがどうも気持ち悪いからだ。だから、朋ちゃんの歌も原調で歌う。どうせ密室だと開き直りつつカン高い声をしぼりだす。PANTA&HALと朋ちゃんの共存というのもアタマがクラクラしそうだが、問題は歳とともに高い声が出なくなってきたことか・・・

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2004.12.12

天木直人と話す会・・・の巻

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 12月12日。天木直人と話す会に参加(東京渋谷・伊藤塾)。

“話す会”のタイトルどおり、マイクを一切使わず対話形式で進行した会は、冒頭の30分ほどを天木氏自身が政治の世界に関わりつつあることについての経緯などが語られた。「自分で考えていることを言いつづける」。それが天木氏の場合はイラクをはじめとする中東諸国が抱える問題についてであり、日本の安全保障の問題であったという。

「私は、これまでほとんどの人生を権力のなかで生きてきた。しかし一市民となったいま、余生をどう生きたらいいのだろう?」(天木氏)

 現在、盛んに「テロとの戦い」という言葉に乗るようにして軍事的な行動や準備が進められてきているが、そもそも現代のテロとはなんなのか? 批判は承知でと前置きをしつつ、「現在のテロの多くはアメリカ合州国やイスラエルによって虐げられたひとびとによる怨み・抵抗という面がある」と氏は説く。つまり、本来はアメリカ合州国やイスラエルなどの問題であって、日本には向けられるハズのない世界だというのである。それはそうであろう。イラク派兵以前の日本は、おおむね中東諸国からは好意的に見られていたというのは、多くの人が感じていることだ。ところが現在ではそれが変わりつつある。「対テロ」ということで、「悪のりしている状況」がいまの日本政府なのだという氏の解説は非常にマトをえている。いわば自ら巻き込まれる道を選択してしまったのだろう。

 その後およそ2時間にわたる会の時間の大半は会場からの問いかけや、それに対する天木氏の回答や所感などで進められたなかで、テーマとして会場の興味を集めたのは、日本の安全保障の今後についてであった。憲法9条の改定問題や対米追従の政府への疑問などが話題の中心となったが、会場から出された「国の第一義は“国民の生命を守ること”」というひとことは、すべてのひとびとが重くとらえる必要があるだろう。日本が戦争に巻き込まれて、殺されるのはわれわれ一般市民であり、軍隊の一員として戦地に送られるとき、それは自らの祖国によって生命に危機が及ぼされるときだと考えていい。また、「武力をもってして平和を保つという考え方こそが戦争への近道である」という天木氏の言葉も非常にわかりやすい指摘だといえる。「世界の国々がどうだからではなく、日本はどうだという姿勢こそ、世界に向けて表明すべきであろう」(天木氏)

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 対話はマスメディアの報道姿勢の問題や市民レベルでの政治への参加についてなど、時間がまったく足らない状況であった。世の中全体が右傾化しているなかで抵抗をしていきたいひとたちが大勢な気持ちなんだろうけれども、せっかくの“思い”がカラ回りしているように思える人が少なくなかった。また、この期に及んで小泉政権の正体が見抜けていない──明らかにオカシイと感じているのに、まだ市民の声が彼らに伝わっていると信じている──ような声も聞かれた。これらはつまり、事実について勉強する機会が足らないのか、その方法をきちんと会得できていないからではないのか? 世の中なにかオカシイ。いまの政治に対してとってもアタマにきている。ところが、その先に踏み込むだけの体力がない、そう感じられるのだ。これは今回の会だけではなく、こうしたほかの集まりでも感じられたことだ(辺見庸さんを囲んだ集まりなどでも同様に感じた)。自戒を含めて、本当にそう思う。

 現代は、印刷媒体や電波媒体に加えて、インターネットという新たな情報手段が成長を続けている。いまこうして自分が発信しているのはインターネットがあればこそだが、これはマスメディアでは声にならなかった声を誰もが発信できるようになったことを意味する。つまりは、情報手段を市民がようやく手にしたということではないだろうか? そのインターネットを天木氏は上手に利用しているように感じる。当日の参加者の多くはネット上で開催情報を入手した人たちではないかと思うが、ネットによる情報の発信に加えて直接の対話を生かすという今回のような集まりは、自分自身、大いに刺激を受けることができた。今後の展開に期待したい。


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2004.12.10

朋ちゃん・・・の巻


 12月9日。「どっちの料理ショー」に朋ちゃんがゲスト出演。変わった(のかな?)髪型のせいか服装のせいかはともかく、なんだか妙にカワイイにゃぁと思ったものだ。じつはわりとファンなのよん。

 まだ歌手中心にやっていたころ、ついついシングルCDを何枚か買ったものだが、それだけでなくピアノ譜まで買ってしまった(なんだかベースラインにホントかな? という箇所があるが)。そのブツを目撃した友人S、「なんでこんなモノを・・・」と唖然としていたが、そのSも「どっちの料理ショー」をみながら「萌え〜」などというメールを送ってきたのだからどうしようもなし。

 その朋ちゃん。かつて紅白に出たとき、たまたまそのステージを敦賀駅の待合所のテレビで目撃した(だいたい紅白なんぞさっぱり見ないので、列車待ちのときに彼女の順番が巡ってきたというのは、まさに僥倖といえよう)。ピアノを小室哲也が弾いた。NHKホールは大いに盛り上がってみえた。だが、歌がヘタだった。声が出てこなくて、極度に緊張しているようにもみえた。なんだか痛々しく思った。テレビで歌っているのをみるのがはじめてだったこともあり、ちょっとガッカリしたものだ。

 ところで、そのときに歌った「I'm proud」のなかに“ラ抜き言葉”があって、なんだか気になっている。もちろん、そいうった曲はたいして珍しくもないが、かつて音楽家のS(萌え〜のSとは別人なり)と「歌詞のなかの“ラ抜き言葉”の是非」について議論したことがあって、そのときに結論が出たのか出なかったのか、いずれにしてもできれば避けるほうがいいのではないかといまだに思っている(ただし、方言のなかには“ラ抜き言葉”が使われているものもあるので、言葉そのものを否定するのはナンセンスだ。場合にもよるけど)。

 で、なにが書きたいかといえば、「どっちの料理ショー」のなかの朋ちゃんが“ラ抜き”じゃない言葉遣いなのを発見したのだ。イメージやステレオタイプでモノを語るのはよくないが、キャラがキャラだけにちょっと新鮮な感じがして「萌え〜」。

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2004.12.09

デジカメをゲット...の巻


 12月8日。遅ればせながら、デジカメを購入。ミノルタのDiMAGE A1である。ぜいたくをいえばキリがないが、28ミリ〜200ミリまで使えるのは充分に合格(とくに広角は必需!)。ヘタクソな写真を銀塩で撮ってきたが、今後はデジタルがメインになりそうだ。

 そもそもの導入の切っ掛けは、リバーサルフィルム代と現像代がバカにならないことだが、殊に単行本の取材では感材費は完全に自腹(新聞や雑誌にも同様のケースあり)なので、ヘタをすると単行本1冊ぶんをリバーサルでやるだけでデジカメが買えてしまうという、単純にコストの問題があったからである。また、デジタル入稿を求める出版社もあたりまえになっており、このままだと浦島太郎になりかねんということもあった。
 
 という個人的事情はともかく、気軽に撮影ができるという点に大いに魅力を感じる。なにより、即座に画像が見られるのがいい。さっそくウチのぼんを撮ったのでここに載せたいのだが、どうやってやるのかにゃぁ……。

 今日はもうひとつ買物を目論んでいた。CD-RとDVDドライブ(一体型)である。デジカメを買ったぶん、某店のポイントがあるのでそれを充当して売り場に乗り込んだのだが・・・使っているPowerMac G3(OS9.2.1)の対応機種がないのであった。これは困った。CD-Rだけでいいのであれば安価であるし、実用的にはそれだけで充分とはいえるのだが、Macでコッソリとエロ……じゃなかったDVDの鑑賞でもと考えているので、やはり一体型でほしい。仕方がないので中古を探すか……。だけどポイントが使えんのは痛いなぁ・・・。



●取りあえず写してみた1枚目。ニボシが好物のぼん。

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2004.12.08

一夜の宴・・・の巻

 12月7日、日本秘湯を守る会の30周年記念式典に出席。

 午後1時から始まった会(朝日ホール・有楽町)はおよそ650人の来場で、なかなかの盛会だった。

 櫻井よしこ氏の記念講演「旅と人生」では、氏の体験にからめて、旅に獲られるなにかというテーマを軸に語られたが、ハワイに留学した高校生のころ、「国際人になりたかった」氏の理想が、他民族の文化(ハワイの学校では世界64カ国からの留学生がいたという)との語らい(対立?)のなかで壁にぶつかっていったというエピソードが印象に残る。本多勝一氏もなにかのなかで書かれているが、「国際人」とは単に外国語が堪能だとか、世界中を旅行しているとかなどで語るべきものでは決してないだろう。自国の、自らの民族としての文化をいかに理解して、ほかの民族や外国人に伝えることができるか? けっきょくは自分はなにものなのか、日本人とはなにかという話につながってくる。

「(留学先で各国の伝統を披露しようという会があって)日本の、たとえば芸能といえば歌舞伎や能。でも私にはそういった技能はありませんしできませんでした。ところが、ほかの国々からきた学生はどうだったかというと、みなさん、それぞれの国の歌舞伎や能にあたるような民族芸能をあたりまえのようにやっているんですね」(櫻井氏)

 もちろん、歌舞伎などだけに日本の文化を代表させるなどという発想はとんだ誤解のモトだが、自分の国の社会はどういう仕組みで、政治はどうで、経済はどうで、一般市民の生活はどうで・・・と、そういったあたりまえのことを、当時の日本人同級生たちだけが理解できていかなったというのだ。そういったことの“気づき”をハワイへの旅で学んだという櫻井氏のエピソードは非常に説得力があった。旅はカルチャーとの出会いである。


 そのほか、佐藤好億氏(同会会長)の基調講演「創立30周年を迎えて」のほか、小林しのぶ氏、横山隆一氏らを迎えてのパネルディスカッション「地球の恵 温泉と旅」などが行なわれた。

 で、場所を浅草ビューホテルにかえての謝恩パーティーだが、偶然みえられていた推理作家・シナリオライターの辻真先氏とSF&シナリオ談義。過去から現代におけるアニメ界の裏話や注目の作品の話題など、非常に興味深いお話をうかがうことができた。温泉の話題はそっちのけとなってしまったが……。

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2004.12.06

新規オープンです。


 ホームページ「アトリエ猫池」の姉妹版ブログです。

 恥ずかしながら、ブログでなにができるかや使い方もほとんどわからないままにスタートしてみましたので、しばらくは使い方の研究というか、序奏になると思います。

 年明けからは本格スタートしたいと考えていますので、ホームページ同様、お立ち寄りいただければ幸いです。

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